夕日に輝く峰々
地の涯へ − その2
6月26日 ウルドカス (停滞)
昨日の雪もカラリとあがり、空は抜けるように青い。 ウルドカス。 これより奥は氷と岩の世界であり、私達は当分の間、緑と決別しなければならない。 ここでポーター達は、これから先ベースキャンプへの往復日数分のチャパティを焼くためどうしても1日の停滞は必要である。 又私達隊員も夏姿から冬姿へと衣替えをしなければならない。 荷物の整理等仕事は山ほどある。 1日休養できると内心喜んでいたが、どっこいそう甘くはなかった。 歩かせてきた山羊2頭もここまでの命である。これから先には餌となる草がないのだから・・・・・
ウルドカスの巨岩にはDHE1954(ドイツ・ヒマラヤ遠征隊)、ÖHKE1956(オーストリア・ヒマラヤ・カラコルム遠征隊)などの大きな文字が刻まれている。 ラティーフ大尉は「お前達のJBPEの文字も是非刻め、なんなら自分が刻んでやってもいい。」としきりに言うが、私達は「登頂成功の後で」と言って断った。
夕刻になり予期していた問題が持ち出された。 それは靴とメガネの要求である。 これから先は雪の上を歩かなければならなく、登山靴とメガネなしでは行けないと言うのである。 この問題は、どこの隊もが経験しており、それぞれ何ルピーかの金で解決している。 仮に靴を支給しても(実際に支給した例はあるが)足の皮の厚みが1センチ近くある彼等には合う筈もない。 結局、使用しないままスカルドあたりまで売りにいくのだと言う。 私達は品物の用意がないので金で支払う旨回答したところ、でてきた金額は双方で1人14ルピー。 過去の例から考えるとずいぶん高額であるが、連絡将校は受け入れるべきとの見解を示した。 更に条件として、隊員も含め全員メガネを使用しない、もし1人でも雪盲になったら行動は中止するという厳しいものであった。 やむなく同意すると突如大歓声がわき起こり、さっきまでのしかめっ面はどこへやら、皆ニコニコ顔である。 この交渉は彼等にとって予想以上の成果であったにちがいない。 この夜の月は満月にちかく、月光に照らされた氷河のウネリには、異様な別世界を感じさせられた。
バルトロ氷河を行く
6月27日 ビアンジェ
相変わらずのノロノロ行進である。 ドン!ドン!(バルチ語で 行け!行け!の意)と言ってせきたてるが、一向にききめはない。 行く手正面右には、ガッシャ−ブルムの連峰、正面左手には目指すブロード・ピークの高嶺があり、氷河の左右には有名、無名の高峰が連なる。 氷河上は一面モレーンで覆われているが、所々にはどのようにして出来たのか大きな氷柱がニョキニョキ立っている。 強い日差しに融けた水を集めて氷河の上に川が流れ、それが或るところでは氷河の中へ滝のように吸い込まれていく。 あちらこちらには氷河湖も見られる。 モレーンもスレート状の石に変わり、だいぶ歩きよくなった。 午後2時前、突然ポーターの荷がおろされた。 ここが今日の泊地ビアンジェであるという。 歩いた距離はほんの僅か、5km位であろうか、詐欺にでもあっている感じであるが。 彼等はこれがきまりだと言う。
スノー・ブリッジを渡る
彼等は手早く、スレート石を上手に敷き並べ家造りである。 10人程度のグループに別れ、それぞれが1軒の家を造る。 壁の高さは50cm位でもちろん屋根は無い。 ホームスパンのような自家製の布で作ったダブダブのズボンを脱いで床に敷き、腹に巻きつけていた広い布を頭から被ってうづくまり、零下5度の夜を過ごすのである。 彼等の生命力たるや想像以上である。
6月28日 ゴレ
今日の行程も非常に短い。 ポーター達は恰好をつけるためか、しきりに大休止をとり、到着時間を調整している。 焦ってみても仕方がない、まわりの山々を眺めながらゆっくり歩く。
夕食までの時間を使って、留守宅その他への手紙を書いた。 手紙はB.C.から引き返すポーターに託し、登山期間中には1回メール・ランナーが日本からの手紙を持って登ってくる。
ムスターグ・タワー(7,273m)
マッシャ−ブルム(7,821m)はキリッとした姿で天をさし、ムスターグ・タワー(7,273m)は奇怪な姿で私達を見下ろしている。 右手斜面では頻繁に雪崩が発生し、それはスロー・ムービーを見るように数分も垂壁を落ちていく。 遠くの斜面の出来事であるが空気が澄んでいるせいか、間近に見え、今にも私達を襲ってくるような錯覚にとらわれる。 沈み行く太陽に赤く染まるマッシャ−ブルムが美しい。
日の出
6月29日 コンコルディア
今日はいよいよB.C.予定地のコンコルディアに到着する。 ポーター達を出来るだけゴドウィン・オースチン氷河の方へ引張り込もうとの作戦から、金を持つ私とH君の2名は本隊を離れ先行した。 氷河の幅は5km程もあり、右に寄るか、左に行くかとでは今後の行動にえらい差がつくのである。 私達はなるべく左に寄るようにルートをとったが、重荷を背負ったポーターには無理なほど荒れており、結局本隊とはかなり離れてしまい、氷河上の川を2本渡るはめになってしまった。

コンコルディア フランス隊がパリのコンコルディア広場になぞらえて命名した所、なんとなく心地良い名前であるが、幾本もの氷河の合流点にあたり、荒れて複雑な様相である。 私達の高度計は4,400mを指している。 ここから仰ぎ見るカラコルムの盟主K2!そしてブロード・ピーク、どっしりしたその全貌を惜しむことなく私達の眼前にさらけ出してくれた。
B.C.
後方はK2(8,611m)
今日で、騒々しく、難問を持ち出すポーター達ともしばしの別れ、皆嬉しそうな顔で飛ぶように引き返して行った。 私達はこの先、ゴドウィン・オースチン氷河を進むが、日本人にとって未踏のルート、いささかの昂奮を覚える。
(つづく)