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心情の歌

心情の歌2
心情の歌3
95前大僧正慈円
62清少納言
09小野小町
34藤原興風
07阿倍仲麻呂
84藤原清輔朝臣
60小式部内侍
96入道前太政大臣
68三条院
08喜撰法師


95番  
 前大僧正 慈円(さきのだいそうじょうじえん)

おほけなく 浮世の民に おほふかな
わが立つそまに 墨染めの袖

 
 後に 比叡山天台座主になる慈円が まだ若い頃に詠んだ歌です。 おほけなく というのは  みのほどしらずではあるが とか 恐れ多いことだが という意味。 わが立つ杣(そま) とは 比叡山のことです。

 時代が 大きく変わりゆく中で 翻弄される民衆のためにこそ わたしは生きようという、 浮世の民を救おうとする僧正としての 大きな決意が感じられます。 

 また おほけなく という言葉から 謙虚な好青年の姿が 浮かんできます。 大志を抱いた青春いっぱいの 歌ですね。

 以前は 抹香くさいお坊さんの歌としての認識しかありませんでした。 認識を新たにしました。 
 






84番 
 藤原 清輔 朝臣 (ふじわらきよすけあそん)         

ながらへば またこのごろや 忍ばれむ
憂しとみし世ぞ いまは恋しき

 
 非常に憂いを含んだ歌です。 かつて 苦しかった時が 今更のように思い出され しかも そのときのことが 恋しいほどに 現在が なお苦しい ということです。

 このように 苦しい思いというのは どんなものであろうか。 いったい 作者はどんな苦しい思いをしていたのだろうか。 と 思いませんか。

 この歌は 清輔が 三十歳の頃に 詠んだといわれています。 長いこと 実父 藤原顕輔(79) とは不仲だったそうです。 父が撰進した 「詞花集」 に 一首も選んでもらえませんでした。 また 自らが 撰進するはずだった 歌集も 天皇が亡くなって 勅撰集とはなりませんでした。 出世も あまりできませんでした。

 彼は 定家とはライバル関係にある流派の六条家を代表する歌人です。かえって 定家の方が 彼を 高く評価していたのではないでしょうか。







62番 
 清少納言(せいしょうなごん)

夜をこめて 鳥の空音は はかるとも
よに逢坂の 関はゆるさじ


 この歌は あるからかいに対する 胸のすくような 返歌です。 作者は 著書 枕草子 でも、この歌を 詠んだいきさつを 書いています。

 藤原行成 (50番の作者 若死にした藤原義孝の息子)に そんな関係ではないのに後朝の歌めいたものを送られたので その返歌にしたものです。 2度ほどふみの 行き来がありました。  前夜は一緒に語り合っていたのは 確からしいのですが。

 夜明け前に鳴く鶏で 函谷関(かんこくかん)の番人がだまされたことがございましたけれど この私は だまされませんわ。 けして逢坂の関をお通ししませんわよ。 という歌です。
  
 *函谷関の故事*
   斉の国の 孟嘗君(もうしょうくん)が 部下に鶏の鳴きまねをさせ 夜明け前 に函谷関を通り 国を脱出したという話。 

 


 
 



60番  
 小式部 内侍(こしきぶのないし)

大江山 生野の道の 遠ければ
まだふみもみす 天の橋立


 この歌は あるからかいに対する 胸のすくような 返歌です。

 小式部内侍の お母様 和泉式部は 恋の人としてだけでなく 歌人としても とても有名でした。そんな 華やかなひとを 母に持ったことで いろいろなことを 言う人がいるのでした。 有名人を親に持った人は いつの世も苦労が多いことです。

 歌合せがあったときに 藤原定頼が 「お歌はいかがなさいます。お母様の行かれた丹後に お使いでもやったのですか。 いかにも 心配そうでございますよ」と 失礼なことを 言ったので、 当意即妙に 返した歌 というお話があります。 失礼なことを 言われたときに うまく言い返せると 自分でも 『やった!』と 嬉しいものです。

 ところで この歌も 私の母の 十八番です。 「これが十八番よ」と 自分で言っておりました。
 


9番  
 小野小町                

花のいろは うつりにけりな いたづらに
    わが身世にふる ながめせしまに


  最近はあまり 聞きませんが 小野小町か楊貴妃か という言葉が あります。 絶世の美女として有名です。日本各地に 小町伝説があるそうです。  

 花といえば 桜。 散ゆく桜花の美しさは 日本人の心の琴線を揺り動かします。 散ゆく 哀れ、 散際の 潔さ、 舞い散る姿の見事さ、ですよね。

 その桜花が 雨でいろあせてしまったと 私も あたら若くて美しいみそらを いたづらに過ごしてしまったと いうことでしょう。  本当に美しい小町の歌だけに よけいに 心に響きます。


 




96番
  入道前太政大臣               

花さそふ 嵐の庭の 雪ならで
ふりゆくものは わが身なりけり


 これも 桜花の散る姿と 自身をかさねあわせた歌です。

 作者は承久の乱の功績で名を上げ 後に 太政大臣にまで登りつめ 栄華を極めた人です。 百人一首の選者 定家の 弟でもあります。 

 そんな人が 年老いて 桜が 吹雪のように舞い散っている庭で 自身の来し方を振返り みずからの老いに感慨を寄せているのでしょう。 侘しさ 寂しさが 花吹雪の中に 浮かび上がってきます。






34番 
藤原 興風             

誰をかも 知る人にせむ 高砂の
 松も昔の 友ならなくに

  高齢となり 知った人々の多くはこの世を去ってしまい 一人残されてしまった。 高砂の松も 昔からの友ではないし。

 長寿はめでたいと寿ぎますが 老人の孤独が浮かび上がってきます。








68番  
 三条院           

心にもあらで 浮世に ながらえば
恋しかるべき 夜半の月かな

 
  華やかな宮廷生活にも さまざまな権謀渦巻き 心配事や 世の中の不幸があり そのような中で 病を得た際に 詠まれた歌です。

 清らかに輝く夜半の月を眺めながらの 述懐がしみじみと語られているようでも ありますね。  





7番 
 安部 仲麻呂           

天の原 ふりさけみれば 春日なる
三笠の山に いでし月かも

 
  仲麻呂の とても有名な歌です。遣唐使として 唐に渡り 長い年月を異国に過ごし 望郷の念に溢れています・




8番 
 喜撰 法師  (きせんほうし)                 

わが庵は 都のたつみ しかぞすむ
よをうぢやまと 人はいふなり

 
  リズムのいい はっきりした 明るい感じの 歌です。 子供のころにも 覚えやすい歌でした。 

 内容も 人は 私を うぢやま と呼んでいるぞ そうさ 私は都の 東南にしかと 住んでいるのだ。 という 内容でしょうか。 しかは 鹿 とも しっかりこのように とも  解釈されるようです。 

 隠居したご老人が 元気に 楽しく 暮らしておられる 印象です。




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