暦法・紀年法の歴史
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最終改定日 2001年 04月05日(木)
- 紀元前4713年
- フランスのスカリゲル(Josephus Justus Scalger)が、父の名を取ったユリウス周期、ユリウス日の基点とした。ユリウス日は1月1日の午後0時を基点とする。
- 紀元前3761年
- 10月7日、ユダヤ紀元(イスラエルで現在も使われている)。
- 紀元前776年
- オリンピア紀元。
- 紀元前753年
- ローマ紀元元年。ロムルス暦を採用。
- 紀元前747年
- ナボナッサル紀元。バビロニアの建設者ナボナッサルが即位した年。
- 紀元前710年
- ロムルス暦からマヌ暦に。
- 紀元前660年
- 神武紀元(皇紀)元年。
- 紀元前544年
- 仏滅(ビルマ)紀元元年。釈迦の涅槃を記念。
- 紀元前433年
- ギリシャのメトン(Meton)が、メトン周期を発見
- 紀元前310年
- セレウコス紀元
- 紀元前153年
- マヌ暦の改革。11月(Januarius)を年初にする。
- 紀元前104年
- 前漢・武帝の時代、秦で使われていた「せんぎょく暦」を改めて、
「とうへい」が太初暦を作る。
- 紀元前76年
- ディオニジウス(Dionysius Exiguus)が、ディオニジウス周期の基点とする。
- 紀元前46年
- 1年間が445日の"錯乱の年"。ジュリアス・シーザー、シリウス暦を廃し、ユリウス暦制定。
- 紀元前9年
- ディオニジウス(Dionysius Exiguus)が、月曜日から始まるこの年(閏年)を、太陽周期の基点にする。
- 紀元前1年
- ディオニジウス(Dionysius Exiguus)が、1月23日(朔)を、メトン周期の元期に選定。
- 8年
- ユリウス暦をアウグストゥスが改暦。
- 120年
- プトレマイオス「アルマゲスト」。
- 284年
- ディオクレティアヌス紀元元年。
- 321年
- ローマ皇帝コンスタンティヌス一世が日曜日を<<主の日>>とする。
- 325年
- 二ケアの宗教会議
- 445年
- 宋の時代、何承天が「元嘉暦」を作る。
- 622年
- ヘジラ紀元(イスラム暦)元年。教祖マホメットがメッカからメジナに移動した「聖遷」の年を元年とする。
- 638年
- ビルマ、ビルマ暦(太陰暦)採用。
- 690年(日本書紀:持統天皇四年十一月)
- 日本における元嘉暦と儀鳳暦の併用。
- 764年
- 大衍暦採用。
- 857/858(?)年
- 大衍暦とともに五紀暦を併用。
- 861年(貞観3年)
- 大衍暦・五紀暦を廃し、長慶宣明暦を採用。
- 1543年
- コペルニクス「天球の回転について」
- 1582年
- ローマ教皇、グレゴリオ十三世、グレゴリオ暦に改暦(1582年10月4日の翌日を10月15日にするなど).フランスはただちに受け入れる。(グレゴリオ暦採用の歴史)
- 1684年(貞享元年)
- 宣明暦を止め、中国・元の授時暦を手本にした渋川春海の貞享暦に
改暦。12月、春海幕府天文方になる。
- 1700年
- オランダ、ドイツ、グレゴリオ暦採用。いずれもプロテスタント国。
- 1752年
- プロテスタント国のイギリス、グレゴリオ暦採用。
- 1754年(宝暦4年)
- 貞享暦を廃し、宝暦暦を使う。
- 1792年
- 9月22日を共和暦元年1月1日とする(フランス)。
- 1797年(寛政暦9年)
- 宝暦暦を廃し、寛政暦を採用。
- 1806年
- 1月1日。フランス、ナポレオンが共和暦をグレゴリオ暦に戻す。
- 1837(or1834)年
- アベ・マルコ・マストロフィニが世界暦を発表。
- 1842年(天保13年)
- 寛政暦を廃し、天保暦を採用。
- 1873年(明治6年)
- 日本、太陽暦採用
- 1912年
- 中華民国、グレゴリオ暦採用および同年を民国元年とする。
- 1918年
- ロシア、グレゴリオ暦採用。
- 1925年
- イラン、イスラム暦(太陰暦)を改めイラン暦(太陽暦)を採用。
- 1929年
- ソビエト連邦で、宗教的に重視された7日の週日を廃して、5日制の週に変更。休暇は各職業の従業者別に交替で取るようにした。
- 1932年
- ソビエトで1週を6日とし、6、12日の週末日を休日とし、大の月の31日は週外日として、2月の最終週は4あるいは5日で打ち切りとした。(一家団欒を崩壊させ、家族制度の破綻をきたすものとして)。
- 1976年
- イラン、紀元前559年を紀元元年とする帝国暦を採用。
- 1978年
- イラン、帝国暦をイラン暦に戻す。