流星群の夜
2001年のしし座流星群大出現の際に書いたもの。
いずれ折りをみて、流星の動画など追加しようと思います。

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 事始め

 初めて流星群という言葉を聞いたのがいつだったのかは覚えていない。科学や、天文に興味をもつ子供だったから、知っていたのかもしれないが、とにかく、初めて実際に見てみようと試みたのは、やはりジャコビニ流星群の大出現がマスコミで騒がれたとき、私が中学2年の10月だ。「雨のように流星が降り注ぐ」というのを期待して、姉とふたりで近くの公園に出かけた。薄曇りの天気でもあったし、その後の報道でもほとんど出現はなかったとのことだったが、ついにひとつも流れ星をみることができずに終わった。
 高校では地学部に入ったが、何故か、最初の夏のペルセウス座流星群の観測には参加していない。地学部は、当時まだ宅地造成していたT駅の北で観測したはずで、すぐ近くであったのだが。代わりに中学の同級生が夏休みのレポートにするとかいうので、友人の家のベランダで観測とは言えない眺めるだけの一夜を過ごした。この日は快晴で、ペルセウス群らしい、青白く明るい流星を楽しむことができた。この時が、まとまって流星群を見た最初と言うことになる。
 やがて、K君の熱意を根源に、地学部の活動の中で流星群観測が中心的なものになるにつれて、何度も観測を経験することになった。流星の観測は写真撮影と、計数観測が中心になる。計数観測は何人かが放射状に地面に寝て、6人ならば60度ずつというぐあいに分担し、流星が流れると、各観測者が、方角、群流星か否か、光度、痕の有無を報告し、記録係が時刻と報告内容を記録するという方法。「はい! 3番。マル。2等、痕無し!」と言った感じ。今でも、流星が流れた瞬間につい「はい!」と言ってしまうのは当時の習慣のなせるものだ。こうして得られた結果は時間に対する出現数として集計され、地味ではあるが、各地の観測結果が集められると流星群の活動を研究する貴重なデータになるということだった。
 一方の写真観測は、当初から、流星を写真として撮影するという範囲を超えて、流星の軌道計算を目指した本格的なものになった。高校2年の時に地学部で4連カメラを作り、ペルセウス座流星群の写真観測に使った。4台のカメラが、互いの視野が少しずつオーバーラップするように傾きを与えて、木枠で台形の枠組みを作り、中心にはモーターをとりつけて、切り込みを入れた回転シャッターを回す仕組み。バルブ解放にして5分ほど露出する間に流れた流星は細切れの輝点として写る。これによって、流星の速度を測ることができる。同じ流星を2点で同時に観測できれば、空間位置と速度から流星の軌道計算ができるのだった。私は台形木枠の加工や回転シャッターの加工などを行った。
 この時の同時観測相手は、東京天文台の堂平観測所で観測されていたN先生で、4連カメラ作成に先立って3人で訪ね、指導してもらった。後にK君の結婚披露宴では「当時は三角関数も知らなかった少年が…」と先生がスピーチされたが、何もわからずにも夢中になり、我々をひっぱっていった情熱は、彼の今につながっていると思う。
 ペルセウス座流星群観測は利根川河川敷で行った。一番近い民家にたのんで電源を借り、堤防を越えてケーブルを引いて4連カメラのモーターを回せるようにした。今では堤防脇にバイパスの舗装道路が通ってしまってとてもこんなことはできないが、当時はまだ空も暗く、夏の河川敷は観測には好適地だった。
 この時の観測では幸い、N先生と1個の同時流星の撮影に成功し、軌道計算まで進めていただいた。ただ、我々の撮った写真は拡大するとひとつひとつが千鳥になっている、すなわち、4連カメラが回転シャッターの回転にあわせて振動していると言う指摘があり、制作担当者としては甘さを痛感してしまった。
 さて、しし座流星群の思い出と言えば、初めてしし座群を観測したのはたぶん、高校1年の秋だったと思う。この時は江戸川を越えて、埼玉側、三郷の河川敷で観測した。今は流山橋がかかって車の往来も多く、明るくなってしまったが、当時は武蔵野線が開通したばかり、終電が終われば十分暗いという読みだったと思う。
 高校1年では皆シュラフなども持っておらず、できるだけの厚着と毛布くらいで、秋と言うよりも初冬の寒さに震えながら計数中心の観測をした。大出現するはずもない時期だから、そう数が流れたはずは無いのだが、しし座群特有の明るい流星を見て、それなりに満足した記憶が残っている。
 その後も、地学部として、また、地域の天文愛好会にも参加したので、高校、大学時代を通し、流星観測にはずいぶんと参加、あるいは引っぱり出された。正月早々、しかも雪が降ったあとのしぶんぎ群をやはり利根川の河川敷で、あるいは12月のふたご群を宅地造成地で観測した後、車がパンクしていたとか、曇り空に観測をあきらめて中学校の宿直室の押入で寝たとか、観測そのものの記憶よりも付随したエピソードの方が記憶に残っているが、各流星群の特徴は印象に残っている。しし座群は速く、明るい。ふたご群はスピードは遅く赤みをおびているが、火球になることが多い。ペルセウス群は最も確実に出現してくれて、かつ青白く明るい流星が特徴だった。


 1998年

 就職し、時間も無く流星や天文そのものからも縁遠くなってずいぶん経ってから、しし座群の回帰が近づいてきた。地学部の時代、1999年には大出現があるかもしれないと言うのは、文化祭でやるプラネタリウムの解説の定番にしていたが、いつの間にか、実際の回帰の時期になってしまった。マスコミはまた「流星雨が現れる!」と騒ぎだしている。N先生は長い流星とのおつきあいを綴った本を著した。K君は宇宙研にいて、TV取材に対し、しし座の流星体との衝突の確率を下げるために、衛星の方向を軌道に平行になるよう制御すると答えていた。皮肉な巡り合わせである。
 1998年の方が条件が良いというので、Y君と観測に出かけた。子供を連れ、彼の家からは息子さんが加わった。林の中に少し開けた場所で、街灯も無く好適な場所を選んで流星を待った。しし座群らしく明るく速い流星が多く、快晴の空に輝いた。とりわけ、オリオン座を横切って飛んだ火球は見事で、流星痕が三ツ星の下に残って数分にわたってぼんやりと光続けた。この時の予想出現ピークは4時頃ということだったが、ついにそれらしき出現は無いままに薄明になってしまった。久々の終夜の観測で明るい流星も多く、それなりに満足したものの、やはり流星群の予想はあてにならないと再認識させられた一夜であった。
 ところが、帰宅後すぐに出社、眠い一日の後に帰宅してみると、報道では予想のピークとはずれた時刻にかなりの流星が流れたらしいという。程なくして、実はこれらのピークが予測できていたという報告があちこちで語られ出した。イギリスの若い天文学者、D.Asherが示したモデルで、1999の時刻のずれたピークを含め、過去の流星雨もうまく説明できるという。さらに、そのモデルに従えば、2001年の東アジアでは大流星雨が期待できるということになっている。
 Asherのモデルは、過去の彗星回帰の軌道上のダストトレイルが、木星などとの共鳴状態で長く保たれ、そこに地球が遭遇するときが大出現の期待できる状況で、正確に予測できるというもの。母彗星回帰から何年もたってから、流星体のダストが軌道上に同じように分布しているものか、今一つ納得できなかったが、彗星からの放出速度によって、個々のダストが母彗星よりも遅れたり早くなったりすることはN先生の本でも指摘されていた。いずれにせよ、予測されたHR10000以上という値は色めき立つ値だ。


 2001年

 1999年、2000年と、1998年と同様に観測する心づもりはあったが、ともに極大日は天気が悪く、観測に出かけることはなかった。予想された2001年の秋が近づくに連れて、98年ほどではないが、マスコミも騒ぎ始めた。Y君は前回の観測の後に家の改造をして屋上を作っていた。今回はここを借りての観測で寒さ対策は前回とは比べものにならない。幸いにして日曜の夜なので、休養を十分にとってから出かけられた。子供を連れていく。Y君家は兄弟皆すでに屋上で気分を盛り上げていた。輻射点の上ってくるのに合わせて、屋上で7人が空を見上げた。
 空は時折雲がかかるが、まずまずの晴れ。やがてぽつぽつと、しし座群特有の明るい流星が流れ始めた。前回同様に適当な方向を向けてビデオを回す。惜しむらくは、ビデオの時計のバッテリーが切れていて、時刻の記録はできない。Y君はビデオとカメラと、両方で流星を狙う。
 流星が流れた瞬間に、やはり「はい」とつい言ってしまうが、大きな流星の時には、それも歓声になってしまう。出現数は前回とあまり差はないが、前回以上に極大時刻の期待は大きい。1時過ぎに、鮮明な痕を残す大流星が木星からオリオン座にかけて現れた。
 予想されたピークが近づくにつれて、明らかに出現数が増えてきた。家に電話するとベランダからも結構見えているという。子供は眠そうにしながらも見えた数を数えている。Y君の奥さんも加わって、屋上は流星が流れる度に声が飛び交った。
 2時をまわると、連続して、あるいは同時にも流星が流れるようになった。流星雨と言えそうになってくる。輻射点方向を見ていると同時に流れる流星はさながら花火と言えなくもない。空のさらに暗いところであれば本当に放射状に見えたかもしれない。薄明に近づくまで、かなりの流星が見え続けた。前回のやや消化不良な想いは解消し、十分満足のいく観測であった。
 Asher予測は、すでにここ数年実績を示していたが、かなり高い精度で予測できていることが実感できた。N先生が、著書の最後に嘆息された課題は確かにクリアされた様に思う。ただ、webでかじったAsherの見解によると、こうした予測ができたのはしし座群特有の条件にもよっているようで、他の流星群に一般に適用できるかどうかは課題が残るようだ。
 しし座流星群をめぐるこの数年のお祭りはひとまず満足な終幕に至った。次の回帰にどれくらい期待できるのかもわからないが、いずれにせよ、それを自分でみることはおそらくかなわないだろう。その時も、3年前と今年と、流星群を目にした子供達やまたその子達が、流星雨を見上げて歓声をあげられるような、そんな地球であって欲しいと願う。



 2002年(おまけ)

 Asher予測では、2002年は北米でピークが期待できることになっていた。日本では関係ないと思っていたら、なぜかNew York郊外に住むことになってしまい、せっかくだからと見上げてみたものの、数個の群流星を見たのにとどまった。何よりも、11月のNYの夜に外で流星を待つのは、重装備をしてもなお、無謀なことと思い知らされた...。




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