世界第2位の高峰 K2 (8,611m)

 ブラルド谷のキャラバン

 6月11日 ダッソ−

 京大隊(チョゴリザ)、東大隊(バルトロカンリ)が遠征した10余年前には、スカルドからキャラバンしたものであるが、今は約50km奥のダッソ−迄ジープ道路があるので3日間の短縮である。 以前はザーク(羊の皮で作った浮袋を使ったイカダ)を利用しなければ渡れなかったインダス河は吊橋でひとまたぎ、シガール河に沿い砂漠状の河原を進むこと約4時間でダッソ−に到着した。

 ブラルド河に架かる立派な吊橋を渡った所でジープ道路は途切れていた。 山奥に似つかわしくない程の吊橋と思いよく聞くと、更にアスコ−レ迄道路建設の予定があるとのことであった。 完成は何時になるのかは知らないが将来のバルトロ街道は立派なものになると思われる。

 吊橋際に荷物をまとめていると、どこからともなく100人程の村人が集まってきた。 皆ポーター志願者で、早速村長を相手に値段の交渉である。 私達の予算では1人1日12〜13ルピー(食料費込み)であるが、彼等の言い値は15ルピー(約450円)という。 これから先のことを考えると彼等の言いなりにはなれない。 必要な人員は63名で、1人1日10ルピー支払うと伝えたところ、彼等は不満の意思表示として全員引きあげてしまった。 しかし、私達の目の届かない小さな凹地に集まり何やら言い合っている。 多分値段の点で意見が分かれているのだろう。 その様子を知りいくらか安心して待っていたところ、村長は13ルピーでどうかと言ってきた。 パキスタンもインフレがはげしい様子なので、話をまとめることとした。 英語、ウルドゥ語の達者なNさんが、父親危篤のためギルギットから急きょ帰国したため、これら交渉事は英語も半端な者だけでやらなければならない。 更に、ポーターの大部分はバルチ語しか話さないので、バルチ語をウルドゥ語へ、ウルドゥ語を英語へ、英語を日本語へと実に3段階もの通訳が必要で、当然のことながら誤解も生じやすい。 身振り、手振りを交えて一つのことを伝えるのに2〜30分掛かることもしばしばである。

賃金交渉 賃金交渉  (ダッソ−にて)

 次に人選であるが、これは連絡将校に任せた。 63人雇用のところ100人以上の人が集まっているので当然アブレが出る。 人選に漏れた者は「ジャパニ・サーブ」と手を合わせながら何とか雇って欲しいと懇願してくるが、余計に雇うわけにもいかず、2〜3日後にはアメリカ隊が来る筈であるから、そちらに頼みなさいと伝え、何とか引き下がらせた。 シガールの谷は、午後になると毎日のように砂嵐が来るらしく、この夜の食事は砂だらけのものになってしまった。

 6月12日 チャポ

 ポーター達の朝は早い。 5時前には全員が揃って出発を待っている。 朝食もそこそこに各ポーターに渡した番号札と荷物をチェックし出発である。 私達は、先頭、中間、最後尾に別れ、トランシーバーで連絡を保ちながらキャラバンを開始した。

 桑の巨樹があるダッソ−の部落を抜けると、ブラルド河のドロ水と岩と砂の世界である。 今日もギラギラ太陽が照りつけ、汗が吹き出るが流れ落ちることはない。 汗は出ると間もなく乾燥してしまうので塩分が顔やシャツに残るだけ。 いくらか脱水状態になっているようで、水を飲むとすぐ汗となって吹き出てくるのがよくわかる。 高い峠を越すと、はるか前方に今日の泊地チャポのオアシスが見えてきた。 キャラバン初日として、登り降りのはげしい約20kmの道程は、長く咽の渇くものであった。 チャポのキャンプ地は斜面を段々に整地してある所で、アプリコットの木の下に一列にテントを張った。

ブラルド・オアシス ブラルド谷対岸のオアシスを背に

 6月13日 チョンゴ

 今日の行程は河に沿って進み、チョンゴの手前で小さな峠を越えるのであるが、昨日よりいくらか距離は短い。 ポーター達の歩くスピードそのものは速いが2〜3分ですぐ立止まり、1時間経過する毎に30分から1時間の大休止と、非常にノンビリしている。 一緒に歩く私達はイライラし、チャロ、チャロ(行け行け)と言うが、馬耳東風である。 彼等が自分の荷物を持って歩くときは2倍位の距離を楽にこなすのであるが、遠征隊ポーターのペースを守り続け、泉があれば全員で水浴びをし、大休止毎にはお茶(ソルト・ティー)を沸かすのである。 彼等の計算通りに午後5時、チョンゴのキャンプに到着した。 今夜の食事も砂混じりのチャパティ(小麦粉を焼いた薄いパン)とチキンカレー、そしてミルクティーである。

ブラルド・高巻 ブラルド谷の高巻き

 6月14日 アスコ−レ

 チョンゴからアスコ−レはすぐ近くである。 途中にはこの地に珍しく温泉が湧出しているので帰りが楽しみ。 昨日まで私はシンガリを勤めたが、アスコ−レでは一旦ポーターを解雇するので賃金の支払いがあり、今日はY君と共に先頭を歩いた。 ポーターを気にすることなくマイペースで歩けるのはなんと気持ち良いことだろう。 鼻歌を歌いながら、午前10時にはアスコ−レの部落に到着してしまった。

 最後尾との交信では相変わらずダラダラと歩いているとのことなので、彼等が到着するまでの約3時間、柳の木陰で昼寝を楽しんだ。 賃金の支払い。 これまた大変な騒動である。 一時に全員が先を競って押し寄せ、まったく整理がつかない。 又、彼等の大多数は数をかぞえることが出来ない、それが出来る者に確認して貰うまで引きあげないので、支払いの現場は大混乱である。 このような時、各ポーターの首に下げさせてある番号札がその威力を発揮する。 すなわち番号札と引替えに賃金を支払うので二重払いの心配はない。

 アスコ−レはブラルド谷最奥の部落で、これから先は人の住めない”地の涯”である。 ここアスコ−レからベースキャンプ予定地のコンコルディア迄は10日間のキャラバンで、これからは毎日ポーターに食料を支給しなければならない。 往きが10日、帰りは5日かかると言い、帰りの食料も途中にデポすることなく背負って行かなければならないと言う。 ポーターの食料を背負うポーター、又それの食料を背負うポーターが必要になり、又又・・・・という具合である。 ソロバン片手に面倒な計算をし、最終的には123名ものポーターが必要となり、支給する小麦粉だけでも1トン以上の量になってしまった。

 ここで又次の問題が起こった。 この先デュモルド谷のジュラの吊橋(蔓の小枝を編んだロープ・ブリッジ)が壊れており使用できないとのことであった。 増水期に入った今、合流点の渡渉は危険で川上迄3日程登らなければならないと言う。 日数が5〜6日余計に掛かるとなれば、その間の賃金・食料も増える計算になり、更に30人以上ものポーターが必要となってくる。 資金の準備も既にギリギリで、それは出来ない相談であった。 一時は、ここ迄来て引き返さざるを得ないのかと心配したが、4,000ルピー(約12万円)払えば新たに吊橋を作ると言う。 完成まで約1週間空費することとなるが迂回するよりも安上がり、吊橋を架けさせることとした。

全隊員 全隊員 (アスコ−レにて)

                                                    (つづく)

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