唯識教義 



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はじめに
 唯識の教理はインド瑜伽行派の祖師弥勒・無著・世親によって組織された。弥勒には『瑜伽師地論』『大乗荘厳経論頌』『弁中辺論頌』、無著には『摂大乗論』など、無著の実弟である世親(四〜五世紀ころ)には『唯識二十論』『唯識三十頌』などの著作がある。世親没後は、安慧・難陀・護法などの十大論師がそれぞれ『唯識三十頌』の注釈書を著して教学的に発展したが、それらの中でも護法の解釈は優れたものとみなされた。

【図@ 無着像】

 インド瑜伽行派とは、梵語原語ヨーガ[skt. yoga]を音写して〈瑜伽(ゆが)〉、意訳して〈相応(そうおう)〉などと表す。結ぶ,繋ぐの意味の動詞ユジ(yuj)から派生した語であるが、実際には様々な文脈中、多様な意味で用いられる。〈結合〉〈繋ぐこと〉から転じて個々の語義が説明される。しかし、基本的には、解脱(げだつ=悟り)に向けてのなんらかの〈実践〉〈修練〉、特に〈精神統一〉を意味している。
 ヨーガは、その起源をインダス文明にまで辿ることができるともいわれているが、その意義を明確にしたのは、その言葉を呼称としたインドの六派哲学の一派ヨーガ学派である。この学派の成立に関しては、仏教からの影響もあったと考えられている。また、有神論という点では区別されるものの形而上学をほぼ同じくする点でサーンキヤ学派との密接な関係も指摘されている。開祖パタンジャリ(PataJjali)が著したとされる根本経典『ヨーガ・スートラ』(紀元2〜4世紀成立)の冒頭部には、「ヨーガは心作用の抑制(citta-vRtti-nirodha)である」と明確に定義され、三昧(さんまい)(samAdhi)に至るまでの八実修法などによって体系化されたものは,他学派の実践手段としても採用されるようになる。
 以上のように、ヨーガとは解脱ないし悟りに向けての正しい見方を得るための〈瞑想(めいそう)〉〈心統一〉の実修の一部ないしは全体と見ることができる。仏教でも釈尊の菩提樹下での瞑想に示されるように、基本的修行法として尊重されてきた。仏教では、禅(dhyAna)、定(じよう)(samAdhi)という語で言及されることが多く,ヨーガを実修する行者はヨーギン(yogin),ヨーガーチャーラ(yogAcAra)と呼ばれ〈瑜伽師(ゆがし)〉などと漢訳された。仏教の瑜伽行派(YogAcAra)は、唯識(ゆいしき)思想によってこの行(ぎよう)を体系化したものである。
 先に弥勒著として挙げた『瑜伽師地論』の梵語名もYogAcAra-bhUmiであり、ヨーガとの密接な関連性を示している。(漢訳では弥勒作として伝来、チベット訳では無着作として伝来)
 密教では、特にヨーガの〈結合〉の側面が重視・教理化され、絶対者との〈結合〉〈合一〉の意味で用いられることがある。密教で説く「仏凡一体」がバラモン教の「梵我一如」と共通するのも、そのようなヨーガの教義が基盤となっていることによるものである。
 唯識思想は仏教の縁起の法を基盤としていると同時にバラモン教(ヒンドゥー教)との交渉の中で成立してきたのである。ヨーガ学派やサーンキャ学派の教義とどのような関連があるのかを考えていきたい。また、世親が部派仏教から大乗仏教へと転向したという伝承が象徴的に示すように、説一切有部の教義との関連性についても考察する必要がある。世親には『阿毘達磨倶舎論(あびだつまくしやろん)』と同時に『唯識二十論』『唯識三十頌』の著作があり、その思想上の展開が問題となるからである。
 この二つの思想は、根本的な問題として、常に仏教が立ち向かってきたものであった。端的な術語で示せば、バラモン教に代表される転変説(唯心論的立場)と六師外道・ヘレニズム思想の基本姿勢である積集説(唯物論的立場)の二大思潮である。釈尊が縁起の法に依ったのは、その当時のインド思想界にあって対立していた二大思潮との決別を意味する。以下、釈尊在世のインド思想界の問題、さらには、釈尊が示した「縁起の法」が展開する中で、再度二大思潮が仏教に影響を与えたことから見ていこう。

釈尊当時の二大思潮(転変説と積集説)
 釈尊在世当時のインド思想界には、唯心論的立場と唯物論的立場の対決という点で現代思想と一致するものがあった。古代インドの思想と現代の思想とは、もしその思想の発達段階を論ずるとすれば、大きな格差があるのかもしれない。しかし、その両思想の原型ともいうべき基本的定義は既に古代インドにあっても確立していた。
 例えば、唯物論の「精神的・心的なものよりも物質的なものの方が根源的であり、第一次的である」という原則は、現代文明、特に自然科学の基本的立場である。一方、「心(精神)は非物体的なものであり、物体から区別しうる独自なものである」という唯心論の原則は、ドイツ観念論などの哲学に代表されるように現代思想においても勢力を保っている。
 唯心論的立場は古代インドの思想にあっては伝統的立場にあった。物質である肉体を離れて精神が解放されるという主張は、現代においてはオカルトや超常現象という形でも現れている。また臨死体験の特徴である肉体からの精神遊離もその典型であるといえる。このように、唯心論的立場は、形を変えながらも現代にまで根強い影響力を及ぼしている思想だといえるだろう。釈尊の「さとり」はこれら二つの対立する思想を越えたところにある。釈尊在世当時、精神優位の立場をとるものは転変説(てんぺんせつ)、物優位の立場をとるものは積集(聚)説(しゃくじゅうせつ)と呼ばれていた。輪廻転生は前者の転変説であり、その成立背景には、バラモン教教義があった。


転変説の成立
 後にインド社会の上位階級を形成するアーリヤ民族は本来、中央アジアに住む遊牧人種であったが、紀元前十六〜十三世紀頃、インダス河上流のパンジャーブ地方に侵入した。すでに鉄器時代の文化をもっていたアーリヤ民族は先住民族を征服し、次第に農耕生活へ移行していった。この時代に『リグ・ヴェーダ』が作られた。これは自然の恵みに感謝する賛歌であり、祭式に際して、諸神を祭場に招請して賛歌をとなえたことに始まる。さらにアーリア民族は、紀元前十一〜九世紀にはガンジス河上流に移動したが、この時代に「リグ・ヴェーダ」につづいて『サーマ・ヴェーダ』、『ヤジュール・ヴェーダ』、さらには『アタルヴァ・ヴェーダ』が作られた。また、それらの付属文書として、『ブラーフマナ』、『ウパニシャッド』等も次第に形成されていった。
 
ウパニシャッド 〔梵〕Upanisad 古代インドの一群の哲学書。梵語で書かれ、Upa-ni-sad(近くに坐す)は師弟が互いに対坐して伝授する「秘密の教義」を意味し、ふつう『奥義書』と訳される。現在200余種が伝えられ、そのうち主要なもの十数種は古代ウパニシャッドと総称され、成立年代は600B.C.から300ごろである。これ以後十数世紀にいたるまで継続作製されたものを後期(新)ウパニシャッドと称する。ヴェーダ文献の最後の部分を形成し、それぞれ四ヴェーダのいずれかに属し、インド正統バラモン思想の源としてその後の哲学、宗教思想の根幹、典拠となっている。個々のウパニシャッドは統一した思想を同一の作者、一定の形式のもとに叙述したものではなく、長い年月の間に結集、補整されたものと思われる。一面ではヴェーダの祭式万能主義に対する反発とも解され、そのためにやがて仏教の興起を促すべき思想的契機ともなったといわれる理由でもある。したがってそのなかには新旧雑多な思想がまじっており、全体としての統一をも欠いているが、その編纂はバラモンの手で行われたことは疑いない。全体を貫く根本思想は、万有の根本原理を探求し、大宇宙の本体であるブラフマン(梵)と個人の本質であるアートマン(我)が一体であることを説く梵我一如の思想である。しかもこの根本原理より一切の万物が一定の順序のもとに発生し、その思索、瞑想に徹すべき当体としての人間の生命はカルマン(業)に従って輪廻の道を繰り返すが、人は禅定(ぜんじょう)苦行によって透徹した梵我一如の真理の認識に到達する。これによって死後輪廻の境涯を解脱し、常住不滅の梵(ブラフマ・ローカ brahma loka 梵界)に住することができるとした。             平凡社『哲学事典』p.140 より

 その後、紀元前6〜5世紀頃、アーリヤ民族はガンジス河中流地域に定住するようになるが、その時代には、社会的には司祭階級であるバラモンが指導的地位にあり、バラモンを最上層とする四姓(ししょう)の階級制度=カーストを作り上げた。四姓とは、
@司祭者(ブラーフマナ・婆羅門ばらもん)
        =祭式・宗教の権利の独占
A王族(クシャトリア・刹帝利せつていり)
        =政治・軍事の権力を掌握
B庶民(ヴァイシャ・吠舎べいしゃ)
        =農業や商工業に従事
C隷民(シュードラ・首陀羅しゅだら)
        =被征服者である先住民族

の四階級である。祭式を司る司祭者は、人間の幸・不幸をも支配する神に等しい者として、社会の頂点に位置した。このようにして階級的・身分的な区別が成立し、職業も代々世襲となって分化し、社会組織は固定化していった。輪廻転生を主張することは、この制度を正当化し保っていくうえで充分な効果があったと考えられる。
 バラモンが生まれながらに尊く、しかも代々世襲として存続していくためには、他のカーストとは異なった何ものかが必要とされた。「ウパニシャッド」は常に変化することなく、過去・現在・未来を通して独自性を維持する実体的なもの=我(アートマン)を想定し、それがカルマン(業)によって束縛されることによって来世の境涯が決定すると定義することでこれに答えた。後のヨーガ学派はカルマン(業)の中でも修定(ヨーガ)を発展させ、サーンキャ学派の転変説はアートマンの定義を精密化させていったものと見ることができる。

【図A 四姓カースト】

 ウパニシャッドのうち、古いものの成立は紀元前6世紀頃と考えられているが、その時期は仏教の興起とも近く、両者の間の密接な関係が想定されるが、それを立証するのに充分な根拠は明らかにできない。しかし、仏教がウパニシャッドの思想を前提としている事は明らかである。仏教の無我思想は必然的にウパニシャッドのアートマン説を予想しており、カルマン(業)、輪廻、解脱の思想にも共通しているものがある。
 このようなカースト制度を支える理論は、有名な『マヌ法典』に見出すことができる。『マヌ法典』は古代インドの法典(ダルマシャーストラ)のうちでも最も古く重要なものとされている。成立年代は不明であるが、紀元前二百年から後二百年の間に成立したと推定されている。十二章からなり、韻文で書かれている。冒頭の宇宙創造神話、四住期(アーシラマ)における義務、婦人の義務、王の義務、訴訟、種々の犯罪とそれに対する罰、結婚に関する規定、カーストに関すること、贖罪法などを説き、最後に輪廻について述べている。
第一章 世界の創造
十四 そして自分(ブラフマー)からは有非有より成る意(マナス)を抽き出し、意か我執(アビマーナ)と自在主(イーシュヴァラ)を働きとする我執(アハンカーラ)を、
十五 また、大(マハーンタ)・自我(アートマン)・三徳(グナ)より成る一切のもの、次に漸をおうて対象を知覚する五種の感官(インドリヤ)を(抽出した)。
十六 しかし(一面には)かれは無限の威力を有するこれらの六種の微細分(アヴァヤヴァ)を自分の微細分(マートラ)に結合して、一切の生物を創造したのである。 
三十一 しかしか(の主)は世界の繁栄のために、その口と臂と腿と足から、(順次)ブラーフマナ族・クシャトリア族・ヴァイシャ族・シュードラ族を創造した。
八十七 さあれかれ偉大なる光輝を有する者は、この全世界を保護せんがために、その口・臂・腿・足から生れた(四種姓族)に対して格別の職務を賦与した。
八十八 かれはブラーフマナ族に対しては、ヴェーダの教授・ヴェーダの学習・為自行祭・為他行祭・布施及び受施(の六務)を賦与した。
八十九 かれはクシャトリア族に対しては、人民の保護・布施・為自行祭・ヴェーダの学習・(肉欲的)対境への不染着を指令した。
九十 (また)かれはヴァイシャ族に対しては、家畜の保護・布施・為自行祭・ヴェーダの学習・商業・金貸業及び耕作を(指令した)。
九十一 さあれ主はシュードラ族に対しては、唯一の職務を指令したのみである、即ちこれらの(三)種姓族に対して不平なく奉仕することこれである。
九十二 人間は臍から上に至るに従って愈々清浄だといわれている。ゆえにスヴァヤンブー(ブラフマー)はかれの最も清浄な(部分)はかれの口であるといった。
九十三 ブラーフマナ族はかれの最上の部分から出生しその初生の子であり且つまたブラーフマナ(即ちヴェーダ)を保持するが故に、法によってこの全世界の主である。  

第五章 家住期法 下 十一 女子の義務
百四十七 幼年と青年と老年とを問わず女子は何事をも独立になすことを得ない、自分の家においても亦同じである。
百四十八 幼年には父に従属すべく、青年にはその手を執りし(夫)に、夫の死後はその子に(従属する)、婦女は決して独立することを得ない。

第十章 身分法 一 雑種姓族・その職業
一 三種姓の再生族は各自の職務を履行しつつヴェーダを研究すべきである、就中ブラーフマナ族のみこれを教授することを得他の(種姓族はこれをなすことを)得ない、これ定説である。
  中野義照訳註『マヌ法典』(日本印度学会刊行)1951年2月刊
 
第一章十一から十六まではブラフマーから物質世界がどのように生成されたかを示している。一般に転変説(てんぺんせつ)と呼ばれるもので、原質から現象世界の物質が転変していくことを言う。何等かの属性がその自我の特質を確定させ、それは輪廻を通して維持されていくと考えるのである。これは「生まれながらにして婆羅門は婆羅門である」という主張を裏づける理論として成立したのである。五障三従(ごしょうさんじゅう)という悪名高い仏教用語も「三つのものに従わねばならない」とする所説に拠っている。『マヌ法典』の終わりにある輪廻では様々な者に転生することを説いているが、あくまでもブラーフマナに都合の良い説になっている点に注意しなければならない。
 仏教の開祖である釈尊はある婆羅門との対話の中で、生れによる階級を否定している。経集一、蛇品七 の『賎民経』 (南伝大蔵経第二十四巻)、p.136 には  
「生れによりて賎民なるに非ず、生れによりて婆羅門なるに非ず。
行為によりて賎民となり、行為によりて婆羅門となる。」
 と説かれている。ここに釈尊の転変説に対する立場が明確に示されている。仏教にも影響を与えた六道輪廻はバラモンが作り上げた現世の階級が現実を越えた世界にまで及んでいったものともいえるだろう。ウパニシャッドの輪廻転生は人間社会の階級差別を正当化するものであった。六道輪廻はその範囲を生き物の存在形態全てに拡大したのである。それは命ある者全てを衆生(しゅじょう)とみなし、しかもお互いが例外なく輪廻のサイクルの中にあることを示している。

積集(聚)説の成立
 一方、積集(聚)説の成立には上記のバラモン階級に対抗する新興勢力の台頭が関わっていたとされている。釈尊出世当時、ガンジス河中流地域は、農業生産の増大・商工業の発達などにより、貨幣経済が発達し人口が集中化して、各地に多数の都市が形成された。そして、これらの都市を拠点に成立した新興国家が、次第に隣接する群小国家を併合していった。当時、インドにはコーサラ、マガダ、アヴァンティ、ヴァンサなど十六の大国があり、その大半はガンジス河中流地域に位置していた。
 このような国家の発展によって国王の権力は急速に増大した。また経済的発展にともない、すべてが経済的価値によって評価され、財産を多く所有する者(長者ちょうじゃ)が、出身の階級に関係なく社会的な尊敬を得るに至った。国王や長者が社会的に大きな勢力を得るしたがって、バラモン中心の階級制度はゆらぎ、新たに王族を中心とした階級制度が確立していった。また、このような社会の変動に対応して、自由な革新思想が生まれ、新しい精神的指導者の集団が台頭した。これがバラモンに対立する沙門(シュラマナ=努める人・苦行者)である。バラモンは、昔ながらの呪術・祭祀をつかさどる形式的な存在にすぎず、人々の思想や信仰を指導していく力を失っていった。このようなバラモンにあきたらず、自ら宗教的問題を解決しようとして道を求めた革新的思想家が沙門だったのである。彼らは出家してバラモンの社会から離脱し、沙門の集団をつくって独自の社会を建設していった。古代のバラモンたちが血統の純粋を主張して、カーストの最高地位を確立したのに対して、沙門たちは階級や身分の差別を問わず、だれでも出家し入団することが認められていた。沙門たちは、各地を遍歴しながら修行し、一般民衆に教えを説き、その布施を受けて生活した。この沙門の思想的立場は、バラモンをしのぎつつあった新興勢力である国王や長者たちに受け入れられていったのである。釈尊の時代、沙門たちによって多くの新しい思想が説かれていった。仏教では六十二種類の思想を、またジャイナ教では三百六十三人の論争家がいたと伝えている。これらの中でも「六師外道」(「外道」とは、仏教の側から仏教以外の思想あるいは思想家を指す言葉)と呼ばれる、六人の代表的な思想家がいたことは有名である。

六師外道(ろくしげどう) 古代インド仏陀時代における、一般自由思想界の六人の代表者。
@サンジャヤ・ベーラプッタ
Aアジタ・ケーサカンバリ
Bマッカリ・ゴーサラ
Cプーラナ・カッサパ
Dパグダ・カッチャーヤナ
Eニガンタ・ナータプッタ
の六名で仏教(内道)に対して外道と称される。
 @は懐疑論者で修定主義をとる。Aは唯物論、快楽説で順世派の先駆。Bは宿命論者、Cは無道徳論者、Dは唯物論的七要素説の論者で、
 ・・・(1)は学説不明確ゆえ別として、他はすべて唯物論もしくは唯物論的であり、積聚説(しゃくじゅうせつ)の立場に立つ。・・・六師はいずれもヴェーダの権威を否認し、バラモン教に反抗した。新興都市の王侯貴族、豪族の政治的経済的援助下に活動した。         
              平凡社『哲学事典』p.1517

 彼らが具体的にどのような教えを説いていたかを詳しく知ることは困難であるが、漢訳仏典(『涅槃経』)の中には断片的にそのことについて述べているものもある。例えば、「父親殺害という行為によって地獄に生まれるか(王舎城の悲劇が舞台)」という問題について、
プーラナ・カッサパ =「実際に地獄に行ってそれを見、現世に帰ってきて報告した者はだれもいない。悪い行いもないし、その報いもない。善い行いもないし、その報いもない。」
アジタ・ケーサカンバリ =「地獄・餓鬼を見た者はいない。人間と動物のただ二つの在り方しかない。しかも、この二つの存在は因果関係で決まるものでもない。因果関係が成り立たない以上、善悪もない。」
パグダ・カッチャーヤナ =「もし、存在が常に変わらないものであるならば、殺すという行為自体が成り立たない。また、存在が常に変わるものであるならば、殺すという行為は最初から意味を失ってしまう。」
 と答えている。全体に実証的姿勢が認められ、プーラナ・カッサパはカルマン(業)とその報いとの関連を否定、後の二人は現実の存在はすべて何らかの要素が結合したものとする説(積聚説しゃくじゅうせつ)で、死後にはもとの要素に分解するだけだと説いている。これらはアートマンによって輪廻転生が起こるというバラモン教の転変説(てんぺんせつ)に真っ向から対決するものだったのである。
 ただし、サンジャヤ・ベーラプッタは明らかに懐疑論者であった。彼は「来世があるのか」という問いに対して「もしわたしが来世ありと考えたら、来世はあると答えるだろう。しかしわたしはそう考えず。そうだとも考えず。それとべつにも考えず。そうでないとも考えず。そうでないというわけでもないとも考えない。」と答えたという。このことから、鰻のようにぬらぬらしてとらえがたい議論をする者とよばれ、また確定的知識を与えないことから無知論とも呼ばれた。これはインド哲学史上最初の形而上学的問題に対する判断中止の思想である。彼は一方的判断は論争を生じ、解脱の妨げになると考えていた。
 実践の面では、六師の中でアジタ・ケーサカンバリとパグダ・カッチャーヤナは快楽論を立てたが、それ以外はすべて苦行を中心としていた。これはバラモン教が一般的に修定(しゅうじょう)を実践していたことに相対している。

仏教の立場(縁起説)
 以上の二大思潮に対して釈尊の教えは何れの思潮にも依らない。このことを端的に示しているのが「毒矢の喩え」である。
 釈尊の弟子の中にマールンキャ・プッタという人がいた。この人は、釈尊が形而上学的問題については答を出さなかったことに対して不満を持っていた。それがどのような問題であったかというと、
 「世界と我は常住なのか、無常なのか」
 「世界と我は有限なのか、無限なのか」
 「仏陀は死後、有るのか無いのか」
 「命(霊魂)と身体(肉体)は一つなのか、別なのか」
 などといったような、当時のインド思想界で盛んに議論されていた問題であった。先に挙げた転変説と積集説はそれぞれ明確に対立する立場である。仏教外の思想家たちは釈尊に対しても、このような問題についての議論を仕掛けてきたのである。それは仏教が転変説に立つのか積集説に立つのかを明らかにするように迫ったものだともいえよう。
 釈尊はそれに対して「無記」「捨置記」という形、つまり答えないという仕方で答えていた。しかし、マールンキャ・プッタはそのような答えでは納得できなかったようである。そこである時、彼はそれらの問題について釈尊に直接質問し、もし、満足できない答えだったら釈尊の許を離れようと決心した。彼の質問を聞いた釈尊は、その心中を察して、一つの比喩を説く。
 ある人が何者かに矢で射られたとせよ。その矢には毒が塗られていて、すぐに矢を抜いて治療しなければならない。ところが、射られた人は愚かにも次のように主張する。
 「私はまず、矢を射た者が誰であるかを知りたい。・・・それが判るまでは、矢を抜いてはならない。・・・また、この矢を射た弓が何でできているかを知りたい。それが判るまでは、矢を抜いてはならない。・・・また、この矢が何でできているか、どのような種類の羽が使われているか、・・・誰が作ったのかを知りたい。それが判るまでは、矢を抜いてはならない。」
とうとう、この人はその答えを聞き終えることなく命を落としてしまった。
 この比喩を挙げた後、釈尊は形而上学的問題についても同じであること、そして、より重要なことは、苦悩を引き起こしている我執を取り除くこと、つまり悟りに至ることであると説いた。
 以上に述べた形而上学的問題は、経典によって十四問であったり、十問であったりする。一般に十四難(じゅうしなん)、あるいは十四無記(じゅうしむき)と呼ばれている。無記とは無記答の意味で、釈尊が仏教以外の思想家からの問いに答えを与えなかったことを指している。したがって、十四難とは仏教以外の思想家が釈尊にむかって十四の問題を提出して非難したことをさします。
 この十四ないしは十の問題に対して世尊が答えを与えなかったのは、それが仏教の問題領域でないことを示すと同時に、それに答えることによって仏教の中心点を曖昧にする恐れがあることを示している。この態度は六師外道の中でも懐疑論者として知られていたサンジャヤ・ベーラプッタと共通するものと考えられる。サンジャヤは一方的判断は論争を生じ、解脱の妨げとなるとみていた。釈尊の形而上学的問題についての判断停止もそれと同じような立場であったと言える。また、釈尊の場合にはより積極的意義があったと考えられる。すなわち、「縁起の法」自体が、その何れの立場をも否定するものであったのである。
 「毒矢の喩え」は、世界や我の常無常、世界や我の有限無限、死後の霊魂の有無、肉体と霊魂の一異が明らかになったとしても、それは釈尊が説いた解脱や涅槃とは何ら関係がなく、無意味であることを示している。これは必ずしも哲学的思索を拒否するものではないが、しかし、仏教がどういう立場で問題を考えているかという基本姿勢を示している。それは悟りに到ること、成仏という実践を根本とするものであり、それに関係ない観念的な論議は戯論(けろん)として強く退けるのである。
 「現在の私が如何に悟るか」という問題にあっては、過去・未来を客観的事実として論議すること自体が本来の目的から離れることであった。釈尊にとって「今」「現在」において開悟することが一大事であり、解脱そのものが過去・未来の「我」から解放されることに他ならなかったのである。後生の一大事という浄土真宗の立場も、まさにそのような視点に立っているのである。阿弥陀仏の本願に出合った「今」に全てが集約されているのである。
 後の仏教教団において教学が発達する中、これらの問題についてなんとか回答を出そうとする動きがでてきた。「今」においては到底悟りに達することが出来ないという認識の中で、悟りに至るまではどのような過程を経なければならないのかといったことが問題となっていったのである。それがアビダルマ哲学であり唯識教学であったと見ることできるように思われる。

釈尊の縁起説
 「縁起の法」について、現在では二つの解釈がなされている。「相依相待の縁起(一般的縁起・外的縁起)」と「此縁性の縁起(宗教的縁起・価値的縁起)」である。南伝大蔵経典から引用してみたい。
かようにわたしは聞いた。
ある時、世尊は、ウルヴェーラー(優楼比螺)のネーランジャラー(尼連禅)河のほとり、菩提樹のもとにあって、はじめて正覚を成じたもうた。そこで、釈尊は、ひとたび結跏趺坐したまま、七日のあいだ、解脱のたのしみを享けつつ坐しておられた。そして、七日をすぎてのち、釈尊は、その定坐より起ち、夜の後分のころ、つぎのように順次にまた逆次に、よく縁起の法を思いめぐらした。「これがあれば、これがある。これが生ずれば、これが生ずる。これがなければ、これがない。これが滅すれば、これが滅する。すなわち、無明に縁って行がある。行に縁って識がある。識に縁って名色がある。名色に縁って六入がある。六入に縁って触がある。触に縁って受がある。受に縁って愛がある。愛に縁って取がある。取に縁って有がある。有に縁って生がある。生に縁って老死・憂・悲・苦・悩・絶望がある。この苦の集積のおこりは、かくのごとくである。またあますところなく、無明を滅しつくすことによって行が滅する。行がなくなれば識がなくなる。識がなくなれば名色がなくなる。名色がなくなれば六入がなくなる。六入がなくなれば触がなくなる。触がなくなれば受がなくなる。受がなくなれば愛がなくなる。愛がなくなれば取がなくなる。取がなくなれば有がなくなる。有がなくなれば生がなくなる。生がなくなれば老死・憂・悲・苦・悩・絶望がなくなる。この苦の集積の滅は、かくのごとくである」と。
その時、世尊は、その成果を知って、つぎのように、たかまる思いを偈に託して謳いたもうた。
「まことに熱意をこめて思惟する聖者に
かの万法のあきらかとなれるとき
あたかも天日の天地を照らすがごとく
悪魔の軍を破りてそそり立てり。」
    南伝 小部経典 自説経(ウダーナ)一、一―三 菩提品

ここには後の時代に整理されて二つの縁起として説かれるものが一体として示されている。一つは

  此れ有る故に彼有り 此れ起こる故に彼起こる。
  此れ無き故に彼無く 此れ滅する故に彼滅す。

という「相依相待の縁起pratItya-samutpAda」である。「此れ」と「彼れ」がかかわり合うことによってはじめて成り立つことを、空間「有・無」と時間「起・滅」の両面から説くものである。互いに関係し合うことによってはじめて成り立つ以上、「此れ」「彼れ」には、我々が執着するような実体はない。関係が変化すれば次の瞬間には失われるものが「此れ」「彼れ」である。両者は入れ替えが可能であり、可逆的関係にある。
 もう一つは、十二因縁(じゅうにいんねん idappaccayata)である。現実の人生の苦悩の根元を追究し、その根元を断つことによって、苦悩を滅するための十二の条件を系列化したものである。仏教の基本的考えの一つで、〈十二縁起(えんぎ)〉〈十二支縁起〉などともいう。@無明(むみよう)、A行(ぎよう)(潜在的形成力)、B識(しき)(識別作用)、C名色(みようしき)(名称と形態)、D六処(ろくしよ)(六入ろくにゆう、六つの領域=眼・耳・鼻・舌・身・意の六感官)、E触(そく)(接触)、F受(じゆ)(感受作用)、G愛(あい)(渇愛・妄執)、H取(しゆ)(執着)、I有(う)(生存)、J生(しょう)(生まれること)、K老死(ろうし)(老い死にゆくこと)の十二をいう。この縁起観では此縁性が基本となっている。此縁性とはidappaccayata「此れによって起こる」ことであり、十二支の中で直接前後する項目の間だけでその関係が成り立っている。また、一方向への非可逆的関係である。引用した小部経典でも順次に逆次に一つずつ生起をたどってその原因を明らかにしていることがわかる。
 後の説一切有部の教義や唯識教義の基本的立場はこの後者の縁起に依っていることを理解しておかねばならない。
 例えば、深浦正文博士の『唯識学研究』上巻・教史論の凡例には以下のように示されている。
「縁起の語すなわち原語のpratItya-samutpAdaについてであるが、これは『阿含』経典等の根本仏教においては、多く両者の相依相成という相関関係の意味にもちいられているが、唯識でいうところの頼耶縁起等のそれは、いわゆる因縁生起という生成過程に名指されてきたのである」
 このことを明確に区別しておかないと混乱を生ずることとなる。龍樹の「空」思想や天台教義の「諸法即実相」華厳経義の「法界縁起」などは前者の縁起観「相依相待の縁起pratItya-samutpAda」に基本を置いている。
【註】この二系統の縁起観は現代でも論争の焦点となっている。袴谷憲昭『本覚思想批判』、松本史朗『縁起と空・如来蔵思想批判』は十二支縁起こそが釈尊の本来の教えであると主張するのに対し、三枝充悳『縁起の思想』の反論は「相依相待の縁起pratItya-samutpAda」側に立つものと言える。
 
十二支縁起は生成過程という中に多くの法(要素)を認め、また時間的観念を導入している。これが後の説一切有部の学説(五蘊・十二処・十八界や三世両重の因縁)に直接関わっていくのである。
 そこで次に説一切有部の教義について概観しておきたい。それは世親の生涯が象徴しているように、唯識教義を理解する上で必要不可欠な準備段階だとも言える。

説一切有部の教義

【図B 世親像】

 世親とはVasubandhuヴァスバンドゥの漢訳で、四〜五世紀ころに現在のパキスタンのPeshawarで活躍した。世親は、後に大乗仏教に転向して、唯識学を大成させることになる。しかし、大乗に転向する前に著された倶舎論では部派仏教の一学派である説一切有部の教義に中心を置き、具体的内容としては初期大乗経典の成立以前からあった教義を他学派の見解を取り入れながら一部批判的に解説したものと考えられている。したがって、それ以前に成立していた説一切有部の論書も研究の対象となっており、その中でも重要なものが『発智論』二十巻と『大毘婆沙論』二百巻である。
 この説一切有部SarvAsti-vAdinは有部とも略称され、部派仏教の中で最も優勢であった。紀元前一世紀半ばごろに上座部から派生したと考えられている。『発智論』はその教義をまとめたもので、迦多衍尼子(かたえんにし)KatyAyanIputraが著した。
 その後、二世紀後半に北インドを支配したカニシカ王が説一切有部に帰依し、王の援助によって五百人の阿羅漢(あらかん)がカシミールに集まって、説一切有部の三蔵(経・律・論)を結集(けつじゅう)したと伝えられているが、その時に結集された論蔵が『大毘婆沙論』になったと考えられている。おそらく、説一切有部内における数世紀にわたるアビダルマ(対法)の研究が集大成されたものと考えられる。先行する『発智論』の説によりながらも、色法を極微(ごくみ)からできていると見たり、三世実有・法体恒有を主張し、法の刹那滅を説くなど、より進んだ教理が多く見られる。

倶舎論の内容
 『阿毘達磨倶舎論』Abhidharmakosa-bhASyaの阿毘abhiは対の義、達磨dharmaは法の義、倶舎kosaは蔵の義があり、阿毘達磨倶舎は「対法蔵」と意訳される。法とは経典中の教法であり、具体的には、部派仏教における教法である涅槃と四諦を指している。したがって、そのような教法に対する考察・研究を集成した蔵という意味で「対法蔵」と呼ばれる。
 説一切有部では全ての存在を構成要素である法に分析し、あとには「我」として執着すべき何物も残らないことを論証しようとした。これを「我空法有(がくうほうう)」と呼ぶ。さて、説一切有部では「無我」を論証するためには構成要素をくわしく定義する必要があると考えた。最初の段階では五蘊(五つの構成要素)によっていた分類が、次第に精密さを加え、後には五位七十五法に分類するようになった。

【図C 五位七十五法】

 倶舎宗では五位の最初に色法を配している。認識作用も外界の物質的色法を感受するところから生れるとするからで、五位の順序も「法相生起の次第」によっている。これに対して、法相宗においては色法も含めて全て心から生起すると説き、五位の順序も「唯識転変の次第」をとっているのである。
 無表色を除いた色法は変壊(へんね 変化して壊滅する)と質礙(ぜつげ一定の空間を占めて互いにさまたげ合う)の性質を持っており、分析していくと極微(ごくみ)というそれ以上分解できない単位になると考える。以上は外的・物質的要素である。
 無表色とは、身体や言葉によって善・悪の行為(業)を行なった場合、それによって生じた余力が潜在して表面に現れない状態の「色」である。身・語・意の三業のうち、意業は心の中の行為(意志)であるからもともと目に見えないので表・無表の区別を設けないが、身・語の二業には表業と無表業の区別を設ける。表業は刹那滅ですぐに滅してしまうが、その業によってひき起こされた果報を生ぜしめる力は見えない状態で存続してゆく。これを〈無表業〉(avijJapti-karman)という。説一切有部では、表業を物質的存在(rUpa色)とみるが,それによってひき起こされたものなのでこの業も〈色〉の範疇に入れて〈無表色(むひょうじき)〉(avijJapti-rUpa)と呼ぶ.
 次の、心王と心所は内的・精神的要素についての分析である。心王(一法)は感受する対象に応じて六識となる。例えば、眼根によって色境を感受する場合、心王は眼識として働いていることになる。
 心所法は単独で生起せず、心王と相応して起こるので相応法とも呼ばれる。大きな特徴として、善・悪・無記という倫理的価値を附加し、現世の苦しみや次の境涯における迷・悟の要因となる。
 不相応法は「非色非心不相応行法」と呼ばれるように、有為法の中で、色法・心王・心所に分類されなかったものを指している。有為法とは縁起によって生起した法のことである。
 無為法は縁起によって生滅するものではなく、真理として存在する法で、悟りもここに分類されている。
 以上の七十五法の中から無為法を除いた七十二法が要素となって万物が構成されており、それぞれの法が生滅することで変化が起こるとする。その変化は液晶画面の発光体が明滅して文字を画面に流すのと同じように、法自体は過去・現在・未来に亘って存在すると考えた。これを「三世実有法体恒有」説と呼んでいる。
 先に触れたように、五位七十五法以外に三科(五蘊・十二処・十八界)が知られているが、いずれも無我を論証するための分類法である。五から十二、十八、そして七十五と数が増加したことは、それぞれの要素についての定義内容が細かくなっていったことを示している。それは、法を実体視して、その特徴を細かく定義していったことに他ならない。それは三法印の「諸法無我」という大原則から離れるものであったと考えられる。

惑・業・苦と修行
 仏教においては、煩悩(惑)によって行為(業)が起こり、行為によって苦が生じると説く。六道輪廻の苦悩から解脱するにはその根元である惑を断ち切ることが重要課題となる。その立場においても分析的考え方が大きく影響を与えている。この「惑」「業」「苦」は十二支縁起と組み合わされて、前際縁起(無明縁起)と後際縁起(貪欲縁起)として整理され、さらにはより具体的な三世両重の因果も説かれるようになる。

【図D 三世両重の因果】

 三世両重の因果とは、後期の説一切有部の学説であって、無明・行を過去の因、識から有を現在の果で未来に対する因、生・老死を未来の果とみて、胎生学的に解釈を試みたものである。〈無明〉は迷いの根本。〈行〉は〈無明〉から次の〈識〉を起こす働き。〈識〉は受胎の初めの一念。〈名色〉は母胎の中で心の働きと身体とが発育する段階、〈六処〉は六感官が備わって、母胎から出ようとしている段階。〈触〉は二〜三歳ごろで、苦楽を識別することはないが、物に触れる段階。〈受〉は六〜七歳ごろで苦楽を識別して感受できるようになる段階。〈愛〉は十四から十五歳以後、欲がわいてきて苦を避け楽を求めたいと思う段階。〈取〉は自分の欲するものに執着すること。〈有〉(生存)は〈愛〉〈取〉の段階とともに未来の果が定まる段階。さらに〈生〉〈老死〉は未来の果というように、三世と二重の因果関係になっている。
 以上のように、三世にわたって輪廻転生が継続し、前生の行為の影響力が無表業として次生の果報に作用することを「業感縁起」と呼ぶ。そして、輪廻の主体としての仮我を設定した点に、転変説との接近を認めることができるのである。いわば、釈尊が無記という形で斥けた古代インドの二大思潮が「我空法有」・「業感縁起」という形で再び影響力を現してきたものと考えられよう。
 倶舎論においては、十種の惑(心所法)を挙げ、さらに見惑(88)と修惑(81) に分類し、それらを断ち切っていく修行過程をそれぞれ見道・修道と呼んでいる。そして、すべてが断ち切られた段階が無学道で、阿羅漢果と呼ばれた。見道・修道・無学道の三道の過程を完成度で分けたものが四向四果である。すなわち、預流・一来・不還・阿羅漢の四位で、それぞれに向(過程)と果(完成)を配当している。
 倶舎宗においては、阿羅漢果は涅槃と同じものとして位置づけられたが、肉体が残っている間は有余涅槃(有余依涅槃 うよえねはん)であり、肉体が滅して初めて無余涅槃(無余依涅槃 むよえねはん)に到ることができると考えられていた。これを灰身滅智(けしんめっち)と称するが、後の大乗仏教からは、それが消極的悟りであるとして批判を受けた。大乗仏教では無住処涅槃を説いている。
 また、仏・菩薩についての解釈も大乗仏教から批判を受けることとなった。倶舎宗では釈迦牟尼仏一仏のみが認められ、それ以外は阿羅漢どまりである。部派仏教において、菩薩という名称は釈尊前世の状態だけに限定された用語となっていた。これらの解釈は釈尊に対する敬慕の念から生れてきたことには違いないが、すべての者が仏となることができるとする成仏教の基本的姿勢から外れたものであった。
 大乗菩薩道の興起と「空」の思想の確立は部派仏教への批判を通して、縁起の法へ回帰する動きであったといえる。

識転変 vijJAna-pariNAma
 世親は後に大乗仏教に転向し、説一切有部の学説であった「我空法有」の立場を離れ、新たに「唯識」の立場にたって教学を展開していった。しかし、その分析的見方は受け継がれ、五位七十五法から五位百法へと細分されていった。ただし、五位の配列には「唯識」の立場が明確に反映している。心王、心所が一、二に位置し、その後に色法が続き、「唯識転変の次第」がとられる。それは唯識においては五位百法の全てが阿頼耶識から変じ出されるからである。世親はこれを識転変 vijJAna-pariNAma という用語で示している。

【図E 五位百法】

 このpariNAmaこそ転変説(pariNAma-vAda)との関わりを示す術語であると考えられる。
この変じ出すことを能変とも呼び、深層から表層へという段階にしたがって次の図のように三種があると説く。

【図F 三能変】

 初能変の識である阿頼耶識Alaya-vijJAnaは蔵識と意訳される。ヒマーラヤ「雪(ヒマ)を蔵する山」のAlayaと同義である。この「蔵する」ことについて能蔵・所蔵・執蔵の三義が説かれる。@能蔵とは、阿頼耶識の中に一切諸法の種子(しゅうじ)を貯蔵していること、A所蔵とは、七転識から種子を植えつけられること、B執蔵とは、末那識から常に実我として執着されることを言う。
 阿頼耶識の中の種子が条件によって生起することを「種子生現行」、現行した諸法が新たに阿頼耶識内に種子を薫じつける(植えつける)ことを「現行薫種子」、この一連の種子→現行→種子の関係を「三法展転因果同時」と言います。植え付けられた種子は阿頼耶識の中で「種子生種子」を繰り返し、条件がそろうまで続きます。この過程は因果異時であり、唯識の時間はここで語られることになる。
 阿頼耶識が現行するとは、種子・有根身(我々の肉体)・器界(外界)を出現させ、それらが認識の主体(知る)と客体(知られる)となり、認識が成立することによってさらに阿頼耶識内に影響力が蓄えられることになる。このように一切が阿頼耶識から生起することを頼耶縁起と呼ぶのである。
 末那識の末那manasは意訳すると「意」となり、第六意識と混同されそうであるが、独自の意味を持たせるために末那識と音写されている。それは阿頼耶識を実我と誤認し執着し、我執の原因となるのである。阿頼耶識の「蔵」の三義においても、執蔵が最も重要な意義だと考えられている。
 以上のような識転変 vijJAna-pariNAmaは先にも触れたように、サーンキャsAMkhya学派が主張した転変説の影響を受けたものであることが分かる。
 サーンキャはカピラ(Kapila BC. 350-250頃)を開祖とするバラモン教の一学派で、数論(すろん)と漢訳されている。最古の典籍として、四世紀のサーンキヤ・カーリカー『数論頌』が現存し、その転変説は仏教の縁起説に対抗する代表的邪説とされている。転変説の概要は二十五諦説として知られており、先に引用した『マヌ法典』にも類似する説が示されていた。
第一章 世界の創造
十四 そして自分(ブラフマー)からは有非有より成る意(マナス)を抽き出し、意か我執(アビマーナ)と自在主(イーシュヴァラ)を働きとする我執(アハンカーラ)を、
十五 また、大(マハーンタ)・自我(アートマン)・三徳(グナ)より成る一切のもの、次に漸をおうて対象を知覚する五種の感官(インドリヤ)を(抽出した)。
十六 しかし(一面には)かれは無限の威力を有するこれらの六種の微細分(アヴァヤヴァ)を自分の微細分(マートラ)に結合して、一切の生物を創造したのである。【前掲】

【図G 転変説・二十五諦】

 サーンキャ学派の二十五諦説ではブラフマー神が天地を創造したとする説に比較して、より抽象的な色彩を強めている。すなわち、プルシャ(神我)は純粋意識で、それ自身では働きをもたず(akartR非作者)、ただプラクリティ(原質)を観照(ダルシャナ)する。この観照を動力因として、プラクリティからブッディが生じ、ブッディからアハンカーラが展開する。アハンカーラから一方では十一根(五知根、五作根、意)の内的要素が生じ、他方では外的要素の五唯(paJcatanmAtrANi)が現れるとしている。そして五唯から五大(paJca-mahA-bhUtAni=空 AkACa 風 vAyu 火 tejas 水 Apas 地 pRthivI)が生成される。これらの要素をプルシャ、プラクリティと合わせて二十五諦と呼んでいるのである。この生成の過程または生成された結果が転変(pariNAma あるいは pariNAma-vAda 転変説)と呼ばれるものである。プラクリティについては、三つの特性が考えられており、その構成の割合によって物質に格差が生ずると考えられた。サーンキャが主張する解脱は、プルシャが物質から離れて独存kaivalyaとなった時に成立するとしている。
 三つの特性とはサットヴァ・タマス・ラジャスのことで、それぞれに、サットヴァ=善性、タマス=暗性、ラジャス=激性という独自の性質がある。この三つの特性が混合されることで個々人の資質が定まると考えた。プラクリティ(原質)から内的世界が展開するとき、転変する物質間には先天的に差別があるとしたのである。このサーンキャ学派の学説はインド四姓(カースト)制度の理論的根拠となった。例えば、バラモンのアートマンにはサットヴァが多く、逆にシュードラにはタマスが多く混在している。また、クシャトリアの武人としての激しさはラジャスに起因すると考えたのである。

三十一 しかしか(の主)は世界の繁栄のために、その口と臂と腿と足から、(順次)ブラーフマナ族・クシャトリア族・ヴァイシャ族・シュードラ族を創造した。
八十七 さあれかれ偉大なる光輝を有する者は、この全世界を保護せんがために、その口・臂・腿・足から生れた(四種姓族)に対して格別の職務を賦与した。【前掲】

 その差別的構造は五性各別に形を変えながら唯識教義においても維持された。五性各別では、衆生が先天的に具えている素質を五種に分類し、

 菩薩定性 菩薩になることが定まった者
 縁覚定性 縁覚になることが定まった者
 声聞定性 声聞になることが定まった者
 不定性  そのいずれとも定まっていない者
 無性   絶対に悟れない者(無種性)

を挙げる。菩薩とは六波羅蜜を修行して般若の智慧をさとるものである。縁覚とは独覚とも称し、だれにも教えられることなくさとる者(無師独悟)のことで、十二支縁起をさとることから縁覚と称する。声聞は八正道を修めて四聖諦をさとる。不定性はそれらのいずれとも定まっていない者、無性とは絶対にさとれない者(無種性)である。これらは永久不変に区別されていると説き、『楞伽経』『解深密経』を典拠としている。
 
四分説
 四分説は十大論師の一人である護法説に依っている。玄奘三蔵は十大論師の説を折衷して『成唯識論』を訳出(糅訳)したが、主に護法説を正義としている。我々の認識作用についても、例えば安慧は一分説、難陀は二分説、陳那は三分説を立てた。これを「安難陳護 一二三四」と呼び習わしている。

【図H 四分説】

 正義の四分説においては、先ず見分・相分が認識の本体である自証分から変じ出される。そこにおいて、「見る」「見られる」の関係の中で自証分が認識作用をおこなう。さらには自証分を自覚する証自証分が生じて相互に確認をおこない、認識作用は完結する。認識対象である相分には阿頼耶識から転変した本質(ほんぜつ)相分と本質を見分が勝手に分別判断した影像(ようぞう)相分があると考えられている。
 我々の認識がどの相分を対象(境)として成立するかによって三類境に分類する。すなわち、

@性境  本質相分が対象となる場合
A独影境 影像相分のみで認識が成立する場合
         (夢など)
B帯質境 本質相分と影像相分の二つがある場合
         (錯覚など)

 を言う。ところでこの本質相分に関して留意しておかねばならないことがある。それは、古来から論議されてきた共業 ぐうごう・不共業 ふぐうごう(共相 ぐうそう・不共相 ふぐうそう)の問題である。これは我々の認識対象(境)を外界と内界に分けて論じたもので、『成唯識論』の主要注釈書である慈恩大師基撰『成唯識論述記』には

「且つ諸々の種子に総じて二種あり、一に是れ共相、二に不共相なり。」

とある。この二種の相をさらに整理して

      共中共     山河大地等
共 相
      共中不共    田宅衣服等

      不共中共    自己扶塵根
不共相 
      不共中不共  自己勝義根

と示している。右から左へいくにしたがって外界から内界へと移っていることがわかる。自己扶塵根とは外界と接している我々の感官(眼・耳・鼻等の具体的感覚器官)である。自己勝義根とはその認識を受け持つ本質的感覚(眼識・耳識・鼻識等)である。この内外を客観・主観と言い換えることができるように思うかもしれないが、それは誤りである。山河といった対象が客観的に実在しているとすれば、それは阿頼耶識から転変した法ではなくなるからである。
 どれだけ客観的な認識が成立しているように見えても、それはあくまでも自己の阿頼耶識が転変して相分となっているにすぎない。もし、私以外の人の阿頼耶識から転変した山河を私が相分・認識対象として認識したとすれば、それは全てが自己の阿頼耶識から変じ出されたとする唯識の原則に反することになるのである。
 それでは何故、山河大地が共通する相分(共相)として万人に認識されうるのかという問題が残るであろう。それは我々が過去に於いて作った業因によって相分が変じ出される点に原因があるとしている。ほぼ共通した業因によって変じ出された相分は、それぞれ別個のものではあるけれども、同じ空間に似たような姿を取って変じ出されるとするのである。『成唯識論』巻二には
「諸々の有情の所変各別なりと雖も、而もあい相似し処所異なることなし、衆燈の各々遍して一に似るが如し。」
(多くの衆生が変じ出す認識対象はそれぞれ別のものではあるけれども、それぞれが互いに似通っていて相違するところがない。それは千人の変じ出した灯火が一つの部屋の中で灯っていても、似通った姿であるので、融合して一つに見えているようなものである。)

 ほぼ共通した業因によってそれぞれの衆生が似通った相分を変じ出す例として、「一水四見(一境四心)の喩」を挙げることができる。

摂大乗論釈第四に
「謂はゆる餓鬼においては、自業の変異、増上力の故に、見る所の江河は皆悉く膿血等を充満する処となり、魚等の傍生は、即ち舎宅遊従の道路と見、天は種々の宝の荘厳せる地と見、人は是の処清冷の水ありて、波浪の湍せるを見、若し虚空無辺処定に入るものは、即ち是の処に於いて唯だ虚空を見る」
(六趣中の餓鬼においては、過去の業因の強い力によって、見ている河はすべて膿・血液が満ち溢れた場所となり、魚などの畜生にとって、河は住みかであり生活の場所に見える。天は様々な宝石で飾られた大地と見る。人はそこに冷たい水が波打って流れるのを見る。もし、虚空無辺処という禅定に入った者であれば、同じ所にただ虚空を見る。)

 この比喩には同一の空間に変じ出された境界もこれを見る者の相違によって、その対象が異なって認識されることを示している。これは山河大地といった共相であっても、六道のそれぞれの境地から眺めた場合、自ずと異なった認識が生ずることを示している。したがって,客観的実在として本質相分を定義してしまえば、それは説一切有部が諸法を実有ととらえていたのと同じあやまちを犯してしまうことになるのである。例えば、
 『阿毘達磨倶舎論』では分別世品第三の四の中で、「器世間(器うつわ)=我々をとりまく環境世界」について以下のように説く。
「此贍部洲下過二萬。有阿鼻旨大奈落迦。深廣同前。謂各二萬故。彼底去此四萬踰繕那。以於其中受苦無間非如餘七大奈落迦受苦非恒故名無間。」
(このジャンブー洲の地下二万ヨージョナを過ぎたところにアヴィチ大地獄がある。深さと広さは先に述べたのと同様、それぞれ二万ヨージョナある。したがって、その底辺は地上からは四万ヨージョナ隔たっていることになる。その中において苦しみをうけること、他の七大地獄では苦を受けることが常ではないのとは相違している。したがって、無間地獄と名づけるのである。)
【注】踰繕那 = サンスクリット語yojanaの音写。距離の単位で、約7キロメートル.yojanaは、くびきにつけるの意で、牛に車をつけて1日ひかせる行程を意味する。

 『倶舎論』では、三世実有・法体恒有の原則に立って、外界の法の存在を認める。したがって、地獄も具体的に存在する器世間の一つとして示そうとする。しかし、地獄の本質を論ずるためには、外境の実在を述べる倶舎論の所説よりも唯識の立場で見るべきであろう。地獄などの境界を解釈する上で、唯識はその面目を遺憾なく発揮するのである。

【図I 地獄草紙】
火の車 作る大工は おらねども 己がつくりて 己が乗り行く
 
親鸞聖人は地獄についてたびたび論及している。
「いづれの行も及び難き身なればとても地獄は一定すみかぞかし。」
(いかなる修行も実践することのできないわが身であれば、まちがいなく地獄こそが我が住処である。)『歎異抄』第二条
「上人のわたらせ給はん処には、人は如何にも申せ、たとひ悪道にわたらせ給ふべしと申すとも、世々生々にも迷ひければこそありけめとまで、思ひまいらする身なれば」と、やうやうに人の申し候ひし時も、仰せ候ひしなり。
(「法然上人がおいでになる所であれば、人がなんと言おうとも、たとえ地獄に行ったとしても、生死輪廻の中で迷ってきたからこそ地獄に落ちるのだと思っている私でありますれば・・・」と様々に人が言ったときにはお答えになっていました。)
『恵信尼消息』

 以上の御文からもわかるように、親鸞聖人にとって地獄は客観的存在ではなかった。であるからこそ、阿弥陀仏の働きについても
「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人が為なりけり、さればそくばくの業をもちける身にてありけるを助けんと思し召したちける本願のかたじけなさよ」
(阿弥陀仏の五劫思惟の願をよくよく考えてみれば、ただ親鸞一人のためであったのだ。多くの業因を持ったわが身であるのを救おうと決心された本願の有難いことであるよ。)
と示されているのである。
 本来的に仏教は客観的事実を説明しようとするものではない。先に見た、釈尊の十四無記の姿勢は仏教に一貫するものと言わねばならない。あくまで「私」の生死の問題を解決しようとするのが仏教である。第三者の業因と自己の業因を比較することで現在の境涯を論ずるようなことは、仏教の基本姿勢を知らぬところからくるものである。

 さて、先の共相(共業)に関しての難問の中に、AとBの二人が丘の上の木を認識している時、AがBに内緒で木を伐採したならばどうなるのかというものがある。Aは自分の業因によって木を切り倒したのだから丘の上から木がなくなったことを認識することができる。ではBにとって木は依然として変じ出されたままではないのか?Bが木を見たいと思って丘に行った場合、どのようなことになるのか?各自この答えを考えてみて欲しい。・・・
 以上のような難問が出てくる原因は、本質相分の本質という字義に惑わされてそれが実法であるかのように執着されるところにあるといってよい。唯識ではそのような執着を段階的に破っていかねばならないと説く。

三性・三無性
 我々は縁起生起のものに対し、実我・実法であると誤認する。その誤りの原因である執着を破るために説かれるのが三性・三無性である。
 @遍計所執性(へんげしょしゅうしょう)、A依他起性(えたきしょう)、B円成実性(えんじょうじっしょう)を三性と言う。@遍計所執性の「遍計」は「遍く計る」「ひろくはかる」ことで、具体的には意識・末那識の二識によって対象が認識されることである。この場合の対象は、先に挙げた影像相分に相当し、二識によってそれが執着されることを「所執(執ぜらるる)」と言う。したがって、見分・相分の間で実我・実法があるとして誤認された状態が遍計所執性である。A依他起性は「他に依って起こる」ことで、縁起生起のものを言う。この場合の対象は煩悩に汚された有漏の本質相分である。したがって、見分・相分が縁起生起している状態が依他起性である。B円成実性は「円満・成就・真実の性」のことで真如「悟りそのもの・あるがままなこと」を言う。
 この三性を解説したものに慈恩大師基が示した「蛇縄麻の喩え」がある。@を蛇に、Aを縄に、Bを麻に喩えるもので、縄を蛇と誤認するのが依他起の諸法を実我実法と執着する遍計所執であり、その縄も麻によってあることが円成実に相当する。
良遍著『観心覚夢鈔』巻中には
 「摂論の頌の中に蛇縄麻の喩を引いて顕はす。其の大意は、闇夜に一の縄あり、愚人見て蛇と謂う。種々の恐怖此れに依りて起こり、眼眩じ心騒ぎて手足振動す。爾の時覚者これを教えて悟らしむるも、迷乱深きが故に輒く覚悟し難し。数々思惟して漸々に醒悟し、遂に其の迷を除けば忽ち蛇の空なるを知る。是の如く知り已りてこれを見るに但だ縄なり。其の縄の相貌は極めて蛇の形に似たり、似たるが故に愚眼見て迷うて蛇と為す。是れ一重の覚なり。然るに猶ほ縄を執して真実の物と為す。尚数々思惟して遂に縄の空なるを知る。其の性即ち麻にして更に実の縄なし。縄の相は但だ是れ衆縁の所生なり、如幻仮有にして有に非ず空に非ず。其の麻は即ち是れ有に非ず無に非ずして縄の実性なり。彼の実蛇の相及び実縄の相は、此の麻の中に於いて一向に遠離す。三性の諸法も亦復た是の如し、愚者の迷眼を能遍計に喩へ、種々の恐怖を生死の苦に喩へ、覚者これを教ふるを仏菩薩に喩へ、実蛇の相を実我の相に喩へ、忽ち蛇の空を知るを生空を知るに喩へ、実縄の相を実法の相に喩へ、縄の空を知るを法空を知るに喩へ、虚仮の縄を依他の体に喩へ、蛇の形貌に似たるを仮我の分に喩へ、其の性の麻を円成実に喩へ、此の麻の中に於いて常に実蛇実縄の相なきを理の無相に喩ふ。是の如く喩ふる時、妙理能く顕はる。」
(『摂大乗論』の偈頌の中に蛇縄(麻)の比喩を引用して明らかにしている。その大意は、闇夜に一本の縄が落ちていたとする。愚かな人がそれを見て蛇だと思った。様々な恐怖心がそれによって起こり、眼は眩み動揺して手足も震えてしまう。その時、悟った人が愚かな人に教えわからせようとするけれども、迷いが深くてすぐにはわかることができない。何度も考えて少しずつ迷いから覚め、わかっていくうちに、ついにその迷いがなくなって、たちまちに蛇が空であったことを理解する。このように理解した後にそれを見ると単に縄であった。その縄の様子が非常に蛇の形に似ていた、似ていたがために愚かな眼は蛇と見誤っていた。これが第一段階の「覚」である。
しかし、まだ縄の形に執着してそれが真実の存在であると見なしている。さらに何度も考えてついに縄も空であることを知る。その本性は麻であって実在の縄などはない。縄の相は単に縁起によって生じたもので、幻のようなもので仮の存在にすぎず、非有・非空である。《これが第二段階の「覚」である。》
その麻もまた非有・非無であって縄の実性である。この麻の実性の中において、先の実蛇の相と実縄の相から完全に離れることができる。《これが第三段階の「覚」である。》
三性の遍計所執性、依他起性、円成実性もこの喩えのようなものである。愚かな人の誤った見方をあまねく計らう遍計に喩えている。様々な恐怖を生死の苦に喩え、愚かな人に教える覚者を仏や菩薩に喩え、見誤った実蛇の姿を実我の相に喩えているのである。たちまちに蛇が空であることを知る段階を「生空」を知ることに喩えている。
また、実縄の相を実法の相に喩へ、縄が空であることを知る段階を「法空」を知ることに喩えている。
 さらには、仮に現れた縄を依他の本体に喩え、蛇の姿に似たことを仮我の相分に喩え、その本性の麻を円成実に喩え、その麻の中に於いて常に実蛇実縄の相がないことを「理の無相」に喩えている。このように喩えてみた時、唯識の勝れた真理がよく明らかになる。)

 ただし、典拠となっている『摂大乗論』巻中(入所知相分)の所説では「蛇縄の譬喩」となっており、麻についての喩えは見られない。
「闇中の縄の顕現して蛇に似るが如し、譬えば縄の上の蛇は真実に非るが如し、有ること無きを以っての故なり。若し已に彼の義無きことを了知すれば、蛇覚は滅すと雖も縄覚は猶在り、若し微細なる品類を以って分析すれば此れ又虚妄なり。色香味触を其の相と為すが故に、此の覚を依と為せば縄覚もまさに滅すべし。」
(暗闇の中の縄が影像相分を変じ出して蛇の姿に似てしまうようなものである。喩えて言えば縄の上に像を結んだ蛇は真実ではない。実有ではないからである。もし、蛇ではないことがわかって、蛇の認識が滅したとしても、縄の認識はなお存在している。これも、もし詳細な分類によって分析すると虚妄な存在である。色覚・香覚・味覚・触覚をその様相としているわけだから、これらの感覚を拠り所とすれば、縄の認識もまさしく滅してしまう。)
 三類境の分類ではB帯質境(本質相分と影像相分が存在する錯覚など)に相当する。すなわち、「蛇」が影像相分であり、「縄」が本質相分である。この「蛇」「縄」に「麻」を加えた点に本質相分も実有ではなく、因縁所生のものであり、執着すべきでないことが示されているのである。 
 さて、三性が見分・相分の関わりを「有」の面から見たものであるのに対し、三無性はそれらを空の立場から見たものである。

【図J 三性・三無性】

 それぞれ@相無性、A生無性、B勝義無性が挙げられる。先ほどの蛇縄麻の解説に沿って述べるならば、@相無性とは蛇の姿を誤認する遍計所執性のことで、その体相すべてが無であるから相無性と呼ぶ。例えば、空華が眼に障害がある者の前にだけ現れて、体相都無であるようなものと説くのである。A生無性とは蛇の姿が消え、縄の姿が見える段階において、縄自体も依他起性の様々な縁によって生じているものであって、決して実在性のものではないところから名づけられたものである。B勝義無性とは、円成実性によって示されるものである。勝義の「勝」は殊勝を意味し、「義」は境界(あるいは道理)を意味しており、「勝義」全体で円成実性を示している。
 唯識においては、以上の三性(非空)と三無性(非有)が相まって諸法の実相である「中道」が明らかになると説く。

修道論
 先に四分説と三性説を概観してきたが、唯識の修道論は四分説と三性説が説く迷妄の生起を如何に抑え真実の実相を観じていくかという点に集約することができる。
 四分説で言えば、影像相分から本質相分を経て自証分・証自証分へと集中化し、その源である阿頼耶識まで遡って迷妄を断ち、実相に到達することをめざすものである。また、三性説では遍計所執性・相無性から依他起性・生無性へと進み、円成実性・勝義無性へと到達して縁起の法を体得することである。以上のような観点から示されるのが五重唯識観である。これは慈恩大師基が諸経論の所説をもとに『大乗法苑義林章』巻一末にはじめて著したものとされている。すなわち、
 @遣虚存実識
 A捨濫留純識
 B摂末帰本識
 C隠劣顕勝識
 D遣相証性識
の五段階の識を挙げる。

【図K 五重唯識観一】

 まず、@遣虚存実識について、
「遣虚存実識とは、遍計所執は唯虚妄より起って都べて体用なしと観じて、まさに空と遣るべし。情有理無の故に。依他と円実とは諸法の体実なり二智の境界なりと観じて、まさに有ると存すべし、理有情無の故に。」
 遣虚存実識の「虚」は遍計所執の妄法を示す。それは愚者の恐怖心が蛇を変現させたように、まさに凡人の心情によって現れた(当情現の)相であって、「実」ではないから「虚」と名づける。すなわち情有理無のものである。一方、「実」とは依他起性と円成実性とを指す。これらはそれぞれ諸法の体相と実性とであり、「虚」ではなく「実」であることを示しており、理有情無のものである。このようにして、三性の中で遍計所執性は虚妄より生起するので全て体用(本質と作用)が無いと観察して、それらを遣る(排除する)ことが「遣虚」であり、残りの依他起性と円成実性の二性を識から現出したものであると観察する。四分説で示せば、影像相分を排除して本質相分以上を実存と観じていく段階である。
 A捨濫留純識とは、外界に変じ出した相分自体を排除し、見分・自証分・証自証分の後三分を識から現出したものとして観察する。『大乗法苑義林章』には、
「捨濫留純識とは事理皆識を離れずと観ずと雖も、然も此の内識に境あり心あり。心の起ることは必ず内境に託して生ずる故に、但だ識にのみ唯と言うて唯境と言はず。」とある。
 すなわち、外界に変じ出された相分を粗悪なもの=「濫」として捨て去り、後三分を純粋なもの=「純」であり、識から転じたものとして留めおくといった意味になる。

【図L 五重唯識観二】

 B摂末帰本識については、『大乗法苑義林章』に、
「摂末帰本識とは、心内にて見・相分は倶に識に依って有り。識の自体の本を離れば、末法は必ず無き故に。相・見の末を摂して識の本に帰する故に。」
とある。
 見相二分は変じ出された結果=「末」であり、それらを変じ出した自証分は本体=「体」である。自証分が自体分と呼ばれるのもこの関係の故である。前者は後者を離れて存在できないから、「末」を摂して「本」である自証分に帰属させ、それを以って唯識であると観ずるのである。
C隠劣顕勝識とは『大乗法苑義林章』に、
「隠劣顕勝識とは、心及び心所は倶に能く変現すれど、但だ唯心とのみ説いて唯心所にあらざることは、心王は体は殊勝なり心所は劣にして勝に依って生ずれば、劣を隠して彰はさず唯勝法を顕はすなり。」とある。心王は阿頼耶識と第三能変までの領域を含み、心の本体である。心所は心の作用であるから、本体である心王に従属する。従属する劣った心所法を隠して、本体である勝れた心王を顕かにし、そこに唯識を観じていくのである。
 先にも述べたように、第二能変の末那識は阿頼耶識のみを認識対象とし、外界の認識には関わらないから、明らかに心王の領域に属していると言えよう。第三能変の前六識(眼・耳・鼻・舌・身・意識)は外界認識に関与する部分もあり、心王と心所の境界領域にあるものと考えられる。

【図M 五重唯識観三】

D遣相証性識とは『大乗法苑義林章』に、
「遣相証性識とは識の言の表するところ具に理・事あり。事を相用となし、遣って取らず、理を性体となし、まさに作証を求むべし。」
とある。「事」とは相・用(様相と作用)、すなわち現象面を、「理」とは性体(本質)、すなわち真理面を指している。三性について示せば、相・用は依他起性であり、性体は円成実性である。したがって、依他起性によって生起した相・用を排除し、円成実性を本性として唯識と観じ、真如の理に到達する(作証)のである。
 以上、五重唯識観を概観してきたが、三性・三無性を実践の上で体系化したものがこの観法であると言ってよい。全体的に見れば、阿頼耶識から変現して全外界に拡散した領域を、内界へと次第に収束させる。最終的に、阿頼耶識に集約された執着を断じて悟りに到ろうとするものである。
 
阿頼耶識から阿陀那識へ
 先に述べた観法の過程において阿頼耶識について三位・三名が論ぜられる。これは観法が進展するにつれ、阿頼耶識自体も質的に向上するものと考えられたからである。ここにも唯識が漸悟を基本としていることが表れていると言えよう。
 三つの名称と位は実践道の進展に伴って、

@阿頼耶(Alaya)識  =執蔵 我愛執蔵現行位
A毘播迦(Vipaka)識 =異熟 善悪業果位
B阿陀那(Adana)識  =執持 相続執持位
が挙げられる。

【図N 観法の進展】

 阿頼耶識の名で呼ばれる期間は、声聞であれば有学の聖者まで、菩薩であれば四十一位(一般には五十二位が用いられる)中の第七地までである。この段階では、阿頼耶識は末那識から実我として執着されるので、我愛執蔵現行位にあると考えられている。先の五重唯識に沿って考えると、@遣虚存実識からC隠劣顕勝識に至る過程がこの位に相当すると考えられよう。なぜならば、末那識が働く間は阿頼耶識の名で呼ばれるからである。
 【註】五十二位 『菩薩瓔珞本業経』に基づいて立てられる菩薩の五十二の修行の階位。十信・十住・十行・十廻向・十地・等覚(金剛心)・妙覚(仏果)の各階位の総称。ただし経自体には、十信は階位とみなされてはおらず、また等覚の位は無垢地(むくじ)と名づけられている。慈恩大師基は十信を初住に含め、等覚(金剛心)を第十地に含めて、全体で四十一位を採用している。一般には、十地位の初地以上を〈聖位〉、十廻向位以下を〈凡位〉とし、凡位をさらに区別して十信位を外凡位、十住位・十行位・十廻向位を内凡位(三賢位)とする。
 
毘播迦の名で呼ばれるのは、声聞であれば無学の聖者、菩薩であれば金剛心までである。Vipakaとは「熟する」の意味であって、過去の善悪の業因が熟して得られる識のことであり、それ故に善悪業果位と呼ばれる。五重唯識で言えば、D遣相証性識に相当すると考えられる。
 阿陀那識で呼ばれるのは無始から未来永劫までである。Adanaとは「取る、つかむ」の意味で、仏果以後であっても、内界・外界を取って失うことなく相続させる識が存在しているとするのである。この識は無漏のものであって、衆生を利益して終わる時期はない。
 つまり、菩薩の第七地まで、声聞の有学までの第八識には三つの名称が並立しているが、菩薩の第八地以後、声聞の無学では阿頼耶識の名称を失って毘播迦・阿陀那の名称が残る。さらには、仏果の第八識には阿陀那識の名称のみが残ることになる。

煩悩障・所知障
 唯識教義では悟りの障害を煩悩障と所知障に分けている。煩悩障は我執から生じ、所知障は知識などへの執着から生じる。これらは修道において段階的に断たれ、その過程として四十一位・五位が示される。悟りに到達して得られる涅槃と菩提は、煩悩障を転じて涅槃を、所知障を転じて菩提を得ることから「二転依の妙果」と呼ばれ、有漏の八識を転じて無漏の智を得ることから「転識得智」と呼ぶ。
 煩悩については、六の根本煩悩(貪・瞋・癡・慢・疑・悪見)を挙げ、さらに根本煩悩に付随する二十随煩悩を定義する。このように詳細な定義をおこなうこと自体が煩悩を外界に実在すると考えた説一切有部の此縁性縁起の立場を踏襲するものである。

【図O 菩薩行位】

大乗仏教の基本的立場は生死即涅槃・煩悩即菩提と呼ばれ、相依相待の縁起に基づいている。

「証知生死即涅槃(生死即涅槃と証知せしむ)」
煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい) 煩悩と悟りとは、ともに空なるものであり、本来は不二・相即していること。煩悩がそのまま悟りの縁となること。大乗仏教の用語で、積極的にはすべては真実不変の真如の現れであり、悟りの実現をさまたげる煩悩も真如の現れにほかならず、それを離れて別に悟りはないことをいう。生死即涅槃とともに、大乗仏教の究極を表す句として有名となった。
生死即涅槃(しょうじそくねはん) 大乗仏教の空観に由来するもので、悟った仏智から見たならば、迷える衆生(現実)の生死の世界そのものが不生不滅の清浄な涅槃の境地であるという意。煩悩即菩提と対句で用いられる。煩悩のために生死の果(迷界の苦果)があり、菩提によって涅槃の果(悟界の証果)があるというような、両者が互いに隔絶した位置関係にあるのは、凡夫が執着し迷っているからであり、ひとたび仏智見を得たならば、煩悩には煩悩の相はなく、菩提には菩提の相はなくなっており、いとうべき生死もなく、求むべき涅槃もない。積極的にいえば、煩悩と菩提、生死と涅槃は不二・相即している。こうして、生死即涅槃と煩悩即菩提の二句は連用される。
                       『岩波仏教辞典』

輪廻の主体・往生の主体
 釈尊の教えにおいて、生死輪廻は解脱すべき境界として批判的に述べられるに止まっていた。それは、バラモン教の転変説が主張するアートマン(我)に対してアヌ・アートマン(無我)を説いたところに表されている。すなわち、先に述べた十四難無記にも明確に示されていたように、死後霊魂が存続するのか否かは問題外のこととして取り扱われていなかった。それは、現在の「私」がいかにして悟るかが問題の中心だったからである。
 しかし、釈尊入滅後、敬慕の念から次第に釈尊の理想化が図られていった。その具体的表現が本生譚(JAtaka)である。これらの話の中では釈尊の前世が挙げられ、前生で様々な功徳を積んだ結果、現世で悟りを得られたことが説かれていった。前世の功徳が次生に引き継がれるためには、何らかの主体が必要とされたであろう。また、悪業によって次生に三悪道などの果報を招く場合も同様なことが言える。
 しかし、その主体は転変説で主張するアートマン・実体的我であってはならない。それは縁起によって生起した仮我としての主体にすぎないのである。仮我は衆生の業因によって生起した色心(物質・意識)の果報であり、それは無始無終に相続するものである。無始無終とは、発生の始めもなければ、究極の終わりもないことを言う。それは始めと終わりを極めることが困難だからそのように言うのではなく、真にその始終がないことを意味している。
 もし、生死輪廻に始終があるとすれば、その最初は無因にして忽然と生起したということになり、また最後も無因にして忽然と終わることになる。これでは因果の道理に背くのである。
 この無始無終の輪廻については善導大師の
「自身は現に是れ罪悪生死の凡夫、曠劫より已来、常に没し、常に流転して出離の縁あることなし」
の深信釈にも見え、また御文章にも
「されば無始已来つくりとつくる悪業煩悩を、のこるところもなく願力不思議をもて消滅するいわれあるがゆえに、正定聚不退のくらいに住すとなり。」
と示されているところである。
 このように極まりない生死輪廻を繰り返すのは、全てのものが唯識から変現したことを理解せず、諸法が外界に実存すると妄執することに依っている。その妄執によって、惑を起こし、業を作り、苦果を招くことになるのである。そのようにして永く輪廻転生を繰り返していくことになる。したがって、生死輪廻は惑・業・苦の三道によってひき起こされるものに他ならず、さらには惑・業・苦の関係を展開させた十二縁起の理論によって完全にその全容を解き明かすことが可能となるのである。

惑・業・苦
 惑とは無明を根本として生起する諸種の煩悩、すなわち、六の根本煩悩=貪・瞋・癡・慢・疑・悪見(第五の悪見をさらに五つに分けて十種とする)と二十種の随煩悩のことであり、前者を本惑、後者を随惑と言う。諸法の事理(現象・真理)を理解せず心が惑うので「惑」と呼ばれる。これによって諸々の業(行為)が起り、後の苦果がもたらされる。
 この惑には発業と潤生の二つの働きがある。発業とは惑から業が生起することを言い、潤生とは、ちょうど種子に水を与えて発芽を促すように、阿頼耶識中の種子が現行する際にその生を潤すことを言う。
 次に業とはKarmanの意訳であって、行為の意味である。身・語・意(身・口・意の三業)において様々な行為を行うことであり、この業によって苦果を招くことになる。
 説一切有部では身・語の二業を色法に、意業を心所法に分類している。さらに身・語二業についてはそれぞれに表業・無表業を挙げ、全体で五業を定義している。唯識においてもその分類を受け継いではいるものの、外界においての実体を認めないという原則から、全て仮有のものとして理解する。

【図P 輪廻転生】

 苦とは身心を悩ませ不快にさせる状態である。それは迷界の果報であって、惑・業の働きによってひき起こされたものである。ここで言う迷界の果報とは、三界(欲界・色界・無色界)・五趣(六趣)・四生(卵生・胎生・湿生・化生)のことであり、どの状態をとってみても全て苦でないものはない。
 以上のように惑・業・苦の三者が順次展開していくことによって我々の時々刻々の現象が生起する。この場合にも、例えば惑と業は相依相待の関係にあるのではなく、ただ一方的因果である「此縁性の縁起」によって成立するものである。

十二縁起(二世一重の縁起)
 先に概観した惑・業・苦は時間的に継続する現象についての解明であった。この時間的継続が前生から今生、あるいは今生から次生へと受け継がれる点に焦点をおいて示されるのが十二縁起(二世一重の縁起)である。十二縁起は、無明・行・識・名色・六処・触・受・愛・取・有・生・老死の十二支である。衆生が生死流転する因果の関係を指し、それがこの十二支の順序で生起すると考えるのである。注意すべきこととして、唯識ではあくまで十二縁起の呼び方を取り、十二因縁とは言わない。

【図Q 二世一重の縁起】

 @無明は煩悩の中の癡を指し、理・事を理解しない愚癡のことである。次のA行は行為であって、無明によって起こされた身・語・意の三業である。この行為によって阿頼耶識の中に種子が薫習される。B識とは未来において阿頼耶識を熟成せしめる種子で、種子生種子の過程を経て、時間的隔たりを有すると考えられる。C名色とは未来に五蘊を生起せしめる種子のことである。色は色蘊のことであり、名は非色の四蘊のことである。D六処とは六根を生起せしめる種子のことである。E触は未来に触の心所を生起せしめる種子のことである。F受は未来に受の心所を生起せしめる種子のことである。
 以上のB識からF受までの五支は何れも種子であり、未来の果報(生・老死)をもたらす種子である。これらの種子は瞬時瞬時に種子生種子の過程を経ているが、それら自体では微細な勢力しかなく、独力で現行することはできない。ここに前二支の無明・行から薫習された種子の助けを必要とすると考えられている。無明・行の種子がひき起こす引力によって未来の境涯が決定されるのである。人・天・畜生・餓鬼・地獄といった果報はこの引力の善悪によって定まるのである。
 G愛は貪愛、H取は煩悩である。以上のG愛とH取は臨終時に生起する。愛・取は無明・行二支の種子と識から受までの種子とを潤して未来の果報を生起せしめるのである。それは、穀物の種(識から受までの五支による種子)が地中(無明・行の種子)に植えられていても水(愛・取・有)が加わらなければ発芽(果報=生・老死)できないようなものと解説される。
 I有とは、識から受までの五支の種子と無明・行の種子がG愛・H取によって潤され、まさに未来の果報を招く状態に至ることを言う。すなわち、間近に果を有するという意味と解されている。
 J生とは、有が母胎に宿った瞬間に果報が生起する。その果報の五蘊が老衰に至らないまでの期間を指している。K老死とは、果報の五蘊が衰微して死滅するまでの期間を指す。
 このように、十二縁起の中、前十支は因であり、後二支は果に相当する。この十因二果は必ず世を異にするもので、同世であってはならない。もし、過現門に立てば、十因は過去であり二果は現在である。また、現未門に立てば、十因は現在であり二果は未来となる。これを二世一重の因果と言う。これによって無始無終の生死輪廻が展開する。
 阿弥陀仏の仏国土である浄土に往生する場合も、これと同じ過程を経なければならない。娑婆世界から浄土に往生するためには、娑婆世界での命を終えて浄土で新たに生まれる必要があるからである。経典に説かれる「蓮華化生」という往生の過程は天人の化生に順ずるものと考えられる。
 例えば、『観無量寿経』上品上生に
「行者見おわりて歓喜踊躍し自ら其の身を見れば金剛台に乗ぜり。仏後に随従して弾指の頃のごとくに彼の国に往生す。彼の国に生じ已りて仏の色身衆相具足せるを見、諸々の菩薩の色相具足せるを見る。光明の宝林妙法を演説す。聞き已りて即ち無生法忍を悟る。」とある。阿弥陀仏の誓願力によって浄土で悟りを開くにしても、そこに至るためには先ず転生する必要があることは明らかであろう。

【図R 阿弥陀来迎図】
                   十世紀頃に描かれた来迎図

 以上、輪廻・往生の主体が前生の業因による果報であり、それは仮我として生死輪廻を経巡っていく様を概観してきた。この生死輪廻こそが我々の迷界における真実相なのである。唯識教義は、我々の機実(機の真実)を解明するうえで、遺憾なくその真価を発揮するのである。

唯心の浄土・己身の阿弥陀仏
 先に、唯識教義が我々の生死輪廻を解明する上で大いに役立つことを述べてきた。親鸞聖人の地獄観・輪廻観もこの唯識教義によって裏付けられていたと言ってよいであろう。それでは、阿弥陀仏に関しては如何であろうか。
 結論から言えば、いわゆる「法の真実」に関して、阿頼耶識はその領域を完全に包摂するものではない。古来、阿弥陀仏も我々の阿頼耶識から変じ出されたものと解釈する「唯心の浄土、己身の阿弥陀」という論題がある。安心論題でも取り上げられるこの問題は、『観無量寿経』の所説に依っている。
 『観無量寿経』定善十三観の中の第八「像観」には以下のようにある。
 「仏、阿難及び韋提希に告げたまわく、『此の事を見已らば次にまさに仏を想すべし。所以は何ん、諸仏如来は是れ法界身なり、一切衆生の心想中に入りたまふ。是の故に汝等心に仏を想する時は、是の心即ち是れ三十二相・八十隨形好なり。是の心是れ仏なり。諸仏正?知海は心想より生ず、是の故にまさに?念して彼の仏・多陀阿伽度・阿羅訶・三藐三仏陀を諦観すべし。』」とある。
 観経の表面的教説は、その流通分に
 「此の経をば『極楽国土・無量寿仏・観世音菩薩・大勢至菩薩を観ずる』と名づけ、亦『業障を浄除し、諸仏の前に生ずる』と名づく。」と明言されているように、観仏の教えである。したがって、自力聖道門の観法がその中心となっていたと言えるだろう。
 この観経所説について、懐感の『釈浄土群疑論』第一には、
「如来所変の土は仏心無漏なれば土も還た無漏なり。凡夫の心は無漏を得ず。彼の如来の無漏の土の上に依りて自心変現して有漏の土を作し、而も其の中に生ず。若し如来の本土に約して説かば則ち亦無漏の土に生ずると名づくるを得ん。若し自心所変の土にして而も受用するに約せば、亦説いて有漏の土に生ずると名づくるを得るなり。有漏なりと雖も如来の無漏の土に託して変現するを以っての故に、極めて仏の無漏に似て亦衆悪過患なし。」

懐感 中国唐代の人。法相宗の教義を究め、また戒律にも通じていた。はじめ念仏して浄土に生まれることを信ぜず、善導大師に会って疑問を問いただした。善導の教化に従って、道場で三七日間念仏を修したが阿弥陀仏を感得することができなかった。罪障の深いことを恨んで、断食して自死しようとしたが、善導に諭され、三年を経て念仏三昧を成就した。『釈浄土群疑論』を撰述したが、完成させることなく入寂。
 『高僧和讃』二〇九
 本師源信和尚は 懐感禅師の釈により
 処胎経をひらきてぞ 懈慢界をばあらわせる

【図S 浄土の受用】

 ここでは、阿弥陀仏の浄土は無漏であることを認めながら、その中に阿頼耶識から変現した有漏の浄土が託されると解説している。衆生は有漏の果報を無漏の浄土に託し、浄土の働きによって無漏化されるのである。それは、阿弥陀仏の「空」性の働きによるのである。
 一方、観法で感得された阿弥陀仏は阿頼耶識から変現した影像相分であることを説いて
「問うて曰く、観経に言はく、是の心仏と作り、是の心是れ仏なり、諸仏正遍知海は心想より生ずと。如何ぞ是の心即ち能く仏と作るや。釈して曰く、唯識の理を案ずるに心外に別法なく、萬法萬相皆是れ自心なり。故に起信論に言はく、心生ずれば諸法生じ、心滅すれば諸法滅すると。維摩経に言わく、其の心浄きに随って即ち仏土浄しと。又言はく、心垢なるが故に衆生垢なり。心浄なるが故に衆生浄なると。故に知る萬法は皆心の変現なることを。此の心を用いて彼の仏を観ずる時に当たり、阿弥陀仏を本性の相と為し、衆生の観心彼の如来を縁ずるに、心外に仏の真相を見ること能はざれば、当に観心は影像の相を変作すべし。この影像の相を名づけて相分と曰う、能観の心は是れ見分なり。見相の両分は皆自証分を離れず、見分の力能く相分を現ずるが故に是心作仏と名づく。如来の一切の功徳を観ぜんと欲せば皆自心所変の影像を用ふ、故に諸仏正遍知海従心想生と名づくるなり。或は心想に由りて種々の行を修して萬徳の因と為るを正遍知海従心想生と名づくるなり。(中略)華厳経に亦言はく、心は工畫師の如く、種々の五陰を畫く。一切世間の中、法として而も造らざるものなし。心の如く仏も亦爾り、仏の如く衆生も然り。心と仏と及び衆生と、是の三は差別なしと。心に垢ある位を名づけて衆生と曰い、心の純浄なる時を名づけて曰つて仏と為すとは即ち其の義なり」
(在る人が質問して言うには、「観無量寿経には『この有漏の心が仏となり、この心がそのまま仏である。諸仏の正しい悟りは心の想いから生ずる』と説かれている。どのような理由で、この有漏心が仏となることができるのか?
 解説して言うには、唯識の教理を考えると心外に実在の法はなく、諸法・諸相はみな全て自己の阿頼耶識の変現である。
 したがって、『大乗起信論』には「心が生起すれば諸法が生起し、心が消滅すれば諸法も消滅する」と説いている。
 『維摩経』には「その心が清浄であるのに応じて仏土も清浄である」と説き
、また「心の汚染の故に衆生は汚染される。心の清浄の故に衆生は清浄となる」とも説かれている。
 これらの教説から、諸法は全て阿頼耶識の変現であることを知ることができる。この有漏心が働いて無漏の仏を観想する時、阿弥陀仏を本性の相として、衆生が阿弥陀仏を観想するのであるが、心外に仏の真相を見ることができないので、観想においては影像相分を変現しなければならない。この影像の姿を(影像)相分と名づけるのである。観想する心の方は見分である。見分・相分の二つの分は自証分と不可分であって、見分の働きが相分を変現する。このような理由から是心作仏と言うのである。仏の全ての功徳を観想するために、だれでも阿頼耶識から変現した影像相分を用いるのである。故に諸仏正遍知海従心想生と言うのである。あるいは、観想によって種々の修行を実践し、全ての功徳の因となることを正遍知海従心想生と言うのである。(中略)
 『華厳経』には「心は絵師のように種々の五蘊を描く。全世界の諸法は全て心が造りだしたものである。心と同様、仏もそうである。仏と同様に衆生もそうである。心と仏と衆生の三者は差別がない。」と説いている。心に汚染ある状態を名づけて衆生と言い、心が清浄な時を仏と名づけるのは、すなわちそのような意味である。)
 懐感師のこの解釈は法相宗(唯識)の教義に則っている。心外に別法は存在せず、全て阿頼耶識からの変現であるという原則からすれば、衆生は影像相分としての阿弥陀仏を感得するしかない。観法は自力の領域内で行われるものであるから、相分・見分を変現するのはあくまでも自体分(自証分・証自証分)である。このような解釈に立てば、各人の業因を拠り所として感得される阿弥陀仏の相も各別でなければならない。観経中、散善三観に示される九品往生の差異はそのことを示している。例えば、臨終の際に感得される来迎相の優劣も、その衆生の業因によってランク付けがなされた結果である。
 しかし、先の解釈の中で、「本性の相」としての阿弥陀仏、あるいは「仏の真相」という言葉で示されるものは、無漏の智慧を成就した仏身そのものでなければならない。先の無漏の浄土と同様、厳然として無漏の阿弥陀仏が存在することを懐感師自身も認めているのである。ただし、自力の観法においては、無漏の真相を感得することが不可能であるから、影像相分としての阿弥陀仏を変現させると解釈するのである。
 『釈浄土群疑論』冒頭の問答が悟界の解説から始まるのは、まさにそのような理由によるのである。
「問うて曰く、仏に幾身有り、浄土に幾種有りや。
 釈して曰く。仏に三身有り。土に三土有り。三身とは、一に法性身、二に受用身、三に変化身なり。土に三種有りとは、一に法性土、二に受用土、三に変化土なり。法性身は法性土に居し、受用身は受用土に居し、変化身は変化土に居す。法性の身・土、倶に真如清淨法界を以ってし、以って体性と為す。般若の説の如し。彼の如来の妙体は即わち法身なり。諸仏の如法界の体性、経に文殊師利礼して云く。無色無形の相。無根無住の処。不生不滅の故に。無所観等に敬礼す。維摩経に云く。自ら身を実相と観ずるが如し。仏を観ずるも亦た然り。法性土とは。般若に云うが如し。荘厳仏土とは。即わち非荘厳なり。又維摩経に云う。諸仏国及び衆生とを知ると雖へども空なり。又云う。諸仏国土亦た復た皆空なり。又云う。十方仏国皆虚空の如し。身土を知ると雖へども並に一真如なり。夫れ不一不異の如くなれば。而して法性身は法性土に居すとは言う。此こを以って性義名身を覚照す。法の真理、体の名土なり。是れ施設して諦門説を安立す。
(質問して言うには、仏身・仏土には幾種類があるのか。解釈して言うには、仏身に三種・仏土に三種ある。三種の仏身とは、一に法性身、二に受用身、三に変化身である。三種の仏土とは、一に法性土、二に受用土、三に変化土である。法性身は法性土に住し、受用身は受用土に住し、変化身は変化土に住する。法性の身・土は共に真如清淨法界に依っており、それを体性としている。『般若経』の説の如し。彼の如来の妙体は即わち法身である。諸仏の如法界の体性については、経中に文殊師利が礼拝して述べている。「無色無形の相であり。無根無住の処である。なぜなら不生不滅だからである。観ぜられない真理に敬礼します。」また、『維摩経』に説く。「自ら身を実相と観ずるようなものである。仏を観ずるのもまた同様である。法性土とは『般若経』に説く通りである。荘厳仏土とはそのままが非荘厳である。また、『維摩経』に説いている。「諸仏国とその衆生とを知るといってもそれは空である。」また、「諸仏国土もまた皆空である。」「十方仏国は皆虚空のようなものである。仏身・仏土を知るいっても何れも一つの真如である。それは不一不異であるので、法性身は法性土に住するとは言うのである。」このようにして性義は名身を覚照する。法の真理が体の名土である。是れ施設して諦門説を安立する。)

浄土門における阿弥陀仏
 阿弥陀仏の願力・他力の働きを拠り所とする浄土門においては、以上のような自力の観法を用いない。『観無量寿経』は衆生往生に関して九品の差別を説きながらも、その流通分では「汝好持是語。持是語者。即是持無量寿仏名。(汝好く是の語を持て、是の語を持てとは即ち是れ無量寿仏の名を持てとなり。)」と示され、他力念仏の教えが明らかにされている。すなわち、無漏智を成就した阿弥陀仏と無漏の浄土の真実から全てが展開していくのである。したがって、「色もなく形もない」法性法身・法性土から、「名を垂れ、形を示した」方便法身としての阿弥陀仏と浄土が顕現するのである。それ故、如何なる衆生であっても同一の阿弥陀仏の働きの中に包摂される。それは我々衆生の阿頼耶識が変現した影像相分ではなく、阿陀那識を成就した阿弥陀仏の他受用身でなければならないのである。
 このような方便法身の阿弥陀仏に包摂された時、生死輪廻に迷う衆生の側においてはどのような状態が展開していくのであろうか。

親鸞聖人の説く「転ずる」について
「ただよく念ずるひとのみぞ
 瓦礫も金と変じける」帖外和讃五
「罪障功徳の体となる 
 氷と水のごとくにて
 氷多きに水多し
 障り多きに徳多し」高僧和讃一五八
「弥陀智願の広海に
 凡夫善悪の心水も
 帰入しぬればすなわちに
 大悲心とぞ転ずなる」正像末和讃二七七
 「転ず」の左訓には「アクノ心ゼントナルヲテンズルナリトイフナリ」とある。この「転ずる」の「転」は転識得智の「転」と同義と考えられよう。煩悩障を転じて涅槃を、所知障を転じて菩提を得るという場合、三大阿曽祗の修行によって煩悩を断じ、それによって涅槃と菩提を得るのである。阿弥陀仏もまさにそのようにして仏果を得、浄土を建立したのである。

「不可思議兆載永劫において菩薩の無量の徳行を積植し、欲覚・瞋覚・害覚を生ぜず、欲想・瞋想・害想を起さず。」『無量寿経』法蔵修行

 ただし、一旦証果に達した仏においては、無自性空の故に「生死即涅槃」「煩悩即菩提」という不二・相即の状態が完成する。また、衆生の救済もそのような無自性空の境地の中で行われる。無二智を得た仏においては三輪清浄の布施が行ぜられるのである。
 一方、我々衆生は、阿弥陀仏によって回施された名号によって、兆載永劫の修行で得られた証果をそのまま施与される。したがって、名号を信受した我々衆生の上においては、「悪の心」が「善」となるという質的変化として現れざるをえないのである。
 「証知生死即涅槃」(生死即涅槃と証知せしむ)という働きについても、「転ぜられる」という言い方でしか表現できない。なぜなら、一元と二元という絶対的断絶のなかで、仏の側では即一であるもの(一元)が、衆生の側では「煩悩の氷」と「菩提の水」という全く別のもの(二元)となる。したがって、衆生が阿弥陀仏の働きによって救われる時には「転ずる」という表現にならざるをえないのである。
 
まとめ(二種の縁起に関連して)
 衆生迷妄の状態を解説するうえで、唯識の教学はその真価を発揮した。それは「此縁性の縁起」が時間的な次元で因果関係を明らかにしようとしている点に関わっている。例えば、迷妄の阿頼耶識が滅し、さらに毘播迦が滅し、阿陀那のみへと段階的に漸進する過程にはそのことがよく示されている。
 それは、十二支縁起の逆観(還滅門)の過程と同じである。「無明が滅する時に行が滅する。行が滅する時に識が滅する。・・・生が滅する時に老死が滅する。」という非可逆的過程である。唯識においても、そのような時間的縁起が基になっている。
 それに対して、仏の側における働きは空間的(場所的)次元における因果関係、すなわち「相依相待の縁起」において解明されるべきものである。「仏と衆生」、「生死と涅槃」は互いに相即することで「仏」であり「衆生」でありうるし、「生死」であり「涅槃」でありうるのである。
 「仏」を離れて「衆生」は存在しえないし、また、「衆生」を離れて「仏」も存在しえない。同様に、「生死」と無関係な「涅槃」は存在しえないし、「涅槃」と無関係な「生死」も存在しえない。無自性空であるが故に、相い依り相い待つことで初めてそれぞれは成り立つのである。
 この「此縁性の縁起」と「相依相待の縁起」が、時間と空間という座標上で交叉し、その交点に私が立たされた時、私は仏の摂取の中に在ったことを自覚するのである。
 信心獲得の一念こそ、その自覚の瞬間である。その瞬間における衆生の信心には、時間と空間の二種の縁起が明確に現れてくる。すなわち、時間的縁起の側面が「機の深信」であり、空間的縁起の側面が「法の深信」である。
一つには決定して深く「自身は現に是れ罪悪生死の凡夫、曠劫より已来、常に没し、常に流転して出離の縁あることなし」と信ず。
二つには決定して深く「彼の阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂受して、疑い無く慮り無く彼の願力に乗じて、定んで往生を得」と信ず。 善導大師『散善義』

 前者の「機の深信」には生死輪廻を経巡る時間的縁起が示されている。それは、本来であれば、衆生自身が三大阿曽祗劫の間修行を実践して、解脱するべき輪廻の世界である。そのような修行を積むことのできない衆生にとっては、無始無終の輪廻の世界が未来永劫続いている。その輪廻の詳細は唯識学の頼耶縁起が解き示す通りである。
 後者の「法の深信」には無分別智・無二智を完成させた阿弥陀仏の本願力によって、衆生が必ず往生をうることが示されている。阿弥陀仏は「生死即涅槃」を証知せしめる働きを完成した仏であり、それを「自覚覚他覚行窮満」と言う。
 この二つの深信も相即するものであって、どちらかが先に起るものではない。真実信心の二つの側面と考えるべきものである。阿弥陀仏の無二智の中で完成された信心であるから、機の真実と法の真実が相即するものとして両立しているのである。
 私の側ではそれをそのまま信受するのである。したがって、その状態は人知を超えた表現にならざるをえない。例えば、「絶対に救われない」私が「必ず救われる」という、論理的矛盾を含んだような言い方は、阿弥陀仏の無二智における真実なのである。
 このように、浄土真宗の教義は「法の真実」と「機の真実」という二つの側面によって成り立っている。そして、「法の真実」は龍樹菩薩によって大成された「空」の思想に依るものであり、「機の真実」は天親(世親)菩薩によって完成された唯識思想に依るものである。
 すなわち、正信念仏偈
「龍樹大士出於世 悉能摧破有無見
 宣説大乗無上法 証歓喜地生安楽」
には、煩悩に煩悩性が有るのか無いのか、実体が有るのか無いのかという分別判断が否定されている。そこでは、無自性「空」の故に「有・無」の見(判断)が断ぜられるのである。親鸞聖人は、龍樹菩薩によって無相の縁起が開顕されたこと、そしてそれが大乗無上の法であることを讃じておられる。
 また、
「天親菩薩造論説 帰命無碍光如来
 依修多羅顕真実 光闡横超大誓願」
には天親菩薩が『浄土論』を造り、浄土の具体相である三厳二十九種が開顕されたことが示されている。そこでは、有相の阿弥陀仏と浄土が具体的に示されている。聖人は、有相の縁起が天親菩薩によって開顕されたことを讃じておられる。
 そして、龍樹菩薩については、「歓喜地を証し安楽に生れたまう」ことを示され、また、天親菩薩自身も『浄土論』冒頭に「世尊我一心 帰命尽十方 無碍光如来 願生安楽国」と顕かにされていること踏まえて、両菩薩が浄土の教えに帰依されたことを讃嘆されている。このように、親鸞聖人が印度西天の高僧として龍樹菩薩と天親菩薩の二人を挙げて讃嘆されたのも、両菩薩の教えによって浄土教義が基礎付けられていると理解されていたからである。また、それ故に「浄土真宗は大乗の中の至極なり」という確証を得られたに違いない。釈迦縁起教に起源を発し、大乗空教(龍樹菩薩・相依相待性の縁起)、大乗有教(天親菩薩・此縁性の縁起)を経て、大乗空教・有教を再統合して釈迦所説の縁起に回帰するのが大乗至極教であり浄土真宗である。
 最後に、唯識教義を浄土真宗においてどのように理解することができるのか、という立場で概説してきた。したがって、唯識教義についての全体的な解説が少なくなり、偏った内容になった部分もあるように思う。その部分は各人で補って頂きたい。ともあれ、これを機に、各人が唯識教義に興味を持って頂いたのであれば幸甚である。       (完)