オフェリアの歌 いずれを君が恋人と わきて知るべきすべやある 貝の冠とつく杖と はける靴とぞしるしなる かれは死にけりわが姫よ 渠(かれ)はよみじへ立ちにけり かしらのほうの苔を見よ あしのほうには石立てり 柩をおほふきぬの色は 高ねの雪と見まがいぬ 涙やどせる花の環は ぬれたるままに葬りぬ (森 鴎外訳) 姫よ、あなたの恋人は亡くなられた どの死者があなたの恋人と見分けたらよいのだろうか 貝細工の冠と杖、そして履いておられる靴がその印 あなたの恋人は冥土(よみじ)へ旅立たれた 埋められた恋人の頭の部分には苔が生え 脚の方には石が立ててある 柩には純白の帷子(かたびら)をかけ あなたの涙で濡れた花輪は そのまま柩と共に葬った (Tad翻案) 森鴎外は落合直文(国文学者)、井上讚次郎(漢文学者)などの若い友人たちと「新声社」という同人組織を結成し、徳富蘇峰が編集する雑誌「国民之友」の明治22年8月号に訳詩集「於母影」を発表した。 ここに掲載した「オフェリアの歌」は、「於母影」で発表されたシェークスピアの悲劇「ハムレット」の中で、狂乱状態になったハムレットの恋人オフェリアがうたう詩の冒頭の3連であり、森鴎外自身が翻訳したものとして知られている。 この鴎外の翻訳の中で特に注目すべき点は、各連の1行目と3行目、及び2行目と4行目が脚韻を踏んでいることである。この詩の字数律は7・5調となっているが、同時代の他の新体詩に比べてその文体は非常に新しく感じられ、翻訳詩として、また詩として優れていると思う。 マンフレッド一節 ともし火に油をばいまひとたびそへてむ されど我いぬるまでたもたむと思はず 我ねむるといへどまことのねむりならず 深き思のために絶へずくるしめられて むねは時計の如くひまなくうちさわぎつ わがふさぎし眼はうちにむかひてあけり (森 鴎外訳) 灯火にもう一度油を注ごう だが私が眠るまで灯火がもちそうにもない たとえ眠ったとしても深い眠りではない いろいろの思いに苦しめられて わが胸は時計のようになり騒ぎ 閉じた目はわが心に向けてあいている (Tad翻案) ここに掲載する翻訳詩は、発表された43行の詩の冒頭の6行である。原詩はバイロンの詩「マンフレッド」の抄訳であって、しかも鴎外が翻訳に用いた原詩は、英文原詩のドイツ語訳であることが知られている。そのせいか、一部に英語原詩とは異なる翻訳が見られる。 この翻訳詩で特筆すべきは、各行の字数律が伝統的な7・5調から全く外れおり、10・6・4調を基本にして、各行で字数律が微妙に異なる。 この翻訳詩集が発表されたのは明治22年である。 島崎藤村や土井晩翠が日本近代詩の出発点となった詩集をそれぞれに発表したのは、この8年後の明治30年であった。しかも、藤村・晩翠のの詩のほとんど全てが7.5調または5・7調で書かれていたことを思えば、この翻訳詩集は字数律に関して時流をはるかに超えた先駆的な試みを行っていたことが分かる。 さらに、5行目の「むねは時計の如く....」、あるいは「ふさぎし眼はうちにむかひて...」などの表現はそれまでの日本の詩歌では絶対に見られなかったもので、ここにも「於母影」の文体の先駆性が窺える。 この「於母影」は、その後の詩人に大きな影響を与えたことが知られており、特に薄田泣菫や蒲原有明は自らの文章の中で、この詩集から受けた影響について述べている。その他各種の日本近代詩史に関する研究でも、「於母影」が日本近代詩の形成に大きな影響を与えたと、高く評価している。 私はこの「於母影」の全文をインターネットで検索して承知していたが、岩波書店から発行された鴎外選集第10巻(詩歌)を、つい最近近くの古書店で400円で入手して悦に入っている次第だ。 [2005年2月記] |