| 暦法名 | 元嘉暦 |
| 編者 | 何承天(宋) |
| 適用年 | 中国では元嘉22年(445年) から65年間実施。日本では、(日本書紀から読み取れるのは)持統天皇6年(692)から5年間。しかし、実際にはそれ以前から使われていた模様。 |
| 一太陽年 | 365.24671053(222070/608)日 |
| 一朔望月 | 29.530585106(22207/752)日 |
| 年初 | |
| 日初 | |
| 改暦された理由 | |
| その他 | 平朔法。当時、宋(南朝)と朝貢関係にあった百済経由で日本に入ってきた模様。新羅、高句麗は、北朝と朝貢関係にあった。 |
| 暦法名 | 儀鳳暦 |
| 編者 | 李淳風が作成 |
| 適用年 | 中国では麟徳2年(665年)から64年間実施。日本では文武天皇元年(697)より67年間。 |
| 一太陽年 | 365.2447761(489428/1340)日 |
| 一朔望月 | 29.53059701(39571/1340)日 |
| 年初 | |
| 日初 | |
| 改暦された理由 | 淳仁天皇派と孝謙上皇派との勢力争い。上皇派が改暦を実行(実力の有無を示す)。大衍暦を紹介した吉備真備は、上皇の皇太子時代の師。(「暦ものがたり」より) |
| その他 | 定朔+進朔。日本では、進朔は用いられなかったらしい。唐では麟徳暦と呼ばれる。 「持統天皇四年(690年)十一月十一日、元嘉暦と儀鳳暦を使用した」と日本書紀にあるが、これは「併用した」と解釈するのが一般的。儀鳳暦への移行期間?文武天皇二年より儀鳳暦に正式に改暦したというのが一般的な解釈となっている。文武天皇元年は、持統天皇十一年の八月一日をもって始まるので、文武天皇元年までは元嘉暦で翌年から儀鳳暦となったようだ。 |
| 暦法名 | 大衍暦 |
| 編者 | 一行(唐) |
| 適用年 | 天平宝字8年(764)より94年間。 |
| 一太陽年 | 365.2444(1110343/3040)日 |
| 一朔望月 | 29.530592(89773/3040)日 |
| 年初 | |
| 日初 | |
| 改暦された理由 | 天安元年(857)、暦博士の大春日朝臣真野麻呂が、「唐の月の大小が違っているのは、唐では五紀暦を用いているからだ。我が国も五紀暦に改めるべきである」旨の進言をした(日本文徳天皇実録、平安元年正月17日の条)ため。ただし、進言した時点で、すでに五紀暦は70年あまりも前に廃止。 |
| その他 | 定朔+進朔。中国(唐)では、西暦729年に施行。日本には、天平7年(735)に、その暦法を示す大衍暦経1巻とその計算表である立成12巻が入ってきたが、天平宝字元年(757)になって、学習開始。大衍暦に変わったとき、唐では既に五紀暦が使われていた。歳差を採用。 |
| 暦法名 | 五紀暦 |
| 編者 | 郭献之 |
| 適用年 | 天安2年(858)より4年間。 |
| 一太陽年 | 儀鳳暦と同じ |
| 一朔望月 | 儀鳳暦と同じ |
| 年初 | |
| 日初 | |
| 改暦された理由 | |
| その他 | 定朔+進朔。大衍暦と併用?(三大実録の貞観3年6月16日の条、本格採用(改暦)への準備?)歳差を採用。 |
| 暦法名 | 宣明暦 |
| 編者 | 徐昂 |
| 適用年 | 貞観2年(862)より823年間。 |
| 一太陽年 | 365.2446(3068055/8400)日 |
| 一朔望月 | 29.530592(248057/8400)日 |
| 年初 | |
| 日初 | |
| 改暦された理由 | 800年余の間に2日ほど暦が冬至に遅れたため。 |
| その他 | 定朔+進朔。859年、渤海国の大使鳥孝慎が当時唐で採用していた「長慶宣明暦」を貢上。 途中で、人為的に暦日改変されたことあり(朔旦冬至にする(めでたい)ためや、大の月が4回連続する(嫌う)場合など)。弘治元年(1555)の改変以後は無し。 宣明暦以後、唐との国交断絶により、新暦法の輸入が停止。 |
| 暦法名 | 貞享暦 |
| 編者 | 渋川春海 |
| 適用年 | 貞享2年(1685)より70年間。 |
| 一太陽年 | |
| 一朔望月 | |
| 年初 | |
| 日初 | |
| 改暦された理由 | 徳川吉宗が、西洋天文学を取り入れた斬新な暦への改暦を希望したため。 |
| その他 |
| 暦法名 | 宝暦暦 |
| 編者 | 土御門(安倍)泰邦 |
| 適用年 | 宝暦5年(1755)より43年間。 |
| 一太陽年 | |
| 一朔望月 | |
| 年初 | |
| 日初 | |
| 改暦された理由 | |
| その他 | 施行後9年目に日食を暦に記載ないミスを犯し、非難を浴びたため、1771(明和8)年に佐々木文次郎長秀が「明和の修暦」を行った。 |
| 暦法名 | 寛政暦 |
| 編者 | 高橋至時 |
| 適用年 | 寛政10年(1798)より46年間。 |
| 一太陽年 | |
| 一朔望月 | |
| 年初 | |
| 日初 | |
| 改暦された理由 | |
| その他 |
| 暦法名 | 天保暦 |
| 編者 | 渋川景佑 |
| 適用年 | 弘化元年(1844)より29年間。 |
| 一太陽年 | |
| 一朔望月 | |
| 年初 | |
| 日初 | |
| 改暦された理由 | 明治政府の太陽暦への改暦による。 |
| その他 | 定気を採用。中国の時憲暦の影響を受ける。時憲暦は、西洋天文学の影響を受けている。 天保暦の定義は以下の通り:
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| 暦法名 | ロムルス暦 |
| 編者 | 神話上のローマ初代の王 ロムルス |
| 適用年 | 紀元前735年(ローマ元年) ab urbe condita(A.U.C) |
| 一太陽年 | 304日 |
| 年初 | |
| 日初 | |
| 改暦された理由 | 1年が304日しかなく、冬になると名前、日付のない日々が続き、使いにくいためと思われる。 |
| その他 | 31日と30日の月を交互に繰り返す。 Martius 31日 ...現在の3月頃? Aprilis 30日 Maius 31日 Junius 30日...ここまではローマ神話の神様に由来する名前。 Quintilis 31日...あとはもう投げやりな数字に由来する名前。 Sextilis 30日 September 31日 October 30日 November 31日 December 30日 なぜ10ヶ月304日なのかは、妊娠期間に相当するだとか、指の数が10本だからだという説がある。 また、週の概念はまだなく、また、順番に数値で数えることもなく、カレンズ(カレンダエ=calendae)、ノネス(ノナエ=nonae)、イデス(イドゥス=idus)、テルミナリア(=Terminalia)と呼んで区別していた。31日の月は、7日がナノエ、15日がイデス、他の月は5日がナノエ、13日がイデスとなった。テルミナリアは? 3月1日 カレンズ・マルティス1日 3月2日 ノネス5日前 3月3日 ノネス4日前 3月4日 ノネス3日前 3月5日 ノネス2日前 3月6日 ノネス前日 3月7日 ノネス 3月8日 イデス7日前 3月9日 イデス6日前 3月10日 イデス5日前 3月11日 イデス4日前 3月12日 イデス3日前 3月13日 イデス2日前 3月14日 イデス前日 3月15日 イデス 16日以降は、テルミナリアN日前、カレンズ(カレンダエ)N日前と呼ぶ(はず)。「暦をつくった人々」ではカレンズ、「暦と占いの科学」では、カレンダエという用語になっていましたので、テルミナリア以外は、「暦と占いの科学」の用語の方を括弧で表記しています。 |
| 暦法名 | マヌ暦 |
| 編者 | ローマ皇帝マヌ・ポンピリウス(ロムルスの次の皇帝) |
| 適用年 | 紀元前710年 |
| 一太陽年 | 平均366.25日 355日(平年)or377日(閏年)or378日(閏年) |
| 年初 | |
| 日初 | |
| 改暦された理由 | Januariusを年初に持ってきたいため? |
| その他 | 太陰暦。ロムルス暦に2ヶ月を加えた。また、355日では1年で約11日のずれが生じるので、2年毎に22日と23日の閏月を加えることによって調節した。なお、この閏月は、2月のテルミナリアの次の日から挿入された。この月をメルケドニウスという。 ギリシャでは、奇数を吉としていたため、なるべく奇数になるように月の日付と合計の日数を決めた。通常の太陰暦ならば254日が普通か。 Martius 31日 ...現在の3月頃? Aprilis 29日 Maius 31日 Junius 29日 Quintilis 31日 Sextilis 29日 September 29日 October 30日 November 29日 December 29日 Januarius 29日 Februarius 28日...Januariusに29日を割り振った残りが28日。また、閏月は、Februariusのテルミナリアの次の日から挿入された。閏月が終わると、次の日は24日(3月のカレンズ6日前)になる。 |
| 暦法名 | マヌ暦の改暦 |
| 編者 | ローマ皇帝マヌ・ポンピリウス(ロムルスの次の皇帝) |
| 適用年 | 紀元前153年 |
| 一太陽年 | 355日 |
| 年初 | |
| 日初 | |
| 改暦された理由 | カエサル時代には季節と暦の間に3ヶ月のずれが生じていたため。→改暦前最後の年(紀元前46年)は、錯乱の年(annus confusionis)と呼ばれることになる。 |
| その他 | Januariusを年初に持ってきた。Janusが行動のはじめを司る神であったからか。おかげで、Septemver以降がずれてしまった。 Januarius 29日...年初に移動。 Februarius 28日...Januariusに29日を割り振った残りが28日。 Martius 31日 ...現在の3月頃? Aprilis 29日 Maius 31日 Junius 29日 Quintilis 31日 Sextilis 29日 September 29日 October 30日 November 29日 December 29日 |
| 暦法名 | ユリウス暦 |
| 編者 | ジュリアス・シーザー/ユリウス・ケーザル(Julius Caesar) |
| 適用年 | 紀元前46年 |
| 一太陽年 | 365.25日 |
| 年初 | |
| 日初 | |
| 改暦された理由 | 宗教上重要な春分(ニケア宗教会議で3月21日を春分になるように固定)が暦より10日ほど早くきてしまった。 |
| その他 |
| 暦法名 | グレゴリオ暦 |
| 編者 | ローマ教皇グレゴリウス(gregory)13世 実際には、改暦委員会による。改暦委員会には、以下の人物が参加していた。 ガレルモ・シレト枢機卿(1514〜1585)、ヴィンチェンツォ・ディ・ラウリ司教、 アンティオキアのイグナティウス(シリア人の大主教)、 レオナルド・アベル(マルタ島出身の人物)、 セラフィヌス・オリウァリウス・ロタエ(フランス人の法律家)、 ペドロ・チャコン(スペイン人の歴史家にして神学者)、 ドミニコ会士のイグナツィオ・ダンティ(1536〜1586)(クラヴィウスに次ぐ有名な委員会のメンバ。数学者、天文学者、地図制作者、芸術家。ピサ、ボローニャの数学教授)、アントニウス・リリウス(学者、アロイシウス・リリウスの弟)など。 |
| 適用年 | ユリウス暦1582年11月4日の翌日をグレゴリオ暦11月15日とする。 |
| 一太陽年 | 365.2425日 |
| 年初 | |
| 日初 | |
| 改暦された理由 | 改暦なし |
| その他 | 4で割り切れる年は閏年。また100で割り切れる年は平年だが、400で割り切れる年は閏年とする。400年で97回の閏年を入れる。 「グレゴリオ暦を採用」といったときに、キリスト教国では、復活祭の日付の決め方を含めて採用することで、完全に対応...という言い方をしているようだ。 →グレゴリオ暦採用の歴史参照。 |
| 暦法名 | フランス革命暦 |
| 編者 | ギルバート・ロンム |
| 適用年 | グレゴリオ暦1792年9月22日(共和制宣言の日)を革命暦元年1月1日とする。 |
| 一太陽年 | 365.25日 |
| 年初 | 太陽が秋分点を通る日(秋分の日) |
| 日初 | パリ標準時で、夜の0時。 |
| 改暦された理由 | 長年の慣習に勝てなかったこと。自国中心主義で普及性に欠き、周りの国々が追随しなかったことなど。ナポレオンにより、グレゴリオ暦1806年1月1日から、グレゴリオ暦に復帰。 |
| その他 | 4で割り切れる年は閏年。 年は、共和制宣言の1792年9月22日から数え、ローマ数字で記載する。1年は、12ヶ月で毎月30日とし、最後の月に5日または6日の閏日(余日)を付加した。従来の月の名前を廃止し、下記のような月名とした(命名は、ファーブル・デグランチーヌ)。
秋: 1. 葡萄月(ヴァンデメエール) 2. 雲月(プリユメール) 3. 霜月(フリメール)
各月は10日単位の旬に分け、旬の最後の日を休日とした(休みの日が減る!)が、1802年3月31日に、7日の週に戻った。1日を10時間、1時間を100分、1分を100秒にする(革命で採用したメートル法などの影響)が、実行されなかった。 |
| 暦法名 | 授時暦 |
| 編者 | |
| 適用年 | |
| 一太陽年 | |
| 一朔望月 | |
| 年初 | |
| 日初 | |
| 改暦された理由 | |
| その他 | 日本の貞亨暦に強い影響を与える。立元は、元の時代の至元17(1280)年。 |
| 暦法名 | 大統暦 |
| 編者 | |
| 適用年 | |
| 一太陽年 | |
| 一朔望月 | |
| 年初 | |
| 日初 | |
| 改暦された理由 | |
| その他 | 明の建文帝が1402年に足利義満に対して、日本国王と呼び大統暦を与えた。また、永楽帝が派遣した鄭和の第一回の航海(1405〜1407年)で、「インドのカリカットの王に銀印と大統暦を与えた。」(→宮崎正勝著「鄭和の南海大遠征」P.194) |
| 暦法名 | イスラム暦 |
| 種類 | 太陰暦(一年は、354日か355日)。 |
| 置閏法 | 30年に11度(約3年に1度)の閏年を入れる。ヘジラ紀元年を30で割った余りが、2,5,7,10,13,16,18,21,24,26,29の年を閏年とする。閏年は、年末に閏日を置く(29日が30日になる) |
| 編者 | (1)ムハンマドが、死ぬ少し前に制定(→「現代こよみ読み解き事典」)。「イスラム教徒の暦はユダヤ人の太陰太陽暦やキリスト教徒の太陽暦と差別化するために、純粋に太陰暦のままにすべきだ」と、マホメットが唱えたとある(「暦をつくった人々」)ことを指す? (2)2代目カリフのウマルが、西暦634年頃制定(→「暦をつくった人々」)。マホメットは、西暦632年6月8日没 |
| 適用年 | イスラム教の預言者ムハンマドがメッカからメディナ(アラビア語でヒジュラ)に移住した年を紀元とする。メディナへの移住は、9月だったが、新月から新年を始めるために、西暦(ユリウス暦)622年7月16日を紀元とした。 |
| 一太陽年 | 太陰暦なので関係ない。毎年約11日づつずれ、32年半で1年間ずれる。 |
| 一朔望月 | 37864太陰月(2572太陰年)に1日の誤差が生じる程度(30年間で0.01175日)。 |
| 年初 | 不定。イスラム暦1420年1月1日は、1999年4月17日。 |
| 月初 | 月の光が最初に見える日(新月のおよそ2日後) |
| 日初 | 日没 |
| その他 |
月の呼び名(永井久「暦と占いの科学より」) (戦いを)禁じる月(ムハッラム) 30日 (戦で)虚ろな月(サフアル) 29日 春の月(ラビー・ウル・アウワル) 30日 春の月(ラビー・ウッ・サーニー) 29日 寒い月(ジュマーダル・アウワル) 30日 寒い月(ジュマーダッサーニー) 29日 神聖な月(ラジャブ) 30日 予言者の月(シャアバーン) 29日 断食の月(ラマダーン) 30日←一日中断食してるわけではない:-) 尾の月(シャウワール) 29日 安住の月(ズル・カイダ) 30日 巡礼月(ズル・ヒッジャ) 29日 or 30日(閏年)
イスラム教国でも、通常はグレゴリオ暦を使っているが、宗教的な儀式などではイスラム暦が利用されている。そのため、断食で有名なラマダーンやメッカへの巡礼も季節が不特定である。
農耕民のイスラム教の方々には不便なので、イスラム太陽暦が考え出されている。 |
| 暦法名 | ユダヤ暦 |
| 種類 | 太陰太陽暦。一年は、353, 354, 355, 383, 384, 385日のいづれか。(参考文献:「聖書の暗号は正しいか」では、353日、383日に関する記述がない) |
| 置閏法 | 創生紀元年(西暦紀元前3761年)数を19で割った余りが0,3,6,8,11,14,17になる年を閏年とし、第六月(Adar)の次にVeadarを置く。 |
| 編者 | 不明 |
| 適用年 | 不明(現在のような固定的な暦法になったのは西暦の4世紀頃か?西暦紀元前6世紀以前にも、なんらかのユダヤ暦は存在していたらしい。何度かの改良を経て、1250年以降、年始をティシュリの月とした。 |
| 年初 | ティシュリの月=9月〜10月の新月(ここでは、本当に最初に月が確認できた日、日本で言うところの二日月〜三日月)。ユダヤの大祭日過越節の日付から計算される。過越節は、第8月(Nisan)の十五日に行なわれるが、月、水、金曜日には当たらないように設定される。翌年は、この過越節から163日後となる。 |
| 月初 | 新月の翌日(月が初めて見えた日) |
| 日初 | 日没(午後6時) |
| その他 | 月は、29日か30日。過越節が都合の悪い日にならないように、一月の日数を変えることがあるので、一年の月の日数のパターンは、6通りある(第2、3月の日数が変化する)。詳しくは、暦(こよみ)入門の第18表などを参照のこと。 月の呼び名 Thischri(ティシュリ) 30日 Marcheschwan(マルヘシュバン/ヘシュウアン) 29日 or 30日 Kislev(キスレウ) 29日 or 30日 Thebeth(テベト) 29日 Schebath(シエバト) 30日 Adar(アダル) 30日 Veadar(ベアダル、閏月) 29日 Nisan(ニサン) 30日 Ijar(イツヤル) 29日 Sivan(シウアン) 30日 Thamus(タンムズ) 29日 Ab(アブ) 30日 Elul(エルル)29日 現在のユダヤ暦の前は、新月の実測に基づいていた。これは、現代こよみ読み解き事典に詳しい。また、新月が出たときに、月が出たぞーと"叫ぶ(カレンツ)"ことから、カレンダーの語源となったとされる。 参考文献:「聖書の暗号は本当か」 久保有政著 徳間書店 |
| 暦法名 | ヒンズー暦/インド暦 |
| 種類 | 太陰太陽暦 |
| 置閏法 | |
| 編者 | 不明 |
| 適用年 | 不明 |
| 年初 | |
| 月初 | バリエーションによって、新月始まり(主に北インド)と満月始まりのパターン(主に南インド)がある。 |
| 日初 | 日の出 |
| その他 | 非常に多くのバリエーションがあり、同じ地域でも発行者が違えば、日付自体も異なることがある。インド亜大陸には、強力な統一国家ができず、日本のような中央による頒暦体制も確立できなかったためだと思われる。紀年法も複数ある。 そのため、インド政府は改暦委員会を設け、1957年以来、この委員会が作成した統一暦「ラーシュトリーヤ・パンチャーンガ」を発行している。 ヒンズー暦については、その技術的な定数値を含めて「占星術師たちのインド」に詳しい説明が記述されている。とりあえず、説明は別途。ちょっと複雑すぎて、どうまとめようか思案中。 |
| 暦法名 | インド太陽暦(「ラーシュトリーヤ・パンチャーンガ」) |
| 種類 | 太陽暦 |
| 置閏法 | |
| 編者 | インド政府の改暦委員会 |
| 適用年 | 1957年3月22日(サカ暦1879年カイトラ1日とする) |
| 年初 | 春分の日 |
| 月初 | 春分の日が1日だから、西暦とはそれなりにずれる。西暦の毎月だいたい21〜23日頃に相当。 |
| 日初 | |
| その他 | 「占星術師たちのインド」では、P.55に「この政府推薦の旧暦があり…」とあるが、これって、太陽暦だから旧暦じゃないよなぁ…。インド政府が新規に作成しているので、これも旧暦っていうことはないようだし。ちょっと意図がわかりません。 月の呼び名(読み方は「現代こよみ読み解き事典より」 カイトラ 30日 ヴァイサカ 31日 ジャイスタ 31日 アーサダ 31日 スラバナ 31日 バードラ 31日 アスビナ 30日 カルディカ 30日 アヴラハヤナ 30日 パウサ 30日 マーガ 30日 パルグナ 30日 閏年にはカイトラが31日となり、年始は、西暦の3月21日になる。 |