東京都板橋区成増を中心にした昔話を紹介します。

石成村(いしなりむら)の名のおこり
 昔、上赤塚村の「塚越」という所に、荒れ果てた小さなお寺が有りました。いつの頃からか、この寺に名も知れない一人の年老いたお坊さんが済みついて、朝と夕方、お経をあげ村の人達に仏様の教えを聞かせていました。
 ところが、この村に大変な事が起こりました。
 突然、何人かの”
ドロボウ”が押し寄せ、村の人々に乱暴を始めました。そしてとうとうお寺にまでやって来ました。
 お坊さんは、恐い顔して、「お前達のやっている事は、”
鬼ちくしょう”にも劣る仕業じゃ。すぐ、仏様にお詫びをして、立ち去りなさい!!」と言いました。しかし、言うことを聞きません。
 そこで、お坊さんが何か呪文を唱えると、ドロボウ達は、皆石になってしまいました。
 それで「石成村」と言われるようになったという事です。

白子坂(しらこさか)の首かけ地蔵
 いつの頃か、このお地蔵さん、大事な首をどこかへ持っていかれてしまいました。これを知った人達は、「お地蔵さんの首や〜い。」と探しました。
 白子坂に昔からある ”
油屋”という家の人達は、このお地蔵さんを大事にして、毎日拝んでいました。
 ある晩の事、この家のおばあさんの夢の中に、お地蔵さんが現れて「私は、この街道の地蔵ですが、首がかかれてから随分たちます。あなたの手で首を付けて下さい。私の首は、草むらに捨てられています。」と言いました。夜が明けて、草むらを探しますと、お地蔵さんの首が有りました。喜んだ油屋さんの人達は、お地蔵さんの首を、元通りに直したそうです。

仙人(せんにん)と巨万川(こまがわ)
 上赤塚の村はずれに、「神明窪(しんめいくぼ)」というところがあります。この村に、丸右エ門というお百姓さんが住んでいました。
 ある夕方のことです。丸右エ門が畑仕事の帰り道、畑でつかまえた野ウサギを腰に下げて丸木橋をわたろうとしました。
 とつぜん、「
チョットまて!」という声が聞こえるではありませんか。おどろいた丸右エ門は、立ち止まってあたりを見回しました。
 いかめしい顔つきで、真っ白なあごひげがいっぱいはえた仙人が、水の上にすっと立って、「私は、この村の守り神だぞ。キツネ・タヌキ・ヘビなどは、みんな私の家来だから、けっして殺してはいけないぞ!」というと、消えてしまいました。
 今もこの川は、成増公園の近くを流れていますが、ほとんどは地下水路になってしまいました。

橋を作ってくれたどろぼう小次兵衛
 
昔むかしの事です。川越街道の成増駅入口の信号から少し下がった所に「小次兵衛窪」といって、川が流れていました。
 このあたりは、人家も少なく、木が茂っていて、昼でもとても寂しい所でした。川には、丸太が一本渡されているだけで、人々は丸木橋をこわごわ渡るのでした。
 この丸木橋に、毎晩のように”どろぼう”が出て、通行人のお金や品物を取り上げていました。たくさんの人が襲われるので、その丸木橋を何とか出来ないものかと、皆で心配していました。ところが、ある朝、丸木橋がりっぱになっており、手摺に次の様な”木札”が下がっていました。

  【たくさん悪い事をしたので、罪滅ぼしに、この橋を作る。小次兵衛

と書いて有りました。
 それからは、どろぼうは出なくなりました。

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