BC−C1  C1への荷上げ (後方はK2)

 荷上げ

 いよいよ第1キャンプへの荷上げであるが、その前にしなければならない事がある。 上部キャンプで使用する物資とB.C.にデポする物資の荷分けである。 私達は日本での梱包時にあらかじめ分類したものであるが、キャラバン中のゴタゴタで幾らか混ざり合ったものもあり、リストと照合しなければならない。 又、B.C.とこれから入るゴドウィン・オースチン氷河の間には川が2本(川床はテカテカの氷)流れており、これは午後になると増水で徒渉不能となる。 そこで私達は早朝の水量の少ないうちに荷物を対岸に移し、仮のB.C.を設置した。

 第1キャンプはブロード・ピークの西側、G・オースチン氷河上、B.C.からの距離約6km、標高約4,700mの地点に設置した。 途中のモレーンは小山の連続で30kgの重荷ではとても歩きづらい。 早朝6時にB.C.を出発しても帰りつくのは太陽が西に傾く5時頃、相当なアルバイトであるが純白のベールをまとったチョゴリザ(花嫁の峰、7,665m)の姿に勇気づけられる。

チョゴリザ 花嫁の峰、チョゴリザ(7,665m)

 隊長、Kさん、そして私の3名は、上部偵察のため荷上げ2日目の7月2日にC1に入ったが、若手隊員4名とハイ・ポーター2名は更に荷上げを続けなければならない。 偵察はブロード・ピーク北峰(7,538m)から延びる北西尾根、北峰と中央峰(約、8,000m)とのコル(鞍部)への西面、更にヘルマン・ブールを含む4名のオーストリア隊が全員登頂という超人的な登山を成功させたことで有名な主峰(8,047m)と中央峰とのコルへの西面をそれぞれ調査したが、それらはいずれも取付点の雪が消えており、小石が積重なった急斜面で、とてもルートにはなり得ない状態であった。 そこで私達は非常に危険であることは充分承知していたが、一るの望みを託し北面氷河より攻撃すべく、第2キャンプを北面氷河の出合いに設置することを予定し、前進を再開した。

セラック帯 セラック地帯

 G・オースチン氷河はK2(8,611m)につきあたるとブロード・ピークの北西尾根を廻り込むように右に曲折しウインディ・ギャップへとつき上げている。 K2直下の右に屈折する地点よりモレーンは雪原に変わり、更にセラック地帯へと続く。 第2キャンプはこのセラック帯を越えた地点に設置することとした。 セラック帯は氷河がズタズタに切れた氷の迷路で、標識をつけながらルートを探さなければならない。 又この迷路は常に変化しており、2〜3日前につけたルートが通過できなくなるのはしばしばで、その都度新たな道を探し求めるのである。 セラック帯を抜けるとなだらかな雪原になるが所々にヒドン・クレバスがある。 幅の狭いものは雪面の色具合で判別できるが、幅の広いものははっきりせず時々落ち込むことがある。 ザイルを結び合っているので大事に至ることはないが、クレバスから這い上がるには体力の消耗が激しく、何よりも底知れぬクレバスに落ちるのはゾッとする。 出来るだけ落ちないようにピッケルで確認しながら登った。

C2荷上げ C2への荷上げ

G・A・GーMAP

 第2キャンプ(標高5,300m)を設営したのは7月7日であったが、私はその頃から高山病がひどくなり、第1キャンプへ下り静養せねばならなくなった。 私の場合頭痛はなかったが、全身がむくみ、視野が急激に狭まり、まるでパイプの穴から外を覗き込むような感じで、行動に支障を来たしたのである。 高山病は主として酸素不足が原因で、ボンベがあれば快復も早いそうであるが、無酸素の私たちにとって出来ることといえば、高度を下げ、安静にしていることである、私は後ろ髪を引かれる思いでC1へ戻った。 私の高山病は快復まで5日間を必要としたが、その間にはY君も私同様な症状でC1へ戻り、第3キャンプ設営は残る4名で進められていた。

北面氷河偵察 北面氷河の偵察

 北面氷河は予想以上に複雑な様相であった。 各ピークより一面氷雪をまとい、6,000m付近に広がる台地まで一気に削げ落ちていた。 台地の端は懸崖となり岩が露出している。 台地の左右側端は一部懸垂氷河になって下部氷河に達していた。 先ず中間台地迄のルートを探したが台地の端から崩壊する氷河はブロック雪崩となって絶えず落下し、接近できなかった。

雪崩 北面氷河の雪崩

 転  進

 そこで、セラ峠(約6,000m)に第3キャンプを置き、尾根伝いに東峰(約7,000m)への可能性を探したが、途中にはナタで削ぎ落としたようなギャップがある。 これを進むには日数が不足と思われたが、私たちのリエゾン・オフィサーは都会育ちのためか、いささかノイローゼ気味で、私達の日程延長の希望は一切拒絶された。 

セラ峠より ゴドウィン・オースチン氷河(セラ峠より)

 無線による打合せの結果、北面氷河を更に偵察することも兼ねて、目標をセラ峠北方の無名峰(6,394m)に変更、7月14日一番元気の良かったH君、I君の2名を送り出した。 2人は正午過ぎに第3キャンプに到着、更に標高差400mのピーク目指して登り続けた。 雪壁を登り、クーロアールの氷と闘い、午後8時20分頂上に到着、その夜は寒気厳しい頂上でのビバーク(不時露営)となった。 

 深夜迄ひんぱんに行われていた無線連絡も朝5時の交信を最後に途絶えてしまった。 下山を開始したものか、或いは眠ってしまったか? 最悪の事態を想定し、第1、第2キャンプに残った者でサポートを開始した。 KさんとO君の2名は第3キャンプへ、Y君と私の2名は第2キャンプへとそれぞれ前進することとした。

無名峰 登頂した無名峰(6,394m)

 7月15日、この日、朝のうちは山頂付近に雲がかかっていたが、昼頃からは快晴で、第2キャンプへの途中、私は休憩の都度双眼鏡で上部を眺めた。 セラ峠へ続く雪壁の下部をサポートに向かう黒点が二つ登るのが認められる。 しかし、その上部には雪壁が続くのみ、アタック隊からの連絡も絶えたままである。

 13時、見えた 雪壁上部を下山中の黒点が二つ それは尺取虫のように一つに重なり、そして又、離れる。 13時45分、サポート隊と合流し、18時、第2キャンプに帰着した。

スキャン・カンリ C2よりスキャン・カンリ(7,544m)

 7月25日には70人のローカル・ポーターがB.C.にあがって来る。 第2キャンプでの余裕はあと2日しかないが、体調の悪いY君、O君の2名は第1キャンプへ下り、残る4名で今後のために、G・オースチン氷河の奥を偵察することとした。

                                                    (おわり)

     <TOPへ戻る>          <カラコルム5へ戻る>