第3講 満州事変と「満州国」
満州事変の勃発と関東軍による満州占領
1 関東軍による満州の占領
[1]奉天近郊・柳条湖における満鉄線爆破事件(1931.9.18 午後10時20分頃)
[2]関東軍(第2師団+独立守備隊6個大隊、約1万500人)による計画的軍事行動
[3]政府の不拡大声明 →【資料3-1】
[4]関東軍・朝鮮軍の独走
1931.09. 18 柳条湖事件
09. 21 朝鮮軍(林銑十郎司令官)、独断で満州へ越境攻撃
10. 08 錦州爆撃(1932. 1.2 占領)
11. 19 チチハル占領
1932. 02. 05 ハルビン占領……満州の主要都市の占領おわる
03. 01 「満州国」建国宣言
1933年夏までに、旧軍閥系の抗日武装集団は壊滅(ゲリラの抵抗は続く)
2 満州占領が「成功」した理由
[1]英米ソが介入できなかった(恐慌対策、植民地対策、経済建設に専念中)
スチムソン声明(1932.1.7)も実質制裁なし
[2]蒋介石が共産主義勢力への攻撃に全力をあげ、東北の問題を二の次にした
[3]国内にも不況・人口・食糧問題打開のために「大陸進出」を待望する気運
[4]「満州」占領を日本のアジア支配の第一歩としようとする明確な構想をもった軍事戦略家・石原莞爾が関東軍の要職(作戦参謀)についていた
[5]日本政府(若槻内閣)、クーデターを恐れて軍部の独走を抑制できず
石原莞爾の戦争構想
1 石原の「満州」占領のシナリオ
[1]石原「満蒙問題私見」(1931.5)……「参謀旅行」での討議資料 →【資料3-2】
関東軍の理論的支柱(情勢判断の中心、「満州」占領を正当化)
[2]作戦計画
張作霖爆殺事件(1928.6)の教訓(関東軍が主導して既成事実を作る)
1929年10〜12月の東支鉄道をめぐる中ソ紛争の教訓(張学良軍は砲爆撃に弱い)
→北大営(奉天北方の張学良軍兵営)を重砲で砲撃/錦州爆撃(1931.10 )
[3]「占領」論から「独立」論へ転換(1931.12 )
国際連盟によるリットン調査団の派遣と国際的批判をかわすため
強圧的印象をやわらげ、華北進出の条件をつくるため
2 石原の戦争観
[1]石原莞爾(1889〜1949):独特の戦争史研究と日蓮主義
[2]人類闘争力の極限に達する「世界最終戦」をもって戦争は消滅、人類は統一
[3]「世界最終戦」の特徴
「東洋文明の王者」たる日本と「西洋文明の覇者」たるアメリカによる決戦航空兵力中心の一大決戦
[4]「世界最終戦」に至る道
第1段階:「満蒙」武力占領、必要ならば「国家改造」 →人的・物的資源の確保
第2段階:中国の支配(「日満支ブロック」の建設) →生産力基盤の拡充
第3段階:アジア全域の支配(「東亜聯盟」の結成) →軍需工業の発達
第4段階:ソ連を打倒、日米決戦にのぞむ →軍事力の大増強めざす
※ 満州事変は日米「世界最終戦」の第一段階
満州事変と国内政治
1 関東軍の「統帥権干犯」を訴える勢力なし
[1]関東軍の行動を追認し、戦争熱をあおるマスコミ(ロンドン条約の時とは一変)
[2]クーデター(3月事件・10月事件)の恐怖に、手が打てない若槻礼次郎内閣
[3]陸軍中央も関東軍を抑える具体的な手だて発動せず(出兵論が支配的)
[4]天皇・天皇側近らの楽観(短期間で解決と判断/武力行使を支持)
2 若槻・民政党内閣の崩壊
[1]若槻内閣総辞職(12.11)、犬養毅政友会内閣(戦前最後の政党内閣)の登場
[2]政党主導の英米協調路線(幣原外交)と緊縮財政(井上財政)の挫折
3 満州事変の政治史的意味
[1]クーデターの恐怖と戦争熱の前に政党主導の軍縮時代終る
[2]ワシントン体制の一角の崩壊 →英米の対日不信つよまる
[3]陸軍の政治的発言力、飛躍的に強まる →政党政治否定に空気さらに強まる
[4]外交的孤立と独・伊との接近の始まり(1933.1 熱河侵攻 →孤立・国際連盟脱退へ)
「満州国」の実態
1 国際連盟リットン調査団の報告
[1]日本の措置を「自衛の範囲」とは認めず
[2]「満州国」を「自治運動」の結果とは認めず
2 「満州国」執政・溥儀(のち皇帝)
[1]国際的に認知されず(中国では現在でも「偽満州国」と呼称されている)
[2]関東軍と日本人官吏による支配
「五族協和」「王道楽土」のスローガン(「五族」=日・漢・満・蒙・朝)
有名無実な「独立国」 →溥儀の書簡【資料3-3】
果てしない「匪賊討伐」(毎月、数百人の抗日ゲリラを処刑) →【資料3-4】
【参考文献】
(1)岡部牧夫『満州国』(三省堂、1978年)
(2)江口圭一『昭和の歴史4 十五年戦争の開幕』(小学館、1982年、文庫版1988年)
(3)浅田喬二・小林英夫編『日本帝国主義の満州支配』(時潮社、1986年)
【映像資料出典】NHKサービスセンター『映像でつづる昭和の記録』第2巻(日本ビクター、1988年)
【資料3-1】満州事変に関する政府第1次声明(1931年9月24日)
〔一〜三 省略〕
四 、帝国政府は九月十八日緊急閣議を開きて此の上事態を拡大せしめさることに極力努むるに 方針を決し陸軍大臣より之を満州駐屯軍司令官に訓令せり 九月二十一日長春より吉林に一部
隊出動せるも是れ同地方の軍事占領を行はむか為に非すして満鉄に対する側面よりの脅威を除 かむとせるに外ならす 従て此の目的を達するに至らは我出動部隊の大部分は直に長春に帰還
する筈なり 尚九月二十一日に至り満鉄沿線の不安に鑑み朝鮮駐屯軍より混成一旅団兵員四千 を新に満州駐屯軍司令官の麾下に属せしめたるも満州駐屯軍の総兵力は尚条約所定の制限内に
止まり固より対外関係に於ける事態を拡大せるものと謂ふへからす
五 、帝国政府か満州に於て何等の領土的慾望を有せさるは茲に反復縷説するの要なし 我か期待する所は畢竟帝国臣民か安んして各般の平和的事業に従事し其の資本又は労力を以て
地方の開発に参加するの機会を得せしめむとするにあり 自国竝自国臣民の正当に享有する権利利 益を擁護するは政府当然の職責にして満鉄に対する危害を排除せむとするも亦此の趣旨に外ならす〔以下
省略〕
出典:外務省編『日本外交年表竝主要文書』下(原書房、1965年)、181-182頁。
【資料3-2】石原莞爾「満蒙問題私見」(1931年5月)
要 旨
一 満蒙の価値
政治的 国防上の拠点/朝鮮統治/支那指導の根拠
経済的 刻下の急を救ふに足る
二 満蒙問題の解決
解決の唯一方策は之を我領土となすにあり 之か為には其正義なること及之を実行するの力 あるを条件とす
三 解決の時期
国内の改造を先とするよりも満蒙問題の解決を先とするを有利とす
四 解決の動機
国家的 正々堂々
軍部主動 謀略に依り機会の作製
関東軍主動 好機に乗す
五 陸軍当面の急務
解決方策の確認/戦争計画の策定/中心力の成形
〔本文 中略〕
第三 解決の時期
若し戦争計画確立し資本家をして我勝利を信せしめ得る時は現在政権を駆り積極的方針を執らしむること決して不可能にあらす 殊に戦争初期に於ける軍事的成功は民心を沸騰団結せしむることは歴史の示す所なり〔中略〕
第四 解決の動機
国家か満蒙問題の真価を正当に判断し其解決か正義にして我国の義務なることを信し且戦争計画確定するに於ては其動機は問ふ所にあらす 期日定め彼の日韓併合の要領により満蒙併合を中外に宣言するを以て足れりとす
然れ共国家の状況之を望み難き場合にも若し軍部にして団結し戦争計画の大綱を樹て得るに於ては謀略により機会を作製し軍部主動となり国家を強引すること必すしも困難にあらす
若し又好機来るに於ては関東軍の主動的行動により回天の偉業をなし得る望み絶無と称し難し〔以下 省略〕
出典:角田順ほか編『太平洋戦争への道 別巻・資料編』(朝日新聞社、1963年)99-101頁。
原文はカタカナ。
【資料3-3】満州国執政溥儀の関東軍司令官宛書簡(1932年3月10日)
〔外務省仮訳〕
書簡を以て啓上候 〔中略〕……茲に左の各項を開陳し貴国の允可を求め候
一、弊国は今後の国防及治安維持を貴国に委託し其の所要経費は総て満州国に於て之を負担す
二、弊国は貴国軍隊か国防上必要とする限り既設の鉄道、港湾、水路、航空路等の管理竝新路の敷設は総て之を貴国又は貴国指定の機関に委託すへきことを承認す
三、弊国は貴国軍隊か必要と認むる各種の施設に関し極力之を援助す
四、貴国人にして達識名望ある者を弊国参議に任し其の他中央及地方各官署に貴国人を任用すへく其の選任は貴軍司令官の推薦に依り其の解職は同司令官の同意を要件とす
前項の規定に依り任命せらるる日本人参議の員数及ひ参議の総員数を変更するに当り貴国の建議あるに於ては両国協議の上之を増減すへきものとす
五、右各項の趣旨及規定は将来両国間に正式に締結すへき条約の基礎たるへきものとす
出典:外務省編『日本外交年表竝主要文書』下(原書房、1965年)217頁。
【補足資料3-1】中国東北地方=旧「満洲」地図 《略》
【補足資料3-2】昭和天皇による関東軍への勅語(1932年1月8日)
関東軍ヘ勅語
曩ニ満洲ニ於テ事変ノ勃発スルヤ自衛ノ必要上関東軍ノ将兵ハ果断神速寡克ク衆ヲ制シ速ニ之ヲ芟討セリ爾来艱苦ヲ凌キ祁寒ニ堪ヘ各地ニ蜂起セル匪賊ヲ掃蕩シ克ク警備ノ任ヲ完ウシ或ハ嫩江斉々哈爾地方ニ或ハ遼西錦州地方ニ氷雪ヲ衝キ勇戦力闘以テ其禍根ヲ抜キテ皇軍ノ威武ヲ中外ニ宣揚セリ朕深ク其忠烈ヲ嘉ス汝将兵益々堅忍自重以テ東洋平和ノ基礎ヲ確立シ朕ガ信倚ニ対ヘンコトヲ期セヨ
出典:井原頼明編『増補 皇室事典』(1942年、冨山房、復刻版1982年)467頁。
【補足資料3-3】暫行懲治盗匪法(満洲国・1932年9月7日公布)第七条・第八条
第七条 軍隊、部隊をなす盗匪の剿討粛正するに当りては臨陣格殺しうるのほか、該軍隊の司令、その裁量によりこれを措置することを得。
第八条 高級警察官の指揮する警察隊、部隊をなす盗匪を剿討するにあたり、その臨陣格殺しうるのほか現場において盗匪を逮捕し、事態急迫にして猶予を許さざる事情あるときは、該高級警察官、その裁量によりこれを措置することを得。
出典:加藤豊隆『満洲国警察小史』(財団法人・満蒙同胞援護会愛媛県支部、1968年)93頁。
なお、「暫行懲治盗匪法」は、1942年12月に廃止され、代って「治安維持法」が公布されたが、この「臨陣格殺」の規定は「当分の間その効力を有す」とされた(同前、98頁)。
【資料3-4】年度別・反満抗日勢力の損害(単位:人、丁、発、匹)