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       定期演奏会の記録

結成30周年記念
第10回定期演奏会
2009年9月13日(日)
けやきプラザ・ふれあいホール
指揮:大久保光哉


【第T部】 フォーレ作曲「レクイエム
(吉岡弘行編曲男声合唱曲)

●ソプラノ:菊地美奈 
●賛助出演:女声合唱団ひかり
●オーケストラ:小高根真理子とアンサンブルFOX 
伊藤佳苗(エレクトーン)

1.Introit−Kyrie(入祭唱と憐みの賛歌)
2.Offertorium(奉献唱)
3.Sanctus(感謝の賛歌)
4.Pie Jesu(ピェ・イエズ)
5.Agnys Dei(平和の賛歌)
6.Libera me(赦祷文)
7.In Paradisum(楽園歌)

・・・・・・・・・・・・・・・・休憩(20分)・・・・・・・・・・・・・・・

【第U部】 “Jazzy & Jizzy

〜粋なキツネたちが繰り広げるジャズィーな世界〜

 
●シャウティング フォックス + びこうずSPECIAL
●演出 大久保光哉  ●編曲 野宮 徹

1.明るい表通りで (ドロシー・フィールズ作詞 ジミー・マクヒュー作曲)
2.ムーン・リバー (ジョニー・マーサー作詞 ヘンリー・マンシーニ作曲) 
3.オール・オブ・ミー (セイモア・シモンズ作詞 ジェラルド・マークス作曲)
4.この素晴らしき世界 (ジョージ・ワイス作詞 ジョージ・ダグラス作曲)
5.星に願いを (ネッド・ワシントン作詞 レイ・ハーリン作曲)
6.いそしぎ(ポール・フランシス・ウエブスター作詞 ジョニー・マンデル作曲)
7.SUKIYAKI(上を向いて歩こう) (永六輔作詞 中村八大作曲)
8.愛さずにはいられない (ドン・ギブソン作詞、作曲)
9.ハロー・ドーリー!(ジェリー・ハーマン作詞、作曲)
10.スターダスト (ミッチェル・パリッシュ作詞 ホーギー・カーマイケル作曲)



ご報告

好天にも恵まれ、定刻前から、満席となり、
かなりの方に入場をお断りするという盛況のうちに開演

第1部では、宗教音楽の名曲「フォーレのレクイエム」を、
第2部では、ジャズの名曲の数々を演奏いたしました。
最後にアンコールとして「WE ARE THE WORLD」を
会場の皆さんと合唱して、無事閉幕しました。


当日のアンケートでは
「大変良かった」が80.1%、
「良かった」が19.9%、
「あまり良くなかった」は0%と
高い評価をいただきました。

そして

◆音楽の素養なくても楽しめる構成
◆レクイエムとジャズの組み合せ面白い
◆宗教曲とジャジーな世界、多彩な魅力にあふれるフォックス
◆クラシックとモダンとよい出会いをしました
◆感動、心に届くひととき有り難う
◆無条件に楽しかった
◆エンターテイメントとしては最高
◆迫力あり楽しかった
◆全体にまとまりがあり、楽しかった
◆あっという間、昔のフォックスじゃない、キツネは変身するか
◆一部、二部のチェンジが面白い、まだまだ若い
◆男声版フォーレレクイエム、新しい挑戦に拍手
◆静かでいて静寂、骨太い、表現する言葉がみつからないが男声合唱の素晴らしさ味わった
◆お客に楽しんでもらおうというサービス精神と自らも楽しもうという意気込みが伝わった
◆みなさんとても楽しそうに歌っていて見ているこちらも元気をもらえました。
◆団員が楽しそうなのが良かった、これからも体力の続く限り頑張って
◆身近にこんなすばらしい合唱が聴けたのは感激、
現地ミラノスカラ座のヴェルディのレクイエムを聴いてきたばかり、
比べるのはムリですが負けるとも劣らぬ感動
◆年齢を感じさせない若々しい声に驚き
◆平均68歳の青春万歳!!
 ◆皆さん若々しい。これからも頑張って

などの温かいコメントをいただきました。
ありがとうございました。



定演プログラムから

ごあいさつ

男声合唱団シャウティング フォックス結成30周年記念、第10回定期演奏会にご来臨賜り、心からお礼申し上げます。
30年という長きにわたり活動できましたことは、言うまでもなく地域の皆様方の温かいご支援の賜物でございまして、重ねて厚くお礼申し上げます。

さて本日の演目ですが、第T部では初めてオーケストラ伴奏で歌います。それもめずらしい男声合唱版のフォーレ「レクイエム」です。通常の混声合唱とは異なる「色とリズムのある時間の流れ」をお楽しみいただけたらと存じます。

第U部は、ジャズを試みました。
多人数で歌うジャズ、あまりお聞きになったことはないのではないでしょうか。編曲者も、イントロ、サビの盛り上げ、中間アンサンブル、エンディングと大変苦労したところです。多くの皆様が若かりし頃、一度はお耳にしたことのあるメロディーです。懐かしんでください。それらの曲を「演じながら歌う」のがフォックス流です。ジャジー(爺)な舞台になることでしょう。

当団が、新たな発展を求めて、今後どのように活動していくのか。「師匠」と呼ばれて親しまれている大久保光哉さんの指導にご注目ください。末永く今後も何卒よろしくお願い申し上げます。

男声合唱団 シャウティング フォックス団員一同



「フォーレのレクイエム」って何なのさ?

ファーストテナー 秋元通晴 阿部祐一

    A…クラシック音楽の雑学にやたら詳しい音楽オタク。
    B…音楽のことはほとんど知らない、食い気と好奇心旺盛なオッチョコチョイ。

(B)友達からフォックス定演のチケットをもらったんです。えーっと、第一部「フォーレのレクイエム」か…ややこしそうだな。そもそも「レクイエム」ってなんですか。

(A)あのね、「レクイエム」とは、「死者のためのミサ曲」。日本語で「鎮魂曲」とも言うが、葬儀の時などに死者に捧げるカソリックの平安の祈りの音楽なんだ。

(B)ああ、つまり、葬式のお経のようなもんですね。でもまた、何でフォックスが定演でお経なんぞをやるんですかね?連中やっと改心したのかしら。

(A)お経ねえ!まあ、ミサ曲は、教会堂で節をつけて唱えていた祈祷が音楽的に進化したものだから、西洋風のお経と言えないこともないが…。教会音楽からクラシック音楽が生まれ、やがてそこからジャズやポップスも生まれてくる…。このフォーレのレクイエムは、西洋音楽のまさに記念碑的な名曲・・・といっても、お前さんには到底分からんだろうねぇ!(大きなため息)そうだ!ちょっとCDを聴いてみよう。(ふたりでCDを聴く)

(B)うーん、なんだかとても癒されるというか、幸せな気分に包まれるというか。それに、どこか懐かしい旋律と東洋的な響き…。(深い感動の面持ち)

(A)やっと分かってくれたか!いや嬉しいね。(涙)

(B)ところでですね、フォーレとはどんな人?

(A)よくぞ、聞いてくれた!作曲者ガブリエル・フォーレは1845年5月12日、フランスのパミエ市街マジョール通り17番地で生まれ…(あまり長いので以下カット。オタクはこれだから困る。《編集者》)

(B)(あくびをかみ殺しつつ)そ、それで「レクイエム」を作曲した時、フォーレはどんな仕事をしてたんですか。

(A)マドレーヌ寺院のオルガニストで合唱指導者だった。「レクイエム」全7曲は一挙に書かれたわけではなく、1877年頃から少しずつ書き進めていたのだが、彼の母親の死の直後の1888年1月、一気に完成したらしい。

(B)CDでは女性の声が聞こえましたけど、フォックスは男声合唱団ですよね。

(A)原曲は混声合唱なんだ。作曲家吉岡弘行氏が東京クローバークラブの委嘱で男声合唱用に編曲、2002年6月22日に東京の霊南坂教会で初演されている。氏は岡山のご出身で東京芸術大学作曲科卒、同大学院修了。私も「管弦楽のための『レ・プレリュード』」や合唱組曲「十ぴきのねずみ」は聴いたことがあるな。

(B)す、すごい!(オタクもここまでくれば…と尊敬のまなざし) フォックスはその吉岡弘行編曲の男声合唱版で演奏するんですね。

(A)そう、そう。ただ、カウンターテナー(裏声で歌う高声テナー)の部分を女声にしたり、合唱部分で若干パート間の和声の移動をするなど、ちょっとしたアレンジの変更をしているらしい。

(B)レクイエムは西洋のお経で、フォーレの音楽には東洋的な響きがある…男声合唱だと東大寺の声明を聴くようでいいかも。よし、聴きに行ってみよっ!

(A)西洋音楽の「レクイエム」と東洋音楽の「声明」か…。これは、確かに目から鱗だなあ。



フォーレの時代

インスペクター、バリトン 市川和男
   

T、古き良き時代 Belle`Epogue
音楽家ガブリエル・フォーレ(1845〜1924)が活躍した時代は、フランスは“ベル・エポック時代”と称し、世界の文化の中心として花開いた時期である。政治的には「第三共和制時代」。ナポレオン三世が倒れ、第一次大戦(1914年)となるまでの期間を指す。世界の文化の担い手として、巴里がウィーンに替わり花開いた時期である。その象徴が1900年巴里万国博開催であり、エッフル塔(写真)建設がそのシンボルであり、「鉄とガラスの世界」の到来へとなる。:この時期は、文化史的には<世紀末>と名付けられる。

藝術の世界、特に絵画では新しい芸術アール・ヌーヴォ<Art Nouveau>の誕生と特記され、浮世絵が大きく影響を与え、ジャポニズムの中から生まれたのが、日本でも人気の高い印象派絵画である。その名称とされるのがモネ作品、表題[印象―日の出]を引用したもの。印象派はマネ、ドガ、ルノワールへと発展。さらに近代絵画の祖とするポール・セザンヌがおり、ゴッホ、ゴーギャンに繋がる新美術時代を形成した。

これら新しい潮流は空間藝術にも波及。曲線を組み合わせた表現法は、鉄やガラスなど新しい素材の開発が工芸作品に及んだもの。その複雑な曲線を組み合わせた有機的な空間藝術は、さらに建築界に波及、新世紀を彩っている。巴里ボン・スマシュ百貨店(世界初のデパート)を筆頭に、アメリカのクライスラービルがその代表であり、日本では聖路加病院、伊勢丹(いずれも改築前の)である。かくて高層化する二十世紀の誕生となった。

 文学の世界にはV・ユーゴー、A・デュマ、エミール・ゾラ、マラルメ、モーパッサンと仏文学はまさに百花繚乱。マルセル・プルースト=失われた時を求めて、“秋の日のビオロンのため息”で知られるポール・ヴェルレーヌがおり、音楽の世界ではドボルザーク、グリーク、マーラー、プッチーニ、ドビッシーなどフォーレと同世代の音楽家である。

 アール・ヌーヴォとされる時代は1880年代後半、マルクスの資本論が出版された時期。それに符節するように都市労働者が誕生。産業革命時代の到来となる。そこには労働争議が頻発し、個人の権利意識が新しい市民社会の中に定着していく時代でもある。

 これらの推移を見ると、この時代は中産階級の台頭とともに、中世の工芸技術を背景とする職人社会から、直線化を追求する機械文明社会へと発展。また、それらへの反動からより人間的な曲線を求める、芸術表現が産んだと理解されている。

 U、サロン文化

 これらフランス市民文化の本質を形成したものとして<サロン文化>を抜きには語れない。古くはルイ14世時代、貴族の館における芸術家サロンを嚆矢とし、それらは采配した貴族夫人、或いはマダムの元に多くの人材が参集し、仏蘭西文化を形成させた。その代表ともされる有名なポンパドール夫人。そのサロンには哲学者ヴォルテールやモンテスキュー、ディドロなどが参集、百科全書派がフランスの知性となるきっかけとなる。ポンパドール夫人(娼婦の出とされ)はヴォルテールを愛人とし、モンテスキューはこのサロンの支持があってアカデミー入りとなったという。

かくて市民社会が発展するとともに、サロンは宮廷から民間へと広がり、金持ちがサロンを開き、それを主宰する女性=マダムが持て囃された。その辺りを、J・Jルソー「巴里は、マダム抜きでは、なにも生まれない」と言わしめた。

サロン文化は欧州王室に波及。トルストイ「戦争と平和」に見られる貴族社会の舞踏会の様子に、仏蘭西文化への憧れの様子がよく読み取れる。サロンの雰囲気をよく伝える作品にロマン・ローラン「ジャン・クリストフ」がある。“音楽家クリストフはドイツを追われ、19世紀末の巴里に亡命する。なんの縁なく渇望生活の中から、サロンへ潜り込み、理解者を得、音楽家としての地位を築く訳だが、社会紛争に巻き込まれ、スイス亡命となり、大いなる恋の誕生となる”。

これらサロンの成立にはパトロン=市民社会が生んだブルジョワがあり、マダムの才覚あってのこと。かくして学者、文人、画家、音楽家に新聞記者など様々な才能ある人材が蝟集、離合集散の中に互いに覇を競う。しかも栄誉を求める無償の行為。小説「J・クリフトフ」はチャンスを掴み、世に出るキッカケを掴む訳だが、これらのサロンの支持を得、理解者を広げていく。その辺り、女主人のパーソナリティが相当程度影響していく。この小説は、クリフトフの音楽家人生を語るとともにフランス文化の本質をよく伝えた、ロマン・ローランのノーベル受賞作品である。

  このマダムの存在を伝えるもう一つの作品に、ヴェルディのオペラ「椿姫」がある。ヒロインの名、ヴィオレッタ=菫スミレの意だが、音楽界では純情な青年アルフレッドを惑わす役柄から「ラ・トラヴィアータ」“道を踏み外した女”として通称されている。彼女はサロンを取り仕切るマダムで、高級娼婦上がりとされるが、仏蘭西ではそれらの前歴、ポンパドール夫人を始め、さほど気障りとせぬ存在のようで、日本の感覚でいう単に娼婦上がりとして捉えることにはかなりの違和を抱く(好事家の考察を期待したい所)

仏蘭西は離婚が許されない厳格なカソリックの社会。従って夫または妻持つ身が愛人をもつことに寛容でバランスを保っている。公的な教義と個人の享楽との区分けを容易とする、まさに大人の社会を見事に併立させている。

作曲家フォーレは牧師の子として成長、サロンを経て作曲家としての地位を築き、国立パリ音楽院院長として仏音楽界への貢献。M・プルーストは、その音楽を愛し、最大の賛辞を呈している。フォーレの死は国葬をもって送られる栄誉に辿りつく訳だが、また華麗な女性遍歴も重ねている。音楽仲間であるドビッシー夫人や英国楽譜社長夫人と懇ろな関係を続け、作曲仲間の娘とは常に旅行に同伴する間であったとされる。

:現代の仏大統領を見ても、ド・ゴールは厳格な愛妻家で有名、先代のシラクも同様だったが、他方、いまのサルコジなど大統領就任早々のバカンス、若い女の子を載せての地中海クルーズにマスコミを賑わせた。三代前のミッテランは、就任中に成人した娘を認知。群がるマスコミの問いに、“Que ?・・それがどうかした?”の一言で片付け、評判となった。


〜Jazzy な Jizzy?〜

第2部選・編曲担当、コンサートマスター 野宮 徹

「ジャズなんて、どう?」
  「おおう、いいねぇ〜。カッコいいんじゃない!」

 「歌も歌える合唱団」から「歌って踊れる合唱団」へと変貌(?)をとげたFOXが、次に繰り広げますのは“ジャズの世界”。

洋楽といえばジャズ――そんな青春時代を過ごしたオールド・キツネたちゆえ、ジャズはお手のものかと思ったら、聴くのはお手のものだが、歌うのはお手の外だ、と。

FOX3大弱点の“リズム感”がジャスの命となれば、なるほど練習が始まる前にすでに『レクイエム』状態。(えっ、残りの弱点は何か、ですって? “音程”と“お酒”!)

大久保師匠から「裏拍!ウラハク!」とゲキが飛べど、心拍数が上がるだけでウラもオモテもあったもんじゃない。十人十色でリズムも音程もてんでバラバラ!(まぁ、いつものことではありますが‥‥)おまけに歌詞が横文字とくりゃあ、ただでさえ回らぬ呂律がもつれにもつれてレロレロに。

ついにはギブアップで「ワシはワシの道を行く!」(それじゃ、合唱にならないの!)

こんな調子ですから、蓋然というか必然というか、選曲や編曲もできるだけ簡単で、テンポも速からず遅からず、聴きようによってはジャズっぽく聞こえ、なおかつカッコよく見える、という極めて作為的かつ高度な政治的判断で行われたのであります。

地獄に思えたフォーレの練習が天国に見える苦難の日々を乗り越え、たかどうかはわかりませんが、ともあれ、ついに、とにかく、何とか、今日ここに、Jazzyな世界を繰り広げる(予定の)クールなジジィたちなのであります。

客席の皆さまにおかれましては、くれぐれも細かいことは気になさらず、私利私欲を捨て、慈悲の心をもって、ご一緒にお楽しみいただければ幸いなのでございます。

何しろFOXは「歌も歌える合唱団」なんですから‥‥。


第9回定期演奏会

平成19年10月14日(日)午後2時開演
けやきプラザ・ふれあいホール


ご挨拶

本日はお忙しいなか、ご来場くださいましてまことにありがとうございます。 

我孫子市湖北台に呱々の声を上げたシャウティング フォックスの定期演奏会も
お陰様で9回目を迎えました。
1991年5月に初めての演奏会を催してから16年、
血気盛んだったメンバーの多くが第2の人生を歩み始めております。

文字通り咆哮するがごとき合唱団でしたが、
大久保光哉先生のご指導の下、音楽の奥深さを知り、
いささかでも大人の音楽を表現できるよう精進してまいりました。
本日は幼いころから親しんできた歌、青春の思い出の詰まった歌を、
それぞれの来し方、行く末への思いを精一杯こめて歌い上げたいと存じます。

日曜日の午後のひと時、皆様と心の通い合う演奏会になりますよう、
団員一同願っております。
最後までお聴きくださり、ご批評、ご叱正賜りますれば
これに勝る幸せはございません。



プログラム

指揮:大久保光哉

第T部 男声合唱組曲「沙羅」
(清水重道作詞 信時潔作曲 木下保編曲)
ピアノ:大澤絵美

1、丹澤(たんざわ)
2、あづまやの
3、北秋の
4、沙羅(さら)
5、鴉(からす)
6、行々子(よしきり)
7、占うと
8、ゆめ

第U部 日本のうた 〜無法ギツネの一生〜
構成・演出:野宮 徹  ナレーション:山中百合子

1、赤とんぼ(三木露風作詞 山田耕筰作曲 福永陽一郎編曲)
2、里の秋(斉藤信夫作詞 海沼実作曲 福永陽一郎編曲)
3、牧場の朝(杉村楚人冠作詞 船橋栄吉作曲 野宮徹編曲)
4、仰げば尊し(作詞・作曲不詳 伊藤幹翁編曲)
5、琵琶湖周航の歌(小口太郎作詞  吉田千秋原曲 野宮徹編曲)
6、見上げてごらん夜の星を(永六輔作詞 いずみたく作曲)
7、銀色の道(塚田茂作詞、宮川泰作曲 野宮徹編曲)
8、浜辺の歌(林古渓作詞、成田為三作曲 野宮徹編曲)
9、昴(谷村新司作詞・作曲 野宮徹編曲)

・・・・・・・・・・・・・・・・休憩(15分)・・・・・・・・・・・・・・

第V部 映画音楽 〜Dancing Fox?〜 
構成・演出:大久保光哉  ソプラノ:齋藤 恵  ピアノ:大澤絵美

1、慕情 (Paul Francis Webster作詞 Sammy Fain作曲)
2、雨に唄えば (Arthur Freed作詞 Nacio Herb Brown作曲 大久保光哉編曲)
3、踊り明かそう(Alan Jay Lerner作詞 Frederick Loewe作曲)
4、スペインの雨 (Alen Jay Lerner作詞  Frederick Loewe作曲)
5、ララのテーマ (Paul Francis Webster 作詞  Maurice Jarre作曲 大久保光哉編曲)
6、サウンド オブ サイレンス (Paur Simon作詞  Paur Simon作曲 大久保光哉編曲)
7、運がよけりゃ (Alen Joy Lerwe作詞  Frederick Loewe作曲)
8、タラのテーマ(Mack David作詞 Max Steiner作曲  大久保光哉編曲)
9、ああ人生に涙あり(山下路夫作詞 木下忠司作曲 大久保光哉編曲)
10、スーダラ節(青島幸男作詞 萩原哲晶作曲 大久保光哉編曲)

司会:野宮真悠子

ステージマネージャー:稲葉 悠紀子
(我孫子合唱連盟副会長、混声合唱団「響」副団長)


照明プランナー:高久 雅鼓


第T部 男声合唱組曲「沙羅」

(清水重道作詞 信時潔作曲 木下保編曲)

  一. 丹 澤(たんざわ)

枯れ笹に陽(ひ)が流れる、背に汗
うらうらと雲さへも、冬なのに
尾根長く檜洞(ひのきぼら)こえて響く澤おと
どの山も崩土(がれ)の色だけは
凍(い)ててゐる

塔のむかふ町並光らせて秦野(はたの)
見やる天城(あまぎ)も明るい草附き
雪の來ぬ冬山のくぼに
煙草吸うて見る
ひとり

◆丹澤=神奈川県北西部を中心に、静岡、山梨両県にまたがる山地◆檜洞=檜洞丸(ひのきぼらまる)。丹沢山地の丹沢主稜にある山◆崩土=山の斜面が崩れたところ◆搭=搭が岳(1400m)

  二. あづまやの

あづまやの
まやのあまりに
立ちぬれて
殿(とん)の戸あけと
云ひし人もが

鎹(かすがい)もとざしもなしと
云ひし人もが
五月雨(さみだれ)に
わが訪ひくれど
門(かど)さして
君はいまさず
憎くや
この君

◆あづまや=東屋。ひなびたあるいは小さな建物◆まや(真屋)のあまり=棟の前後にふきおろした軒のそば◆殿(とん)の戸=立派な建物の戸◆鎹(かすがい)=材木をつなぐ大釘◆とざし=錠、掛け金


  三. 北 秋 の

北秋(きたあき)の
峡(かひ)のこヾしき道のくま
わが見し花に
名づけてよ 君

いなむしろ
君によそへて
呼ばましものを

みつみつし
白く小さき
北秋(きたあき)の花

◆峡(かひ)=山と山との間◆こヾしき=岩などがごつごつしている◆くま=隈。折れ曲がって入り組んだところ◆よそへて=あるものを他にたとえる◆みつみつし=ひそやかな、の意か。


  四. 沙 羅(さら)

林、音なく
日の暮は
ゆめのごとし

眞玉(またま)夕つゆ
おもくして
沙羅の花ちる

さ丶ら
沙羅の花
ほの黄色(きいろ)なる

(注)「沙羅」は夏椿。よく「沙羅双樹」と呼ばれるが、釈迦が亡くなったときに近くにあったことで有名な沙羅双樹は、熱帯樹で、日本の風土では育たない。◆眞玉=玉の美称。◆ささら=小さい、の意か。

  五. 鴉(からす)

小田の薄(うす)ら氷(ひ)
ふみ破(わ)り
踏(ふ)み渉(わた)る

大おそどり、からす

首ふり
肩をはり
蹠(あうら)つめたげに
ついばむ
ひょうひょうとして

大おそどり からす

◆大おそどり=非常にそそっかしい鳥◆蹠(あうら)=足の裏


  六. 行 々 子(よしきり)

ふるさとの
河原の平(ひら)に

よしきりは鳴く
日ねもす鳴く

昔わが遊びし時と
變(かわ)ることなし

よしきりは鳴く
日ねもす鳴く
耳いたく鳴く

  七. 占 ふ と

占ふと 云ふにあらねど
梳(くしけづ)るわが黒髪の
常(いつ)になうときわけがたく
なにがなし
心みだる丶

ためらふと云ふにあらねど
すき櫛をくしげに捨て丶
わけもなう嘆息(ためいき)すれば

あ丶まこと
わが戀のさだめにも似て
ひたすらに
心わびしも

(注)男性の歌というのが定説
◆梳(くしけづ)る=くしで髪の毛を整える
◆くしげ=櫛笥。くしなどを入れておく箱

  八. ゆ め

あかつきに
見るゆめの
さめはてぬ
かなしさや

野のはてに
池ありて
人をらぬ
静けさや

白々(しらじら)と
ただひろく
ひろごれる
さびしさや

夢ごころ
うつつ心
ただひろき
池ばかりなる

◆ひろごれる=広がる

      
       「沙羅」について


            バリトン 多田 正志

 「沙羅」は、山田耕筰、滝廉太郎と並ぶわが国の洋楽のパイオニア信時潔の代表作のひとつ。もともと独唱曲集で、作曲は1936年、49歳のとき。有名な「海ゆかば」作曲の前年で、信時潔の作曲活動のピークといわれる時期であった。当時東京音楽学校在学中の福永陽一郎によると、1943年、木下保により初演されるや、「この歌曲集を歌うことは、必ずしなければならないことのように」学内に一気に「沙羅」愛好病が蔓延した、という。翌1944年には、同じ木下保によるレコードが発売されている。

合唱曲への編曲はまず1960年、福永陽一郎による女声版編曲ができ、その後に2つの男声版ができた。第1は、福永陽一郎版で、1967年、慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団第92回定期演奏会で、木下保指揮で初演された。第2は、今回演奏する木下保版で、1971年、同じ慶應ワグネル第96回定期演奏会で、同じく木下保指揮で初演された。

8編の詩は、日本語の豊かな表現力や伝統を組み合わせたもので、国文学者清水重道が東京大学文学部卒業前後に作ったと思われる。團伊玖磨は「信時先生は、その性まことに明治の日本人であった。東洋的な性格と西洋音楽の伝統への傾倒が、たまさか一つになりえたときに名作が生まれた」と分析し、「沙羅」は、信時作品の中でも芸術的に最も高い曲の一つ、と評価している。

独唱曲初演から合唱曲編曲まで、この曲と深いかかわりを持つ木下保も、楽譜(音楽の友社)で「八曲よりなる連曲は日本古来から現代に至る純粋な日本的香り豊かな、そして気品ある作品である。それぞれの曲は誠に特色ある歌であり、さながら日本画の個展へ行って、様々な手法による絵に接した感がある。キャンパスに、板に、大小の掛軸に南画風の墨絵あり、淡彩画ありと言う風である」と述べている。

ちなみに、わが国女性声楽家の草分けといわれ、夫柳宗悦(白樺派の中心人物の一人で、民芸運動の創始者)とともに大正年間、6年半にわたり我孫子に住んでいたことのある柳兼子も「沙羅」独唱曲を愛唱しており、我孫子市・緑の白樺文学館でそのCDを聞くことができる。

作詞者清水重道について


「沙羅」の作詞者清水重道に実際に教わったという元大学教授が我孫子市内にいらっしゃいました。長崎総合科学大学教授を定年退職された後、1991年から10年間、我孫子市内の中央学院大学教授を勤められた早川雅之先生です。市内有志により16年続いている「近代文学講座」の講師をされている近代文学の権威で、先生は手を尽くして清水重道の経歴もお調べくださり、次の一文を頂戴しました。


わが師 清水重道先生

    元中央学院大学教授 早川 雅之

先生のご経歴 東京大学文学部国文科卒業後、旧制藤沢中学、荏原中学教諭、東京高校教授、日本大学教授を歴任。併任して昭和18年12月20日から同20年6月30日まで東京音楽学校教職課程の非常勤講師として勤務。昭和20年12月、敗戦後の廃墟と食糧難の東京から旭川に移転し、同年12月から23年9月30日まで旭川師範学校(現北海道教育大学) 国文学教授。昭和23年9月30日、群馬師範学校教授就任、同24年7月30日群馬大学教授就任、同29年8月31日退職。その後の消息は不明。退職後4年足らずの昭和33年4月23日、48歳の若さで死去。

先生の思い出 小生は旭川師範時代に担任、恩師、学生寮寮監、文芸部顧問としてお世話いただいたが、清水さんは清廉そのものの高潔な方で、細面の柔和な笑顔で講じられる万葉の相聞歌は敗戦後の復員学徒の心を救ってくれました(多田注、早川先生は海軍航空隊の特攻生き残りの方です)。戦時下に本居宣長研究者として、岩波文庫に「玉勝間」を書いた俊秀でありながら、私たちには何ひとつ過去の栄光については語ろうともせず、観念的な詩を書く文芸部の私たちに暖かくつきあってくれました。

個人的な思い出のなかからひとつ。敗戦後の全日本的食糧飢饉の中で、穀倉地帯の旭川もまた二秋連続凶作。師範学校も秋まで援農休校。学生寮も閉鎖。郷里の農村で働き、いくばくかの新米と野菜を背負って帰校した私はわずか1升の米と野菜を少々持参して寮監の清水さんを訪問したが、「どうもありがとう。しかしこれは寮生のあなた方が食べなさい」といい、押し問答のすえとうとう受け取ってもらえませんでした。痩せた長身の清水さん。その力のない笑顔がふと、数日前の新聞に出ていた、法を守って餓死した東京の若い裁判官の姿と重なって見えました。

「沙羅」の連詩の存在すら私たちは知りませんでした。清水さんと信時潔が東京音楽学校在職中の昭和19年10月、ニッチクレコードで「沙羅」(歌唱木下保) が発表されていますが、いまにして思えば、戦局傾き、特攻が始まる時期に、よくもこの純芸術的、非戦的な歌曲集がレコード化されたもの、と驚きます。

おそらく20代半ばに書かれたと思われる清冽な「沙羅」の八編、自然に没入する孤独な魂の中の愛憐の劇に、ただ私は沈黙を強いられるのみですが、丹沢から天城の草付きが見えるかどうか、沙羅(夏つばき)の花は白く、匂いは弱い、その花を「ほの黄色なる」とうたったのはなぜか(黄色はインド原産)、そんなことを、生きておられたら清水さんに遠慮なく尋ねてみたい気がします。





     「沙羅」を歌う 
     
   高音部スーパーバイザー 阿部 祐一

信時潔の作品に初めて触れたのは、高校の教科書に載っていた「やまめの歌」という曲だった。この歌は言葉と旋律が美しく溶け合って、素直に口ずさめた。自分の力の及ばぬ大人の葛藤に巻き込まれ、重い鬱屈を抱えていた16歳の私の秘かなる愛唱歌だった。

時隔てて40有余年、「沙羅」を歌うことになった。編曲もそんなに難しくなさそうだし、大して苦労しないな。初めて楽譜を見た時迂闊にもそう思った。練習が始まった。なぜか面白くない。清水脩の代表作「月光とピエロ」のような響きがない。全身を震わせるようなフォルティッシモも要求されない。「丹澤」、「あずまやの」、「北秋の」、「沙羅」、「鴉」、「行々子」、「占うと」「ゆめ」と続く8曲の関連は何なのだろう。歌曲集「沙羅」が発表されたのは、昭和11年、49歳の時だ。不惑をとうに過ぎた円熟期ではないか。この作品の命はどこにあるのだろう。

大久保先生のご指導のもと戸惑いを感じながらも、少しずつ形を作り、表現を工夫して、合唱祭に臨んだ。まだ指揮者の求めることが受け止め切れなかった。全曲を通すJORDAN会のステージは2007年1月、今ひとつ吹っ切れぬものを抱えて練習が続いた。本番1ヶ月前、モチベーションのあまりの低さに、先生の厳しい声が飛んだ。まさに一喝という言葉のとおりの叱責だった。

寝ぼけ狐の目が覚めた。不確かな音を取り直し、注意されたことをひとつずつ確認した。仲間の歌を指揮者のそばで聴きあった。年が明け変貌し始めたフォックスを感じた。自らが歌うことへの責任感が一人ひとりの顔に現れた。森のホールで歌った「沙羅」は一皮剥けたように思えた。組曲としての流れが少し見えてきた。

練習は、回を追うごとに音楽表現の奥深さを味わう、素晴しいものになった。ようやくOKが出ると、「そこまでできるのだからもう一つ工夫しよう。」の一言で次の挑戦が始まる。日本語の美しさ、狂言、歌舞伎の節回しに通ずる表現方法の面白さ、ここぞという箇所でのハーモニー、年寄り狐は目を輝かせて難曲に取り組んだ。

「歌も歌える合唱団」と自虐的に称したフォックスが、「歌を歌える合唱団」に変身できたとすれば、それは大久保マジックに化かされたお陰である。



第U部 日本のうた 〜無法ギツネの一生〜

構成・演出:野宮 徹  ナレーション:山中百合子

ナレーション)
 “歌も歌える合唱団”シャウティング・フォックスが誕生して早や27年。
「恥じらいの青年ギツネ」たちも、いまでは「恥知らずの老ギツネ」。平均年齢63歳。気持ちの上では40歳。声の若さは30歳。

 そんな老ギツネたちの人生を振り返ると、いろいろな時代がありました。
 遠い昔、幼い目に映った夕焼けの空は、とてもキレイでした・・・。

『赤とんぼ』  

♪夕焼小焼の、赤とんぼ
負われて見たのは、いつの日か

♪十五で姐やは、嫁に行き
お里のたよりも、絶えはてた

♪山の畑の、桑の実を
小籠に摘んだは、まぼろしか
♪夕焼小焼の、赤とんぼとまっているよ、竿の先

 「姐やは今頃どうしているかなぁ。もう婆やになったろうなぁ・・・。わが家にも婆やはいるけど・・・」

 幼ギツネも母さんギツネの愛に包まれて、スクスクと育ってゆきました。貧しいけれど幸せな毎日。囲炉裏の暖かさは家族の温かさでもありました。
 そんな里の暮らしが懐かしく浮んできます。
 ただ、遠く離れた父さんギツネが心配だったけれど・・・。

『里の秋』   

♪静かな静かな 里の秋
お背戸に木の実の 落ちる夜は
ああ 母さんとただ二人
栗の実 煮てます いろりばた

♪明るい明るい 星の空
鳴き鳴き夜鴨の 渡る夜は
ああ 父さんのあの笑顔
栗の実 食べては 思い出す

♪さよならさよなら 椰子の島
お舟にゆられて 帰られる
ああ 父さんよご無事でと
今夜も 母さんと 祈ります

 早いもので幼ギツネも小学校入学、いや国民学校かな。ピカピカの1年生となりました。今でも、ピカピカの名残があるけれど・・・。
 勉強もキライじゃなかったけれど、何といっても楽しかった夏休み。トンボ採りや川遊びで真っ黒になったっけ。

 そうそう、朝は近所の空き地や校庭に集まってのラジオ体操だったなぁ。
 夏の朝はいつもこの曲で始まりました。

『牧場の朝』  

♪ただ一面に 立ちこめた
牧場の朝の 霧の海
ポプラ並木に うっすりと
黒い底から 勇ましく
鐘が鳴る鳴る カンカンと

♪もう起き出した 小舎小舎の
あたりに高い 人の声
霧に包まれ あちこちに
動く羊の 幾群の
鈴が鳴る鳴る リンリンと

 小学校、中学校と、デキはよくなかったけれど、それなりに勉強に励んで何とか迎えた卒業式。
 緊張のあまり手足がバラバラに突っ張りがら壇上に登って、校長先生から卒業証書をもらったとき、なぜか誇らしい気持ちでいっぱいでした。

 「校長先生! ボクはあの時の先生より・・・年寄りになりました!」

『仰げば尊し』 

♪仰げば尊し 我が師の恩
教えの庭にも はや幾年
思えばいと疾し この年月
今こそ別れめ いざさらば

♪互いに睦し 日頃の恩
別るる後にも やよ忘るな
身を立て名をあげ やよ励めよ
今こそ別れめ いざさらば

♪朝夕なれにし 学びの窓
蛍のともしび つむ白雪
忘るるまぞなき ゆく年月
今こそ別れめ いざさらば

 
 デカンショー、デカンショーで半年暮らした学生時代。「世の中、間違っとる!」と社会の不条理を散々嘆いたあげく、自分自身が道を間違えて、放蕩三昧。
 何をやっても満たされない心に「若さの特権は虚しさと引き換えなのだ」と気付かされたホロ苦い青春時代。

 そんなやり場のない青年ギツネの心に沁みわたる、こんな歌がありました。


  『琵琶湖周航の歌』 

♪われは湖の子  さすらいの
旅にしあれば  しみじみと
のぼる狭霧や  さざなみの
志賀の都よ  いざさらば

♪松は緑に  砂白き
雄松が里の  乙女子は
赤い椿の  森蔭に
はかない恋に  泣くとかや

♪浪のまにまに  漂えば
赤い泊火  なつかしみ
行方定めぬ  浪枕
今日は今津か  長浜か


 波に翻弄された漂流時代を切り抜け、港に辿り着くと、晴れて社会人。
 サラリーマンは気楽な稼業・・と聞いたけど、今度は高度成長の波にもまれて残業残業の毎日。
こんな筈じゃなかったとこぼしながらも、使命感に燃えて仕事に励んだ日々。
 少しずつ一人前になっていく自分の姿に、だんだんと自信が湧いてきたっけ。

 そんな青年ギツネにも、小さな恋の季節が訪れました。

『見上げてごらん夜の星を』 

♪見上げてごらん 夜の星を
小さな星の 小さな光りが
ささやかな幸せを うたってる

♪見上げてごらん 夜の星を
ぼくらのように 名もない星が
ささやかな幸せを 祈ってる

手をつなごうぼくと  追いかけよう夢を
二人なら 苦しくなんかないさ

♪見上げてごらん 夜の星を
小さな星の 小さな光りが
ささやかな幸せを うたってる

♪見上げてごらん 夜の星を
ぼくらのように 名もない星が
ささやかな幸せを 祈ってる

一緒に星を見上げた可憐な彼女も、いまでは天井見上げて、大の字で大いびき。これが、ささやかな幸せ・・・だったのね。

 高度成長はやがてバブルと呼ばれるようになり、青年ギツネも恰幅のいい中年ギツネになりました。いや、見た目はどう見てもタヌキかな・・・。

 夜の巷に繰り出しては、お化粧ギツネに囲まれて「社長さん!素敵!」とチヤホヤされて上機嫌。
でも、オイシイ話は長続きしないもの。バブルの崩壊とともに吹き荒れたリストラの嵐。同僚が次々と去っていく辛い厳しい時代がやって来ました。
 そんな時、支えてくれたのが愛する女房ダヌキ、いや女房ギツネでありました。

 「やっぱり、カアちゃんだけが頼りだよ!」

『銀色の道』    

♪遠い遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日も一人
銀色の はるかな道

♪ひとりひとり はるかな道は
辛いだろうが 頑張ろう
苦しい坂も 止まれば下がる

続く 続く 明日も続く
銀色の はるかな道

♪続く続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
二人の星よ 照らしておくれ

近い 近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道


 息子や娘たちもようやく巣立ち、定年を迎えた老ギツネは再び古ダヌキ、いや女房ギツネと二人の生活に。
 長年連れ添ってくれた女房へのお礼に、海辺の温泉へフルムーン旅行。
 久しぶりにゆっくり見るカアちゃんの顔。少し、いや、なかり皺は増えたけど、昔の可憐な頃の面影が“かすかに”残っていました。
 「苦労かけたなぁ。お前と一緒になれて幸せだったよ。」と、言いたいけれど・・まだ言ってない。恥ずかしくて・・・。

 「どうだ、久しぶりに浜辺でも散歩しようか。

『浜辺の歌』  

♪あした浜辺を さまよえば
昔のことぞ しのばるる
風の音よ 雲のさまよ
よする波も かいの色も

(夕べ浜辺を もとおれば)
(むかしの人ぞ  しのばるる)
♪よする波よ かえす波よ
月の色も 星の影も

 人生50年。いや、いまでは人生80年、100年になるのだろうか。
 いろいろあったキツネの人生。振り返えれば思い出が走馬灯のように巡る。

 イカン。走馬灯のように巡るのは「最期のとき」だそうだ。
 まだまだ頑張らにゃ。次の第10回定期演奏会にも出ないとな。きっと客席の皆さんも期待しているはずだから・・・

『昴』     

♪目を閉じて 何も見えず
哀しくて 目を開ければ
荒野に向かう道より 他に見えるものは無し
嗚呼 砕け散る 宿命の星たちよ
せめて密やかに この身を照らせよ
我は行く 蒼白き頬のままで
我は行く さらば昴よ

♪呼吸をすれば 胸の中
凩(コガラシ)は 吠(ナ)き続ける
されど我が胸は熱く 夢を追い続けるなり
嗚呼 さんざめく 名も無き星たちよ
せめて鮮やかに その身を終れよ

我も行く 心の命ずるままに
我も行く さらば昴よ

♪嗚呼 いつの日か 誰かがこの道を
嗚呼 いつの日か 誰かがこの道を
我は行く 蒼白き頬のままで
我は行く さらば昴よ
我は行く さらば昴よ


FOXの人生を辿って

コンサートマスター 野宮 徹

2年毎の定期演奏会をやっとのこと終えると、「さて次回は何をやる?」がすぐに始まる。“歌”で勝負する第1部の男声合唱曲、“演技”で勝負するメインステージ(?)の第3部、その間に挟まれて“何で勝負する?”の第2ステージ。ああでもないこうでもないと皆で小田原評定を重ねた結果、今回は「皆が歌いたい歌をやろう」ということで、“日本のうた”をテーマに団員全員にアンケート調査を行い、上位に入った曲を採用するという民主主義のカガミのような展開となりました。

結果、団員はもとよりお客様にも馴染みの深い曲が出揃いましたが、それらを羅列するだけじゃ、タコにも、いや、いかにも能がない。そこで、あれこれ頭をひねって絞り出したのが、“FOXの人生に当てはめたらどうなる?”・・・で、できあがったのが「日本のうた〜無法ギツネの一生」。

 遠い昔、幼キツネの目に映った『赤とんぼ』、母さんギツネと囲炉裏を囲んだ『里の秋』から、老夫婦となって散歩する『浜辺の歌』まで、無法ギツネの人生を描く一大巨編と相成りました。構成は完璧(?)だが、さて演奏のほうは・・・。

 自信をもって言えることは「山中さんのナレーションは素晴らしい!」。


   
  山中百合子さん


          曲目解説

バリトン 安藤 寛

1.赤とんぼ((三木露風作詞 山田耕筰作曲)

三木露風が1921年(大正10年)に、彼の故郷である兵庫県龍野町(現在の竜野市)で過ごした子供の頃の郷愁から作ったといわれ、童謡集「眞珠島」に発表された。その後、1927年(昭和2年)に山田耕筰が曲をつけた。秋の夕暮れの美しい風景を、抒情感あふれるメロディーで奏でている。

2.里の秋(斉藤信夫作詞 海沼実作曲)

詩は1941(昭和16)年に軍事色の強い「星月夜」として発表されたが、1945(昭和20)年暮、3番を戦地からの復員者を迎える歌詞に変え、タイトルも「里の秋」に改めて、NHKラジオ「外地引揚同胞激励の午後」で始めて放送された。

3.牧場の朝(杉村楚人冠作詞 船橋栄吉作曲)

福島の御料牧場、岩瀬牧場の朝を描いたとされる歌。作詞の杉村楚人冠(すぎむら・そじんかん)は、関東大震災後我孫子市に住み、随筆「湖畔吟」などを残した。歌にある「鐘」は、友好の印としてオランダから同牧場へ贈られたもの。

4.仰げば尊し(作詞不詳)

スコットランド民謡とされるが、作詞、作曲とも当時の教育者伊沢修二ではないかとの説や、作詞が大槻文彦、里見義、加部巌夫合議であるとの説がある。

5.琵琶湖就航の歌(小口太郎作詞  吉田千秋原曲)

 1917(大正6)年、旧制第三高等学校(現京都大学)のボート部員だった小口太郎が琵琶湖を一周する3泊4日の合宿に参加し、宿泊地今津で仲間に詩を発表。別の部員谷口謙亮が「ひつじぐさ」(吉田千秋作曲)の旋律で歌い、これが大受けしてこの歌が誕生した。奇しくも今年は誕生90周年になる。

6.見上げてごらん夜の星を
 (永六輔作詞 いずみたく作曲)

1960(昭和35)年の坂本九主演のミュージカル「見上げてごらん夜の星を」の主題テーマ。定時制高校の生活を描き、彼らを励ますための歌だった。

7.銀色の道(塚田茂作詞、宮川泰作曲)

1966(昭和41)年NHKテレビの「夢をあなたに」でダークダックスが歌った。最初にレコードを出したのは翌年、ザ・ピーナツだった。

8.浜辺の歌(林古渓作詞、成田為三作曲)

1913(大正2)年 林古渓が幼い日に湘南海岸(神奈川県辻堂東海岸付近)の浜辺を歩いた時の追憶をうたったときの記憶を詩にした。これに成田為三が東京音楽学校在学中作曲の試作として1916(大正5)年、作曲した。

9.昴(谷村新司作詞・作曲)

アリスとして人気絶頂期の1980(昭和55)年、ソロ活動の一環として作られ、ニッカウヰスキーのスーパーニッカのCMソングとして発表された。


「唱歌」について

ファースト・テナー 木村 禧夫

「日本のうた」では沢山の「唱歌」を取り上げています。唱歌とは、もともと日本の雅楽用語で、明治政府が学校制度をつくる際に音楽の教科を「唱歌」と名づけたものです。明治14年わが国最初の「小学唱歌集」には「蛍の光」「あおげば尊し」などが収められ、明治34年の「中学唱歌」には「荒城の月」「箱根八里」が収められていますが、これより先「明治唱歌」や「中等唱歌集」には「故郷の空」「埴生の宿」など元のメロディーが外国産の名曲、いわゆる「翻訳唱歌」が多く収められています。

そして明治40年の小学校令改正によって、文部省はそれまでの外国曲中心の唱歌を日本人の作詞・作曲による唱歌に転換する方針を決め、沢山の「文部省唱歌」が作られました。昭和7年から16年にかけて全国の尋常小学校で使用された唱歌を集めた「新訂尋常小学唱歌」には小1から小6まで各学年用に各27曲計162曲が編纂されており、「赤とんぼ」をはじめ、「故郷」「春の小川」」「朧月夜」「鯉のぼり」「茶摘」「我は海の子」「村祭」「紅葉」「冬景色」「雪」など、日本人が3世代一緒に歌える「日本の原風景」となった抒情歌の名曲が多数収められています。

唱歌や文部省唱歌は戦後の検定教科書へも引き続き収録されました。「浜辺の歌」は戦前・戦後の教科書で多く採用され、唱歌に数えられています。またNHKも、戦前の「国民歌謡」や戦後の「ラジオ歌謡」で「椰子の実」「朝はどこから」「山小舎の灯」「夏の思い出」「白い花の咲く頃」「森の水車」「さくら貝の歌」「小さい秋見つけた」「雪の降る街を」など、これまた親しみ易い抒情歌を全国に広めました。





  「我孫子」と「牧場の朝」と
  「杉村楚人冠」と
 
               
 
     ファースト・テナー 足助 哲郎

「牧場の朝」の作詞者は長い間、作者不詳とされていましたが、杉村楚人冠の作詞であることが定着し、今では日本作曲家協会も認定しています。

杉村楚人冠が、別荘に時々来る生活から、我孫子の伊勢山・観音山(現・緑2丁目)に居を移したのは関東大震災後の1923年でした。爾来73歳で死去する1945年までの22年間、愛する我孫子に住み続けました。朝日新聞社・国際派記者で随筆家でもあった楚人冠の詩が船橋栄吉作曲により新訂尋常小学校唱歌として採用され発表されたのは1933年でした。 我孫子に居を移した後、何らかの取材で福島県の元御料牧場・岩瀬牧場を訪れた際、1907年オランダからのホルスタイン13頭の輸入に伴い、その友好の印として贈られた鐘が鳴る牧場の朝を詩に表現したものとされています。

楚人冠が如何に我孫子の地の自然を愛したかは、その随筆「白馬城放語」に詳しく述べられています。「牧場の朝」の詩には、昭和初期、国の手賀沼全面干拓計画に対して、嘉納治五郎や村川堅固など別荘住民らと共に環境保全を訴え、手賀沼自然保護運動の先駆けとなった楚人冠の心意気を感じることができます。この詩は題材を外に採っているものの、地元・我孫子の詩と位置づけたいと思うのはひとり私だけてしょうか。楚人冠が地元の人々とも親しく交流し、俳句の湖畔吟社を設立するなど我孫子の文化活動の基礎を築き、また沼辺の自然や人情を『湖畔吟』などの随筆で広く紹介したことからもその感を強くするものです。

先日、楚人冠邸宅跡地(楚人冠公園)に行ってみました。1951年、湖畔吟社の有志により建てられた句碑「筑波見ゆ 冬晴れの 洪いなる空に」にしばし見入り、楚人冠をはじめとする先達たちが愛した自然を大切にせねばとの思いをあらたにしました。 現在も建物と庭園が当時に近い状態で保存され遺族がお住まいの杉村邸はその直ぐ近くにあります。通りかかった8月21日正午ごろ、杉村邸を包む森では猛暑を楽しむようにミンミンゼミの大合唱が続いていました。




第V部 映画音楽 〜Dancing Fox?〜 

構成・演出:大久保光哉   ソプラノ:齋藤 恵   ピアノ:大澤絵美



雨に唄えば



ダンシングの始まり 始まり  



マドンナ斉藤さん登場


色男登場


サウンド オブ サイレンス


運が良けりゃ


寅さん登場


師匠もにんまり


「沙羅」から「スーダラ節」までご苦労さまでした


スィ スィ スゥダララッタ


師匠の制止も聞かばこそ

対談

選定曲の映画と音楽に寄せて

バリトン 実松 靖之

甲子園も終わり、残暑厳しい中にも微かに秋の訪れを感じる一夕、団員の中でも、特に映画狂を自負して憚らない我々二人は、時の経つのも忘れて語り合いました。

若き日、洋画を観ては異国の景色に憧れ、外国人の暮らしの有様や考え方に驚き、辞書を引き引き言葉の言い回しも覚えたものでした。そして今、お互い古希に至るまで、映画を想う情熱は些かも衰えてはいません。本日歌いますのは懐かしい曲ばかり、皆様もそれぞれの青春に思いを馳せてお聞き頂ければ幸いです。

X生:1曲目の「慕情」(Love Is a many‐splendored thing)は、云わずと知れた、香港を舞台にした恋愛映画の名作「慕情」のテーマだね。1955年製作の米画で、中国人の父と英国人の母を持つハン・スーイン女史の自伝小説を基にした映画だ。1955年末には早くも日本で初公開されており、ハリウッドでその年の歌曲賞を含むオスカー3部門を取得した事もあり、日本でも大ヒットしている。

Y生:「慕情」という二字も日本人受けしますよね。 哀愁だの旅情だのと人々の想像をかき立てますよね。
小生が初めて観たのは高3の時で、折りしも受験の為、野球を止めた頃。 受験どころか映画に夢中になってしまい、爾来、この映画、映画館で観ただけで10回以上になりますよ。いまだにHDDに入れたものを折に触れ観ています。初めてこの映画を観てからというもの、香港に憧れ続け、会社に入って1年目に香港転勤を希望しました。もっとも、実際に希望が叶って香港勤務を命ぜられたのは入社後11年目でしたけど。(笑)

X生:1949年の香港が舞台。 ウイリアム・ホールデン扮する米国人新聞記者 マークと混血の女医ハン・スーインのつかの間の恋が、素晴らしい主題歌にのって美しく描かれている。 そして朝鮮動乱勃発の取材で朝鮮に従軍したマークとの手紙の遣り取り、そして彼の突然の戦死。スーインにとって受け入れがたい彼の死とそれを乗り越えて医師として生きていくと言うストーリーが切なく人々の胸に迫るね。実際に念願叶って香港に赴任した時の感想はどうだった?

Y生:映画の中の香港の風物に比べ、小生が赴任した75年当時は目を見張る程の発展振りでしたが、セントラルの下町辺り、ヴィクトリア・ピークの寺院や病院の舞台となったピークの富豪邸、さらにマークとスーインが初めて愛を確かめ合ったスタンレイ・ベイの海岸など映画のままでした。ただ、彼等の逢引きの場所、風の吹く丘はハリウッドでの撮影だった為、香港には実在しません。よく、 いろんな人から案内して、と言われたものでした。

X生:2曲目の「雨に唄えば」はご存知、ジーン・ケリー監督・主演のミュージカル。前年の「巴里のアメリカ人」に続き、ジーン・ケリー絶頂期の作品。 無声映画からトーキー映画への転換期、初のトーキー映画製作に賭ける出演者と裏方さんの奮闘ぶりを描いたミュージカル。

Y生:大部分はハリウッドのセットでのロケですよね。 そのセットが何ともいえず良い雰囲気でしたね。 特に雨の中で唄って踊るジーン・ケリーは圧巻。当時は日本にはミュージカルなど皆無と言ってよく、米国のミュージカルにはただ驚くばかりでした。

X生:3曲目の「踊り明かそう」、4曲目「スペインの雨」、7曲目の「運がよけりゃ」は共に、かの「マイ・フェア・レディー」の第一幕で歌われる曲だね。
そもそも、マイ・フェア・レディーはバーナード・ショウの戯曲「ピグマリオン」を基に1956年ブロードウェイでミュージカルとして初演されたもので、ロンドンの下町の花売り娘、イライザ(ジュリー・アンドリュース)がヒギンス教授の下で上流階級のマナーと言葉を持ち前の度胸と努力の末、段々と身に付けて、再びヒギンス教授のもとへ戻って行くという物語だね。
因みにマイフェア レディーというのは当時、ロンドンの上流階級の多くが住んだメイフェアをコクニー(下町訛り)で発音するとマイフェアとなる事で皮肉まじりに付けたものらしい。

Y生:映画化は1964年ですね。
イライザ役はご存知オードリー・ヘップバーン、ヒギンス教授はこの人しか居ない、レックス・ハリスン。 言葉も振る舞いもこれぞはまり役。事実、この年のオスカーで主演男優賞ほか3部門取っていますし。劇中で歌われる曲で大変素敵な曲が多い。劇中ヘップバーンほかの俳優が唄う歌はオペラ歌手の吹き替えが多いですね。
小生、今でも特にフレデリック・ロウと共に共同作曲したアンドレ・プレヴィンの大ファンです。
彼、現在はクラシックの指揮者として成功を収めていますが、50年代はジャズ・ピアニストとして活躍しており、ミュージカル初演の1956年録音の「シェリー・マン・トリオのマイ・フェア・レディー」は数ある演奏・歌唱の中でも秀逸。シェリーマンのドラムとアンドレ・プレヴィンのピアノの掛け合いが見事で、デジタル・リメイクにより音も素晴らしくCD再製されています。一度是非、ご試聴の程。

X生:5曲目の「ララのテーマ」
これは1965年に英米合作で巨匠デヴィッド・リ-ン監督による製作の「ドクトル・ジバゴ」の主題歌で、原作はボリス・パステルナーク。19世紀末のロシア革命を背景に、一人の男の生涯を描いた物語。オスカーもオリジナル作曲賞を含む5部門を獲得した名作。オマー・シャリフのジバゴとジュリー・クリスティーのララが共に好演だったね。

Y生:ジバゴが生涯愛したララのテーマが効果的にながれ、ロシアの冬景色と相まって綺麗でしたね。 オマー・シャリフの暗さ、生真面目さもぴったりでしたが、約200分と小生にはやや長いフィルムでした。

X生:「サウンド オブ サイレンス」、これは「卒業」の主題歌。若き日のダスティン・ホフマンの最も秀逸な青春映画で1967年に公開された。当初、主演はロバート・レッドフォードやウォーレン・ビーティーの名も取り沙汰されたが、結果的にはダスティン以外にはこの役はやれない、やらなくて良かったと思う。何と言ってもサイモンとガーファンクルの歌の数々が素晴らしくこの映像の効果を高めているね。

Y生:この映画はベトナム戦争に対する反戦気分が横溢していた頃のいわゆるニューシネマの一本。当時のウェスト・コーストの雰囲気がよく描写されていると思います。 所々、ダスティンのとぼけた可笑しさも出ているし、何よりミセス・ロビンソン役のアン・バンクロフトがうまい、うまい。サイモンとガーファンクルの歌を意識して作られたシーンが秀逸。「サウンド オブ サイレンス」は勿論「スカボロー・フェア」や「ミセス・ロビンソン」も画面と優れてマッチしていましたね。
小生、70年にUCLAの寮に入っていたのですが、ダスティンがキャサリン・ロス扮する女主人公を追いかけて本校のUCバークレーへ行くシーンもあり、寮の廊下でも、よくこれらのBGMが流れていたのを思い出します。

X生:8曲目の「タラのテーマ」。これはご存知のマーガレット・ミッチェル女史の原作になる、名画「風と共に去りぬ」の主題歌で原題「My own true love」として作曲者マックス・スタイナーの主題曲が画面要所に流れている。それにしても、映画の完成が1939年、昭和で云えば昭和14年だよ。この頃の日本映画の事を考えると正に驚嘆せざるを得ない。南北戦争下のアトランタを背景に気性の激しい南部女スカーレット・オハラの半生を壮大なスケールで描いた不朽の名作といえるね。

Y生:小生が観たのは確か中学3年の頃。 カラーの美しさには一驚しましたが何せ240分もの長尺、やたら長いなと思ったのを覚えています。兎に角、昭和14年に斯様な映画を作る、当時の米国の映画界の隆盛ぶりには脱帽ですね。きっとこの主題曲は後世にも残って行く事でしょう。ヴィヴィアン・リーとクラーク・ゲーブル、共にはまり役でしょうね。

X生:最後に「水戸黄門」の主題歌「ああ人生に涙あり」と「スーダラ節」。これはもう、云うまでもなく誰知らぬ者は居ない映画、芝居、歌。何時も何処かでお目にお耳に掛かれる。

Y生:国民的ストーリーと歌ですね。

X生: 最後になったが、良い映画と良い主題曲と言うのは、時を超えて国を超えて人の世に永く生き続ける事だろうね。楽しい話を有難う。

Y生: 今宵は先輩との楽しいひと時、映画とその音楽って本当に素晴らしいですね。有難うございました。

アンコール曲 「酒とバラの日々」
         「千の風になって」


向かって左からピアノ・大澤さん、ソプラノ・斉藤さん、司会・野宮さん、ナレーション・山中さん
お世話様でした


大久保師匠、ともかく幕切れを迎えて
「ご一緒にアンコール曲を」

写真:宮崎公夫さんほか

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第8回定期演奏会
 2005年10月2日(日)
第8回定期演奏会は、2005年10月2日(日)、我孫子市民会館で午後2時開演、同4時半に無事終了しました。好天にも恵まれて、ご来場者は700人を越し、おかげで盛況のうちに、1年以上にわたる練習の成果をご披露することが出来ました。当日の熱演、怪演の模様は「アルバム」でご覧ください。

今回定期演奏会の第1部は、正岡子規の絶唱短歌に、新進作曲家の新感覚の曲が付けられた
「子規の短歌による合唱組曲」(番場俊之作曲)。大澤絵美さんのピアノで、「星の歌」、「無常の歌」、「夏の歌」の3曲を歌い上げました。
第2部は、盟友ヴィヴァ・マンドリーノのマンドリンと共演した「ロシア民謡」ヴィヴァ・マンドリーノの単独演奏や、指揮者大久保光哉先生の独唱「鶴」を交え、「カリンカ、「ステンカラージン」、「黒い瞳」などおなじみのロシア民謡の数々をお届けしました。
休憩後の第3部は、デューク・エイセスの歌で知られる日本各地の歌「にほんのうた」(永六輔作詩、いずみたく作曲)。「狐狸庵亭」と称する居酒屋になだれ込んだFOXの面々が、酒井玲子さんのピアノで、北海道の「ホッファイホウ」から、沖縄の「酒はあわもり」までを、趣向を凝らして、賑やかに、時にはしっとりと歌いました。


第1部 子規の短歌による合唱組曲(番場俊之作曲) 

 正岡子規(1867−1902)の没後100年を機に、子規の28首の短歌に、新進作曲家番場俊之氏が作曲した合唱とピアノのための組曲。このなかから、最晩年の絶唱など次の3曲を歌いました。

1、星の歌(7首)
(明治33年、子規33歳。脊椎カリエスでほとんど寝たきりの子規のために、病室にガラス戸が入れられ、星空も子規の視界に入るようになって、たくさんの星の歌が生まれた)

真砂(まさご)なす数なき星の其(そ)の中(なか)に吾に向かひて光る星あり
たらちねの母がなりたる母星(ははぼし)の子を思ふ光吾を照せり

玉水の雫(しずく)絶えたる檐(のき)の端(は)に星かがやきて長雨はれぬ
空はかる台(うてな)の上に登り立つ我をめぐりて星かがやけり
天地(あめつち)に月人男(つきひとをとこ)照り透(とほ)り星の少女(をとめ)のかくれて見えず
久方(ひさかた)の星の光の清き夜にそことも知らず鷺(さぎ)鳴きわたる
草つつみ病の床に寐がへればガラス戸の外に星一つ見ゆ
2、無常の歌(6首)
(明治34年、子規34歳。絶唱とされる「しひて筆をとりて」10首のうちの6首。子規は、このあと病いよいよ重くなり、翌35年9月19日、35歳の誕生日を前に死去した)

佐保神(さほがみ)の別れかなしも来ん春にふたたび逢はんわれならなくに
いちはつの花咲きいでて我が目には今年(ことし)ばかりの春ゆかんとす
世の中は 常なきものと我が愛(め)づる 山吹の花散りにけるかも
別れゆく春のかたみと 藤波の花の長ふさ(房) 絵にかけるかも
夕顔の 棚(たな)つくらんと思へども 秋待ちがてぬ我がいのちかも
薩摩下駄(さつまげた)足にとりはき 杖つきて萩の芽摘みし昔おもほゆ
3、夏の歌(6首)
(明治31年、子規31歳。病を押して、昔寄宿した向島界隈を人力車でめぐったときの歌と、帰るに任せぬ故郷松山を偲んだ歌からなる)

我昔すみにし跡を尋ぬれば桜茂りて人老いにけり
月細き隅田の川の夕間暮待乳(まつち)を見れば昔偲ばゆ
浅草の五重の塔に暮れそめて三日月低し駒形の上に
あげまきの童(わらべ)あそびに釣垂れし出合の淵は瀬と変らずや
足なへの病い(癒)ゆてふ伊予の湯に飛びても行かな鷺にあらませば
故郷(ふるさと)の御墓(みはか)荒れけん夏草のゑぬのこ草の穂に出づるまでに
第2部 ロシア民謡

おなじみのロシア民謡の数々を,盟友「ヴィヴァ・マンドリーノ」のみずみずしいマンドリン演奏も交えてお届けしました。]
ヴィヴァ・マンドリーナとの合同練習

1、カリンカ
2、コサックの子守唄
3、白樺は野に立てり
4、アムール河の漣
5、ステンカラージン
6、黒い瞳 
7、鶴 ほか
第3部 にほんのうた(永六輔作詩・いずみたく作曲)

デュークエイセスの持ち歌で、全国都道府県にわたる「にほんのうた」から、10曲を選び、替え歌も交えて、趣向を凝らして演奏しました。

1、筑波山麓男声合唱団(茨城)
2、酒はあわもり(沖縄)
3、ホッファイホウ(北海道)
4、うるめいわしの歌(高知)
5、女ひとり(京都)
6、涙は真珠(三重)
7、クンビーラ大権現(香川)
8、我等の庄助さん(福島) ほか
第7回定期演奏会
2003年7月20日(日)
2003年7月20日(日)午後2時から、我孫子市民会館ホールで開催し、盛況のうちに終了しました。福嶋浩彦我孫子市長のご挨拶に始まったこの定期演奏会は、第1部が北原白秋の5つの抒情詩に團伊玖磨が作曲した「五つの断章」(写真@)、第2部が「シーシャンティー」(欧米の海の男の歌)(写真A)、第3部が音戸の舟唄をはじめとする日本の海の民謡、小学唱歌など(写真B)で、それぞれに高い評価をいただきました。特に和太鼓の会や、少女合唱団にお手伝いいただき、演出、舞台装置にも工夫した第三部が多くの方に楽しんでいただけたようです。   
写真@
写真A
写真B


              入場者アンケートの概要

 当日入場者の方多数からアンケートにご回答いただきました。総合評価は次の通りでした(単位%)。全体を通じて「大変良かった」と「良かった」が75%を越し、第3部では90%に達しました。
大変良かった 良かった まずまず 良くなかった 回答なし
全体 45.1 30.9 6.3 0.0 17.7
第1部 32.6 44.0 18.3 1.1 4.0
第2部 40.0 43.4 10.9 1.1 4.6
第3部 70.9 20.0 3.4 0.0 5.7
 
また、我孫子中学校吹奏楽部のある生徒さんは「シャウティング・フォックスの演奏会で、今までと違う歌の楽しみ方があるのを知りました。第1部では、一人一人の表情に迫力がありました。第2部では、英語の歌を歌っていましたが、体の動きや声の強弱がついていたので、何を訴えたいのかがすぐにわかって、とても圧倒されました。私が一番楽しめたのは第3部でした。太鼓や踊りなどで、自分がその中に入っている感じになりました。とても楽しかったです。本当に楽しくて、こんな音楽のあることにとてもびっくりして、感動しました。また行きたいです」という過分の感想を寄せてくださいました。

演奏概要


指揮 大久保光哉
・ピアノ 南雲千寿 ・尺八 小倉正巳 ・ギター 井手響太 
・和太鼓 湖北台河童太鼓 ・児童合唱 リトルキャッツ
・司会 小島春人

第一部 北原白秋の詩による「五つの断章」
(團伊玖磨作曲、男声合唱曲委嘱初演)
@野辺
A舟唄
Bあかき木の実
C朝明
D希望

第二部シーシャンティー(海の男の歌)
(ロバート・ショウほか編曲)
@ I've Got Six Pence.
A Homeward Bound.
B What Shall We Do With The Drunken Sailor
C Low Lands
D Spanish Ladies.
E Good-Bye、Fare Ye Well.

第三部 『海』を歌う
@音戸の舟唄
A斎太郎節
B銚子大漁節
C大島節
D砂山(山田耕筰作曲)
E海(文部省唱歌) 

第6回定期演奏会(2001年10月7日(日))(指揮:大久保光哉)

第1部 民謡による『北国の歌』 (高田三郎作曲)
1. 南部牛追い歌(岩手)
2. 野良歌三階節(新潟)
3. 草刈り歌(秋田)
4. 田植え歌(青森)

第2部 男声合唱組曲『月光とピエロ』(堀口大學作詩 清水脩作曲)
1. 月夜
2. 秋のピエロ
3. ピエロ
4. ピエロの嘆き
5. 月光とピエロとピエロットの唐草模様

第3部 『いつも青春 シャウティング・フォックス』
1. ブルーシャトー(橋本淳作詞 井上忠夫作曲 佐藤和博編曲)
2. エメラルドの伝説(なかにし礼作言可 村井邦彦作曲 佐藤和博編曲)
3. 遙かなるアラモ(ウェブスター& D・ティオムキン作曲 佐藤和博編曲)
4. Raw Hide<ローハイド>(N,ワシントン作詞 D,テイオムキン作曲 片倉 武編曲)
5. 君のひとみは10,000ボルト(谷村新司作詞 堀内孝雄作曲 佐藤和博編曲 野宮 徹補筆)
6. いとしのエリー(桑田佳祐作詞・作曲 野宮 徹編曲)
7. 港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ(阿木耀子作詞 宇崎竜童作曲 佐藤和博編曲)

第5回定期演奏会
(1999年6月6日(日))

第1部 『SCHUBERT』( 升本弘編曲集)(指揮:武田雅博)
1. Trinklied/(乾杯)酒の歌(作詞者不詳)
2. Der Blumenbrief/花の便り(アロイス・ヴィルヘルム・シュライバー作詞)
3. Lachen und Weinen/笑いと涙(フリードリッヒ・リュッケルト作詞)
4. Liebhaber in allen Gestalten/千変万化の恋する男(ヨハン・ヴオルフガング・フォン ・ゲーテ作詞)
5. An Silvia/シルヒヴィアに(ウィリアム・シェークスピア作詞)
6. Seligkeit/至福(ルートヴィヒ・クリストフ・ハインリヒ・ヘルテイ作詞)

第2部 『渡辺直己短歌集』(高田三郎作曲)(指揮:野村秀美)
1. 生きてまた  
2. いち早く(小迫少尉)
3. 敵包囲に
4. 幾度か
5. 照準つけしままの
6. 頑強なる
7. 泥の如
8. 死を決せし
9. 鉄兜
10. 腹部貫通の
11. すでに三年
12. 校庭に

第3部 『FOXによる懐かしの青春歌』(指揮:野村秀美)
1. リンゴの唄(サトウハチロー作詞 万城目正作曲 佐藤和博編曲)
2. アムール河の漣(シュヴァリツ作曲 長沢勝俊・片倉武編曲 白樺合唱団訳詞)
3. タイニー・バブルス(レオン・ポーバ作詞・作曲 佐藤和博編曲)
4. ダイアナ(ポール アンカ作曲 ホセ しばさき訳詞‘佐藤和博編曲)
5. 少年時代(井上陽水作詞・作曲 佐藤和博編曲)
6. さらば青春.(小椋 佳作詞・作曲 福永陽一郎編曲)
7. 翼をください(村井邦彦作曲 佐藤和博編曲)
8. 関白宣言(さだ まさし作詞・作曲 佐藤和博編曲)

第4回定期演奏会
(1997年6月15日(日))

第1部 『日本叙情歌曲』 (指揮/編曲:伊藤幹翁)
1 椰子の実 (島崎藤村作詞/大中寅二作曲)   
2 出船 (勝田香月作詞/杉山長谷夫作曲)

3 鎌倉 (芳賀矢一作詞/ 文部省唱歌 )   
4 城ヶ島の雨 (北原白秋作詞/梁田 貞 作曲

5 鉾をおさめて (時雨音羽作詞/中山晋平作曲)   
6 雪の降る町を (内村直也作詞/中田喜直作曲) 


第2部 男声合唱曲『Eefance finieアンファンス・フィニ』〜過ぎ去りし少年時代〜
(三好達治作詞/木下牧子作曲) 
指揮 野村秀美  ピアノ  澤 尚幸)
1 Eefance finie <測量船>        
2 物語 <測量船拾遺>

3 毀(こわ)れた窓<一点鐘>  
4 乳母車 <測量船> 


第三部 『アメリカの旧い歌』 (指揮:野村秀美  伴奏:内田正昭 & Many Others) 
1 Home On The Range  《峠の我が家》  (片倉武編曲) 
2 Poor Lonesome Cowboy <プア・ロンサム・カウボーイ> (ノーマン・ルボフ編曲)  
3 When You and I were Young,Maggie<マギー 若き日の歌>(ロバート・ショウ
編曲)
4 Red River Valley   <レッドリバーの谷間> (佐藤和博編曲)
<演奏  Foggy Mountain Breakdown  
 I Wonder Where You‘re Tonight
  
Foggy Mountain Rock   
 Orange Blossom Special

5  Sing Along  <シング・アロング>(片倉 武編曲)   
6 Green Grow The Lilacs  <ライラック緑に茂る> (佐藤和博編曲)

7 Riders In The Sky  <ライダーズ・イン・ザ・スカイ> (佐藤和博編曲)  
8  When You Were Sweet Sixteen 〜  Silver Threads Among Gold 
  <君はかわいい16才〜白銀の糸> (片倉 武編曲) 

9  Oh, My Darling Clementine <わが、いとしのクレメンタイン>(佐藤和博編曲)

第3回定期演奏会
(1995年6月4日(日))

第1部  『フォスター歌曲集』 (編曲 伊藤幹翁)
(指揮:伊藤幹翁 ピアノ:澤 尚幸  ヴァイオリン:石川八谷  コントラバス:守屋 宏)
・夢見る人 Beautiful Dreamer  
・懐かしきケンタッキーの我が家 My Old Kentucky Home
・おゝ スザンナ Oh Susanna!
・老犬トレイ  Old Dog Tray  
・オールド・ブラック・ジョー Old Black Joe  
・主は冷たい土の下に Massa`s in the Cold Cold Ground

第2部 フランスの詩による男声合唱曲集 『月下の一群・U』 (堀口大學訳詩 ・南 弘明作曲)
(指揮:野村秀美 ピアノ:澤 尚幸)
・雨の巷に(ポール・ヴェルレーヌ作詩)     
・あの娘(ポール・フォール作詩)    
・夜曲(アドルフ・レッテ作詩)
・十月の薔薇(ルミ・ド・グールモン作詩)      
・冬(モーリス・ブラマンク作詩)   

第3部 『古賀正男の世界』(赤城 淳編曲)
(指揮:野村秀美 伴奏:ヴィヴァ・マンドリーノ:早稲田大学マンドリン楽部稲友会有志)
・東京ラプソディー  門田ゆたか作詩     
・男の純情  佐藤惣之助作詩   
・青い背広で    佐藤惣之助作詩
  <マンドリン演奏> 
・酒は涙か溜息か  高橋鞠太郎作詩   
・青春サイクリング  田中喜久子作詩   
・人生の並木路  佐藤惣之助作詩   
・二人は若い  玉川映二作詩   
・うちの女房にゃ 髭がある 星野貞士作詩
・影を慕いて(古賀正男作詩)   
 (*大久保先生  ヴォイス・トレナーとして参加。当時、東京芸術大学大学院独唱科生)

第2回定期演奏会
 (1993年5月23日)(指揮:野村秀美)

第1部 男声合唱組曲 『雨』 (多田武彦作曲)      
1 雨の来る前(伊藤 整作詩)     
2 武蔵野の雨(大木惇夫作詩)    
3 雨の日の遊動円木(大木惇夫作詩)
4 十一月に降る雨(堀口大學作詩)     
5 雨の日に見る(大木惇夫作詩)   
6 雨(八木重吉作詩)

第2部 フランスの詩による男声合唱曲集 『月下の一群・T』 
(堀口大學作詞 南 弘明作曲 ピアノ:澤 尚幸)
1 小曲     
2 輪踊り  
3 人の言うこと信じるな 
4 海よ    
5秋の歌

第3部 『黒人霊歌』 (構成・編曲 :伊藤幹翁)
1 Steal Away    
2 It`s me O`Lord     
3 There is a Balmin Gilead    
4 Soon-a will be Done
<早稲田大学ニューオルリンズ・ジャズクラブによる演奏>  
5 Battle of Jerico     
6 Go tell iton Mountain    
7 Go down Moses  
8 When the Saint`s go Machin`in 
9 Glory,Hallelujah !  

第1回定期演奏会
(1991年5月19日)(指揮:野村秀美)

第1部 男声合唱組曲『柳川風俗詩』(北原白秋作詩 多田武彦作曲)
1 柳河
2 紺屋のおろく
3 かきつばた
4 梅雨の晴れ間

第2部 混声合唱組曲『啄木短歌集』(石川啄木作詩 高田三郎作曲)
      (ピアノ伴奏:高野京子 短歌朗読:小池好子))
1 やわらかに
2 ほほにつとう
3 いのちなき
4 やまいのごと
5 こづかたの
6 ふるさとを
7 はずれまで
8 あめつちに

第3部 男声合唱『シーシャンティーより』(福永陽一郎編曲 ロバート・ショウ編曲(終曲))
      (アコ−ディオン:稲生茂)
1 I've Got Six Pence
2 Homeward Bound
3 Erie Canal
4 Rolling Home
5 Sailing,Sailing

第4部 男声合唱組曲『月光とピエロ』(堀口大学作詩 清水 侑作曲)
      (バレー振付:高橋美代子 ピエロ:小川由美子 ピエレット:丸山京子)
1 月夜
2 秋のピエロ
3 ピエロ
4 ピエロの嘆き
5 月光とピエロとピエレットの唐草模様