はじめに------鈴木大拙師の最期



 ここ(和敬精舎)へ泊らしていただきましてね、何をしたかというと、―――
 鈴木大拙の没後三十五周年記念の展示会がございました。百万遍の、どこかね、あそこの思文閣の美術館でですね、あったんですよ。それを新聞で見まして、それを見に行きたくなって、一人で初旅ですな。遠いところ。それで参りました。ここへ泊まったんです。そして、さあ出かけるぞと思ってそこの階段を降りたらですね、柳田先生にお会いしたんです。あらあ、それはもう学生時代から存じ上げておる先生でございますので、ご挨拶申し上げた。お世話になったことがありますから、ご挨拶申し上げたんです。ここでお話をしているというんで、じゃあまだ時間がありますから、昼から行っても間に合いますから、展示会見るだけに来ておるんですからねえ。じゃあ昼までちょっとお話を聞かせてくださいと言って、参りました。(一部聞き取れず)ここへ座って、久しぶりに先生のお話を拝聴することができたわけでございます。

 で、その鈴木大拙さんのこと、みなさんご存知ですよね。昨日朝日新聞に広告が出ておりました。岡村美穂子さんという人が鈴木大拙の思い出を書いた本が出たんですね。それの紹介が出ておりましたね。朝日新聞に。で、その岡村美穂子さんという方は、ご存知のように、女学校時代にニューヨークで鈴木大拙のお話を聞くことによって、こんなすばらしい人がいるかというので、それから参ってしまって、彼女は鈴木大拙の秘書になるわけですね。まだ女学生で。で、ずーっと死ぬるまで秘書としてお仕えしたわけです。その方だから、鈴木大拙を一番よく知ってるわけですよね。その方がご本を書いたと。それが出ております。で、私は、今治というところの学校に、今治に明徳短期大学というのがありますが、そこへご縁を頂いて、そこで会うたことがあるんです。その当時、―――ここへはせてきたと思うたら…。僕はいつもこうなんです。はせとる思うたが、ないんですよ。まあええです。そういう間抜けな男であります。―――
 その岡村美穂子さんが鈴木大拙の話をしたのを家内に聞きましてね。どうしても聞きたいと思って、岡村美穂子さんのところへはがきを書いたんですよ。そしたら、鈴木大拙の本がありますから、お送りしましょうということになった。それで、今ニューヨークから神戸の方へ移ったとこだから、アメリカから神戸へ帰ったところだから、荷物はまだアメリカにあるんで、荷物が着いてからお送りしましょう、探してその本があれば。そしてね、一年ぐらい待ったですかなあ。そしたらね、鈴木大拙と岡村美穂子さんとの共著になっとるんですが、今は絶版でございますね。『教行信証』の英訳本です。ご覧になったことありますか。『教行信証』を英訳した本です。鈴木大拙が最後のお仕事にしたんですね。あの人は禅の人だと言われる。禅の布教師だと言われるんですが、最後は『教行信証』をお書きになった、英訳なさったんですね。で、岡村さんと鈴木大拙さんとの間は全部英語で話すんですね。そのほうがしっくりくる。鈴木大拙は英語が堪能ですからね。英語でお話なさるんだそうです。そのお礼をね、じかに会ってね、申し上げたかったんです。ずうっと念願だったんです、私の。で、そうするうちにね、病気になって、動けんようになった。それで五年ぐらい経ったですね、もう。ほいでちょうど新聞広告見たら、岡村美穂子さんが展示会のその期間中にお話をするというんですよ。そのお話するのが分かりましてね、その展示会を見ると同時に、お話聞いたら、岡村さんにお会いできると思って、参りました。ちょっと冒険だったけども。参りました。で、無事にね、あそこでご講演を聴いてね。そしてサイン会に並んで、サインしてもらう、本にね。そこでお礼を言うたら、ちゃんと覚えていらっしゃった。うれしかったですね。「ああ、そうでしたねえ。」「ああ、そうだったね。」と、いろいろおっしゃってくださいました。なかなか美人ですな、あの人。かわいい。あの人が鈴木大拙にずーっと死ぬまでついておった。それで鈴木大拙の話をしました。そして、彼女は本を書いたんですね。思い出の。それを私、読ましていただいた。皆さんも店に出ておるからすぐお読みになれます。
 私はいろいろ感じたことがあるんです。この人のことについて。仏教は女性が伝えるんですね。仏教は女性が伝える。あなた方がお伝えになる。女の人が。男はある意味でね、名利心の塊ですけな。格好、格好しの。競争して人の足を引っ張ったりするのが上手なんです、だいたい。女性はその点、感性的というか、正しくご法を求めたら、もう達人になりゃせんですか。女性というのは。煩悩が大きいと言われるけども、僕はそんな感じがする。岡村さんが一番鈴木大拙を継いどるんじゃなかろうかと思った。私はそう思った。今大谷大学の先生していらっしゃるですね。だから、これからお会いしに行こうと思えば、電話でもかけて、「先生!」と言ったら、会うてくれるかもしれませんよね。だけどまあ、そういう人ですね。

 で、もうお読みになったことありますか。最後のね、最後に、九十六で亡くなったんですね、鈴木大拙は。亡くなった時に、腸閉塞で亡くなった。ものすごく痛いんです。腸閉塞は七転八倒するほど痛い。痛いんです。痛いのがヘルペスと腸閉塞と、それから結石が痛いのがおるね。痛い、痛い、これはもう、なんどころじゃない、痛いいうたら。これは夜なんか寝られへん。或る人が、僕はねえ、神経痛で(一部聞き取れず)。先生それなんですか、神経痛になって夜寝られませんか、痛いから。いや、夜は寝るよ、寝とる時は痛くない。ああそれは結構でございます。もうそうしか言えんのじゃないですか。痛いいうたら寝られんですよ。ほんとに痛かったら。これは。寝どころじゃないですよ。だから麻酔打つしかないですよ。麻酔ある間痛くない。だんだんだんだん痛くなって、あらわし痛いとこがあったなあと思ったら、麻酔が切れだしたんです。そんなもんですよ。だから鈴木大拙もね。腸閉塞で、「うーーーーん」とうなりよった。そりゃうなるですよ。そしたら傍におる者は、「生死を絶しておらねば(一部聞き取れず)。」そう言うたって本人は生死を絶しておるかなんか、痛いですよ、そりゃ。生死を絶しておる(一部聞き取れず)勝手にお前ら言えというわけですよ。でなかろうか、なんぼ偉い人でも。人間だったら。それを「生死を絶し……う¬ーーーん、喝!」そんなこと言うたって、なんのことですか、それあんた、一人で酔うて一人で喜んどるんじゃないかねきみと、言われたらそれまでですよ。痛いのは痛いですよ。なんぼか痛かったと思う。ねえ。そしたらね。麻酔打つんですよ。麻酔打つとね。心臓に影響あるんだね。どこそこ。そうするとね、血圧が下がるんですよ。血圧が下がってくる。で、岡村さんはそれ知らなかった。私は初めてね、鈴木大拙さんが死ぬる時の様子をね、読みました。知りました。はあああと思った。彼は大聖ですな。聖(ひじり)じゃね、もう。ほんとに偉い人やと思った、僕は。鈴木大拙という人は。ほいで最期にね。ちょっと下がって、岡村さんはいっつも付いとるんですから。ずーっといっしょに付いていて、「なにかしてほしいことはありませんか。」と尋ねる。―――ここへ僕がちゃんと書いたものがあるんですよ。書いたものがあるけどね、書いたものはね、ちゃんと大事な時に忘れるようにできとるんです、私という人間は。どこへお話してくださいと言うて、お念仏の話じゃないですよ。一般的なね、話をね、頼まれることがときにはあるんです。なぜか言うたらね。私、県立の図書館で本の番したことがあるんですよ。そうするとね、図書館におったらね、本読んどると錯覚するんですな。あれ大いなる錯覚です。だから、あいつにまあ話す会なんかがあってね、大会なんかがあって、あれに話さしたら間に合うじゃないかというわけでね。間に合い人間で、ことわるわけにもいかん。で、原稿を書いて持って行って、さあ話そうと思うと、ないんですよねえ。ありゃどこへやったか、困ったなあ、ええわい、もうやけくそやと思うて、そこで大物小物言う。原稿がないほうが、大物小物が言えますよ、そりゃ。ねえ。原稿というのは、大物小物脱線せんようにちゃんと書いとくんだからね。その通り読むんだ。それないからあんた、自由ですよ。だから、済んだら、「先生おもしろかったよ。」おもしろいことない、わしゃこれからずーーっと精神的な苦痛が続くんだから。ねえ、あんな馬鹿なこと言うて。寝言にでも言うぐらいですよ。―――
 それでね。大拙先生がね。岡村美穂子さんがね、「なにかしてほしいことはありませんか。」と聞いた。「なにかしてほしいことはありませんか。」そしたら大拙がね、「ノー。ナッシング。サンキュー。」と言うたんですよ。「なんにもないよ。ありがとう。」と言うて、静かに死んでいかれた。どうですか。(一部聞き取れず)
 そしたらね、病室へね、どかどかどかと入ってきたというんです。人が。今まで見たこともないような人が入ってきた。鈴木大拙の死に会おうと思って、来るわけでしょう。大拙先生は人がたくさん来たなあ、俺も最期かなと思われるに違いない、思われるだろうと、こう美穂子さんが言われる、そう書いとるんです。で、美穂子さんは腹が立ったというんですよ。「私は怒りました。」と書いている。これもまたすごいじゃないですか。ほんとうに怒ってくれる人がおりますか。自分のために。「だいいち部屋の中へ入って来たら酸素が少なくなるじゃありませんか。」おもしろいこと書くねえ。O2ですよ。酸素が少なくなるじゃありませんか、みんな呼吸してだあっと入って来たら。病人によくないです。そんな気のつく人というのはすごいなあと思ったですよ。酸素が少なくなるじゃのいうの、どうですか。私はそう思いますがね。やさしい人だねえ。お師匠さんを尊敬しとる。ほんとに怒りましたと書いてある。もう鈴木大拙先生は、岡村美穂子さんがああやって生涯生活なさったけども、あれだけで、もうたいしたもんだねえ。ちょっと稀有なことでしょうねえ。と私は思います。良寛さんが最期に女性に会ったでしょう。そんなもんですねえ。もう全くすごい世界があるなあと思います。
 だから、偉い名前をあげてもええですけども、偉い禅の大家がね、自分の会でね、自分のお弟子さんがおる中で、そして鈴木大拙先生の最期を申し上げたんよね、挨拶に立って。その偉い先生、老教授、京都大学の偉い先生やったね、それ本読んだら書いてあります。全集にも載ってますよ。突然立ってね、「ああいたたたたたたたたあい。」と言うて、その真似したというんだね。その人が。病人の真似した。「ああいたたたたた。この痛い奴めが。」と、こう言うた。「先生、お苦しいでしょう。」そしたら、「心配無用だ。」と言うたんだね。「心配無用だ。」ネバー、マインドというんですか。ノー、ネバーマインド。心配無用だと、こう言うたというんですよ。そしたらね、そこにおった北原という先生、先生でしょうね、北原という方がね、それ訂正したそうですよ。「いや。そんなことは言われませんでした。」とね。岡村美穂子さんがおっしゃったのはね、そんな突っぱねるようなことは、先生は平常には一言も言われる方ではありませんでした。「ノー、ナッシング」と言った。「なんにもないよ。」「してほしいことはありませんか。ウッドゥユーライク。」こう言ったら「なんにもないよ、ありがとう。」そう言うただけです。そう突っぱねるようなことは言われない方だったんです。そこに大きな一つの、私は感じ方の感性の違いというものがあると思うんですがね。みなそれぞれ読者によっていろいろでございましょうが、私はやはり鈴木大拙という人は大きな人だったんでしょう。そして学者先生というのは、やっぱり偉い方というのは、自分の世界がある。ものを見るから。厳しくね。だからそれでもって人を見る、そういうことがあるんじゃないですか。そういう感じがしましたね。それが善であるか悪であるかを言っておるのではございません。それぞれ人間の業でございますから。だから、人間の最期というものは、ちょっとすごいですね。そういうすごい人というのはね。「ノーナッシング。なんにもないよ。ありがとう。」言うて亡くなった。そういうことがその本に書いてある。読ましていただきました。そういうことがございましてね。その鈴木大拙さんの展示会を見て、うーん、これは尋常でない人だという感じがしました。


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