I will arise and go now, and go to Innisfree, And a small cabin build there, of clay and wattles made; Nine bean-rows will I have there, a hive for the honey-bee, And live alone in the bee-loud glade. And I shall have some peace there, for peace comes dropping slow, Dropping from the veils of the morning to where the cricket sings; There midnight's all a glimmer, and noon a purple glow, And evening full of the linnet's wings. I will arise and go now, for always night and day I hear lake water lapping with low sounds by the shore; While I stand on the roadway, or one the pavements grey, I hear it in the deep core of the heart. [from "The Rose"] さあ立上がって行こう、イニスフリーに行こう、 そして土壁づくりの小屋をそこに建てよう。 そこには九条の豆を植え、蜜蜂の巣をおこう、 そして蜂の羽音の騒がしく聞こえる渓にひとりで住もう。 そこでは心の静けさが得られるだろう、ゆっくりとした心の静けさが 朝の帳(とばり)からこおろぎの鳴くわが小屋におりて来るから。 そこでは夜はかそけき光に満ち、昼は華やかに光が輝き、 夕暮れは小鳥の羽ばたきが聞こえる。 こんどこそさあ立ち上がって帰ろう、昼となく夜となく 湖畔に打ち寄せるあの低い波音が聞こえるから。 こうして都会の道路に、灰色の舗装路に立つときも、 心の奥深くあの波音が聞こえる。 (翻訳:Tad) ウィリアム・イェーツ(1865-1939)はアイルランドの詩人である。この「イニスフリーの湖島」はイェーツの抒情作品でもっともよく知られた名作である。 この詩の主題は、塵埃にまみれた大都会ロンドンにに住むイェーツが、故郷の田園生活をしのび、自然の中に平和で静寂な生活に戻りたいとのあこがれを歌ったものだ。 19世紀後半、英国ではケルト文学(アイルランド文学)への動きがあり、ケルト人特有の夢幻空想と哀調の詩情を近代英文学に復活しようとしたもので、イェーツはその先頭に立つ第一人者であったとのことである。 彼の詩は用語も表現も平易で、しかもその詩情は日本人にとって理解しやすい。以前から私は イェーツの詩に目を通していたが、同志社大学の英文学者でかつ詩人であった矢野峰人氏の名訳を最近読んで、この詩を取り上げたくなった次第。 以下に、矢野氏によるこの詩の最後の4行の訳文を紹介するので、ご覧いただきたい。 いざたちてわれ行かむ、われ昼も夜も、をやみなく、 音も低く湖の岸辺を洗う小波の響きをきけば。 路上に、あるは灰色の舗道の植えにたつひまも、 われは聴く、わが深き胸のおくがに、かの波の岸うつ音を。 中学校から高等学校にかけて文語体に慣れ親しんだ我々にとっては、文語体の語調は詩としての音律を自ずと感じさせてくれる。しかし若い世代に取って文語体は所詮古文であろう。 口語自由詩に音律を感じさせることが出来るような詩を作ること、そしてそれを音律を感じさせるように朗唱することを実践しないと、日本から詩は消えてしまうような気がする。 [2004年8月記] |