社会人の公務員試験体験記 〜地方上級技術系〜

・現在の職業である長野県職員に転職した経緯を紹介します。
・受験を考えている人、転職を考えている人の参考にと書いてみました。


<本人のスペック>

・1971年生 長野県出身
・学歴:電気通信大学大学院卒(電子物性工学専攻・修士):浪人1、留年1
・1998年4月〜2001年3月 住友電気工業(株)に勤務。
・妻(就職直後に結婚。長野県出身)、子(転職時、1歳9ヶ月)有り
※詳細はこちら


<受験した公務員試験のスペック>

・平成12年度長野県職員採用 上級試験(大学卒業程度) 区分:電気
・試験概要(下記 募集要項より)
 
<第一次試験 2000年6月25日実施>
試験の方法
内        容
教養試験(2時間) 50題出題 内20題必須解答、残り30題中20題選択解答
専門試験(2時間) 40題出題 40題解答
論文試験(1時間30分) 一般的事項についての論文試験

 
試験の方法
出 題 分 野 ()は出題数
教養試験 知識分野=選択解答  社会科学(10) 人文科学(10) 自然科学(10)
知能分野=必須解答  文章理解(含 英語)(8) 判断推理(6) 数的処理(4) 資料解釈(2)
専門試験
(電気)
数学・物理(10) 電磁気学(4) 電気回路(4) 電気計測・制御(4) 電気材料(2) 電子工学(8) 電力工学(6) 通信工学(2)

 
<第二次試験 2000年7月末実施>
試験の方法
内        容
口述試験 個別面接による試験
性格検査 性格についての検査

 ※その他、身体検査、資格調査。

・募集要項に発表されている日程は第一次試験のみで、合格発表、二次試験などの日程は順次知らされる仕組みになっている。


<公務員試験を受けるに至った過程>

 前々から、転職はしよう、と考えていた。

 今思い返してみると、前職に就くときの面接でも、「転職はしたい」と言った覚えがある。面接官はどう思ったか知らないが(でも採用してもらった!)、この年は山一証券が破綻した年(当時、業界最大手の証券会社。私の記憶では、約500人の就職内定者がいた段階での破綻だった)。人材の流動化は、社会が向かっている必然の状態だと思っていた。大学院2年、1997年の事である。

 この少し前、私は博士コースへの進学か、企業への就職か、進路について迷っていた。結局後者を選んだのだが、これは経済的理由と、一度は工業の現場で働いてみたい、というのが理由。最終的には公的研究機関で働きたい、というのが私の希望だった。

 民間企業に就職し、働きながら「その後の進路」について考えていた。就職直後で、まだまだ先に考えれば良さそうなものなのだが、こういったことは早めに検討開始しておくに限る。目標は公的研究機関への転職。しかしこの道は非常に狭き門。職に就けない博士が世の中にはゴロゴロいるのだ。そんな中でツテもなく、ましてや大した研究成果もない修士が職を得るのは、ほぼ不可能に近い。そのころ私は残念ながら生産部門にいたため、対外的に発表出来るような研究業績を蓄積していく事もほとんど望めなかった。

 はて、どうしたものかと、いろいろ調べてみると、公務員試験なるものを通過して研究職に就くパターンがあることを発見した。「国家公務員試験を通過して、○○省△△研究所へ」というパターン。これならばそれまでの業務実績など一切関係がないのでは? というわけで、試しに入手した国家一種公務員試験の参考書。ながめてみて愕然。こんなに難しいとは!!。とにかく勉強してみるが、全く歯が立たない。「こりゃ、ちょっとやそっとじゃうかんねぇな。」と思い、何年かかけてやってみる事にした。別にすぐにでも転職しなければいけない理由は何もないし、こういった勉強は自己啓発としてもいい選択だろう(あまり職場でおおっぴらに出来ないが・・・)。そんな気持ちでいたのが1999年、年末の事である。

 しかし、数カ年の勉強計画なんて、有って無い様なもの。それほど勉強もせずにいたのだが、2000年が明けて少したった頃、ちょっとした事情から、郷里の長野県へのUターンについて考えるきっかけがあった。考えてみれば妻も私も長野県の出身。私の両親は二人きりで、父の定年退職も間近に迫っている。私の兄弟はすでに他家の籍に入り、両親の老後の面倒は私が見ないわけにもゆかないだろう。

 こんな背景の中、一応公務員試験受験生であった私は、日夜「公務員試験、公務員」をキーワードに情報を収集していたところ、偶然にも地方自治体にも工業関係の研究機関がある事を知った。チェックしてみると、長野県にも同様の機関があり、さらに業務内容をチェックしてみると、単なる研究業務のみならず、生産業者に対する技術的支援も行っている。私は工業を知らない工学研究者にはなりたく無かったので、これはむしろ好都合だった。調べれば調べるほど興味が湧いてきた。職員の採用も公務員試験で行っているらしい。これはチャレンジの価値あり、という結論が出た。転職と言えば、家族の同意が重要だが、この場合もとより反対の出るはずがない。給料についてもメーカー勤務と研究職公務員では、それほど大きな差は無い様だった。となれば、残るハードルは、

  1) 自分として転職を決意できるか
  2) 年齢が公務員試験の上限一杯だったので、失敗すれば後がない
  3) 第一次試験が、2000年6月に迫っている

の3つであった。2)については、だからと言ってどうしようもない。1)については公務員試験の特性上、受かってから考えても遅くない。最大の問題は3)であった。とにかく受かる。それが至上課題となった。これが私が長野県の公務員試験を受けるに至った過程である。

 余談になるが、本当に受験しよう、と決めたとき、すでに願書締め切り日が迫っており、かなり焦った。当時は兵庫県にすんでいたため、郵便での書類取り寄せ時間を稼ぐため、妻に長野県の大阪事務所に願書を取りに行ってもらい、ようやく願書を出すことが出来たのだ。


<受験勉強>


本章では、基本的に長野県上級試験に関して書いてます。国家一種については、前章で書いた国家一種試験については、実際には全然勉強して無かったので、触れてありません。

1、情報収集

 公務員試験の受験はこれが初めて。どんな試験なのか、どんな問題が出るのか、難易度等、まずは情報収集から。これが受験する年、2000年の3、4月あたりだったと思う。受験願書提出の直前にこんな事をやっていたのだ。そしてこの情報を元に、受験を決意したのである。

 公務員試験は情報が少ないので、この辺はしっかり押さえておく必要がある。とはいっても、難易度については結局よくわからなかった。この辺は模試などを受けていなかったことが悔やまれた。

 情報源としては、参考書とWebページ。試験内容と問題については参考書、受験顛末記や現役公務員の仕事状況には個人の善意で作られたWebページが主に役だった。特に書籍は、本屋さんに公務員試験コーナーなるものがあり、多数の情報が得られる。

 結局、第一次試験がメチャメチャ高い倍率なので、それをこなさないとお話にならない事がよくわかった。実に10〜20倍の倍率であり、これが公務員試験の高倍率をささえて(?)いる。逆に言えば、一次試験を通過すれば、二次試験はそれほどの事はない。とにかく一次試験に集中すべき。

 あと、チェックを忘れてはいけないのが、募集要項と自治体のWebページなどの媒体。試験の基本的なスタイルはどこの自治体でもそれほど変わりないみたいだが、当然の事ながら受験先独自に多少の差はある。長野県の場合、専門試験にいわゆる記述式の問題が無かった。これは自治体が提供してくれた情報以外には知る術はない。また、Webページには試験要項だけでなく、「県職員ライフの基礎知識」として、試験以外の情報も提供されていた。こういった内容は、志気を高めるために大いに役だった。


2、勉強の方法

2-1 勉強の方針

 とにかく、勉強スタートから第一次試験まで時間がなかった。そもそも予備校に通うとか、通信教育等の勉強スタイルは採る気が無かった(というよりも存在を知らなかった)ため、市販の参考書、問題集がメインの勉強スタイル。とにかく、本屋に売っている本で勉強する事にした。参考書を見る限り、出題レベルは、およそ大学院入学試験レベルかそれよりやや優しいくらい。大学卒対象で、様々な専攻の受験者がいることを考えると、出題レベルはその程度が妥当になるのだろう。
 社会人ならではの事だが、勉強時間をいかに捻出するかは大きな問題である。その当時、私の居た職場は忙しいところで、私自身、夜9:00に家に帰っている事はまれ、という状況だった。しかし、退職して勉強という選択肢が私には無かったので、とにかく、一日最低1時間は机に向かう。通勤時間も勉強。土日は体力の続く限り勉強。という方式を取った。時間というのは無いようで結構あるということが分かった。

2-2 実際の勉強

2-2-1 前期

 最初は、とにかく問題集にチャレンジ。しかも、すべての科目が載っている本一冊に絞り、その本に取り組んだ。

 最初はあまりに解けないので愕然とした。しかし、とにかく試験に対する自分の実力がわからないので、一通り解けた問題は○印、出来ない問題には×印をテキストに書き込んだ。解答時間は当分の間は無制限に設定し、すべての問題について実力で解けるか解けないかを判定していった。

 解けない問題について、正答を見ながら、どこがわからないのか、どの程度勉強すればいいのか考えた。中には単純なミスの場合もあるし、きっちり勉強が必要なものもある。勉強が必要なものは、理解出来るまでテキストの解説を読む。さらに必要なら、手持ちの教科書も調べた。気を付けたのは、あくまでわからなかった箇所について限定して勉強すること。あちこち手を出すと、時間は絶対に足りなくなる。勉強したら解いてみて、後日またチャレンジして解けるようなら、その問題は○印となり、解ける問題となる。

 しかしながら、この方法はあくまで多少の予備知識がある科目の場合で、そもそも全然ダメ、という科目も当然あった。私の場合、こういった科目はそもそも基礎が全然ダメという事なので、時間をかけても効果は知れている。となれば、とりあえずとれる出来る科目から。というように勉強のスタイルが決まっていった。

 公務員試験特有(?)な、教養試験の知能分野は、文章理解を除けばパズルの様な問題ばかり。勉強に疲れた時にこの辺りの勉強をすれば、リフレッシュしながら勉強が出来る。大変お得な科目であった。
 

2-2-2 後期

 ある程度経つと、出来る科目と出来ない科目の2種類に明確に分かれてくる。出来る科目といっても100%なんかもちろん出来ない。6、7割の問題は正答出来るだろう、という自信のある科目である。逆に出来ない科目は、本当に出来ない科目なので、得点率をのばすには、この全然ダメ科目を何とかしていかなければなならい。また、出来る科目についても、解けて確実に得点していく事を練習しなければならない。この辺りから、勉強の方針がこの2点の克服に方向を変えた。

 出来る科目については、基本的にペンは持たない。問題を見て、頭の中で解答の手順を考えてみる。自分がどこを間違えたことがあるが、どこに注意しなければならないか、なんて事に注意する。実際の試験では1問を2、3分で解答していかないと全問解答は出来ない。だから、とにかく素早く解答を出す練習をした。

 出来る科目の勉強時間は、この段階では、全体の1/5程度に押さえ、残りは出来ない科目の勉強に当てた。しかし、出来ない科目の全部をカバーする事は無理だと判断し、今からやってもどうにもならないと思われる専門科目については、この際あきらめることにした。私の場合、「電気計測・制御」、「電力工学」、「通信工学」については、専門外なので、大学の授業でも勉強した事がない。おそらくここから勉強しても、どうにもならないので、これら計12問については勉強しないことにした。40問中の12問なので、かなり大きな決断だが、全範囲網羅して勉強してきた人なんか、いないだろうし、他の受験生だって似たようなものだろう。さらに、諦めたとは言っても、私の場合、大学卒業から4年以上技術の世界にいた。耳学問で覚えた知識の中から、解答できる問題だって皆無じゃない。

 理系にとって、頭が痛いのが、教養科目の人文科学、社会科学である。いずれかを選ばなければならない。しかし、そもそも人文科学と社会科学って、何かがわからない。本屋さんで参考書を立ち読みし、社会科学を選ぶことにした。社会科学とは{政治、経済、法律etc}の事であり、まだなんとなく話がわかる感じだった。ちなみに人文科学とは{思想、哲学、歴史etc}の事で、西暦○○年に××さんが△△した、なんて知識がないと、お話にならない様子だった。都合よく、社会科学の参考書を入手し、これで勉強した。

 もう一つ、教養科目で問題だったのが、自然科学。結構忘れてしまっているのだ。これも自然科学の参考書を入手し、おさらいすることにした。

 さらにもう一点、数学に不安要素が残った。公式を忘れていたり、計算間違いが多かったりして、解けない問題がざくざくあるのだ。電気の区分で受けている以上、数学はつきまとう。専門では物理とあわせ、10題が出題される予定だ。急遽参考書を導入した。

 こんな訳で、最終的に参考書・問題集は、当初から使っていた全体網羅型の問題集1冊と、各分野の参考書3冊、併せて4冊となった。とにかくこれをこなす事。これが試験当日までの課題となった。参考に、この4冊を紹介しておく。
 
文献名
出版社
概要
公務員採用試験シリーズ
「上級地方技術系公務員試験」
2001年度版
一ツ橋書店 全科目網羅の総合参考書
模擬問題がメインだが、受験情報も満載している
この手の本は一冊はほしい
公務員試験 短期マスター
「社会科学のオールチェック」
実務教育出版 頻出テーマ毎に1ページで解説
各章末にチェックテストも装備
まさしく短期マスター用
公務員試験 短期マスター
「自然科学のオールチェック」
実務教育出版 上に同じ
上・中級公務員試験
技術系よく出るシリーズ
「工学に関する基礎(数学・物理)の頻出問題
実務教育出版 数学、物理の問題集
国家一種出題レベルの問題も載ってる
頻出というよりは網羅型の問題集


3、その他、勉強しなかったこと

 その他、試験科目には論文試験、口述試験、性格試験なるものがある。これらについては結局なにもやらなかった。やったことと言えば、せいぜい「気合いを入れる」くらいの事だった。論文試験に関しては、社会人のアドバンテージで、文章なんか毎日書いていたし、口述試験(面接)だって、堂々と受ければそれでいいと思うし、性格試験なんて、そもそもなんだかよくわかんない。そんなわけで、これらについては何もやらなかったのである。


<一次試験当日の事>

 試験会場は県立高校で、偶然にも私の母校だった。開場時間の少し前に到着したが、屋外に多数の受験生がいた。知人同士で「○○が出る」とか何とか。大体の場合、この○○は知らないで焦ることは多いのだが、自分としてはやるだけのことはやったつもりなので、気にしないことにした。

 試験開始。とにかく出来る問題から解いていく。教養試験も、専門試験も短時間で正答出来るものをガンガンこなして時間を稼ぐ。計算にハマって1〜2分経っても答えが出ない問題もとりあえずパス。とにかく「取りこぼさない事」を目標に解答を進めた。手応えとしては十分、問題集で勉強したレベルより、本番の方が問題が易しい気がした。時間不足は無かったが、出来ない問題も当然ながら結構あった。そんな中で、私が実際に使った「裏技」を紹介しておく。知っておくと結構役立つと思う。
 
いわゆる次元解析。例えば「○○のエネルギーを求めよ」という力学の問題で、問題の内容はともかく、選択肢のディメンジョンがエネルギーの次元になってるかどうかで判定した。
例えばexp(x)とういう形で、xは必ず無次元になる、という事実。次元解析の一つだが、知らない人も多いと思う。何の問題で使ったかは忘れた。
教養試験の選択問題は、出題30題中20題解答すればよく、社会科学、人文科学、自然科学各10問の問題をどう組み合わせてもよい。自然科学と社会科学で受けるつもりだったが、社会科学の全然わからない問題の代わりに、人文科学の中から1、2問といた。10題の出題中には、やさしい出題も1、2問はある。
「公務員試験 マル秘裏技大全」(洋泉社)なる本がある。上の三つは載ってないが、さらにエグい内容が載っている。一応買った。お好みでどうぞ。

 ふと会場を見渡すと、時間を残して寝てる人が結構いた。数十倍という高倍率の試験では、1点のミスでも致命傷になるだろう。一瞬、どういうことなのか理解できなかった。相当自信があるのだろうか?それにしては人数が多すぎる。。。そこでようやく事情が飲み込めた。この会場に来ている大半が学生で、そうなれば民間企業が本命だったり、国家公務員が本命だったりする人も多いはず。場合によっては、この会場の半数くらいは「冷やかし」とも言える。受験料はタダだし。イケそうな気がしてきた!

 午後は論文試験。全く対策していないので、ここに来て若干不安になった。開けてみるとテーマは地方交付税について。設定があって、ある学生から、公務員である「あなた」に地方交付税について質問が来た。その学生の曰く、「なぜ都市部での税収が地方に流れるのか」、「都市部での交通混雑はひどく、その改善に金を使うべきではないか」などなど、地方交付税の概要と、述べてほしいポイントが懇切丁寧に問題に含まれていた。これについて解答文を書け、とういのが問題であった。予備知識など全くなかったが、書くのに全く困らなかった。調子に乗りすぎて有ること無いこと書きまくって、蛇足がついていないかがむしろ心配だった。この時も終了時間まで30分以上を残して帰ってしまう人が半数近くいて、最後までいた人は数える程だった。やはり冷やかしはかなり多いらしい。


<一次試験から二次試験まで>

 一次試験の合格発表は7月12日だったと思う。県のWebページにも掲示されるとの事で、それをチェック。合格。よかった。自宅での確認だった。同区分の合格者は3名。一次試験の会場は2カ所あったのだが、私の受けた会場で合格したのは私だけだった。同区分で2〜30人は受験者がいたと思ったのだが・・・。この段階で改めて倍率の高さを実感して、遅ればせながらビビってしまった。まあいいや。とにかく一次試験にパスしたのだ。

 遅れて郵便で合格通知が届いた。二次試験の案内が同封されていた。日程は7月26日。長野県庁が会場だった。それと、この段階でいろいろな書類の提出が求められた。(下表)
 
面接カード フォーマットが送られてきて、自分で記入する
面接官がこれを見ながら面接を行っていた
健康診断書 フォーマットが送られてくる
国公立病院などで健康診断を受けて書いてもらう
半日ほどでやってもらえた
最終学校の学業成績証明書 出身学校で発行してもらう

 二次試験まで2週間。書類の用意が結構煩わしかった。試験自体の準備は特にせずに過ごした。面接カードの記入には、かなり時間がかかった。好きなTV番組や気になる時事ネタ、配属先の希望、自分の長所短所などなど、面接ネタになりそうな項目をいろいろ書かされる。このときさんざん悩んで書いたのが面接に大いに役立ったと思う。


<二次試験当日の事>

 まずは大部屋に今回の受験生(全部の区分)全員が集められて、性格検査。クレペリン検査というヤツをやった。一桁の足し算をどんどん繰り返していくというヤツ。疲れる。こんなもので性格がわかるのかな〜と思っていたら、後日談になるが、あまり根拠は無いらしいという事がどこかに書かれていた。よっぽどの事が無い限りこれで落とされる事は無いだろう。

 クレペリン検査の後、口述(面接)試験。各区分毎に面接室を分けて行われた。前の人が終わるまで廊下のベンチで待たされたのだが、そこがたまたま他区分の面接室の前で、中の様子が手に取るように聞こえてきた。時事ネタで随分つっこまれて、シドロモドロになっていた。かわいそうに。現役の学生だろう(私の知る限り、社会人にそんなに純情なヤツはいない)。

 いよいよ私の番。前出の面接カードに従って面接が進められた。しかし、面接カードが学生用に作ってあり、好きな科目とか、学生時代に一番印象に残った事などが大半を占めており、お互いに面接ネタに少し困った。これまでの仕事の概要とか、配属先の希望など、かなり具体的な話もここで行われた。私は「行政職になんかなる気は更々ない。研究職じゃないとヤダ。でも、来年受け直すとかいうのは年齢条件で不可能なので、合格したら採用されるつもりだが、その後の異動で研究職にしてもらう。」と、自分の都合をビシッと言っておいた。一応圧迫面接風の役割の人もいて、「自分の短所」の欄に書いた「整理整頓が苦手」というのを捕まえて、これは研究者には致命傷だ。どうするんだ。と行って来た。これには少々困ったが、「そんなことはないと思うよ」とはなかなか面接では言えない。「『捨てる技術』ですかねぇ。」などと、適当に流して面接は終了した。


<二次試験後の事>

 二次試験の合格発表は8月23日だった。ここで落ちる可能性は一次試験に比べれば遙かに低いが、緊張の度合いは同じくらい。やはりWebで合格を確認した。このときは職場のパソコンで見たので(一次は自宅で見た)、自分の中だけで、じわりを喜びをかみしめた。同区分の合格者は2名。一人不合格だったらしい。

 この後、9月20日に採用打ち合わせとして、もう一度長野県まで呼びつけられた。当時の住所は兵庫県。そう気軽に呼びつけられたのではたまらない。当然交通費くらい支給されるだろうと思ったら、これは自腹との事。行ってみたら、大した打ち合わせはせず、採用の意思確認が目的だったとの事。大いに腹が立ち、「兵庫県からここまで交通費いくらかかかるか知ってるんだろうな。北海道とか海外だったらどうするつもりだ?今回は我慢するが、採用までにもう一回来てくれとかぬかしやがったらタダじゃおかねえぞ。分かったかコラ」という旨を、何度も抗議した。結局呼び出しはそれだけだったが。

 10月1日付けで県より「職員採用内定」との旨の連絡が来た。これにより、2001年4月1日から長野県職員になる事が事実上決まった事になる。この段階で、様々な書類の提出が求められた(下表)。
 
履歴書 市販の履歴書用紙に書く
前歴証明書 フォーマットが送られてくる
前歴1件に付き1枚。雇用主の証明印が必要となる
最終学校卒業証明書 出身学校で発行してもらう
写真 証明書用の写真
住民票記載事項証明書 フォーマットが送られてくる
住所、名前、本籍、生年月日が正しい事を証明する書類らしい
市町村役場で証明印をついてもらう
欠格条項非該当申立書 フォーマットが送られてくる
自分の名前と印鑑押すのみ
資格取得証明書 要資格職(獣医さんなど)のみ提出


<職場の事>

 すでに職業を持っている人であれば、避けては通れない事がある。職場へのカミングアウトだ。二次試験合格後、改めて転職について決意する事が必要だった。現在つつがなく暮らしている状況から、新天地を求めて出発するのは、冒険でもある。現職への未練が無いと言えば嘘になる。しかし、その他の諸条件を考えれば、引き返す事は出来ない。まさに千載一遇のチャンスなのである。自問自答を繰り返し、決心を固めた。ある意味、本当に転職を決意したのはこの段階だったかも知れない。

 上司にどのように伝えるのか、考えたあげくe-mailを第一ステップとした。課長は部長に相談し、2人で時間を作ってくれた。様々な事情を話し、「本来、上司としては引き止めなければならないんだが・・・」と言いつつも了解して頂いた。結局私は3月15日に退職したのだが、最後に2週間有給休暇を使った(予防治療のための病院通いに使用)以外、一切手を抜かずに仕事をした。なかなか手を抜く気にはなれなかった。

 他の同僚には、私の口からは仕事に支障の出ない範囲で一切この件については口外しなかった。2月の終わりに送別会を開いてもらったのだが、この時が名実共に私の退職について秘密解禁日となった。この時、部長が「課長が青い顔をして俺のところに相談に来た。君が悩む3倍は我々は悩んだ。その事は覚えておいてほしい」と厳しい口調で言ったのが忘れられない。しかしその反面、新天地で根を張って頑張って欲しい、とも言っていただいた。他のみんなにも結局あたたかく送り出していただいた。とても、とても嬉しかった。


<4月を目前にした頃の事>

 一つ問題があった。それは引っ越し。配属が決まるのが3月中旬との事であった。長野県内である事は間違い無いだろうが、長野県と言っても広い。独身者であれば、通常独身寮くらいあるのが当然であろうが、私は妻子持ちで、しかもその当時は社宅住まいであった。退職したら出ていかなければならない。この条件を併せて考えると、3月の後半の半月で長野県内の指定されたエリアに住居を確保し、兵庫県から引っ越しをしなければならない。さすがに不安になり、長野県の担当者に連絡を取ってみた。1月下旬の事である。

 長野県の回答は以下の通り
  1、長野県のどこに行くかは3月中旬までは分からない。
  2、世帯用住居(社宅に相当)は、配属先の担当となるので、決定次第そちらに連絡を。
  3、住居空き無ければ、民間で借りてもらう事になる。
  4、保証は出来ないが、程度を気にしなければ、ほとんどの場合住居は有ると思う。
  5、引っ越しについては勝手にやってくれ。若干の赴任費用は出る。

 ショック。それでは配属決定まで手も足も出ないのか?しかし、落ち着いてなんかいられない。とりあえず引っ越し業者の確保に動いた。しかし、年度末の忙しい時期、わざわざ長野県まで行かずとも近畿エリアでおいしい仕事はいくらでもある。そもそも断られる、というパターンも何件かあった。見積もりを出してもらうと大手は60〜70万円という金額を平気で出してくる。中には仕事を欲しがっているらしい業者もあったが、どう割り引きをしてみても50万円以下にならず、会社に電話をかけていた業者もいた。50万円あれば、荷物全部を宅急便で送ってもお釣りがくるだろう。どんな計算しているんだ?

 とにかく、電話帳に載っている運送業者に片っ端から電話をかけた。すると、13万円で長野県のどこへでも運ぶ、という業者が見つかった。それまでの業者とあまりにギャップがあったので、失礼ながら「悪徳業者なのでは?」という気もして、いろいろ探りを入れてみたのだが、対応もGood。結果的には仕事も十二分なクオリティーで深く深く感謝している。

 あとは住居が決まるのを待つだけ。そして配属先は希望通りになるのだろうか?わくわくどきどきで知らせを待っていた。すると、配属先が現在の職場に決まったとの知らせが届いた。第一希望の配属先。嬉しかった。
シカシ!なんと住居の用意が出来ないとの知らせが来たのだ!!予想外だった。民間アパートを何件か紹介してもらったが、しかし、ここで引き下がる訳にはいかない。とにかくどこでもいい。とにかく探してほしい。再三お願いしたところ、どうにか住居を用意して貰えた。そこは他管轄の建物で、どうにか融通してもらったらしい。この連絡を受けたのが私が前の職場に最後に挨拶に行った日で、まさにこれから挨拶を、というタイミングであった。

 3月末、引っ越しを終え、ようやく全てのタスクが終了した。なんだかいろいろあって大変だったが、ようやく転職完了となった。4月2日(1日は日曜日)、田中康夫ちゃんから、辞令を受け取る事が出来たのだった。


<後述>

 私の場合、受験勉強期間が随分短いが、これにはちょっとした理由がある。それは大学時代の留年経験と大学院受験である。

 そもそも高校時代から成績が悪く、浪人した後に入学した大学も、当時は国立大学としては偏差値的にかなり入りやすい大学だった。にもかかわらず、予備校の先生に、そこに入れたのは奇跡に近い、という評価をされていた。入学しても勉強するはずもなく留年。このままでは2留も危ない、という時になってようやく「コレワイカン!」という気になり、1994年の4月ごろから猛然と勉強を開始した(ちなみに入学は1991年)。1年間で2年分くらいの単位を取得し、さらに勢い余って1995年には大学院受験。かなりの高得点で合格した。すなわち「普通の学生と比較して、・学生時代の後半に偏って、・まとまった勉強をした」という経験があり、卒業後の知識のフレッシュさ、同時期に詰め込んだ事による体系的な記憶という点で、今回の受験にも大変有利だった事を注記しておく必要があるだろう。

 長野県では情報公開で、公務員試験受験者は、自分の得点と順位を知ることが出来る。私の場合、第一次試験の総合点が477点で順位1位、第二次試験の個別面接合格、総合判定合格、総合順位1位との事だった。なんと1位!驚いたが、2人しか合格していないので、当然1位か2位のどちらかなのだが。採用されてからしばらくして、もう一人の合格者と話しをしていて、私と彼の得点差はわずか3点ほどだった事が判明。試験の満点が何点かは公表されていないのだが、1000点満点じゃないか、という噂だった。とすれば、50%以下の得点率で競っていたことになる。しかも合格者2名の得点差が3点。マークシートであと1問間違えていたら不合格だった可能性も十分にあった。運も重要らしい。

 なお、田中知事の方針で、このスタイルの試験は我々が最後になった。また年齢制限の引き上げで私にも(必要がなくなったが)セカンドチャンス、サードチャンスが巡ってくる事になったらしい。人生というのは分からないものである。



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