| 歴史研究のコーナー |
宇宙の誕生から地球の誕生。そして生物、人類、文明の誕生から現在までの歴史を研究し、発表して行くページです。
これを発表する目的は、単に局部的な歴史を知るとか、創作活動に役立てて頂くといった事だけではありません。
余計なお世話かも知れませんが、歴史を知る事で、心に1つの光のようなものを得て頂けるかも知れないと思ったからです。
宇宙の歴史から見れば、人間一人の命は、極めて短いものです。
人の命は長くなく、人生の時間はどんどん流れます。
ですから、人間には、ウダウダ言ってる暇なんてなくて、ぶつかったり逃げたりしながらも、進んで行くしかないのではないかと考えます。
歴史は、生きる事にも、死ぬ事にも、臆病になる必要がないという事を教えてくれると思います。
なぜなら、歴史を知れば、生や死は、”易しい・厳しい”、”遅い・早い”の差こそあれ、誰にでも在るものだと理解できるからです。
まず、「生」について。
生きていれば、悩みも、怒りも、悲しみも、恐ろしい事も、当然あると思います。
ですが、それらの出来事は、大小の差はありますが、必要以上に恐れる事はないと思うのです。
なぜなら、恐れていたって、悲観的に考えていたって、その悩み等は、何も解決しないからです。
打破するか、回避するかしなきゃ仕方がないと思うのです。
次に、「死」について。
死は確かに、悲しい事だと思います。
しかし、こちらも、残念な事ではありますが、恐れても恐れなくても、どこかで必ず訪れてしまうのですから、必要以上に思い悩む事はないと思うのです。
苦しくとも、怖くとも、自分で判断してやるしかない、と。
今、生きていくしかない、と思うのです。
カタくて長い話になってしまいましたが、ともかく、創作活動の役にも立たない事はないと思いますし、楽しんで頂ければと思います!
※間違っている部分もあるかも知れませんので、参考にされる際は、より詳細な資料と合わせて検討して頂くのが良いと思います!
宇宙誕生〜地球誕生まで
| 年 | 出来事 |
| 200〜150億年前 | ビッグバン開始。宇宙誕生。(宇宙誕生についてはビッグバン以外の説あり) |
| 30万年経過 | ビッグバン終了。 |
| 100万経過 | 原始銀河が誕生し始める。(ビッグバン開始から10億年後まで) |
| 50億年経過 | 星々が誕生し始める。 |
| 100億年経過 | 太陽系誕生。 |
| 50億年前 | 太陽誕生。 |
| 46億年前 | 地球誕生。 |
宇宙誕生〜地球誕生までの流れです。もっと詳しく調べたいです。
地球誕生〜人類誕生まで
| 相対年代 | 年 | 地質年代区分 | 出来事 |
| 先カンブリア時代 | 46億年前〜 38億年前 |
冥王代(不要か?) | 地球誕生。 |
| 38億年前〜 25億年前 |
太古代(始生代) | 30数億年前に最初の生命現れる。 | |
| 25億年前〜 5億7500万年前 |
原生代 | 原始藻類、細菌出現。末期に動物が出現。 | |
| 古生代 | 5億7500万年前〜 5億900万年前 |
カンブリア紀 | 三葉虫、その他、多くの無脊椎動物動物が出現。 |
| 5億900万年前〜 4億4600万年前 |
オルドビス紀 | 甲冑魚類が出現。筆石類、オウムガイが発達。 | |
| 4億4600万年前〜 4億1600万年前 |
シルル紀 (ゴトランド紀とも) |
植物:海藻類。末期に、陸上植物シダが出現。 動物:珊瑚虫、筆石類、三葉虫類等。 |
|
| 4億1600万年前〜 3億6700万年前 |
デボン紀 | 陸生植物、魚類が多数出現・繁栄。両生類も出現。 | |
| 3億6700万年前〜 2億8900万年前 |
石炭紀 | 植物:巨大なシダが豊富。 動物:爬虫類、昆虫が出現。 |
|
| 2億8900万年前〜 2億4800万年前 |
ペルム紀(二畳紀) | 植物:松柏、イチョウ。 動物:両生類が全盛。 |
|
| 中生代 | 2億4800万年前〜 2億1300万年前 |
三畳紀 | 動物:アンモナイト。爬虫類は発達。原始哺乳類が出現。 |
| 2億1300万年前〜 1億4400万年前 |
ジュラ紀 | 植物:シダ、ソテツ、イチョウが繁茂。 動物:アンモナイト、爬虫類が全盛。始祖鳥出現。 |
|
| 1億4400万年前〜 6500万年前 |
白亜紀 | 土地:海が著しく広がる。末期にアルプス造山運動。 植物:前半は、羊歯類、裸子植物。後半は被子植物繁茂。 動物:アンモナイトや恐竜が栄えたが末期には絶滅。 |
|
| 新生代 | 6500万年前〜 5500万年前 |
第3紀(古第三紀) 暁新世 |
記載なし |
| 5500万年前〜 3800万年前 |
第3紀(古第三紀) 始新世 |
記載なし | |
| 3800万年前〜 2500万年前 |
第3紀(古第三紀) 漸新世 |
記載なし | |
| 2500万年前〜 500万年前 |
第3紀(新第三紀) 中新世 |
記載なし。 仕方ないので以下、新生代全部の説明。 土地:アルプス、ヒマラヤ、アンデスが形成。 植物:顕花植物が著しく発達。 動物:哺乳類が著しく発達。 |
|
| 500万年前〜 170万年前 |
第3紀(新第三紀) 鮮新世 |
400万年前:最も古い人の祖先(猿人)確認。 | |
| 170万年前〜 1万年前 |
第4紀 更新世(洪積世) |
20万年前:全ホモサピエンスの共通の母仮説。 4万年前:最後の氷河期の最中。ホモサピエンスが地球全体に広がる。 |
|
| 1万年前〜 現在 |
第4紀 完新世(沖積世) |
1万年前〜:氷河期終了。農業の開始、血縁的集団の出現、信仰の対象変化、石器の進化。 3千年前〜:新たな農地開拓推の為に、都市が生まれる。都市は次第に農村を支配するようになり「都市国家」となる。 |
文明の誕生〜中世後期まで
| 年 | 欧州 | 中近東 | 南アジア・東南アジア | 極東 | 日本 | 北・南アメリカ |
| 前 1 0 0 0 0 頃 ↓ 前 2 0 0 1 |
調査中! | 前4000頃 【エジプト】エジプト文明始まる。ナイル川流域で灌漑農耕が始まり、上流・下流でノモスという独立した地方が成立する。 前3000頃 【エジプト】メネスというファラオ(王)が上下エジプト統一。神権政治が始まる。以後2900年で26の王朝が興亡を繰り返す。※関連用語:ピラミッド、太陽歴、パピルス、インク、ペン、象形文字、ロゼッタ石、ヒエログリフ 前3000頃 【シュメール】チグリス・ユーフラテス川間の、シュメール人が青銅器を用いて、メソポタミア文明を始める。前25世紀のウル第一王朝に最盛。この地方は、乾燥して木々に乏しかった為、粘土が建築その他、文明の基礎になった。※関連用語:日干しレンガ、楔形文字、太陰暦、60進法、1年12ヶ月、1週間7日、旧約聖書、ギルガメシュ物語 前24世紀 【メソポタミア】シュメール人が、セム系遊牧民「アッカド人」に征服される。メソポタミアは開かれた平野であったため、民族は交流だけでなく争いも繰り返した。しかし、この民族の交わりにより商業は発達し、古い時代から品質を保証する刻印や、その刻印が押された銀が通貨として用いられる等した。 |
前2300頃 【インド・北西】インダス文明始まる。モヘンジョ・ダロと、ハラッパを2大都市とする。青銅器、木綿、文字の普及。さらに焼レンガの都市、舗装道路、下水設備、沐浴場、城砦、穀物倉庫群を備える等、整然とした都市プランを持ち、青銅や木綿も普及。文明の担い手はドラヴィダ人と考えられている。交易はペルシア湾経由でメソポタミアまで繋がっていた。※関連用語:聖牛、菩提樹、水の浄化力への信仰 前2000頃〜 【インド・北西】中央アジアの遊牧民族アーリア人が侵入を始める。※関連用語:カースト制の誕生 |
調査中! | 前9000〜 縄文時代(前9000〜前300)狩猟、漁労の時代。狩猟はイノシシやシカなど。漁労はサケ、マス、貝、マグロ、イルカや小型の鯨まで。また、犬を猟犬として使ったり、イルカの油や肉で、灯油、化粧油、カマボコなども作られる等、なかなかの文明があったと考えられている。最盛期の人口は25万人程度と推測。(末期は7万5千人に減少)末期には、稲作も始まる。※関連用語:縄文式土器、丸木舟 |
前15000〜? 【北・南アメリカ大陸】ユーラシア大陸のモンゴル系の人々が、海水面が低下した氷河期にアメリカ大陸に移住。メキシコ高原、中央アメリカ、アンデス高地では農耕文化が発達。それ以外の地域では、狩猟、漁労、採集で生活が営まれていた。トウモロコシ、ジャガイモ、サツマイモ、トマト、トウガラシ、カボチャ、パイナップル、アボガドなどはアメリカ大陸の特産(15世紀末、コロンブスの航海以降にユーラシアに伝来)。金、銀、青銅などもあったが生産用具としての使用は殆どなし。石造、土木技術は高い水準だったが、鉄器はなし。 |
| 年 | 欧州 | 中近東 | 南アジア・東南アジア | 極東 | 日本 | 北・南アメリカ |
| 前 2 0 0 0 ↓ 前 1 0 0 1 |
前20世紀 【地中海・東】メソポタミア・エジプト両文明の影響を受け、クレタ文明、トロヤ文明始まる。 前1600 【地中海・東】クレタ人が大型の船舶を建造し、交易国家を成長させ、クノッソスに王宮建設。 前13世紀 【地中海・東】古バビロニア王国を滅ぼした、ヒッタイト王国が衰退し、鉄器がオリエントに広がる。東地中海では「海の民」の暴虐が始まり、交易が衰退すると同時にクレタ、トロヤの両文明衰退。 前1200頃 【地中海・東】クレタ文明が、海の民の略奪により滅亡(地震、森林破壊での滅亡説あり)。 前1200頃? 【地中海・東】クレタ人に代わり、フェニキア人が地中海の商業覇権を握る。海岸の石英を原料とするガラスや、貝を原料とする染料による染色などの工業を発達させ、オリエントと地中海諸地域を結ぶ貿易に乗り出す。(前6世紀のギリシア人侵入まで続く)※関連用語:レバノン杉の船、シナイ文字(アルファベットの元) |
前2000 【パレスチナ】 セム系のヘブライ人がパレスチナに住みつく。一部はエジプトに移住するが奴隷とされる。 前18世紀 【メソポタミア】セム系遊牧民「アムル人」が建てた古バビロニア王国が、6代王ハンムラビの時にメソポタミア統一。王は道路・運河を整え中央集権を確立。また警察制度や郵便制度を作り、シュメール法以来の諸方を取り入れ「ハンムラビ法典」を定めた。※関連用語:商業、ワイン、ビール 前1530頃 【メソポタミア】小アジアのヒッタイト古王国が、古バビロニア王国を滅亡させる。カッシート人やミタンニ王国など諸王国が濫立する。※関連用語:鉄器、馬戦車 前1250頃 【エジプト】エジプトで奴隷となっていたヘブライ人が、モーセに率いられエジプト脱出。脱出を助けたエホバを民族神として信仰するようになる。※関連用語:十戒 |
前1700頃 【インド・北西】インダス文明が衰亡。レンガを焼く為に、樹木を濫伐した事による洪水の頻発が原因。 前1500頃 【インド・北西】アーリア人が定住し、ドラヴィダ人を征服。 前1000頃 【インド・北東】アーリア人が先住民を征服しながら、ガンジス川流域に進出。ガンジス中流域では都市国家が成長。※関連用語:リグ・ヴェーダの完成 |
前2000 【中国】黄河文明が始まる。黄河支流域に集落が発達。やがて小さな都市国家も出現。 前2000頃? 【夏】最古の都市国家連合「夏」成立。以後約470年の間、中国を支配する(夏王朝の存在を証明する確実な考古学的遺物は発見されていない)。 前1711 【夏・殷】夏が桀王の暴政が原因で、殷の湯王に滅ぼされる。殷では、漢字のもととなる、象形・甲骨文字が生まれる。また、青銅製の祭器や武器類も生まれ、高い技術水準を持っていたと推測される。 前11世紀末 【殷・周】殷が紂王の暴政が原因で、周の武王に滅ぼされる。周は一族から抜擢した者を各地の支配者として派遣する、封建制度を開始。※関連用語:殷周革命、妲己、太公望呂尚、酒池肉林 |
調査中! | 調査中! |
| 年 | 欧州 | 中近東 | 南アジア・東南アジア | 極東 | 日本 | 北・南アメリカ |
| 前 1 0 0 0 ↓ 前 5 0 1 |
前7世紀〜 【都市ローマ】イタリア半島中央部ティベル川流域に農業国家「都市ローマ」が建設される。 前6世紀〜 【古代ギリシア】銀貨が普及し商業が活発になる。アテネは、オリーブ油、陶器、武具を輸出し、大量の穀物や奴隷を輸入する貿易国家として成長。富裕化した市民は武装してポリス防衛の一翼を担うようになると政治参加を求め、民主政治の開始に成功する。※間連用後:スパルタ、ソクラテス、プラトン、アリストテレス |
前1000頃 【パレスチナ】ヘブライ人が、先住のペリシテ人を追いやり、エルサレムを都とするヘブライ王国を建国。 前10世紀 【パレスチナ】ヘブライ王国最盛期。※関連用語:ソロモンの栄華 前9世紀 【メソポタミア】 北メソポタミアの商業民「アッシリア人」が、2頭立ての戦車や、騎兵などの軍を組織し、征服戦争に乗り出して来る。 前7世紀 【メソポタミア】アッシリア帝国が、メソポタミアからエジプトまで征服し、版図を最大とする。苛酷な税を課し、各地の伝統宗教を否定。中央集権的な支配体制をしき軍事的義務を課す。 前625 【メソポタミア】セム系カルデア人により、新バビロニア帝国建国。 前612 【メソポタミア】アッシリア帝国が、服属民の反乱で滅亡。4つの王国が並列するようになる。 前586 【メソポタミア】新バビロニア帝国がヘブライ王国を滅ぼす。ユダヤ人は各地に離散したが、多くの人がバビロンに連行され、バベルの塔の建設に従事された。苦難の中でユダヤ教が形成される。※関連用語:バビロン捕囚、旧約聖書 前538 【ペルシア帝国】ペルシア王キュロス2世による、バビロニア征服。新バビロニア帝国滅亡。 前525 【ペルシア帝国】エジプトを破り、オリエントを統一。征服地に対し寛容策を取り、風習や信仰の自由を認めた。首都は、スサ、バビロン、エクバタナの3都市を季節で循環させる事で伝統支配の継承をはかった。※関連用語:アケメネス朝、王の道、金貨・銀貨の鋳造、ゾロアスター教 前514【ペルシア帝国】ペルシアの3代ダレイオス1世が、黒海北岸のスキタイへ遠征。敗れるが、黒海の入り口を制し、トラキア・マケドニアを征服。 |
前600頃 【インド・北東】バラモン教の聖典「ヴェーダ」の最後の部分を形成する哲学書「ウパニシャッド(奥義書)」が完成。後のインド哲学・宗教思想の根幹となる。 前515頃 【インド・北西】ペルシアに征服される。 前6世紀 【インド・北東】マガダ国など16の国々の争いが始まる。 |
前770 【周・春秋】西北の異民族「犬戎」が、周の首都を征服。周王はやむなく遷都を行う。以後、周王の権威は失墜し、各地の諸侯が争い合う春秋時代が始まる。※関連用語:周室の東遷、春秋の五覇(斎、楚、呉、越、晋) 前500頃 【春秋】フイゴを用いて炉を高温に保つ技術が開発され、鉄器の大量生産が可能になる。これに伴い大規模な灌漑事業が行われるようになり、大諸侯は広大な農地と大軍隊を要擁するようになる。 |
前660 神武天皇が日向高千穂から東征し、大和平定。初代天皇に即位(日紀による作り話?)※関連用語:神武天皇、神武東征神話、天孫降臨、古事記、日本書紀、長臑彦 |
前10世紀〜 【南米】中央アンデスで、メキシコ高原から伝来したトウモロコシやジャガイモ栽培をもとに「チャビン文化」が形成。紀元前後には都市も建設される。その後、土木技術の発達により、灌漑施設の建設や、アルパカなどの家畜化も進めた。 前9世紀 【中米】メキシコ湾沿岸で、この地域初の農耕文化「オルメカ文明」が始まる。神殿、巨大な石の彫刻、宗教や芸術も生まれる。 |
| 年 | 欧州 | 中近東 | 南アジア・東南アジア | 極東 | 日本 | 北・南アメリカ |
| 前 5 0 0 ↓ 前 2 5 1 |
前5世紀〜 【都市ローマ】貴族と、武装した平民の争いが激化。 前440頃〜 【古代ギリシア】アテネを中心に200余りのポリスがペルシア再攻に備え同盟を結び、アテネを再建。パルテノン神殿などを建設。政治、裁判、行政などに民主制を実施。※関連用語:デロス同盟 前431〜 【古代ギリシア】アテネの強大化を恐れた諸ポリスが、スパルタを中心として同盟を結ぶ。両同盟間で戦争が起こり、籠城作戦をとったアテネがペストの流行で敗れる。こうした争いをきっかけに、農業の荒廃、貧富の差の拡大、政治の腐敗が起こり、ポリスは衰退。 前338 【マケドニア】マケドニアのフィリッポス2世が荒廃するギリシア世界を統合。 前334〜 【マケドニア】フィリッポス2世の子、アレクサンドロスが、ペルシア帝国の混乱に乗じて軍を出し、前330年にペルシア帝国を滅ぼす。 前323 【マケドニア】アレクサンドロスはペルシア帝国の継承を目論むが、熱病で急死。帝国は、西アジア・エジプト・マケドニアの3国に分裂。※関連用語:ヘレニズム 前3世紀初頭〜 【都市ローマ】貴族と平民の法律上の平等が実現。同時期にイタリア半島の統一に成功。征服した諸都市に対し自らを盟主とする都市同盟を結び、道路網を整備。国家の成長の土台を築く。 前3世紀初頭〜 【地中海周辺】マケドニアから分裂した、3国が抗争を繰り返し弱体化。西地中海では、ギリシア植民地群と北アフリカのフェニキア人が争う。ローマはギリシアと組んでフェニキア人に勝利し、制海権を手に入れ、西及び中央地中海を統一。 |
前500 【ペルシア帝国】ギリシア人植民市等でペルシアに対する反抗運動起こる。 前492 【ペルシア帝国】ギリシアへ遠征(ペルシア戦争)。海軍が暴風に遭い失敗。 前490 【ペルシア帝国】第2回ペルシア戦争。陸軍がマラトンの戦いで敗れ、失敗。 前480 【ペルシア帝国】第3回ペルシア戦争。一時はアテネを破壊・占領するが、サラミスの海戦で敗れ、以後、敗退を続ける。 前448 【ペルシア帝国】ペルシア戦争敗北に終わる。ギリシア植民市の独立を認める。 前330(50) 【ペルシア帝国】ペルシア帝国がマケドニアに滅ぼされる。 |
前500頃 【インド北東】ガウタマ・シッダールタが「仏教」を、ヴァルダマーナが「ジャイナ教」を始める。ジャイナ教は苦行の必要を説いたが、仏教は比較的安易な修行によって解脱できるとしたため、多くの信者を獲得。同じ頃、インドの二大叙事詩「マハーバーラタ」と「ラーマーヤナ」の原形が作られる。※関連用語:四諦、八正道 前5世紀頃 【インド・北東】マガダ国が北インドの大部分を平定。 前326 【インド・北西】マケドニア軍が侵入。ヘレニズムがインドまで及ぶ。 前317頃 【インド・北】チャンドラグプタが、、マケドニア軍撤退の混乱に乗じ、マガダ国を滅ぼして「マウリヤ朝」を開く。インダス・ガンジス両河流域を支配。 前3世紀中頃〜 【インド】マウリヤ朝がインドの大部分を支配下に入れる。悲惨な戦争を経験した3代王アショーカは、仏教を保護。イデオロギーでの統合を計る。 前3世紀頃 【インド】仏教教団が、貨幣による布施の是非を巡る論争から、上座部と大衆部に分かれる。上座部は、セイロン島、東南アジア、インドシナ半島へ。大衆部は、中央アジア、中国、朝鮮、日本へ。 前255頃 【インド・北西】古代ギリシア人が、アムダリア川上流に、バクトリア王国を建国。 |
前403 【春秋・戦国】晋が韓・魏・趙の3国に分裂し、以後、実力本位の戦国時代が始まる。周王は一諸侯に過ぎないものになり、各地の大諸侯が「王」を称するようになる。※関連用語:戦国の七雄(秦、斎、趙、楚、韓、魏、燕) 前256 【戦国】戦国の七雄の一「秦」が周を滅ぼす。 |
前300頃〜 弥生時代(前300頃〜300頃)農耕の時代。稲作が盛んになる。作業を行う上での階級や、貧富の差、支配層と被支配層が生まれる。鉄器、銅器が朝鮮(または中国)から流入する。鉄器と銅器が武器となり、クニ同士の戦争が始まる。※関連用語:弥生式土器、牛・豚・鶏の飼育開始。 備考:弥生人は、縄文人とは異質な人種(中国や朝鮮)との混血によって生まれたと考えられている。前219年に、秦の始皇帝から不老不死の薬を探してくるよう命じられた、「徐市(徐福)」達が、日本に上陸し、縄文人と混血していったのではないか、という説がある。これは凄い説だ。※関連用語:徐福伝説 |
調査中! |
| 年 | 欧州 | 中近東 | 南アジア・東南アジア | 極東 | 日本 | 北・南アメリカ |
| 前 2 5 0 ↓ 0 |
前2世紀〜 【都市ローマ】東地中海へ勢力を伸ばし、前146年にマケドニア、前64年にシリア、前30年にエジプトを征服。地中海世界を統一(ヘレニズム時代の終焉)。 前73〜 【都市ローマ】ローマは征服した土地に対し過酷な支配をする。農民は没落し、有力者に取り込まれる。しかし、コロセウムの剣奴スパルタクス主導による反乱などが相次ぎ、将軍カエサルらは三頭政治という新たな独裁体制をしく。 前58〜 【都市ローマ】カエサルは、ガリア(現フランス)やブリタニア(現イギリス南東部)を征服し、西欧のローマ化を進める。政治家ポンペイウスはこれを恐れ、カエサルをローマに呼び戻したが、前47年、カエサルはローマを制圧し、ポンペイウスをエジプトへ追いやり、さらにエジプト王の姉であり妻のクレオパトラを娶る。※間連用後:ルビコン川、賽は投げられた 前45〜 【都市ローマ】カエサルが太陽歴が取り入れ、閏年を加え現在の暦の元を作る。しかしカエサルは、翌44年3月15日にブルトゥスなどの反対派に暗殺される。 前35頃〜 【都市ローマ】カエサルの死後、カエサルの部下だったアントニウスが、クレオパトラに惑わされ、ローマから東方への分離を図る。この事で、カエサルの養子オクタヴィアヌスと対立するが、前31年にオクタヴィアヌスは勝利。 前27〜 【ローマ帝国】オクタヴィアヌスを"プリンケプス(市民の第一人者)"として、ローマ帝国が成立。以後200年の間は、ラテン語、ローマの法、生活様式、貨幣等が普及し、商業も活性化。アラビア、インド、中国との貿易も盛んに行われた。しかし、ローマは全ての食料は属州に依存していた為、属州には過酷な支配がなされた。※間連用後:ローマの平和 |
前247 【メソポタミア】シリア王国の衰えに乗じ、ペルシャ人アルサケス1世がパルティア王国を建設。後にメソポタミアの支配権を巡り、ローマ帝国と争う。※関連用語:蹄鉄、ミトラ教 前63 【メソポタミア】ローマ帝国領になる。 前4頃 【パレスチナ】イエスがベツレヘムで生まれる。 |
前3世紀末 【インド・中南西部】ドラヴィダ人によって、アンドラ朝が成立。海の道を利用し、ローマとも交易。 前183 【インド・北西】アショーカ王の死後、衰亡していたマウリヤ朝が滅亡。かわってシュンガ朝が始まる。 前1世紀初 【インド・北西】バクトリア王侯の一人が大月氏国から独立し、クシャン朝を建てる。クシャン朝は、シルクロードの要地を支配。アンドラ朝やクシャン朝の繁栄により、ペルシア・ギリシア・ローマなどの諸文化が流入し始める。 |
前221 【戦国・秦】秦王「政」が、他国を次々に撃破し中国全土を統一。始皇帝と称するようになる。鉄器の発達によって生産力は増大。それに伴い商業が盛んになり、貨幣や文字は統一され道路網も整えられた。民衆には「法」による厳しい支配がなされ、政治批判に繋がる可能性のある書物は焼き払われ、それを批判した儒教の学者達は生き埋めにされた。※関連用語:万里の長城、焚書、抗儒 前210 【秦】始皇帝が全国巡業の途中に死去。後、宦官が政治を乱し、翌209年には、中国史上初の農民蜂起「陳勝・呉広の乱」が起こる。同年、農民出身の指導者「劉邦」や南方の楚の貴族「項羽」も挙兵。 前207 【秦・前漢】劉邦が都、咸陽に入り、秦滅亡。 前202 【前漢】劉邦が項羽をも破り、漢帝国を建国。秦のような過酷な農民支配や無理な中央集権化も避けた。武帝(位前141〜前87)の時代に最盛。※関連用語:虞美人、四面楚歌 前2世紀初頭〜 【朝鮮】秦〜漢に移る戦乱期に、中国から朝鮮北部に難を逃れた、衛満が平壌付近に「衛氏朝鮮」を建国。 前141〜 【前漢】武帝が、諸侯の勢力を弱め、中央集権を確立。 前119 【前漢】匈奴をゴビ砂漠北へ撃退。西方諸国を支配下に入れ、西方文化を導入。また河西回廊に多くの人民を移住させ、シルクロードに繋がるルートを支配。 前111〜 【前漢】南越国を征服し、ベトナム北部を支配。前108年には衛氏朝鮮を征服し、楽浪郡など4郡を置き、多くの中国人を移住させる。さらにチベットや雲南へも遠征。しかし、遠征や朝廷の怠慢の為、財政困難になる。※間連用後:史記 前37 【朝鮮・北】中国東北部に高句麗が建国される。 |
調査中! | 前2〜7世紀 【中米】メキシコで「テオティワカン文明」が始まる。死者の道、月のピラミッド、太陽のピラミッドが建造されるなど、優れた都市計画を持った。また、グアテマラとも交易していた。 |
| 年 | 欧州 | 中近東 | 南アジア・東南アジア | 極東 | 日本 | 北・南アメリカ |
| 1 ↓ 2 5 0 |
紀元前後 【ローマ帝国】ローマ商人が、エジプトを基地として、絹、綿布、胡椒を求めて南インドのアーンドラ朝や、東南アジアへ航行を行う。※関連用語:ヒッパロスの風 紀元前後 【北・西欧】バルト海沿岸のゲルマン人が、ケルト人を追いながら南下。ローマ帝国国境である、ライン・ドナウの両河まで進出。 50〜140 【地中海周辺・メソポタミア周辺?】新約聖書がまとまる。 2世紀頃〜 【ローマ帝国】退役軍人が地方に住み着いた事で、各地のローマ化が進み首都の地位が揺らぎ始める。193年には、北アフリカ出身の軍団長が、初のローマ人以外の皇帝となる。 3世紀頃 【西・南欧】ゲルマン社会はさらに膨張。傭兵や農民として、ローマ帝国内に移住する者も現れる。 235〜 【ローマ帝国】各属州の軍が力を持つ指導者を立て争い始める(軍人皇帝時代)。約50年の間に26人の軍人出身者が皇帝となる混乱時代を迎える。さらに各都市は厳しい徴税によって衰退。 |
27頃 【パレスチナ】イエスがヨハネに洗礼を受け、ユダヤ教を元にキリスト教を創始。しかし、戒律や儀式を排し「貧者のみが神の国に入れる」という教説はユダヤ教の祭祀層の怒りを買う。 33頃 【パレスチナ】イエスが世人を惑わす反逆者としてローマ総督に訴えられ、処刑される。※関連用語:ゴルゴダ、新約聖書 66〜70&132〜135 【パレスチナ】ローマが皇帝崇拝を要求し、皇帝礼拝所を建設したことで、帝国に対する反乱が起こる。 135 【パレスチナ】ユダヤ人の反乱が鎮圧される。ユダヤ人はエルサレム居住を禁止される。 226 【ササン朝】アルダシール1世が、パルティア王国を倒して、ササン朝を成立。かつてのペルシア帝国(アケメネス朝)の復興を目指す。 |
紀元前後? 【インド・東南アジア】アンドラ朝が、香料・金を求め、東南アジア各地と交易・移住を行う。東南アジアがインド文化圏になっていく。 2世紀頃 【インド・北西】クシャン朝最盛期。王は仏教を信仰。仏教が盛んになると共に、ギリシア美術の強い影響を持つガンダーラ美術が生まれる。 1〜2世紀 【カンボジア・南東】インド系のクメール人が、メコン川下流に移住し、東南アジア最古の国家「プナム(扶南)」を建設。プナムの港オオケからはローマの金貨も発掘され、この商業国家が広い交易圏を持っていた事がわかる。 192 【ベトナム・南】チャム族が漢の地方長官を殺し「チャンパー(占城)」建国。 |
1世紀 【朝鮮・南】韓族による社会形成が進み、馬韓、弁韓、辰韓が分立。日本(倭)はここにも勢力を伸ばし任那を建国。 8〜 【前漢・新】前漢が増税によって民衆を苦しませる。地方の豪族は台頭し、外戚の王莽が皇帝を殺害した後、「新」を建国。儒教イデオロギーを手本としたが政策に失敗。漢帝国の復興を目指した農民反乱「赤眉の乱」が起こり、王莽は反乱軍に殺される。 25 【新・後漢】前漢の皇帝の末裔・劉秀(光武帝)が後漢を興す。※間連用後:金印(漢委奴国王) 68 【後漢】仏教が伝来。 1世紀後半 【後漢】シルクロードへ進出。タリム盆地の楼蘭を服属させる。ローマ帝国との交流もあった。※間連用後:虎穴にいらずんば虎児を得ず 2世紀中頃 【後漢】地方豪族の台頭で、分裂、衰退。飢饉も繰り返し発生。 184 【後漢】宗教結社太平道の張角率いる農民反乱「黄巾の乱」起こる。乱は鎮圧されるが群雄割拠の時代へ加速。 220〜222 【後漢・三国】魏、蜀、呉の3国が建国。三国時代に入る。飢饉の為、人口は、5千万人から5百万人に激減。 |
57 奴国王が中国(後漢)から金印を授かる。 107 倭国王、師升が後漢に使いを送る。 2世紀末 100余りのクニが、激しい戦いを繰り返す。クニの長達が集まり相談した結果、、王を立てて、戦いをやめる事になる。邪馬台国が建設され、女王に卑弥呼が擁立される。※関連用語:鬼道(中国古代道教の一派「五斗米道」と関係) 239 卑弥呼が、大夫ナシメを使い、魏王に贈り物をする(邪馬台国南方の狗奴国との戦いを有利にする為、魏の権威を借りた)。翌年、魏から返礼として銅鏡100枚が贈られる。 |
調査中! |
| 年 | 欧州 | 中近東 | 南アジア・東南アジア | 極東 | 日本 | 北・南アメリカ |
| 2 5 1 ↓ 5 0 0 |
3世紀末 【ローマ帝国】軍人皇帝ディオクレティアヌスが、軍隊の増加、税制、統治制度、官僚制度の改革によって帝国を再建。後年には、皇帝崇拝を強要し、キリスト教の迫害を行った。 313 【ローマ帝国】次の皇帝コンスタンティヌス帝が、キリスト教を公認し、統治に利用する事によって安定を策した。 375 【東・南欧】匈奴の末裔といわれるフン族が、黒海北岸の東ゴート王国を滅ぼす。また、ドナウ川左岸の西ゴート族がローマ帝国領内に侵入。 378 【ローマ帝国・南欧】ローマ帝国が敗北。ゲルマン人の帝国内定住と自治を認める。以後、多くの部族がローマ領内へ移動(ゲルマン民族の大移動)。ライン川以東にとどまったゲルマン人は後にスラブ人と呼ばれるようになる。アングル族、サクソン族はイングランドへ移住。 395〜 【ローマ帝国・南欧】テオドシウス帝は、広大な帝国領の統治を困難とし、帝国を東のギリシア的ローマ(ビザンツ)と西のラテン的ローマ(西ローマ帝国)に2分させる。ローマ帝国西部では、ゲルマン化が進む。 5世紀中頃 【イングランド】アングル族、サクソン族が住みつき、7つの小国を建国。 476 【東西ローマ帝国】ゲルマン傭兵隊長オドアケルが、西ローマ皇帝ロムルスを廃して帝国を滅ぼし、東ローマ帝国ゼノンの臣下となる。以後、ゲルマン諸部族は東ローマ帝国に従属し、その権威を利用する。 481 【フランク王国】ゲルマン人のクローヴィスがフランク族を統一して、メロヴィング朝(フランク王国)を創始。 496 【フランク王国】クローヴィスは、異端とされるアリウス派から、正統のアタナシウス派に改宗し、旧ローマ貴族やローマ教会と提携して力を伸ばす。 |
3世紀後半〜 【ササン朝】西北インドのクシャナ朝を滅ぼす。さらに、衰退していたローマにも攻撃。皇帝含む7万の兵を捕虜とし、領土を拡大。シルクロードを支配下に入れ、経済・文化両面で西はフランス、東は日本まで影響を与えた。 |
320頃 【インド・北東】チャンドラグプタ1世が、ガンジス川中流域に「グプタ朝」を建設。ガンジス文化の復興を目指す。バラモン教が仏教などの「輪廻」の思想を取り入れ、土着の無数の神々を体系化した「ヒンドゥ教」が形成される。※関連用語:マヌ法典、数学、天文学、暦法が発達。アラビア数字の元となるインド数字が誕生 400頃 【インド・北】グプタ朝が北インドを支配し、最盛期をむかえる。 |
263〜 【三国】魏が蜀を併合。265年には実力者であった司馬炎が魏の皇帝から帝位を譲らせ、西晋を建国。 280 【西晋】西晋が呉を倒し、中国を統一。 291〜 【西晋】司馬炎の後継ぎ、恵帝は暗愚であった為、妃の一族が政治を牛耳る。皇帝位を目指す8人の王による内乱「八王の乱」が起こる。戦乱には遊牧騎馬民が利用されたが、匈奴の王が皇帝を名乗って以降、五胡と呼ばれる各種遊牧民が黄河流域を占領し始める。 313〜 【朝鮮】中国が五胡の侵入で混乱した事を受け、高句麗が楽浪郡を攻略し、海のネットワークを支配。 316 【西晋・五胡十六国】匈奴の占領によって西晋が滅亡。華北で長期間の大混乱となる、五胡十六国時代に突入。 318 【東晋】司馬睿が建康(現、南京)で再び晋を興す。この時期、漢民族の大移動や移住があり、黄河流域の文明が広く伝播した。 4世紀中頃〜 【朝鮮】馬韓北部に百済が成立。辰韓では12カ国が統一され、新羅が成立。 4世紀末〜 【朝鮮】高句麗が強大化し、百済、新羅に攻撃し始める。百済は「倭国」と結んで対抗。その為、仏教をはじめとする百済の文化が倭国に伝わり、飛鳥文化の母胎となった。 439 【五胡十六国・南北朝】鮮卑族の「北魏」が北燕を倒して、五胡十六国時代に終止符を打つ。結果、北の統一王朝と南の王朝(宋・斉・梁・陳と続く)が対峙する「南北朝時代」に突入。北魏は円滑な統治の為、鮮卑の習俗を捨て、漢人貴族との結婚を奨励するなどした。 446 【北魏】北魏の3代皇帝の太武帝は、仏教に対抗する道教を保護し、廃仏毀釈令を出す。これにより仏教の寺院は破壊され僧は還俗させられるが、太武帝は宦官に暗殺される。次の文成帝になると廃仏は中止され、仏教教団は再興された。※関連用語:達磨 |
調査中! | 調査中! |
| 年 | 欧州 | 中近東 | 南アジア・東南アジア | 極東 | 日本 | 北・南アメリカ |
| 5 0 1 ↓ 6 0 0 |
6世紀中頃 【ビザンツ】ユスティニアヌス帝が、ペルシア帝国(ササン朝)と和平協定を結び、地中海周辺のゲルマン諸国を滅ぼして勢いを示す。※間連用語:聖ソフィア聖堂 |
6世紀半ば 【アラビア半島】ササン朝と、ビザンツの抗争で、東西の交易ルートが不安定になる。そのため、紅海沿岸からアラビア海の新たな交易ルートが発達し、「メッカ」などの都市が成長する。 |
6世紀頃〜 【インド・北】グプタ朝が、中央アジアの遊牧民エフタルの侵入により衰退し、後、地方政権の強大化によって滅亡。以後、インドは波状に遊牧民が侵入する混乱の時代に入る。 6世紀頃〜 【インド・南】チャールキア朝が、南インドを支配。 6世紀頃〜 【カンボジア・西】クメール人が、アンコールを首都とする農業王国を建設。 |
534 【北魏】急激な中国化に反発した鮮卑人が反乱を起こし、北魏は東西に分裂。 562 【朝鮮】加羅・任那が、新羅、百済に併合され滅亡。 581〜 【南北朝・隋】北朝の楊堅が北周を倒して随王朝を建てる。589年には南朝の陳を制服し、中国統一。律令、中央管制、州・県という行政単位などを整え地方を支配。均田制、租庸調制、府兵制を組み合わせて農業帝国の体制を整えた。また、中央集権強化の為の、官僚の採用制度「選挙(科挙)」も開始。 |
調査中! | 6〜14世紀 【中米】テオティワカン文明を継承し、「マヤ文明」が始まる。神殿、ピラミッド、宮殿、天文台などを建造。また、絵文字や暦も発達。 |
| 年 | 欧州 | 中近東 | 南アジア・東南アジア | 極東 | 日本 | 北・南アメリカ |
| 6 0 1 ↓ 7 0 0 |
7世紀頃 【ビザンツ】イスラム勢力にエジプトやシリアを奪われ弱体化するも、軍事体制を整え、キリスト教世界の防波堤の役割を果たす。 |
610 【アラビア半島】メッカの名門商業貴族出身のマホメットが、ユダヤ教、キリスト教の影響を受け、イスラム教を創始。メッカでの布教活動は失敗したが、622年にメッカ北方の交通要所ヤスリブで教団再編に成功。関連用語:コーラン、ヒジュラ(聖遷) 630 【アラビア半島】イスラム教徒が、交易を巡り対立関係にあったメッカを占領。イスラム教がアラビア半島全体に広まる。このイスラム教を中心とするアラブ諸族の連合体が、「アラブ世界」の基礎となる。 632 【イスラム】マホメット死去。教団は分裂しそうになるが、話し合いで後継者(カリフ)を選び、危機を回避。 7〜8世紀 【イスラム】コーランか貢納か剣か、をスローガンに大征服運動開始。約130万人のアラブ人が農耕地帯の諸都市に移住し、支配層となる。シリアとエジプトを征服。 640頃 【イスラム】ビザンツ等との争いで力を弱めていたササン朝を滅ぼす。 7世紀 【イスラム】イスラム教は、商人出身のマホメットが創始した為、商業倫理を重んじた。その為、商業に伴う数学が発達。また暦、天文学、それに伴う航海法も発達。大都市には研究施設が設けられ、各地の文献や文明がイスラムに組み込まれ、当時の世界最高水準の文明を築く。 661 【イスラム帝国】第4代後継者アリーが暗殺される。後、アリーの対抗相手であったシリア総督ムァーウィヤが、ダマスクスでウマイヤ朝(イスラム帝国最初の朝廷)を開く。アラブ人に特権があった。後、シーア派は、正統カリフの中でも4代アリーのみを認める宗派であり、ウマイヤ朝に対して反対運動を行う。 |
606〜 【インド・南】チャールキア朝が、ハルシャ・ヴァルダナの治世の頃、ガンジス川流域をも支配し、強盛となる(ヴァルダナ朝ともいう)。 647〜 【インド・南】チャールキア朝が、王の死後急速に衰える。同時に仏教も衰え、ヒンドゥ教が盛んになる。 7世紀頃 【カンボジア・南東】プナムが、メコン川中下流域の真臘に圧迫され衰亡。 7世紀後半 【マラッカ海峡周辺】諸港市が連合して、スマトラ島パレンバンを中心に、海洋王国「シュリーヴィジャヤ王国(三仏斉)」建国。 |
604 【隋】楊堅の子、楊広が父と兄を殺害し、隋の第2代皇帝(煬帝)となる。 605〜 【隋】煬帝は、大量の民衆を動員して大運河を建設するが、これを遊興に利用するなどして反発を買う。 612〜 【隋】外藩国として封じた高句麗の造反に対して、3年連続3度に渡り軍を遠征するが、いずれも失敗に終わる。 615頃? 【隋】大規模な土木工事や遠征の負担に耐え切れなくなった農民の大反乱が広がる。 618 【隋・唐】煬帝が近衛軍に殺され、隋滅亡。隋の唐国王、李淵が力をのばし、一時は煬帝の孫を皇帝とした上で禅譲させ、唐朝を開く。 626〜 【唐】2代皇帝、太宋は隋の各種制度を引継ぎつつ整備。 640頃? 【唐】太宗が、チベットの吐蕃を討つ。また、北方部族の首長に地位を保証し、統治基盤を固める。 660〜 【唐・朝鮮】唐の3代皇帝、高宋が新羅と結び、百済・高句麗を滅ぼす。また中央アジアの西突厥を服属させた事で、唐は強大な帝国となる。 676 【新羅】倭国と提携して唐を後退させ、朝鮮半島の支配を確立。伝統社会に唐の律令制度を組み合わせ、統治体制を固める。新羅の都・慶州と日本の都、平城京は東アジアの新たな拠点として成長していく。 690頃? 【唐】後宮の武という女が、皇后を策略で陥れた上に惨殺し、自らが皇后の地位に登る(則天武后)。則天武后は高宋の死後実権を握り、中国史上唯一の女帝となる(聖神皇帝)。 690〜 【唐】則天武后が、国名を「周」と変える(705年まで)。 |
調査中! | 調査中! |
| 年 | 欧州 | 中近東 | 南アジア・東南アジア | 極東 | 日本 | 北・南アメリカ |
| 7 0 1 ↓ 8 0 0 |
8世紀頃〜 【北・東欧】ノルマン人はスカンジナビア半島南部などで農業をしていたが、気候条件が悪く、人口が増えると農地不足となり、交易・移住に積極的にならざるを得なかった。彼らは巧みな航海技術を活かし、交易・移住・略奪により勢力圏を広げた。その中で、アラブ銀貨が北欧に流入し、欧州の貨幣経済は、北欧から西欧へ広がった。スウェーデン系バイキング(ルス)はバルト海からヴォルガ川やドニエプル川を下って、カスピ海・黒海に至る「川の交易路」を開発。イスラムやビザンツとも交易。後、スラブ人と混血し、ノヴゴロドやキエフの往来を発達させる。 8世紀初頭? 【フランク王国】王権が衰え、宮宰の一族に実権が移る。 711 【西ゴート】ターリク率いるイスラム軍が、西ゴートを滅ぼす。 732 【フランク王国】イスラム軍がフランク王国に攻め込む。宮宰カール・マルテルが強力な軍を組織し、イスラム軍を破る。王権は衰え、カール一族(カロリング家)が台頭する。 751 【フランク王国】カールの子、ピピンがメロヴィング朝を廃し、カロリング朝を興す。ビザンツ皇帝と対立し始めていたローマ教会はカロリング朝と接近し権威の確立をはかる。 756 【後ウマイヤ】イスラム帝国のウマイヤ朝の一族が、現スペイン南部コルドバに逃れ、後ウマイヤ朝を建てる。 800 【フランク王国】ピピンの子「カール大帝」が、教皇レオ3世からローマ皇帝の帝冠を受ける。以後、フランク王国はゲルマン人によるローマ帝国と見なされ、帝国の東西分離が決定的になる。帝権はフランク、教権は教皇と分担され、聖・俗2つの中心を持つ中世西ヨーロッパ世界が誕生。 |
8世紀前半 【イスラム帝国】内部の反対勢力のおさえ込みに苦心するが、征服運動を展開し領土を拡大。東方はインダス川流域、西方はゲルマン人の西ゴート王国を滅ぼす。 732 【イスラム帝国】フランク王国に敗れるも、イスラム社会は商業が盛んであった地中海を取り込む。キリスト社会は内陸部へ移る。 750 【アッバース】シーア派による反体制運動で混乱する。この混乱に乗じて、イラン人、アル・アッバースが政権を奪い「アッバース朝」を開き、中心をかつてのササン朝領に移す。また、シーア派を弾圧すると同時に、アラブ人の特権を廃止。全てのイスラム教徒は平等であるとし、イスラム法による統治を開始。(アラブ帝国から、イスラム帝国への変革) 751 【アッバース】中央アジアで唐軍を破りシルクロードへ進出。唐の紙職人が捕虜になった事で、製紙の技術がイスラム世界に伝播。 756 【後ウマイヤ】現スペイン南部のコルドバに逃れたウマイヤ朝の一族が、後ウマイヤ朝を建てる。これにより、イスラム帝国は東西に分裂。 8世紀中頃 【アッバース】第5代ハールーン・アッラシードの時代に最盛期を迎える。西は、北アフリカ〜イベリア半島。東は、中央アジア〜中国まで、陸海のルートで交易。また、経済規模の拡大に伴う貨幣の不足、及び、送金の危険回避の為に、小切手や為替が誕生。関連用語:海の道、第一次大航海時代、船乗りシンドバッドの冒険、千夜一夜物語 |
8世紀頃〜 【東南アジア】イスラム商人が訪れるようになる。 8世紀中頃〜 【ジャワ島】シャイレーンドラ朝が栄える。壮大な大乗仏教の石造建造物「ボロブドゥール」を建てる。 |
712〜 【唐】6代皇帝、玄宋の中期までは、人口は増え、財政も充実。長安は国際都市として賑わう。※関連用語:開元の治 744 【唐】玄宋は、18番目の皇子「寿王」の妃「楊貴妃」を見そめ、一旦離婚させた上で自らの妃とする。楊一族が栄華を極める。※関連用語:梨園 745頃? 【唐】貴族の土地私有による均田制の崩壊、周辺民族の離反、軍事制度の動揺などで財政が揺らぎ始める。 751 【唐】中央アジアで、アッバース朝に大敗。その後、ウイグルなどの侵入の対策として「節度使」という強い武人達を辺境に配置。 755〜 【唐】節度使の有力者、安禄山が、楊一族の専横を除くという口実で、武将・史思明と「安史の乱」を起こす。楊一族は殺害され、玄宋は退位。※関連用語:李白、杜甫、国破れて山河あり 763 【唐】安禄山は長安を占領したが、自分の次男に暗殺されるなど反乱軍内での混乱が起こる。ウイグルの介入もあり、乱は鎮圧される。しかし、ウィグルは多額の貢物を要求し侵入。また、各地の節度使の独立などにより、唐は衰退。 |
調査中! | 調査中! |
| 年 | 欧州 | 中近東 | 南アジア・東南アジア | 極東 | 日本 | 北・南アメリカ |
| 8 0 1 ↓ 9 0 0 |
843 【フランク王国】ヴェルダン条約により、フランク王国が「西フランク王国(現、仏)」「ロタール王国(現、伊)」「東フランク王国→神聖ローマ帝国(現、独)」に分裂。 862 【北・東欧】トルコ系遊牧民が勢力を伸ばすと、ルスとイスラム交易圏の関係が弱まった。ここで孤立した森林の集落を結んだルーリックが「ノヴゴロド公国」を建国。後、中心が南に移り「キエフ公国」が形成され、現ロシアの元となった。 870 【フランク王国】メルセン条約により、ロタール王国が、イタリア王国となる。 |
9世紀後半 【アッバース】複数の地方政権が自立し始める。都市化がアラブ人の軍事力を低下させ、代わりに中央アジアの遊牧系トルコ人の軍事奴隷(マムルーク)が活躍し始める。 874 【サーマン】イラン系のサーマン朝成立。サーマン朝は、マムルークの売買をひき受けていた。サーマン朝がスンナ派であった為、トルコ人達もスンナ派を信仰。 9世紀後半 【アッバース】戦乱が日常化した事で軍人は地位が高まり、政府の要職についたり、カリフに代わって政治の実権を握るなどした。地方の税は激減するが、軍事費は増大し、財政が破綻し始める。 |
調査中! | 822 【新羅】金憲昌が乱を起こし、新羅の統一が崩壊。 875〜884 【唐】塩の密売商人、黄巣率いる農民反乱「黄巣の乱」起こる。黄巣は一時皇帝となり「大斉」という国を建てるが、部下の朱全忠の離反などもあり、乱は鎮圧される。 |
調査中! | 調査中! |
| 年 | 欧州 | 中近東 | 南アジア・東南アジア | 極東 | 日本 | 北・南アメリカ |
| 9 0 1 ↓ 1 0 0 0 |
911 【北・西欧】ノルウェー人が、アイスランド、グリーンランド、アメリカ大陸まで進出。また、強力な権力に欠ける西欧沿岸部へも進出。フランス(カペー朝)王は、ノルウェーの指導者ロロに対して「ノルマンディ公国」の建国を認め、代償として他のバイキングの撃退にあたらせた。 962 【東フランク王国】オットー1世の戴冠により、神聖ローマ帝国が成立。 |
940頃 【カラ・ハン】トルコ人初のイスラム教国、カラ・ハン朝成立。サーマン朝を滅ぼしタリム盆地のイスラム化を進める。 946 【ブワイフ】シーア派のブワイフ朝がバグダードを占領。王は大アミール(将軍)として、アッバース朝のカリフを擁護。その権利を利用して実権を掌握。 962〜 【ガズナ】サーマン朝のマムルークの一人が、アフガニスタン南部にガズナ朝を建てる。11世紀初頭には、インドへ侵略を繰り返す。 |
10世紀頃〜 【東南アジア】中国商人が訪れるようになる。東南アジアは世界交易の中心部となっていく。 |
907 【唐・五代十国】節度使になっていた朱全忠が唐を滅ぼし「後梁」を建国。以後50年程の間に、5つの王朝が交代し、節度使が争いあう「五代十国時代」となる。多くの軍隊を養う必要から産業、経済が発達。 935 【朝鮮】王建が高麗を建国。 935〜 【新羅・高麗】高麗が新羅を併合。翌936年に後百済を破り、半島を統一。 960 【五代十国・宋】後周の節度使、趙匡胤が、宋朝を建国。 979 【五代十国・宋】宋の第2代、太宋が五代十国を統一。節度使など武断政治を廃し、「文治主義」を採用。皇帝独裁の体制を強化。全ての高級官僚は科挙で選抜。官僚の待遇は贅沢なもので、当初から腐敗していた。 唐末〜宋初 【唐・宋】華北では、長年の開発で木材が枯渇。かわりに石炭が燃料として一般化。また、その石炭を用いた製鉄、宗磁、絹織物、紙の製造が盛んになる。農民は貴族の支配から自立し、稲作、茶栽培、養蚕などが盛んに。食料や雑貨を扱う「草市」という市場が各地で開かれ、小規模な経済都市も無数に生まれる。 10世紀後半 【宋】沿岸部の商人が羅針盤を用いる航海で東南アジアや南インドに進出。海外貿易は発達し、世界中の物資が首都開封に集まる。南インドを境として「海の道」の勢力圏をイスラム商人と分け合う事になる。※関連用語:第二次大航海時代、セラミックロード |
調査中! | 調査中! |
| 年 | 欧州 | 中近東 | 南アジア・東南アジア | 極東 | 日本 | 北・南アメリカ |
| 1 0 0 1 ↓ 1 1 0 0 |
11世紀〜13世紀 【西欧】農業技術の進歩により人口は増加するが、農地不足となる。その為、森林を農地に変える「大開墾時代」となる。「祈り、働け」をモットーとする、修道院や修道士が活躍する。 11世紀頃 【ビザンツ】バルカン半島でスラブ民族の南下が進み、ビザンツ帝国はスラブ化する。 1066 【イングランド】ノルマンディ公ウィリアム1世がイングランドを征服し「ノルマン朝」を開く。 1077〜1085 【神聖ローマ】皇帝ハインリヒ4世の聖職者任命権限に不満を持った、教皇グレゴリウス7世が、反対派諸侯を利用して皇帝を破門する。反対派諸侯は、1年以内に破門が解かれなければ皇帝を廃位すると決議。皇帝は教皇が滞在するカノッサ城で謝罪し破門を解除される(カノッサの屈辱)が、怒った皇帝は反対派諸侯を鎮圧後、ローマに入り教皇を退位させる。しかし、この事件は教皇の権威を高める結果となった。 1090頃 【地中海周辺】セルジューク朝がビザンツ帝国へ侵入。更に、エジプトのファティマ朝からシリアを奪い、キリスト、イスラム両教の聖地、エルサレムを占領。 1095〜 【地中海周辺】ビザンツ皇帝が、ローマ教皇に救援を要請。野心家の教皇ウルバヌス2世は、東西教会の統一と教皇権の強化を目指し、翌96年に軍の遠征を決議。以後、13世紀までイスラムに対する聖戦(十字軍)が続く。 1099 【地中海周辺】第1回十字軍が、エルサレムを陥落させるが、とても聖戦とは言えない大虐殺や略奪がなされた。大部分の兵士は帰郷したが残った人々はエルサレム王国を建国。 |
1055 【セルジュク】中央アジアのトルコ系イスラム王朝「セルジュク朝」が、ブワイフ朝を倒し、バグダード入り。カリフはトルコ人の政権を歓迎し、王に対し「スルタン(世俗的な君主)」の称号を与える。スルタンはトルコ人将校に土地の支配権を与え、兵士を養わせた。トルコ人は大領地を獲得し、イスラム世界の支配民族となる。 1090頃 【セルジュク】更なる領地を求めて、ビザンツ帝国領である小アジアに侵入を始める。 1092〜 【セルジュク】3代マリク・シャー死去。継承問題で紛争が起こる。 1096 【セルジュク】十字軍始まる。紛争、分裂もあり、衰退を始める。 |
11世紀初頭 【インド・北西】イスラムのガズナ朝が侵略を繰り返す。 1050 【ジャワ島】「サンジャヤ朝メダン王国」の末裔エルランガが、東ジャワを統一し、引退。その息子が「クディリ朝」を成立させる。 |
1004 【宋】北方を支配するキタイ人の帝国「遼」に敗北。毎年、銀や絹などの貢ぎ物を贈る和平条約「?淵の盟」を結ぶ。金で平和を買う政策へ。 11世紀中頃? 【宋】官僚や軍隊の維持費がかさみ、財政が逼迫。ワイロと政界の腐敗は貧富の差を拡大させ、庶民は税を滞納させるようになり、国家収入が減少。 1069〜 【宋】第6代、神宋は宰相に王安石を抜擢し、政治改革を試みる。王安石の新法は国家体制を立て直す為に必要なものであったが、官僚や大地主の抵抗にあい、王安石は失脚。その後、官僚が新法派と旧法派に分かれて争い合い、行政がマヒする事態に陥る。 |
調査中! | 調査中! |
| 年 | 欧州 | 中近東 | 南アジア・東南アジア | 極東 | 日本 | 北・南アメリカ |
| 1 1 0 1 ↓ 1 2 0 0 |
12世紀前半 【?】聖職者の任命権限を巡る皇帝と教皇の妥協が見られる。 1147〜1149 【地中海周辺】第二回十字軍。失敗に終わる。 1187 【地中海周辺】エジプトの支配者サラディンがエルサレム奪回。エルサレム王国滅亡。 1189〜1192 【地中海周辺】独、仏、英が最大規模の第三回十字軍を遠征。失敗に終わる。 |
12世紀頃? 【ゴール】アフガニスタン中部に、トルコ系イスラム王朝、ゴール朝成立。ガズナ朝、および、インド北西に侵略を繰り返す。 1157 【セルジュク】スルタン・サンジャルが死に、セルジュク朝は滅亡。 1186 【ガズナ・ゴール】ガズナ朝が、ゴール朝に滅ぼされる。 |
12世紀前半 【東南アジア】プナムが最盛期を迎え、首都アンコールに、アンコール・ワットというヒンドゥ教(後に上座部仏教)の石造寺院を建造。 12世紀初頭 【インド・北西】イスラムのゴール朝のマムルークが、デリーで自立し、インド初のイスラム国家「奴隷王朝」を建てる。 |
1115〜 【満州】遼から自立した完顔部の阿骨打が満州に「金」を建国。 1118〜 【宋】金に使節を送り遼の挟撃を狙う。 1120〜 【宋】8代皇帝徽宗は政治的に無能で、農民に過酷な労働や重税を課した為、大農民反乱「方臘の乱」が発生。 1125 【宋・金】金が遼を滅ぼす。宋は農民の反乱などがあり、共同出兵の約束を果たさなかった為、金の怒りをかう。 1126 【宋・高麗・金】金が高麗を服属させ、さらに宋をも攻める(靖康の変)。徽宋は引責辞任し、帝位を息子の欽宋へ。 1127〜 【宋・金】金軍が宋帝国を滅ぼす。欽宋の弟、高宋は江南に逃れ「南宋」を建国。 1147〜 【金・南宋】南宋は金の華北占領を認め、毎年の貢物を約束し平和維持を図る。このような環境であったにも関わらず、新耕地の開拓、農業、工業、貿易を発達させ、一時的に繁栄する。 12世紀 【金】金が強大な勢力の出現を恐れ、モンゴル各部族の対立を煽る。 12世紀末 【モンゴル】名門キャン氏族のテムジンが頭角を現し始める。 |
調査中! | 12世紀 【中米】アステカ族が、メキシコ高原に移住。 |
| 年 | 欧州 | 中近東 | 南アジア・東南アジア | 極東 | 日本 | 北・南アメリカ |
| 1 2 0 1 ↓ 1 2 5 0 |
1204 【地中海周辺】第4回十字軍が、混乱するビザンツ帝国首都コンスタンティノープルを占領。ラテン人によるラテン帝国が建設される。東地中海経済は、ベネチア商人やジェノバ商人が支配し、ビザンツの支配地はバルカン半島の一部のみとなる。 13世紀初頭〜 【地中海周辺】欧州は十字軍の遠征開始以来、広がりを見せる。イタリア商人は主にイスラム商人から東方の物産を購入。特に、胡椒は肉の保存と調理に欠かせず重要な商品となった。また十字軍が遠征で切り開いた道路のおかげで商業が発達。毛織物やブドウ酒も重要な商品となった。商人達は交易の拠点として、各地に都市を建設。都市は領主から自治権を獲得し、多くの自治都市が成立。これら都市では、皇帝や教皇の関係者でも市長の許可なくは入れなかった。 13世紀初頭〜 【欧州】モンゴル帝国がアジアの道路網をシルクロードと結びつけ、ユーラシア規模の大交易網を作る。この道には一定間隔で宿駅が設けられ、安全が確保された(ジャムチの制)。また、中国商人とイスラム商人も、インド洋周りの海の道で活発な交易を展開。欧州の商業は更に発展。※関連用語:ハンザ同盟 1212 【地中海周辺】少年、少女の十字軍の結集が提唱されたが、集まった3万人の子供達が、悪徳商人によって奴隷として売り払われるという事件がおきる。 1228〜1229 【地中海周辺】第5回十字軍。エジプトのスルタン「アル・カーミル」との条約で一時的に聖地回復。 1236〜 【東欧】モンゴル帝国がロシアを征服。 1241 【東欧】モンゴル帝国が、現ポーランドまで侵攻するも撤退。 1244 【地中海周辺】イスラム軍がエルサレムを占領。 1248〜1254 【地中海周辺】第6回十字軍。失敗。 |
調査中! | 13世紀初頭 【奴隷王朝】版図を最大とするが、後、分裂。 1222 【ジャワ島】クディリ朝がシンガサリ朝に滅ぼされる。 |
1206 【モンゴル帝国】テムジンがハン(王)の地位につく。以後、チンギス・ハンと称する。チンギスは、旧来の草原社会のルールを一新。敵である金の軍事制度を取り入れ、中央集権体制を整える。厳しい軍律をしいた為、強力な軍隊が急速に完成。 1206 【金・モンゴル帝国】金の燕京(現、北京)を、占領。 1219頃 【モンゴル帝国】中央アジアの交易支配目指し、オルドスの西夏を攻撃。またトルコ人のホラズム帝国との協調を目指すが、ホラズムへの使節団が殺され贈り物が奪われたり、再度の使節が屈辱的な扱いを受けた事により、ホラズム打倒に転換。ホラズム帝国を征服。 1225 【モンゴル帝国】別働隊が南ロシア平原を平定。 1227 【モンゴル帝国】西夏を滅ぼし、シルクロードと草原の道を支配下とする。モンゴル人は大商圏の統合を求めるイスラム商人の助力を得、支配地を広げた。 1234 【金・モンゴル帝国】2代大ハン、オゴタイが、金を滅ぼし黄河流域を支配。 1236〜 【モンゴル帝国】南ロシア平原の混乱平定の為に、10万人の遠征軍を派遣。キエフ大公国をはじめ、全ロシアを征服。 1241 【モンゴル帝国】遠征軍が、ワールシュタット(現ポーランド)でドイツ・ポーランドの連合軍を撃破。欧州世界はモンゴル帝国に恐れを抱いたが、遠征軍総司令官バトゥは、オゴタイ死去による帝国内部での地位確立の為、撤退。欧州世界は危機を脱する。 |
調査中! | 1200頃 【南米】初代のインカ(首長)が現ペルーのクスコを首都とする「インカ帝国」を建設。勢力を拡大。皇帝は太陽神の直系の子孫とされ、法律は皇帝により制定された。 |
| 年 | 欧州 | 中近東 | 南アジア・東南アジア | 極東 | 日本 | 北・南アメリカ |
| 1 2 5 1 ↓ 1 3 0 0 |
1270 【地中海周辺】第7回十字軍。失敗。 1291 【地中海周辺】十字軍最後の拠点、アッコン陥落。十字軍運動終了。教皇権は失墜。諸侯や騎士は没落。王権が復活し、国王による統一国家の形成が進められ始める。イタリア商人は十字軍遠征の際、輸送などに携さわり急成長。 |
1258 【アッバース】モンゴル帝国がバグダードを占領。アッバース朝滅亡。 1260頃? 【マムルーク】トルコ系イスラム王朝マムルーク朝が、ダマスカスまで占領していたモンゴル帝国軍を撃退。後、シリア、エジプトを支配し、貿易で繁栄。十字軍をも撃退。 1299 【オスマン帝国】モンゴル帝国の支配を逃れたトルコ人オスマンが、小アジアに「オスマン帝国」を建国。 |
1289 【ジャワ島】シンガサリ朝の王が、モンゴル帝国の使節の顔に入墨をして追い返す。 1292〜 【ジャワ島】元寇来襲。これを退けたラーデン=ビジャヤが、マジャパヒト朝を建国。周辺海域の支配に乗り出し、スマトラ島のシュリービジャヤを滅ぼす。 |
1258 【モンゴル帝国】4代モンケに命じられたフラグが、イスラムのアッバース朝を滅ぼし、「イル・ハン国」を建国。イスラム帝国は崩壊し、大部分はモンゴル帝国の支配下に入る。 1259 【高麗】モンゴル帝国に服属する。 1260 【モンゴル帝国】チンギスの孫、フビライが、5代大ハンのアリクブカを倒し、大ハン位を奪う。しかし、オゴタイの孫ハイドゥが草原の3ハン国を統合して反旗を翻した為、草原勢力との30年に渡る戦争が始まる(ハイドゥの乱)。 1266〜 【南宋・元】フビライは中国全土を支配する事で草原勢力と対抗しようとする。大都(北京)の建設に着手し、71年に元朝を開始。 1274 【元】入貢を拒否された為、日本を攻めるが敗退。 1276 【南宋・元】南宋の首都臨安が、元により陥落。 1279 【南宋・元】南宋滅亡。元朝が東アジア世界を統一。 1281 【元】再度日本を攻めるが敗退。 1287 【元】雲南、ビルマを征服。ベトナムに波状的に侵入。 1292 【元】ジャワ島に大艦隊を派遣。 13〜14世紀 【モンゴル帝国】モンゴル帝国の統治により、中国の道路網、シルクロード、草原の道、イスラムの道路網が結合。また、中国の貿易港とペルシア湾などを結ぶ海上貿易も盛んに行われ、交易は過去最高に発達。元朝では、イスラムの天文学の影響を受け、授時暦という正確な暦が作られる。中国の火薬や羅針盤はイスラム世界に伝播。中国絵画はイランの細密画に影響。同盟および布教を目指すローマ教皇の使節や、フランス王の使節などもモンゴル帝国へ派遣される。※関連用語:東方見聞録、ペスト、宣教師、ジャムチ |
調査中! | 調査中! |
| 年 | 欧州 | 中近東 | 南アジア・東南アジア | 極東 | 日本 | 北・南アメリカ |
| 1 3 0 1 ↓ 1 3 5 0 |
14世紀 【地中海周辺】イタリア諸都市が東地中海の交易権を握り、イタリアや北欧の商業がモンゴル帝国の交易網と結びつく。金融業者メディチ家などの大商人が台頭。イタリアは飛躍的に活性化。後の「大航海時代」の基礎となる。 14世紀初頭頃 【フランス】カペー朝とイングランドのプランタジネット朝がフランス統一を巡り対立。カペー朝のシャルル4世が死に、傍系のヴァロワ朝が成立すると、王位継承権を巡り両国の関係は更に悪化。両国は毛織物やワインの産地の支配権についても対立していた。 1339 【イングランド・フランス】イングランドは、王エドワード3世の母がカペー家の出身であることから王位継承権を主張。フランスに攻め込む(百年戦争開始)。フランスでは貴族がイングランド国王派とフランス国王派に分かれた事もあり、戦争は一貫してイングランド優位で、フランスが主戦場となった。 1348〜 【】ペスト大流行。13世紀後半にモンゴルの騎馬軍団が、中国雲南地方から持ち帰ってしまったペスト菌を持つ蚤による。中国→モンゴル→中近東→欧州や北アフリカという流れで伝染。欧州の人口が半減。 |
? 【エジプト】バグダードが陥落した為イラクの比重が低下。カイロを中心とするエジプトに中心が移る。 1326 【オスマン帝国】ブルサを征服して都とする。 1337 【オスマン帝国】ニコメディアをビザンツから奪取。軍備が整備され欧州の脅威となる。後、ビザンツに侵入を繰り返す。 |
1350 【アユタヤ朝】モンゴルに自国(大理国)を滅ぼされたタイ人が、インドシナ半島に大挙し「アユタヤ朝」を建国。海上交易に乗り出し、北からマラッカ海峡に進出。 14世紀頃〜 【マラッカ海峡】北からはタイ人、南からはマジャパヒト朝が侵入し、海域が不安定になる。イスラム商人も侵入してくる。 |
14世紀 【モンゴル帝国】ハイドゥの乱による分裂で、崩壊を始める。オゴタイ国は、チャガタイ国に併合される。生き残った3ハン国はイスラム世界に同化。(キプチャク・ハン国は1502年にモスクワ大公国に滅ぼされる) |
調査中! | 14世紀頃 【アステカ】アステカ族が、メキシコ高原の諸都市を征服。テノチティトラン(現メキシコシティ)を建設。ここを首都とし、マヤ文明を継承して「アステカ文明」を築く。特異な絵文字や暦を使用。多神教信仰で、人身供犠を行い、壮大な神殿を建設。※関連用語:ケツァルコアトル |
| 年 | 欧州 | 中近東 | 南アジア・東南アジア | 極東 | 日本 | 北・南アメリカ |
| 1 3 5 1 ↓ 1 4 0 0 |
調査中! | 1370頃 【ティムール】チンギス・ハンの子孫で、西トルキスタンのイスラム武将ティムールが、モンゴルのハンの子孫を招き、サマルカンドを都とし、ユーラシアの再統一を目指す。 14世紀末〜 【ティムール】キプチャク国、イル国、インド、オスマン帝国等へ進出。西アジアを統一。 |
14世紀後半 【マジャパヒト】インドネシア諸島を支配。全盛期をむかえる。 |
1351〜 【元】仏教系秘密結社「白蓮教」による農民一揆「紅巾の乱」起こる。 1366 【元】紅巾の乱の指導者の一人、朱元璋が、首領、韓林児を殺害。結社を抜け、地主勢力と手を結び「回復中華」のスローガンを掲げる。 1368 【元・明】朱元璋が元の恵帝を追いやり、金陵(現、南京)を都とする明王朝を開く。農本主義にもとづき、徴税の徹底と農民の軍事利用体制を整える。全ての官庁は皇帝の直轄とし、秘密警察に官僚を監督させ、独裁権を固める。帝国の支配安定の為に民間商人の海外貿易は禁止(海禁)し、国家が政治的に貿易を管理する朝貢貿易(勘合貿易)を行うが、これは、海外貿易を縮小させる結果となる。※関連用語:一世一元の制 1392〜 【高麗・李朝】倭寇討伐で活躍した李成桂が朝鮮国を建国。都を漢陽(現、ソウル)とし、儒教を国教とする。 |
調査中! | 調査中! |
| 年 | 欧州 | 中近東 | 南アジア・東南アジア | 極東 | 日本 | 北・南アメリカ |
| 1 4 0 1 ↓ 1 4 5 0 |
15〜16世紀 【南欧】大航海時代(13世紀以来の航海技術の進歩や、地中海・大西洋の商取引の活性化を背景に行われた「地理上の発見」の事)。ポルトガル、スペイン、イタリアが主役。ポルトガルはモロッコのイスラム教徒と争っていた。その為、ポルトガルの「エンリケ航海王子」は、アフリカ内陸部のキリスト教国との提携や西スーダンとの黄金の取引を狙い、アフリカ西岸の探検を進めた。1498年には、ヴァスコ・ダ・ガマが、欧州〜アフリカ南端の希望岬〜インドへの航海を成功。肉食の比重が高い欧州では、インド産の胡椒は嗜好品としてだけでなく防腐剤の役割を果たした為、ポルトガル王室に巨万の富をもたらした。同時期にはコロンブスが、ジパングの黄金の独占を狙い、スペイン王の援助を得て、西廻りで航海。しかし日本にはたどり着けず、カリブ海の島を間違ってジパングと断定。間の抜けた話だが、この中米の発見は、後の航海に影響を与える。 1429〜 【フランス】ジャンヌ・ダルク登場。イギリス軍のオルレアン攻囲を断念させる。フランス軍の士気、国民意識を鼓舞し戦局を逆転させるが、1431年に、イギリス軍に捕まり「魔女」として処刑される。 14〜16世紀 【欧州】ルネサンス(イタリアとフランドルを中心に、欧州各地に波及した新文化運動)。キリスト教の宗教的束縛から離れる為に、ギリシア・ローマの古典に人間のあるべき姿を見出し、現実生活・合理主義を重視。個人の教養が高まる。関連用語:ヒューマニズム、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ |
1402 【オスマン帝国】アンゴラの戦いで、ティムールに大敗するが、ティムールは明と戦う為、撤退。勢力は弱まるが、滅亡は免れる。 1405 【ティムール】明への遠征中にティムールが病没。遠征は中断。2代シャー・ルフの時、最盛。後、衰退。 15世紀前半 【オスマン帝国】ティムールの衰退もあり、勢力を回復。 |
15世紀初頭 【マラッカ王国】シュリーヴィジャヤの王族の一人が逃亡した先で、マラッカ港を開く。マラッカは明の鄭和艦隊を利用し、アユタヤ朝の支配から独立。さらに艦隊がもたらした物資により、東南アジアの中継貿易の中心地となる。※関連用語:スルタンの称号 1430頃? 【マラッカ王国】明の艦隊派遣が中止され、後ろ盾を失う。貿易の中心の地位を保つためにイスラム商人を懐柔する。東南アジアの島々は、食料や綿織物は貿易に頼るところが大きかった為、商人達の往来によってイスラム化が進む。国王や臣下もイスラム教に改宗する。 15世紀前半 【マジャパヒト朝】シュリーヴィジャヤ王国を滅ぼす。 |
15世紀初頭〜 【明】クーデターで明の3代皇帝となった永楽帝が、艦隊を東南アジア〜アフリカ東岸まで派遣。多くの朝貢を集める。 1421 【明】永楽帝がモンゴル高原の遊牧民を警戒し、都を北京に移す。 1443 【李朝】諺文(ハングル)が制定される。 1449 【明】モンゴルに大敗し、皇帝が捕らえられる。明はモンゴルに対して立場が弱くなる。モンゴルの勢力を留める為、万里の長城が再建される。 |
調査中! | 15世紀 【インカ】北はエクアドル、南はチリにいたる、南北2000キロ、人口2000万人以上の大帝国に成長。 |
| 年 | 欧州 | 中近東 | 南アジア・東南アジア | 極東 | 日本 | 北・南アメリカ |
| 1 4 5 1 ↓ 1 5 0 0 |
1453 【フランス】イングランド軍が、ごく一部を除き、フランスから撤退。百年戦争終了。戦争の過程で、農民の槍隊やイスラムから伝来した鉄砲や大砲が威力を発揮。これら戦法の変化により騎士は没落。イングランドは大陸の領土を失う。 1453 【ビザンツ】トルコのオスマン帝国が首都コンスタンティノープルを陥落させ、ビザンツ帝国は滅亡。コンスタンティノープルはイスタンブールと改名され、オスマン帝国の都となる。※関連用語:ルネサンス、大航海時代 1455 【イングランド】議会の地位が買収により弱体化。摂政のヨーク公リチャードが王位を要求し、王ヘンリー6世に反旗を翻す。王家であるランカスター家とヨーク家間における、ばら戦争開始。 1460 【イングランド】ヨーク公リチャードがウェイクフィールドで戦死。 1461 【イングランド】タウトンでの勝利で、リチャードの子、エドワード4世が王位を得る。しかし、味方であったウォリック伯によって、ヘンリー6世が王位に復される。 1471 【イングランド】ウォリック伯がバーネットで戦死。ヘンリーやランカスター派は虐殺される。 1483 【イングランド】リチャード3世が王位を奪う。 1485〜 【イングランド】ランカスター家のヘンリー7世がボズワースの戦いでリチャード3世を破り、テューダー朝を成立させる。諸侯や騎士はさらに没落し、王権は強化。ばら戦争終了。 |
1453 【オスマン帝国】3代スルタン、メフメット2世が、ビザンツを攻め滅ぼす。ビザンツの首都コンスタンティノープルをイスタンブールと改称し首都とする。 1500 【ティムール】ウズベク人に滅ぼされる |
15世紀後半 【東南アジア】チャンパーが、ベトナムに征服される。 |
調査中! | 戦国時代 | 調査中! |
| 年 | 欧州 | 中近東 | 南アジア・東南アジア | 極東 | 日本 | 北・南アメリカ |
| 1 5 0 1 ↓ 1 5 5 0 |
16世紀頃 【欧州】イスラム世界等との往来により、新しい学問・技術が入り、欧州社会は変化。13世紀以来、錬金術から科学が発達。レンズの発明と応用により、眼鏡、顕微鏡、望遠鏡が作られ、天文学や物理学が発達。17世紀のニュートンを頂点とする科学革命に繋がる。※関連用語:地動説、コペルニクス、ガリレイ、ケプラー 1517〜 【欧州】メディチ家出身の教皇レオ10世が、サン・ピエトロ大聖堂の改築資金を集める為、贖宥状(免罪符)を発売。これに対し、ドイツの神学教授だったルターは「人間の救済は信仰によってのみ成される」と贖宥状の無効を訴える。ルターは教会から破門され、皇帝カール5世からも弾圧を受けるが、反皇帝派の諸侯や多くの人々の支持を集める。そして特別な身分の聖職者を否定する新しいキリスト教「プロテスタント」を創始。同時期、フランス人カルヴァンもルターに共鳴して宗教改革運動をするが、迫害を受け、スイスに亡命。カルヴァン主義は商工業者に支持され、資本主義社会の精神的支柱となる。※関連用語:宗教改革、万人祭司主義、キリスト教綱要 16世紀中頃〜 【欧州】プロテスタントが勢力を大幅に増大。カトリック側は、教皇の至上権を確認し、宗教裁判などで対抗。また、カトリックの勢力挽回を目指す戦闘的な宣教師集団「イエズス会」が結成され、アメリカやアジアへの布教に積極的に取り組む(ロヨラ、ザビエル等が在籍)。 16〜17世紀 【欧州】異種のキリスト教の対立によりそれぞれの陣営で「魔女狩り」起こる。数十万人が激しい拷問による自白の後、火あぶりの刑に処される。 |
1512〜 【オスマン帝国】メソポタミア、アラビア半島、シリアを次々に征服。 1517 【マムルーク・オスマン帝国】オスマン帝国が、エジプトを征服し、マムルーク朝を滅ぼす。その際、スルタンが、エジプトに亡命していたアッバース朝のカリフの子孫から、カリフの地位を受け継ぐ。結果、オスマン帝国の支配者は、スンナ派イスラム教徒の指導権を持つ事となった。※関連用語:イェニチェリ 1520〜 【オスマン帝国】10代スルタン、スレイマン1世(壮麗王)の時代に最盛期を迎える。 1521〜 【オスマン帝国】ベオグラードを占領。翌22年、ロードス島のヨハネ騎士団を降伏させ、ベネチアとジェノバの貿易を支配。26年にはハンガリーを征服。29年には、神聖ローマ帝国と戦っていたフランス王と結んでウィーンを包囲。 1534〜 【オスマン帝国】バグダードを占領。38年にはスペイン、ベネチア、ローマ教皇の連合艦隊を破るなどし、地中海の制海権を確立。 |
16世紀初頭 【マジャパヒト】滅亡。 1511 【マラッカ王国】ポルトガル軍に攻撃され敗北。拠点を移し戦い続けるが、勢力は弱まる。 1526 【デリー王朝・ムガル帝国】中近東のティムール帝国最後の王バーブルが、帝国滅亡後に北インドに侵入。ロディー朝を滅ぼし「ムガル帝国」を建てる(ムガルはモンゴルが訛ったものであり、モンゴル帝国の再建と言える)。 |
16世紀 【明】北方に軍事が偏った事で、沿海地域の防備が弱まり、密貿易が活発になる。 |
調査中! | 1519 【アステカ】ユカタン半島に、スペインの征服者コルテスが、500名の兵、16頭の馬、50丁の銃をもって上陸。 1521 【アステカ】コルテスが、首都テノチティトランを占領。アステカ帝国滅亡。アステカがあっさり敗れた理由として、見慣れない服装をしていたコルテスが神「ケツァルコアトル」だと思われたという説がある。征服後は、キリスト教の教会が建設され支配の拠点とされた。 1531 【インカ】エルドラドを探していたスペイン探検家ピサロが、180名の兵、27頭の馬を率いて、パナマを出発。インカ帝国に侵入。 1532〜 【インカ】当時のインカ帝国は、兄弟が皇位を巡って対立していた為、混乱していた。ピサロは会見を装ってインカを捕虜にする。生き神とされたインカを利用し金銀を略奪。虐殺と略奪を繰り返し、翌33年に、インカ帝国を滅ぼす。 16世紀中頃〜? 【中米・南米】アメリカの2つの文明を滅ぼしたスペインは、先住民であるインディオを奴隷化。これは、移住してきたスペイン人達がインディオをキリスト教徒に改宗させる見返りに、強制労働を課す権利を国王が認めた制度によるもので、インディオの奴隷化は合法となっていた。インディオは過酷な収奪にさらされた上、移民が持ち込んだ天然痘や破傷風により大量に死滅。16〜17世紀の間で、8000万人ほどだった人口が350万人に減少する。※関連用語:エンコミエンダ |
| 年 | 欧州 | 中近東 | 南アジア・東南アジア | 極東 | 日本 | 北・南アメリカ |
| 1 5 5 1 ↓ 1 6 0 0 |
16世紀後半〜 【欧州】アメリカ大陸の発見が多大な影響を与える。中南米の銀山から大量の銀がもたらされ、欧州の物価は百年ほどの間に3倍に高騰。アメリカ、アフリカ、欧州を結ぶ大西洋の交易は成長。またアフリカ南端を迂回するアジアとの交易も結びつき、欧州の経済規模は飛躍的に拡大。商業の中心は地中海沿岸から大西洋沿岸へ移る。※関連用語:価格革命、商業革命、ミタの制 1555 【欧州】神聖ローマ皇帝カール5世が、各地の諸侯や自由都市に、カトリックかプロテスタント(ルター派のみ)のいずれかを選択する権利を認める。※間連用語:アウグスブルク宗教和議 16世紀中頃 【ネーデルラント】スペイン領ネーデルラント(現オランダ・ベルギー)が、毛織物業や貿易で栄える。しかし国王フェリペ2世は管理強化の為に民衆に対し、異端審問を行いカトリックを強制。さらに重税を課すとともに商工業者の多数であるカルヴァン派を弾圧。 1568〜 【ネーデルラント】フェリペ二世の圧政に抗し、ネーデルラント独立戦争(80年戦争)起こる。旧教徒の多い南部(ベルギー)は離脱したものの、北部(オランダ)は戦いを続け、81年に独立を宣言。以後、世界規模の貿易に取り組み、17世紀前半には世界の商業・金融の中心となる。関連用語:ユトレヒト同盟 16世紀後半〜 【欧州】宗教の対立により戦争が頻発。62年にはフランスのユグノー(カルヴァン派)戦争、68年にはオランダのスペインに対する独立戦争。貴族の勢力争いと結びつく等もした。 1589 【フランス】ユグノー戦争でユグノー教徒の首領として活躍したアンリ4世が、ブルボン朝を創始。 1598 【フランス】アンリ4世が、ユグノー教徒に対し、信仰の自由とカトリック教徒と同等の政治的権利を認める「ナントの勅令」を出す。これによりユグノー戦争終結。アンリ4世は93年には、王位安定の為に、旧教に改宗していたが、政治的、文化的に、新教の少数者を統合。王権は貴族に勝利。国民的統一国家を実現 |
1571 【オスマン帝国】レパントの海戦。スペイン、ベネチア、ローマ教皇の連合艦隊に破れ、地中海の海上権を失う。 1593〜 【オスマン帝国】神聖ローマ皇帝ルドルフ2世と交戦。 |
1556〜 【ムガル帝国】3代アクバル大帝は、有力ヒンドゥ部族の娘と結婚。軍事征服を重ね、デカン高原を除く、インドとアフガニスタンを支配。また、ヒンドゥ教徒の有力者を官僚として登用し、イスラム教が異教徒に課す不信仰税(ジズヤ)を廃止。ヒンドゥ教徒の懐柔につとめ、支配を安定させようとする。 |
16世紀中頃 【明】密貿易の拠点を一時的に壊滅させる。しかし、密貿易の頭目、王直は日本の五島や平戸に移り、武装貿易で抵抗(後期倭寇)。明が部分的に民間の貿易を認める。 1592〜96 【明・李朝】日本の豊臣秀吉が、東アジアの覇者を目指し、明攻略の手始めとして朝鮮に出兵(文禄の役、慶長の役)。明は李朝に援軍を送るが財政が悪化。更に、東北の女真族の南下を抑える為に戦費がかさみ、農民に重税をかけるようになる。 |
調査中! | 調査中! |
| 年 | 欧州 | 中近東 | 南アジア・東南アジア | 極東 | 日本 | 北・南アメリカ |
| 1 6 0 1 ↓ 1 6 5 0 |
1618〜1648 【欧州】ドイツを中心として、旧教側にスペイン、新教側にデンマーク・スウェーデン・フランスが加担し国際戦争に発展した宗教戦争「30年戦争」起こる。48年のウェストファリア条約で終結するも、ドイツの東西分裂の決定的な原因となった。 1640〜1660 【イギリス】大西洋交易圏の形成期で、毛織物の需要が高まり好況。しかし、新王チャールズ1世が専制を行い、議会、及びそれを支配する地主や商人と対立。内乱「ピューリタン革命」起こる。政治家クロムウェルなどが活躍。ピューリタンらは王を処刑し共和制を施行。後、クロムウェルは軍事独裁を行い、また、ピューリタン主義を民衆に強制した為支持を失う。クロムウェルの死後は議会の穏健派により王政が復活。※関連用語:清教徒革命 中世〜17世紀 【欧州】鉄砲や大砲の誕生により戦争の形態が変わった事で、傭兵や常備軍を維持できる国王が力を伸ばし、国王の宮廷を中心とする主権国家が形成され始める。またカトリック信仰に基づく秩序が、宗教改革によって崩壊した事もあり、一定数の主権国家が血縁関係や権謀術数などの「宮廷外交」で勢力均衡を図り共存を実現。この頃の国王は王権神授説を唱え自らの支配権を主張。(後、フランス革命で国王が処刑されると主権は国民に移り、法律は議会が制定する事になる(国民国家)。 |
17世紀頃〜 【オスマン帝国】欧州の勃興、宮廷の内紛と政治の混乱などで衰退を始める。 1623〜 【オスマン帝国】ムラト4世の治世。イェニチェリが反乱を起こし始める。 1644 【オスマン帝国】サン・ゴタールの戦い。オーストリアに敗れる。 1656 【オスマン帝国】メフメット・キョプリュリュの宰相時代。オスマン帝国の再興をはかる。 |
17世紀頃 【アユタヤ朝】最盛期をむかえる。 1630頃〜? 【ムガル帝国】5代シャー・ジャハーンの愛妻「ムムターズ・マハル(愛称タージ)」が死去。シャー・ジャハーンは、妻の霊をまつる為、アグラの河畔に「タージ・マハル廟」を建設。更に対岸には自分用の廟を造ろうとしたが、息子達の帝位争いによって、6代アウラングゼーブに幽閉される。寂しい晩年となったが、死後、妻の棺の横に葬られた。 |
1616〜 【満州】女真人ヌルハチが満州を統一し、国号を「後金」とする。 1621〜 【後金】瀋陽を陥落させ都とする。 1631〜 【明】農民一揆「李自成の乱」おこる。明の主力軍は女真族に備え北方に配されていた事もあり、首都が突破される。李自成が北京を占領。最後の皇帝、崇禎帝は自殺。明滅亡。 1636 【後金】国号を「清」に改める。 1637 【李朝】清に降伏する。 1644 【明・清】女真族が対峙していた明軍と結び、李自成の乱を鎮圧し、「清」を開く。清は、中国文化を蔑視して短期間で滅んだ元の失敗を踏まえ、柔軟な統治策をとる。その反面、辮髪など女真人固有の風俗を「髪の毛を切らなければ首を切る」と強制。また、厳しい言論統制による支配も行う。 |
調査中! | 17世紀 【中米・南米】スペイン人達、移民の子孫を地主とする大土地所有が普及。当初は国王が土地の支配を委託する制度だったが、後、私的な大土地所有をするようになる。原住民やアフリカから導入した黒人奴隷を労働力とした牧場や農場が広まる。16〜18世紀にかけてのアフリカの奴隷の状況は悲惨なもので、3〜6千万人もの黒人がアメリカ大陸へ奴隷船で積み出され、そのうち3分の2は航海の途中で死に、海に捨てられたとされる。※関連用語:奴隷船、アシェンダ、プランテーション 1607〜 【北米】イギリス人105人が上陸。時の処女女王エリザベスにちなんで、ヴァージニアと命名した植民地を手始めに、多くの植民地を拓く。当初は自営農民が主体であったが、1619年には奴隷の使用が開始。南部のタバコや米のプランテーションで奴隷達は利用された。イギリス本国は、北米の植民地に対して課税は低くしていたが、鉄の生産を禁止する。この事で植民地側は本国からの輸入に頼らざると得なかったが、輸入品には 高率の関税がかけられるなどしていた。これは、本国が植民地を本国の生産物の市場としていたのである。 1620 【北米】英国内で宗教的迫害を逃れオランダに移住していたピューリタン等101名が、現在のマサチューセッツ州コッド岬に上陸し、植民地を拓く。以後、1733年までに13の植民地が成立する。 |
| 年 | 欧州 | 中近東 | 南アジア・東南アジア | 極東 | 日本 | 北・南アメリカ |
| 1 6 5 1 ↓ 1 7 0 0 |
1660〜1689 【イギリス】穏健派の議会が、フランスに亡命していた王族を呼び戻し、王政を復古。しかし、王ジェームズ2世は議会と協調せず、旧教の復活を目指し始める。その為、議会は、88年に王を廃し、王の娘メアリとその夫でオランダ総督のウィリアムを新王と決定する。新王夫妻がイギリスに上陸すると、ジェームズ2世は無抵抗で国外へ亡命。新王は「権利章典」を発布し、立憲君主制の基礎を確立。※関連用語:名誉革命 |
調査中! | 17世紀後半 【ムガル帝国】6代アウラングゼーブ帝がデカン高原以南を征服。インド史上最大の領域を支配する。 1679〜 【ムガル帝国】厳格なイスラム教徒であったアウラングゼーブは、不信仰税を復活させ、さらにヒンドゥ寺院を破壊する。この為、ヒンドゥ教徒が反乱を起こし、帝国は急速に衰え始める。 17世紀末 【東南アジア】チャンパーが滅亡。 |
1662 【清】4代康熙帝が、明の最後の皇族を殺害。 1673 【清】明の遺臣による、三藩の乱を平定。 1683 【清】台湾を征服し明の余勢を一掃。 1689 【清】ロシアとの間にネルチンスク条約という対等の条約を結び、シベリアと東北の境界を設定。 1692 【清】キリスト教を許可。 1696〜 【清】外モンゴル、青海、チベットを征服し、領土を広げる。これら地方は本部に対して「藩部」と呼ばれ、諸民族に一定の自治を認めながらも、各地に配した将軍や大臣に支配させ、広大な地域の支配を可能にした。 |
調査中! | 17世紀末 【北米】カナダとミシシッピ川以西を支配するフランスと、イギリスとの間で植民地争いが始まる。 |
| 年 | 欧州 | 中近東 | 南アジア・東南アジア | 極東 | 日本 | 北・南アメリカ |
| 1 7 0 1 ↓ 1 7 5 0 |
1714〜 【イギリス】スチュアート王家が、アン女王の死去により断絶。代わってドイツから遠縁であるハノーヴァー家のジョージ1世が王として迎えられる。しかし、王は英語を知らず、統治にも無関心で、閣議等に出席しなかった。この為、大臣の一人が内閣総理大臣となり、王の執務を代行。結果的に、責任内閣制の発達を促した。 18世紀〜 【西欧】インドを支配していたムガル帝国が、土侯の割拠等により衰える。イギリスとフランスの東インド会社はインド人傭兵(セポイ)を利用し勢力を伸ばす。ベンガル地方で独立したナワーブ王国はイギリスの東インド会社と摩擦を強める。七年戦争に絡んでナワーブとフランス東インド会社は提携し、カルカッタを陥落させるが、イギリスはそのカルカッタを奪回。 |
調査中! | 調査中! | 1706 【清】イエズス会以外の布教を禁止。 ? 【清】擁正帝が、キリスト教を禁止?布教が困難を極める。 1711 【清】厳しい言論統制「文字の獄」で思想を弾圧。 1713 【清】財政が充実。4代康熙帝の在位50年を記念して、人頭税の軽減を実現。※関連用語:地丁銀 1727 【清】5代擁正帝が、ロシアとの間に「キャフタ条約」を結ぶ。外モンゴルとシベリア間の両国国境の画定および通商などを規定。 1750 【清】6代乾隆帝が、チベットでの反乱を討伐。 |
調査中! | 調査中! |
| 年 | 欧州 | 中近東 | 南アジア・東南アジア | 極東 | 日本 | 北・南アメリカ |
| 1 7 5 1 ↓ 1 8 0 0 |
1757 【西欧】イギリス東インド会社書記クライブは、プラッシー平原で、ナワーブとフランス東インド会社連合軍と戦う(プラッシーの戦い)。クライブはナワーブ総参謀長との間に、イギリスの味方をすれば王位を認めるという密約を結んでいた。その結果、ナワーブ軍の主力は動かず、イギリス東インド会社が勝利する。フランスはこの戦いでインドにおける拠点を失う。 1757〜70 【イギリス】イギリス東インド会社は、ベンガルの国庫から526万ポンドの財産を奪い、1765年にはベンガル地方の徴税権を獲得。その厳しい収奪は飢饉を生み、ベンガル住民の3分の1が死亡する。 1770〜19世紀前半 【イギリス】イギリス東インド会社は、紛争を利用し、インドに散在する小国次々に破り、インドの主要な地域を植民地とする。 フランス革命 政府が、凶作とアメリカ独立戦争の支援で財政を悪化させる。政府は貴族の免税特権の廃止を求めるが、貴族は三部会(聖職者、貴族、市民代表からなる会)での議決を要求し、1789年にベルサイユ宮殿で三部会が開催される。ここで市民は憲法制定を求めて譲らず、後には単独で「国民議会」を組織するに至る。政府がその動きに対して弾圧の構えを示すと、市民は廃兵院から大量の小銃や大砲を奪い、バスティーユ牢獄を襲撃し、占拠する。パリは混乱し、選ばれた400人が市政を担う事になり、民衆兵は国民衛兵として、自由主義貴族のラファイエットが指揮する事になる。 |
調査中! | 1767 【アユタヤ朝】ビルマのアラウンパヤー朝に滅ぼされる。 1780 【ベトナム】阮福映が、「大越国」を樹立。 |
1757 【清】鎖国が敷かれる。外国品は、広州の商人組織のみが扱うようになるが、貿易全体は振るわなくなる。 1759 【清】東トルキスタンを平定。 1793 【清】イギリスの使節「マカートニー」が乾隆帝と会見。対清貿易の拡大を願うも実現せず。 18世紀後半〜1830頃 【清】イギリスは国内で安価な紅茶を飲む習慣が広がり、当時唯一の茶の輸出国である中国(清)から紅茶を輸入していた。清では対外貿易港は、広州1港だけであり、また、海外貿易特許承認の組合が貿易を独占していた事もあり、イギリスの輸出は不振で、紅茶を買うには大量の銀を必要とした。自由貿易を掲げるイギリスは工業製品の輸出を試みるが認められず。そこで、東インド会社はインドへ綿布を輸出し、インドのベンガル地方で作らせたアヘンを買い取り、中国へ密輸出し、中国から紅茶を買い取って本国に運んだ(三角貿易)。清政府はアヘン密輸を禁止したが、地方役人は賄賂を受け取り密輸を黙認。アヘンは広がり、結果、中国からは大量の銀が流出し、銀の価値が上昇。銀での納税を義務付けられていた農民の生活は困窮する。 1795〜 【清】6代乾隆帝の退位の翌年、30万人の民衆蜂起「白蓮教の乱」起こる。清の財政が一気に悪化する。 |
調査中! | 1755〜63 【北米】17世紀末から断続的に続いていたフランスとイギリスの間で「七年戦争(フレンチ・インディアン戦争)」が起こる。イギリスが勝利し、フランスの北米の植民地を全て奪った。しかしこの戦争でイギリス本国の債務は倍増。植民地へ本国なみの課税をするようになる。 1765〜73 【北米】イギリスが北米植民地に「印紙条例(新聞や証書等に対する課税のようなもの)」を出す。これに対して、新聞発行者や実業家が中心に、英貨のボイコット運動を起こし、条例は撤廃される。さらに英国政府は紅茶を大量に買いつけ財政危機に陥った東インド会社救済の為に「茶条例(同社が茶を無税で独占的に販売して良いという条例)」を出す。これには、紅茶の密貿易商人が怒り、茶の荷揚げ阻止などが起こる。ボストン港では急進派が大量の紅茶を海中に投棄した「ボストン茶会事件」が起こる。本件以降、英国はボストン港を閉鎖させ、集会を禁止させる等の対抗策を取ったが、本国と植民地の対立はさらに激化。 1775〜 【北米】英本国軍と、植民地の民兵が武力衝突。植民地側はジョージ・ワシントンを司令官に蜂起。翌76年には、本国からの独立を主張するパンフレット「コモン・センス」が出版され大ヒット。戦争の目的がイギリスからの独立へ転換し始める。同年7月4日、フィラデルフィアで「独立宣言」が出され13植民地は独立を宣言。 1777〜 【北米】植民地側が連合規約を制定し、アメリカ合衆国を成立させる。独立戦争は緒戦においては、アメリカは製鉄の禁止により、武器に乏しく苦戦した。しかし、フランスとの同盟に成功した後はブルボン家の銃がもたらされ形勢逆転。欧州諸国は覇権国家イギリスを叩く好機とし、フランス、オランダ、スペイン、ロシアが植民地を支援。イギリスは孤立し敗戦を繰り返し、1783年のパリ条約で13州の独立を認める。 1783〜 【北米】独立実現後、中央政府の権限について各州間で対立がみられたが、87年にアメリカ合衆国憲法が制定され、三権分立、州の強い権限を特色とする連邦国家が誕生。89年にはワシントンが初代大統領に選出された。 |
| 年 | 欧州 | 中近東 | 南アジア・東南アジア | 極東 | 日本 | 北・南アメリカ |
| 1 8 0 1 ↓ 1 8 5 0 |
調査中! | 調査中! | 調査中! | 調査中! | 幕末 | 調査中! |
| 年 | 欧州 | 中近東 | 南アジア・東南アジア | 極東 | 日本 | 北・南アメリカ |
| 1 8 5 1 ↓ 1 9 0 0 |
調査中! | 調査中! | 調査中! | 調査中! | 調査中! | 調査中! |
黒字は確定部分。青字は更新部分。赤字は要調査部分です!
引き続き、ガンガン勉強&発表して行きます!
ご期待下さい!