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| メンバー紹介 付 談話室 |
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| ●団長:石井 忠夫 ●副団長:安藤 寛 ●幹事長:塚本 一幸 ●幹事長補佐:才田 豊 ●会計:近藤 雄一 ●会計監査:武田 実 |
●音楽監督、指揮者:大久保 光哉 ●コンサートマスター:野宮 徹 ●インスペクター:阿部 祐一 ●パート・スーパーバイザー:戸田新吾(高音部)、 野宮 徹(低音部) |
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(パート寸描)下部3声の支えのもとに、メロディーを気持ちよく歌わせてもらっている。心癒す美声のおじさん天使でありたい、と願いつつ、実は釈迦の手のひらの上で踊っている悪ガキをご紹介します。 |
(パート寸描) ダーク・ダックスでいうと「マンガさん」の担当です。目下7名で、50代・60代・70代(但し前半)と各年代をとりそろえています。ありがたいことに、大久保先生の指導を一番受けているパートです(裏をかえせばヘタクソと言うことか)。音域・音の変化が多く、やりがいのあるおもしろいパートです。(前パートマネージャー近藤雄一) |
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(パート寸描) 洋の東西を問わず、渋く艶があり、世の淑女方を惑わす“男の声”はバリトンと相場が決まっております。わがバリトンの面々も、面相は兎も角、いずれ違わぬ美声(?)の持ち主ばかりです。現在10名。平均年齢は68歳と相当なものですが、みなカクシャクとして練習に励んでいます。(前パートマネージャー実松靖之) |
(パート寸描)バスのマネージャーですが、歌は、ユニークな音程で、メンバーには迷惑のかけっぱなしです。何回、音取りをしても正確に歌えなくて、先生も頭をかかえておられるんじゃないかと思いますが、合唱のハーモニーを求めて練習に参加しています。4つのパートのハーモニーが一致したときのすばらしさは、なんともいえず心地よいものです。ぜひバスにご参加ください。(パートマネージャー泉 隆彦) |
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談話室 |
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| 初盆 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| バリトン 川路 義文 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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早いもので昨年11月妻が心筋梗塞で急逝し初盆を迎えることになりました。子供や孫、妻の兄弟などとささやかな供養をすることができました。仕事(在宅翻訳業)のほかいろいろな活動は従来通りやっていますので、時間をもてあますことはありませんが、誰もいない自分の家に帰るのはすこしつらいところもあります。 1.つかの間の闇も育たず揚花火 日本の俳句人口は多く、平均年齢は76歳だそうです。それに比べると、フォックスの年齢はまだまだ若い。男声合唱にまた俳句にこれからも精を出そうと思っています。 |
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「あづまやの」の元歌に遭遇 |
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バリトン 多田 正志 |
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第9回定期演奏会での清水重道作詞・信時潔作曲「沙羅」の歌詞集を編集しながら、第2曲「あづまやの」の意味深長な内容が気になっていましたが、先日、足助さん(トップ)などと御一緒に運営しているシニアの学び舎「ふれあい塾あびこ」での「源氏物語講座」の西村さち子講師の資料で、その元歌と思われる催馬楽(平安時代、民謡を雅楽風に編曲したもの)に遭遇しました。
ご存じだった方はいまさらとお思いでしょうが、そうでなかった方のご参考までにご紹介いたします。 というものです。 (男) |
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| 吼える狐の仲間入り | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| セカンドテナー 山田 敏彦 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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サラリーマン生活も40年近くなり、転籍後の職場で快適に仕事をしていた矢先に突然病魔に襲われ、勤務を続ける事が出来なくなりやむなく退職しました。描いていた定年後の計画も見事に頓挫、環境の激変に茫然自失の状態で病気と向き合う生活を2年間過ごしてきました。気持ちが萎えていく中で飲食時の誤嚥やしっかりした声も出せなくなり、このままでは本当にやばいと実感するようになりました。ある日たまたま観ていたTV番組の中で、誤嚥や肺炎の防止には舌の筋肉を鍛えることが必要であり、大声で歌うことで効果が上がると紹介されていました。 その時突然ひらめきました。“そうだ!合唱団へ行こう”。 手始めに生涯学習センターのパンフレットや幾つかの合唱団のサイトにアクセスしましたが、その中でシャウティング フォックスのホームページでは多様な個性・経歴をもつ団員達や楽しそうな雰囲気が感じられる団活動などが紹介されており内容も充実していたこともあり、早速練習現場を見学し即入団を決めました。もっぱらカラオケ道のみに精進してきた私でしたが快く受け入れていただきました。 大久保先生(ドクター)の指導のもと、唇・舌・頬・顎・声帯・横隔膜はもとより全身を駆使した発声法や本格派の歌唱力を磨いています。肺の強化・難病克服という私の不純な入団動機に対しても予想以上の効果をもたらしつつあり強い援軍を得た思いです。練習時における、年季が入った生徒と先生の掛け合い(ボケとツッコミ)も絶妙でまさに阿吽の呼吸。各パート間の呼吸が合わない時もありますが、楽しみながら練習しようと全団員が心掛けており正に“音楽”を実践しているグループです。シニア世代が中心のグループですが、他の合唱団とは一味違う‘コク’のあるハーモニーは一見ならぬ一聴の価値があると思います。 話は全く変わりますが、私は1988年から6年間インドネシアに駐在していましたが、その頃五輪真弓の「心の友」が現地で大ヒットしていました(日本では全くヒットせず)。先日放送された「絆・被災地に生まれた心の歌」という番組でスマトラ島沖地震から復興に立ち上がった現場でインドネシア人の小学生達が「心の友」を日本語で合唱している姿が映し出されました。歌が持つ力の強さをあらためて感じさせられました。 さて、このサイトに私と同じように迷い込んで来られた皆様、騙されたと思って1度、吼える狐の練習風景を覗きに来ませんか? 叩けよ(コンコン)!さらば開かれん。 |
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二足のわらじ・・・本業を忘れる定演前 セカンド・テナー 塚本 一幸 私は2001年6月、シャウティング フォックスに入団、その10月に第6回定演があったので、今回は4回目のステージとなる。入団から7年、今年は団塊の世代大量退職による各方面への影響が騒がれている。高齢化の伸展に伴い「長生きのリスク」が@経済面A健康面B生きがいと、3つあるそうだが、私のFOX生活は生きがい面でのリスクをカバーしてくれていると思う。とは言え会社勤め現役、本業との二足のわらじも定演まじか追い込みともなると大変。健康リスクを考えつつ頑張っている。 最近「わが人生の歌がたり」(五木寛之著)を読んだ。私もそうだが懐かしい歌はその時代の自分を想いださせる。印象に残っている出来事がある。何年か前、カラオケのある居酒屋で「みかんの花咲く丘」を歌い終わると年配のママさんが目に涙を浮かべていた。どんな想い出があったのだろうか。今回2・3部の舞台では皆様のよく知っている懐かしい日本のうたや映画音楽を演奏する。私は「水戸黄門」の勧善懲悪・死人が出ない・8:45の「この紋所が・・・」の場面等々でファンである。3歳頃だった長男が「水戸黄門」のテレビを見ている前を横切ってしまった。その時すかさず彼は「人生が見えないよ!」と。その長男も昨年結婚し少しは人生が見えてきたようだ。 3部の映画音楽では一部ソロや齋藤恵さんとの掛け合いを命じられた。前回定演では「ポテトプリーズ!」というせりふがソロ。それだけでも上がっていたのに、今回は家族共々真っ青。今年7月に亡くなられた臨床心理学者河合隼雄さんは「あがる心理」という項目で「『あがる』とはまさにその表現のとおり、意識が高揚し、普通でない状態になっているのだ。『あがる』からこそ、名演奏ができたり、名演技ができたりする。そして、観客の感動もまた爆発的になる」と述べている。そして、最後に「練習不足であがっていては、話にならない」としっかり付け加えている。さーて練習・練習・・・・。 大病からの生還と合唱再挑戦 セカンド・テナー 齋藤 公譽 昨年1月、旅先の札幌で「ラムゼイーハント症候群」という難病で、55日に及ぶ壮絶な入院生活をしました。「帯状疱疹」のウイルスが右反回神経、右舌咽神経等を侵し、12日間四六時中シャックリが止まらない、めまいが酷く歩けない、高熱が続き、声が出ない、食事が咽喉を通らないという激烈な症状で、誤嚥性肺炎も併発、薬の副作用か尿が出なくなり、気張るので痔が出て肛門科にもかかりました。 治療も、首の前側にある自律神経「星状神経節」を摘まんでのブロック(遮断)注射21回、MRI検査2回、レントゲン、血液、聴力、めまい(バランス)検査は数知れず。点滴は頻度が多くて血管が硬くなり物凄く痛い、入浴は出来ないという難行苦行で、体重は一気に10kg減りました。 3月からリハビリへ。呼吸、発声方法の訓練(これは合唱で鍛えていたので、医師に褒められました)。喉の筋肉を鍛える嚥下体操、基礎体力を回復させるストレッチ、自転車ペダルこぎなど、点滴のチューブをぶら下げながら必死で励みました。入院55日目に久し振りの入浴、15日ようやくシャバに戻り、17日我孫子に帰還いたしました。 その後は柏の病院でリハビリと、投薬も続けると同時に、自宅近くの遊歩道を歩きながら毎日約2時間30分、ベンチを利用してのストレッチ、嚥下体操、ゴルフクラブの素振りなどで基礎体力の回復に努める一方、発声訓練と小学校から大学までの校歌、応援歌、フォックスでの合唱で覚えた数々の曲を歌って咽喉を鍛えた結果、幸いにも10月頃から声が正常に出るようになり、体重も5kgは戻りました。 そして、ことしの正月、ほぼ1年ぶりにフォックスの練習にも参加出来るようになり、1991年の第1回定演以来の定演連続出演も出来そうな状態にまで回復しました。まだ後遺症として歩き出すときの若干ふらつき、咽喉の違和感、右耳の痺れ感はありますが、日常生活には影響なく、健康のありがたみを満喫しています。第9回定演、この日を皆様と共にエンジョイ出来ますこと、元気になってよかったと心底から思います。合唱をやっていたことが、生還の大きな励み、助けになっていた、確かにそうだと思います。
バリトン 川路 義文 数年前、我孫子在住の老婦人よりアメリカの英詩の和訳を依頼されたことがある。お姉さんが米国人と結婚され、ガンで亡くなる前後のことを米国人の隣人が書いてくれた手紙に同封されていた詩である。お姉さんはガンに侵された体の苦しみを一切口にせず、他界されましたと、手紙には書いてあった。同封の詩は埋葬式のとき参列者に配布されたものである。詩を訳しながら、いい詩だなと思っていた。その訳詩をお渡ししたとき、美しい詩ですねと感想を述べられたことを鮮明に覚えている。この詩こそ荒井満氏の作詞・作曲になる「千の風になって」の原詩である。 最近親しい友人や先輩などの通夜に参列することが多い。でもお別れするのではなく、死者は再生し、自分の周りにいると思うと、肩の荷が少し軽くなる。荒井氏は文芸春秋9月号に次のように書いている。「12行ほどの長さしかないこの詩を一読して、私は心の底から驚いた。なぜかといえば、この詩の作者が“死者”だったからである。生者が死者の気持ちを慮って書いた詩はいくらでも見たことがあるが、これほど明確に死者が生者に向かって発したメッセージを目にしたのは初めてのことだった。」 今年5月のミニコンサート(湖北台公民館)で「千の風になって」を団員と一緒に歌った。同じ団のコンサートマスター野宮徹氏の編曲もよく、つい先日他界された先輩を偲びながら歌ったら感無量であった。残された日々は少ない。人生の最終楽章をどのように締めくくるのか、悩み多いこのごろである。 FOXで磨く大鍋料理の腕 バリトン 才田 豊 FOXの板長であった堀さんが休団されてハタと困った。私の場合は団活動意欲の半分以上は練習後の飲み会という非常に動機不純かつ単純な理由でしたから。もっとも石井団長も同じ思いだったらしく。「才田、何かやろうよ。乾き物と酒があればいいから」と言ってきた。「そうですね、何か適当にあつらえてみますか」と引き受けたものの、一人の参加費1000円で、何ができるか。取りあえず団長と一緒に天王台のスーパーで買出ししてみたが、どう見ても、予算はオーバーしてしまう。 ふと気がついたのは10丁目会館にある大鍋。昔から私は具沢山の鍋物・汁物が好きでこれを酒のつまみにしている。よし!これだと思ってカミサンに作り方を聞いたら、魚を主体にするなら昆布だしに醤油味、肉だったら豚汁みたいに味噌味かしらね、とのこと。早速、スーパーへ買出しに出陣。何でもありと、豚・鮭・油揚げ・大根・白菜・玉ねぎ・人参・牛蒡・こんにゃく・しいたけ・モヤシなどなど片端から買い込み、家で適当に切って、だしの元・醤油・味噌を会館に持ち込みました。 大鍋に適当に水を入れ具材を放り込んだら、皆が「何が出来るの?」。「俺にもわからん」と答え、恐る恐る味見をしたら豚汁でも、おでんでも、寄せ鍋でもない七色の味。椀に取り、きざみネギをのせ唐辛子をパッパッとふりかけ出来上がりとしたら、皆の評価は、「ウン、意外といける」。「これはやみ鍋だ」とも、「男の料理だね」とも。 お陰で鍋はきれいに空になり、星三つ! 費用もなんとか4000円を切ることが出来ました。 以来、いかに限られた予算、時間(練習の合間と練習終了後の10分程度で準備)のなかで味のハーモニーとボリュームを満足させるか、狐族の「コンコン鍋」と格闘中。賞味期限間近の面々も混じっているFOX。木の葉っぱを小判に見せ、馬のションベンを酒に見せかけ人を騙すが何故か憎めない狐。これはFOX合唱の精神と相通じるところがあります。どなたでも一度騙されたつもりで湖北の十丁目会館に食べにいらっしゃいませんか? |
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ドイツ演奏旅行の記 |
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母校の男声合唱団OBを主体としたマーキュリー・グリー・クラブのドイツ演奏旅行に家内を伴って参加した。団員35名平均年齢65歳、同伴者(夫人)18名、指揮者、ピアニストを含めて総勢55名。現地在住の大先輩F氏とアシスタントのSさん(ケルン歌劇場専属合唱団員)がアテンドしてくださった。F氏は今回の演奏旅行のプロデューサー。 およそ1年をかけて準備したプログラムは次のとおり。 第1ステージ 宗教曲 第2ステージ 日本の歌 第3ステージ 間宮芳生の合唱のためのコンポジションV 第4ステージ 世界の歌 アンコール 現地紙の記事をご紹介しよう。 ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: 教会の内陣を揺るがせた日本人(の歌声) Riedern im Waldのバロック造りの修道院教会の荘厳な堂壁に極東の仏教僧侶の声明(しょうみょう)が響き渡ったのは嘗てなかった出来事である。 しかし7月27日にPfarrkirche St.Leodegarで開かれた音楽会が示したコントラストはこれにとどまらなかった。 日本の合唱団Mercury Glee Club-Tokyoは日本の古典および現代の歌のみならず欧州の歌曲も演奏した。欧州の音楽、なかんずくドイツ歌曲は日本においても重要な文化財である。 したがって、40人の男声歌手の喉からシューベルトの有名な菩提樹がドイツ語で響き、そこから日出る国日本の仏教の僧侶の声明(しょうみょう)まで大きな弧を描いて結んだのは不可思議なことではない。 |
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ドイツ演奏旅行の途中、当教会のオルガン修復資金獲得のための慈善音楽会を開いたこの合唱団は1999に一橋大学のコールメルクールの旧メンバー達により創立された。レパートリーの重要な部分は日本の現代作曲家の作品である。多くの日本の民謡と共に現代日本の作曲家間宮芳生の『合唱のためのコンポジション第3番』が演奏された。この曲は日本の歌のリズムやメロディを材料に創られたものである。極東の歌の響きが当夜の聴衆の耳にはかなりエキゾチックであったとすれば、替わってVerdiの囚人の合唱、アイルランドのAmazing Graceやロシア民謡カリンカなどの欧州の歌も歌われた。 永井宏の指揮による歌手達の声量は圧倒的なものであって、この40人の歌声に内陣の壁が震えたほどである。 ピアノのきびきびした伴奏は中野マリ、そして彼女の9歳の男の子が日本太鼓を叩いて日本民謡の演奏に雰囲気を加えた。 日本の歌手達はアンコールなしでは退場させてもらえなかった。東洋の祈祷の合唱が、それはグレゴリヤ聖歌を想起させるものだったが,
Riedernのバッロク教会へのオマージュとして歌われた。 聴衆は総立ちの拍手で彼等を見送った。 Werner Steinhart ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: この演奏会のあと、F先輩は「スタンディング・オベーションを頂いたというのは大変なことだよ。」とおっしゃった。ドイツを訪れる日本の音楽団体(オーケストラ、合唱団)は少なくない。しかし西洋音楽をそれなりに上手に演奏することはあっても、日本の音楽、日本の文化を発信し、主張することはあまりないという。今回最も評価されたのは間宮芳生と柴田南雄の演奏であり、ぜひ楽譜をいただきたいと望まれたほどである。西洋音楽だけが音楽ではない。それぞれの文化の中にそれぞれ立派な音楽があることを認識したことだった。 どの演奏会場にも日本人の姿を見かけた。浜辺の歌、早春賦など日本の歌が始まると、時には涙を浮かべて一緒に口ずさんでくれた。「懐かしかった、嬉しかった。」と手を握り締めてくださった。長く異国の地に暮らして体の奥深く眠っていた郷愁が沸き上がってきたのだろう。こちらも胸が熱くなる。 難しい話はさておいて、旅のエピソードをひとつご披露しよう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ バスはハイデルベルグに向けてアウトバーンを快調に突っ走る。トイレ休憩を取ったあと、ふと見ると斜め前の席がぽっかり空いている。黒人霊歌Ride the chariotのソリスト、バリトンのT氏のいた席だ。彼の美声がAre you ready, my brother?と問うと、コーラスがOh, yes!と応じるのがこの曲の聞かせどころ。 なんとなく胸騒ぎ。団長に「あの、Tさんは席を替えられましたか?後ろのバスにでも移られましたか?」とお伺いする。「いや、知らんねぇ。後ろに聞いてみよう。」・・・「おい、居ないそうだぞ。」これは事件だ。「そういえばトイレで後ろのほうに並んでいたがなぁ。」「買い物していたような気もする。」いろんな声が聞こえる。とにかく置いてきぼりにしたことは間違いない。さあ困った。どーする?アイフル。冗談じゃない。 首脳陣の顔が深刻になる。ここは取って返すしかない。2台のバスは側道に入った。そこへすっとベンツが割り込んできた。これはほんとの高級車のほうだ。ドアを開けて出てきたのは笑顔のT氏ではないか。我が目を疑う。歓声に迎えられて無事戻った彼曰く。「何で俺を置いてったんねん。わしゃ必死に200メートルも追いかけたのに誰も気いつかへん。あんたら、あのときのわしの絶望感分からんやろ。」「途方に暮れとったらな、英語の分かる親切なトラックの運ちゃんがベンツの女性にドイツ語で説明してくれよって、彼女が190キロですっ飛ばして追いついてくれたんねん。美人やったぞ。」「助手席に座ろうとしたらな、後ろの席に座れ言われたんや。」こういうときには関西のアクセントは迫力が出る。 終わりよければすべてよし。腹を抱え、体をよじり、涙を流す大笑いとなった。団長の「無事帰還できたのも、これみな声明を唱え、アメージング・グレースを歌い、ミサまで歌っているわれわれの精進のおかげであろう。」との総括をいただいたところで無事ハイデルベルグに到着したことであった。 |
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| ミシシッピーの夏 2001年 高音部スーパーバイザー 阿部祐一 |
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2001年6月ミシシッピー州オクスフォード市にある子会社に出向した。タイに勤務している時に一度訪問したことはあるが、数年後にまさか自分が赴任するとは思いもせず「ひどい田舎だな。」と呆れて帰ったものだ。 |
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「バルトの楽園」試写会出演の記 ファーストテナー 木村禧夫 ![]() |
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JORDAN会で以前、男声合唱による「第九」をやろうという話がありました。日本における第九の初演が |
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渡辺直己に出会う 広島県呉市で開かれた大学の同窓会のついでに立ち寄った呉市海事歴史科学館(通称大和ミュージアム)で、FOX第5回定演(1999年6月)で歌った「渡辺直己短歌集」(高田三郎作曲)の渡辺直己に出会った。 |
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アメリカ南部の思い出
高音部スーパーバイザー 阿部祐一 2001年7月から2004年2月まで米国ミシシッピー州のオクスフォードという町におりました。一番近い空港がメンフィス(テネシー州)かツペロ(ミシシッピー州、プレスリーの生まれた町)でどちらも約80マイル(およそ130KM)、運転中に携帯電話の電波が届かなくなる田舎でした。ニューヨークの同僚から「インドからかかってくる電話のほうがよっぽどクリヤーに聞こえる。」と馬鹿にされるほどでした。秋になれば綿花畑が雪野原のようになる、オールドブラックジョーの世界がありました。州の人口の50%以上が黒人、平均所得は米国のワーストファイブの常連。人件費が安いのがとりえというところでした。ミシシッピー・デルタには町の全人口が黒人というところもあります。ディープサウスといわれる地帯です。 ディープサウスの生活は単調そのものでしたが、着任してすぐ同じ町にあるミシシッピー大学で野外コンサートがあると教えられ、胸を躍らせてその日を迎えました。オーケストラはメンフィスの隣町「ジャーマンタウン」のセミプロ、指揮者はメンフィス大学の音楽の教授、メルボルン交響楽団の足元にも及ばぬ腕でしょう。 さて本番2時間前、とてつもない豪雨が襲来しました。ハリケーン「カトリーナ」でなくてもご当地の豪雨、夕立は、突風、雷も伴うもので、熱帯地方のスコールに負けず劣らず凄いものです。時には勢いがつくとあのトルネードに変身する暴れ者です。ついでに脱線しますと中学校で教えられたTVA(ニューディールの一環として行われたテネシー河流域の再開発計画。いまだこのTVA事務所の看板がテネシー河に沿ってあちこちに見られます。)がなぜ必要か、住んでみて納得しました。左の写真は、テネシー河の橋のたもとで撮ったものです。これでも中流です。これから下ってミシシッピー河に合流するのです。 ![]() 本題に戻りましょう。野外での開催はあきらめ、構内の古めかしいホールでの開催になりました。セントルイスブルースはさすがにノリが良かった。変な音も出さず、いや楽しいものでした。途中でマーチが演奏され始めると、何人か年配のおっさんが立ち上がり、周囲の聴衆が拍手を送り始めました。メドレーで次の曲になるとまた別の何人かが立ち上がりました。私の怪訝な顔を見たのか、隣に座っていた会社の同僚が教えてくれるました。立ち上がったのはみな退役軍人で、海軍、陸軍、空軍それぞれ代表的なマーチが演奏された時に起立するのだそうです。「あたしのダディはネイビーだったの。」と誇らしげに教えてくれました。改めてこの国は軍事大国なんだと思いました。 それから2ヵ月後、ニューヨークのテロ事件が勃発しました。すべての交通手段が途絶し、メキシコに出張中だった私は1週間現地に足止めされました。120名足らずの小さな会社でしたが、黒人の青年がアフガン戦争に出征していきました。州兵の訓練に召集される人も何人かでてきました。イラク侵攻が始まったとき「阿部さん、個人的にはこの戦争はやばいと思うよ。」と言う男もおりました。ミシシッピーのようなところでテロの対象になるものがあるかと思ったら、「原子力発電所があるくらいかな。」という返事。「白い粉に気をつけなきゃね。」といえば、「こんなところにそんなもの送りつけるあほなテロリストなんぞいませんよ。」と軽くいなされる始末。残業していると野生の鹿の家族が窓から顔を覗かせます。そんなのんびりした田舎です。今ごろは家々の庭先にナシの花が満開になっていることでしょう。鯰釣りに、キャンプに家族そろって繰り出していることでしょう。 昨年10月リタイヤの挨拶を兼ねてこの田舎町まで行ってきました。秋はフットボールシーズン、宿敵アラバマ大学との試合にキャンパスは大賑わいでした。何しろ人口1万5千、プラス学生1万5千の町に大学が所有するフットボール専用の6万人収容のスタジアムがあるのです。マーチングバンドのパフォーマンスに拍手を送り、可愛いチアガールに鼻の下を伸ばしたことでした(上の写真右をご参照あれ)。試合前日はお金持ちのOBが自家用ジェット機で大学の飛行場に降り立ちます。それも1機や2機ではありません。私はこれも大学が所有するゴルフ場でプレーしながら、この自家用機の離着陸を眺めたものです。 かつての同僚たちの変わらぬ「サザンホスピタリティ(南部のやさしい心遣い)」に楽しい数日を過ごしました。
初の定演に子規を歌う ファーストテナー 足助哲郎 私は今年シャウテイング・フォックスに入団した新人で今回がはじめての定演です。昨年11月、我孫子第九を歌う会への参加が入団の切っ掛けになりました。それまで合唱とはほとんど縁がありませんでしたが、第九で経験した合唱の感動をもっと持ちたいと思ったからです。 長い戦争が終わって軍需工場の動員から開放され、−年ぶりに復学したのが旧制中学四年生であった。早速の音楽の試験は、何と、校歌を譜面に現せ、と言う問題で、ガリ刷りの五線紙を渡された。1時間の悪戦苦闘のすえ、見返す暇のないまま答案を提出した。 |
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| 最年少団員の弁
セカンドテナー 出沼 哲 えー はじめまして。シャウティング・フォックス 最年少の出沼サトルと申します。公の場を借りましてのごあいさつははじめてすね。高1の若さでFOXの門をたたいてはや3年。やっとメンバーの一員として認知されてきたころでしょうか。 |
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「いつも青春 シャウティング・フォックス」 バス 北澤 和郎 学生時代に学業そっちのけで没頭した合唱(男声・混声)であったが(未だに「膨大な卒業試験を前にして困惑する」というカフカ的夢を見る!)、その後とんとご無沙汰。しかし我孫子に越して来て6年目の1991年、『シャウティング・フォックス第1回演奏会』というド派手なポスターに遭遇した時から事態が一変した。男声合唱組曲『柳河』・『月光とピエロ』等という最早「古代文字」と言っても良いような曲名を見つけて驚愕&ニヤリ(「まだこんな古臭い事をやっている奴がいるのか?しかも男声合唱団!」)。さっそく興味本位・野次馬根性で演奏会に行った。正直な所、お世辞にも「上手い!」とは言えなかったが、その「泥臭い意気と熱気」には共感、特に演奏終了後の「ロビー・コール」での日本民謡の馬力に打たれて結局フォックスの門を叩き、23年ぶりに合唱の扉が再び開いた。 |
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青年の心 セカンドテナー 塚本 一幸 23年目の男声合唱団というと、老後の楽しみのために寄り集まったおじさん合唱団と思われるかもしれないが、フォックスは「歌も歌える合唱団」。「も」と「が」の違いに注目して欲しい。歌だけなら誰でも歌える。カラオケ全盛時代、一億総歌手だ。我々は(入団2年目の私はさておき)戦後の復興期、経済成長期、そして今の大変な時代それぞれの仕事を通して日本に貢献し、後輩を育ててきた錚錚たるメンバーだと最近思っている。 |
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合唱と翻訳 バリトン 川路 義文 フォックスに入団して2年がすぎました。まだ初心者ですが、合唱がすこし分かってきたような気がします。指揮者の動きや意図に合わせ、各パートのハーモニーが全体のハーモニーになり聴衆に作詞者、作曲者、編曲者の意向を伝えます。上手にまた美しい声でその意向を伝えるには日ごろの練習や指揮者の伝えたいことをよく理解することが大事だと思います。また社会生活で大事なことの1つ「和」も合唱には必要です。 |
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