ozawa's 中山道六十九次 (2)


日本橋→新町  


9.沓掛-->八幡 (2009.10.24)

[第9回の沓掛→八幡 Google Map ]

[日本橋-->八幡 Google Map]

 さて5か月振りで街道歩きの再開です。新幹線で軽井沢へ出て、しなの鉄道で一駅隣の中軽井沢駅をスタートしたのが9時前です。駅前は沓掛宿で脇本陣名残りの旅館もありますが、宿場としての保存状況は良いとは言えません。西に向けて歩いてすぐ草津温泉への分岐道標(下写真)があります。江戸時代から草津は大きな温泉として有名だった訳です。

 旧街道は現在の幹線道路からすぐ分かれて裏道となります。坂道の横には馬頭観音の石碑などもあります。古い酒屋の蔵なども眺め一駅分歩くと信濃追分、つまり中仙道と善光寺道(北国街道)が分岐する追分宿です。分岐点の前に宿場はあり、追分郷土館など見るべきところもありますが、残念ながら時間の都合で入る事は出来ません。

 下写真は本陣跡の門ですが、ここは中が堀辰雄記念館となっていて、この日も観光バス横付けで、大勢の観光客が訪れていました。この回りに旅籠の跡や復元された高札場などがあり、宿場のイメージが強いところです。中心部を抜けて幹線道路に戻ってすぐのところが北国街道との分岐です。


 幹線を暫く歩いて旧中仙道は左に分かれますが、その分岐近くに69次の道という中山道のミニチュア公園があり、板橋宿から順次楽しみながら歩いて行けて、例えば浅間山のミニチュア版が有ったりして大変良く出来ています。道端にはコスモスも咲いて、秋を満喫です。

 この先の小田井宿に向けて道は裏道且つ下り坂が多く、自動車の往来も少ないので歩き易いところです。天気は曇天で浅間山は時々見えるものの霞んだ感じで、今一つといった印象です。しかし紫外線も少なく、当然暑くなく寒くもなしで、歩くだけという意味では良い気候と言えます。しなの鉄道御代田駅手前に御代田の一里塚があります。ここの一里塚はなんと桜で、春には花見も出来るそうです。

 御代田駅近くで日本そばの昼食を済ませ小田井宿に向かいます。ここはのどかな宿場風景(下写真)で、車の通りも少なく良いところです。本陣跡や問屋跡などが見られます。この後も暫くは裏道で歩き易く、その後いったん幹線道路に戻り、鵜縄沢の一里塚跡を左に見て岩村田宿へと向かいます。

 上信越道を跨いでからは佐久市の中心部なのか、結構賑わいのあるところとなります。岩村田宿の入り口近くの住吉神社では溶岩で作られた常夜燈(下写真)が見られます。岩村田は城下町でもあり当時栄えてはいたそうですが、今は商店街となって本陣跡等も見つけられず、どこが宿場の中心なのか判らないうちに通り抜けてしまいます。旧街道は右に折れて小海腺の踏切りを越え、塩名田宿へと向かいます。

 浅間総合病院の先に皇女和宮が野点をしたという相生の松があります。市街を抜けてりんご果樹園や田畑といった田園地帯の中を道は抜けて行きます。塩名田宿に向けてここも歩き易いところです。りんごの直売所もあり、長野の農園の真中を歩いているといった感じです。塩名田まではのどかですが、少し退屈気味に坂を下って行きます。旧中山道は佐久平方面から来る現在の中山道と合流し塩名田宿となります。

 塩名田は街道沿いに本陣跡などの碑があり、千曲川に降りる裏道には当時の旅籠などの風情の残るところも見受けられます。下写真は千曲川に掛かる現在の橋を写したもので、ここからは浅間山も良く見えます。当時は洪水で良く橋は流され渡しに頼ったところという事で、写真右下の岩は船繋ぎ石といって穴が開いています。但しこの岩が実際に使われていたのは、明治時代の事のようです。

 塩名田からは約3kmで次の八幡宿です。八幡という名の通り八幡神社が中心部らしく、神社を右に見てから宿場となります。本陣跡(下写真)や脇本陣の跡などが見られます。人通りも少なく、小田井同様に静かな佇まいです。時刻はまだ16時頃でしたが、本日の街道歩きはここでストップです。次の望月宿までも4kmないのですが、秋の夕暮れは早いのでここで自重です。

 さて、しなの鉄道沿いと小梅線の走っている岩村田までは良かったのですが、塩名田からこの先下諏訪まではバスしか公共交通はありません。この日も一時間に一本あれば良い方という千曲バスを二十分以上待って佐久平駅へ出ました。新幹線の駅に着けばその後は早く、19時前には東京で夕食を取ってその後横浜の自宅へと戻りました。


8.横川-->沓掛 (2009.05.23)

[第8回の横川→沓掛 Google Map ]

[日本橋-->沓掛 Google Map]

 巷は新型インフルエンザ問題で騒々しい限りですが、マスクもせずに湘南新宿ラインで高崎へ出て、普通列車乗換えで約4時間掛けて横川駅に到着し本日の中山道歩き開始です。横川駅は以前は碓氷峠越え列車の要衝として、釜飯の駅弁で栄えたところですが、新幹線開業後軽井沢・横川間の鉄道は廃止され、ローカル線の終端駅になっています。

 アプト式の登山電車として急勾配を登るのが有名だった訳ですが、今は廃線となったその一部がアプトの道として遊歩道になっています。私も2005年にこの遊歩道を歩き紅葉のめがね橋を写真に納めました。旧中山道ともアプトの道は交差する位置関係になります。

 坂本宿は横川駅から2km強のところで町並みは整備されています。以前は18号線の中で繁栄したところと想像しますが、碓氷バイパスや高速道路の出現で今は18号で峠越えする自動車は殆どいません。交通量は当然少なく歩き易いところです。上写真の復元された木戸の他、古い建物は幾つかあって、いかにも宿場町という印象のところです。

 アプトの道との交差点で一度アプトの道を横川側へ戻ります。この先の峠道に飲食店が無い事は明白なので11時と昼食には早いものの、店を探します。18号沿いにドライブインが有ったのでそこで、ざるそばの昼食としました。この店もかっては繁盛したのでしょうが、18号を走る車が殆ど無い状況で、当然なのか他の客は見当たりませんでした。このドライブインの前身は茶屋なのでしようか、創業は二百年以上前との事です。

 食事後元の道を戻り、本格的な峠道の始まりです。入り口には熊出没注意の看板もありますが、まぁ簡単に遭遇するほどの所ではない感じです。峠道は終点にある最高部の熊野神社まで8kmで、登りの急なところも一部はありますが、基本的には峠道であって登山道ではないので、歩き易いハイキングコースと言えます。その証拠にここは安中市が安政の遠足として行なっている侍マラソンのコースになっています。遠足は「とうあし」と読み、安政年間に実際に行なわれた徒競走に由来する競技です。上写真は覗から見た坂本宿の全貌です。

 上写真は掘り切りという両サイドが切れているという事で有名なところですが、山道稜線としては大したところではありません。この峠道は旧中仙道を歩いているというよりは、ハイキングの人が多いようで、この日は外人さんらしい方は含め何名かと出会いました。中にはマウンテンバイクというのか自転車で降りて来られる方もいます。

 山道としての勾配はきつくはないものの、この日はかなり気温が上がり、寧ろこの暑さに苦しみました。熊笹が迫るところや、沢と遭遇するところなぞまさしくハイキングを楽しんでいる内に8kmを登りきり、峠の最高点に有る熊野神社に到着します。神社右が群馬県、左が長野県という事で目の前の茶屋では、県境上に建っている点を強調されています。

 この茶屋でところてんを食べてから下り始めです。道は旧中仙道では多分なく、ハイキングコースです。歩き早いハイキングコースは吊り橋を越えてから別荘地域に入って行きます。その先でやっと中山道のマークを見つけたもの、道は良く判らず、迷わないように一般の道を下ります。自動車の通行はほぼ皆無です。更に下ると熊野神社へ向かうバスと出会いましたが、その付近が旧軽井沢の端部です。下写真の芭蕉句碑を左手に見て旧軽井沢の繁華街に入ります。

 ここは軽井沢銀座とも言われる有名なところですが、旧街道歩きとしてはかなり違和感のある所です。本陣跡も碑があるような話も有ったのですが、何も見つける事は出来ませんでした。政治家や経済人等富裕層の別荘街として有名なところで、原宿の一部を移転させたようなところであり、歴史的構築物の保存など考えもしなかったのでしょう。

 旧軽井沢を16時前に抜けて更に沓掛宿を目差します。中軽井沢へ向かう道は別荘地を左右に従えて、気分の良い道ではあるものの、旧街道とはマッチしない所です。仕方なく、右手に見える小さな山離山などを見ながら足を進めます。暫く歩くとしなの鉄道の線路横に出ます。踏切りを越えて裏道を行きます。

 中軽井沢駅手前では浅間山の雄姿が眼前に迫ります。駅裏手の一里塚碑が上の写真です。駅の表側が沓掛宿ですが、タイミング良く列車の時間なので沓掛宿歩きは次回としてしなの鉄道で軽井沢駅に行きます。新幹線乗り継ぎで横浜に戻ったのは19時半頃で、新幹線利用効果という事で朝横川まで出た半分強の時間での帰宅です。


7.安中-->横川 (2009.04.30)

[第7回の安中→横川 Google Map ]

[日本橋-->松井田 Google Map]

 安中駅を8時半頃出てすぐ西へと向かいます。すぐに18号から左に細い道ながら歩道完備の歩き易い道を行きます。1km程でそこは安中宿です。道路に面した郵便局の正面駐車場脇に下写真の本陣跡です。安中駅方面から来ると死角の為危うく見逃すところでした。

 安中宿は中山道歩きで初めて出会うまともな宿場町という感じで、旧街道には昔を偲ばせる蔵や薬屋などがあり、裏道に入れば安中教会や復元した武家長屋などが見られます。そうした中足を運んで見たのが下写真の新島襄の旧宅です。新島は言わずと知れた同志社の創立者ですが、上州安中藩板倉家江戸屋敷の生まれと、生まれた場所は東京ながら故郷は安中という人物です。

 安中宿を抜けると、これも中山道としては殆ど初めてかという杉並木の出現です。本数こそ多くはありませんが、かなり高い木々が何本か見られます。並木の前後には、この並木の石碑もあります。この先、18号線と交わったところで時間は11時過ぎ、少し早いものの冷しうどんの昼食としました。

 昼食後、18号を交差して左手に分かれた道を更に進んで行きます。そこは既に松井田宿の中に入っているようですが、左手には妙義山が良く見えます。松井田宿も安中宿と同様に旧街道は趣きがあります。下写真看板のように詳しい地図も掲示されていて、本陣跡の場所も確認出来ます。しかし幾つかの本陣跡は街道から裏手に入っていった場所なので、その内一つのみ実地を確認に行きましたが、案内板もなく、正確な位置は判りませんでした。

 松井田宿を抜けて静かな裏道を歩き、信越線の踏み切りを越えます。横川・松井田の中間点辺りでしょうか、信越線の反対側に茶屋本陣、お西・お東があり、有料ですが飾られていた五月人形などを見ます。古い木造の建物に靴を脱いで上がれます。

 横川は割と最近アプトの道を歩いてめがね橋を見に行っていて、鉄道文化村もその時訪ねています。昔懐かしい釜飯もその時に駅前のおぎのやで食べています。

 1時間に一本ほどしかない信越線の電車までには時間が有ったので、前回も訪ねた関所跡まで行ってきました。前回は秋でしたので、紅葉が綺麗と写真を撮りましたが、どうやら紅葉ではなく年中紅いのでしょうか、この日も見事な紅です。

 16時前の高崎行に乗って高崎へ出て、そこから籠原乗換えの湘南新宿ラインでおよそ3時間半掛けて地元横浜に戻りました。この日は気温的にも暑いと言うにはまだまだで、歩き易い街道歩きでした。次回は初の難所碓氷峠でもあり、仮に梅雨前の敢行なら暑さも気になるところです。


6.新町-->安中 (2009.04.29)

[第6回の新町→安中 Google Map ]

[日本橋-->板鼻 Google Map]

 さて混雑するゴールデンウィークには遠出しない主義ですが、高崎は関東圏でもあり中山道歩きを進める事としました。前回も乗った湘南新宿ラインで新町に8時41分着で、すぐに駅前から旧中山道へと戻ります。新町宿は特に宿場当時を偲ばせるものはなく、本陣跡も下写真のような碑があるだけです。

 休日という事で車の通行量も少なく、歩きは快適です。関越自動車道を潜ってから烏川の土手を歩きます。この川は高崎市内を流れる川ですが、この下流で利根川と合流します。旧中山道は柳瀬橋で烏川を越え、すぐ左へと折れて西へと向かいます。

 小一時間歩くと次の宿場である倉賀野宿に着きます。常夜燈などは有りましたが本陣や旅籠などの建物は残っていません。下写真は脇本陣ですが、石碑が置かれているのみです。道は片側一車線で歩道は整備されていて、ここから高崎まで軽快に歩けます。

 高崎は前回既に来ている訳ですが、駅前近くに11時半頃の到着です。早速今回もパスタランチの昼食としました。街道横の諏訪神社ではお祭りなのでしょうか、山車が展示され、女性が太鼓の音を響かせていました。

 高崎市内の道も休日という事で交通量が少なく、歩き易いところでした。18号の起点となる君が代橋で烏川を再度渡って、板鼻方面へと足を進めます。この辺りはダルマの生産地らしく、幾つかダルマ工房の類が街道沿いにあります。

 暫くは歩道のない裏道でしたが、暫くすると18号と合流します。藤塚の一里塚の辺りからは碓氷川沿いで、土手の向こうには高崎ダルマの起源でもある、少林山達磨寺があります。18号から右手の裏道に入って暫く行った所が板鼻宿です。本陣跡は公民館となっているようです。

 碓氷の渡し場跡を右手に碓氷川を越えます。時刻は15時半を回り、安中宿へ1.2kmとの案内が出ていましたが、本日はここで旧街道から左手に分かれ安中駅へと出ました。安中宿以降は次回にする事とし、16時過ぎの高崎行普通列車に乗り込みました。


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