さらば大阪
5月6日我が家に引越し屋さんが来る。次男が乳牛牧場を経営している帯広へ家財を運ぶ為だ。因みに次男達とはまだ同居しない。先日の理事会報告でもあったが今大阪の人口がドンドン減少しているそうだ。その一人と思うと寂しい。昨年9月に建築士会全国大会が47分の1年の確率で帯広にて開催された。運命的なものを感じ昔全国委員会にも参加していた事もありなつかしい建築士にも会えるので参加した。市長始め在住小説家の講演で北海道の町は屯田兵に代表されるように官が作った町が多い中帯広は民が作った町である事を誇っていた。既にインターネットで仕事先を探し次男に頼んでテニス仲間も作り用意万端。不安より夢膨らませている状態。本当に重ねて感謝。北海道に来られたら帯広まで足を伸ばして下さい。歓迎いたします。
2008年2月号編集後記
又もや帯広へ
所要があって1月11日から17日の間帯広、札幌に行ってきた。
2ヶ月も前から決めていたので安い旅券を探した。
この時期には帯広直行便は無く千歳経由になる。
定価だと千歳往復67600円。それが札幌のホテル一泊付で往復23000円がある。私は3軒目の旅行社で往復20000円を見つけた。
飛行機、ホテル代ってどうなっているのだろう。
約2時間で帯広へ。次男の嫁と孫に迎えられて次男のテニスコーチ振りを見た後遅い夕食に馴染みの店で焼肉を食べた。これが大阪の何処よりも安くて美味い。
北海道と言えば海産物をイメージするが帯広は酪農が盛んなので両方が自給なのである。因みに北海道の食料自給率は120%を越えている。そして次男宅へ。
体感温度
昼食の後毎日散歩に行った。零下3〜8度、湿度13〜18%。初日はセーター背広に防寒コートを着て出たが熱くて二日目からは背広を省いた。タバコを吸う時は手袋も外した。
所要を終えて16日早朝に次男の牧場を出て帯広市内散策。26,27日に開催される氷祭りの巨大な(高さ7m長さ15m位)自衛隊員によるばんば競馬の彫刻などを見学。
3時過ぎに札幌到着。地下鉄と市電一部タクシーを使って市内見学。夕刻になってサッポロビール園へ行こうとタクシーに乗ると今は閑散としておりもっと安くて美味しい処があるよと教えてくれたのでそちらへ直行。そこからすすきのを散策してホテルへ。札幌は世界一安全な歓楽都市だと確認した。
翌朝海産物卸市場へ。珍しい程の寒さと店の人が言っていたが零下10度、湿度30%雪も降っていた。とても寒く手袋無しでは居れなかった。
帰阪して翌18日朝工事監理に現場へ行った。温度7度、湿度55%帯広より寒い感じがした。
そして21日帯広に再就職が決定し移住して第二の人生を送る事にした。
編集長
アース建築事務所
所長藤原明弘
0801月号同友会編集後記
300号に寄せて
皆様明けましておめでとうございます。
昨年は「偽」に現わせられた実に嘆かわしい1年でした。皆様は如何でしたでしょうか。今年の同友会はおめでたい事が二つ重なっています。発会以来50周年とこの会誌発行以来この号が300号の記念に当たっています。我広報部は50周年記念誌の発行に向けて昨年から作業を開始しています。私は1997年7月号からこの編集後記を書き続けています。我ながら良く続いているなーと思います。(バック記事は2003年3月号からですがアース建築事務所のHP編集後記に保存)
さて今年は
どんな年になるのでしょうか。昨年の「偽」の清算。杜撰な年金等税金の無駄使いと管理の不明瞭、北朝鮮による拉致、C型肝炎障害、今だ残っている戦後の後遺症等々の解決。衆参議院の捻じれ現象は官庁の情報公開には大きな成果を実現させたと思います。そしてアメリカが変わりイラクから撤退し戦争の終結。それによって石油の価格崩壊。それによる物価の正常化。根本は日本の文化である義理と人情を世界の人々が持てば全て解決すると思います。まずは日本からこれを取り戻さねばなりませんが。この夢は欲深すぎるかなー。
編集長
アース建築事務所
藤原明弘
0712月号同友会編集後記
特別な先生
先月4日喪中葉書が届いた。小6の時の担任の桜井角一先生が88才でご逝去された。卒業文集に「建築家になるから15年後を楽しみに待って下さい」と書いている。30年位前にその文集に「人生を正しく進もう」と書いていた中田弁護士が君に勝つ事が目標だったと自宅の設計を依頼してきた時にその文集を確認した。1級建築士試験に合格の報告をすると暫くして御自宅の応接棟の設計を依頼して下さった。忘れられない嬉しさだった。常々家族や友達と助け合って生きる事が良い人生だ。と教えられていたように思う。御礼を言うと「これが僕らの口銭や」と仰られた事を鮮明に覚えている。まだサラリーマンだったので事情を話して私の名前で確認申請をした。処女作である。
義理人情の無くなった社会
「義理人情」と言う言葉は死語になったように思う今日此頃である。同友会でもかつてのテーマは「知り合い、学びあい、援け合う」だった。何時の頃からか会友だからという事を悪用する人が現れ現在の「良い会社を創ろう・・・・・」になったのである。私としては寂しく思っている。
追記
上記の文集で先生に「ひょうきんな事をしでかす君」と書かれていた津々見君(京阪支部で報告者)はマカオグランプリカーレース1500ccクラスで3年連続優勝し(ホンダが特大ポスターを製作)当地では英雄でおこぼれに預かった事も素晴しい思い出である。
編集長
アース建築事務所
藤原明弘
11月号同友会編集後記
呉と広島に行って来た
9月27,28日同友会全国広報委員会が呉市であった。 「ひかり」より早いものは無いと思い「のぞみ」を見送ったお陰で50分位皆に遅れた事はご愛嬌。 会議は午後からだったので問題は無かったのだが戦艦大和ミュージアムとか潜水艦の資料館は充分には見学出来なかった。残念。
広島同友会主催だが実際は呉支部の主催。大したものである。最高時全企業の約20%が会員だったそうだ。現在は約12%。それでもすごい。大阪は2〜3%。 1番驚いたのは高校求人では先生達にバスをチャーターして会員企業を案内しているそうだ。熱血先生にとっては非常に素晴らしい事だと思う。支部総会等には十数人の先生が参加するそうだ。大阪では社長が高校を訪問してお願いしている。 現場が見えた上で生徒を紹介するのと社長の顔しか知らないのでは全然違うと思う。 先述したが昨年は長野で先生採用の面接試験に同友会会員が立ち会っている。 毎年刺激になる事が学べる。全国委員会はやはり素晴らしい。
原爆資料館にも行って来た
翌日広島流のキャベツてんこ盛りのお好み焼きを試食。満腹で爆心地から原爆ドームそして数十年振りに原爆資料館を見学。上手く展示していると思った。 中国の撫順で見た戦争記念館とは彼我の差である。 こちらは事実の記録に留めているがあちらは悲惨さをこれでもか、と言わんばかりの展示であった。 大和ミュージアムでは生徒を引率する幾つもの団体に会った。
原爆資料館では全然会わなかった。拝観者の75%位は白人だった。記帳簿は85%位が外国人だった。「Iam sory」が幾つか見られた。
広島に土着の大学テニス部後輩と旧交を温めた際に聞いてみた。
幼い時に拝観したか。彼は授業で拝観したが学校によると行かないと言う返事だった。日の丸に起立しない学校が多い県だと聞いている。撫順では100%である。
何か胸が変になりました。
編集長 アース建築事務所
所長 藤原明弘
070917同友会10月号編集後記
0709同友会編集後記 北京オリンピックは大丈夫?
同友会編集後記 イチローのこと
建築相談日記 大阪市建築課の紹介から
0707同友会編集後記
何でも官から民へ、