しあわせはいつも自分の心がきめる
予定日より1ヶ月早い1999年11月22日に息子は生まれました。生まれるとすぐに救急車でK小児病院に搬送されて行きました。元気な産声を聞くことができたので、「未熟児だからだろう」と楽観的に考えていた私は、3日後主人から息子がダウン症の可能性が極めて高いことを聞かされ一気に奈落の底に突き落とされました。頭の中が真っ白になってただただ涙が溢れました。情けないことにその時の私は、たった一人で入院している息子よりも、我が身が、そして何より四つ上の娘のことが哀れでならなかったのです。障害を持った弟の為に娘は差別され一生結婚できないのではないかと考えると娘に申し訳なくて毎日泣いていました。
2ヵ月の入院後、息子の状態が安定したので退院することになりましたが私の胸の中は不安でいっぱいでした。身体の弱い息子を育てていく自信がなかったのです。息子の障害を受け入れていない自分もいました。こんな私が本当にこの子の母親になれるのか...
障害に関係した本を読み漁るうち早期療育が重要であることを知り、T小児療育病院のダウン症児のグループ訓練を受けることにしました。生後7ヶ月のことです。同じぐらいの年齢の子供を見ることで、成長過程が分かり先々の不安が少し解消されました。そこにいるお母さん達も皆明るく良い刺激となりました。
しかし、1歳のお誕生日を迎えてすぐに病院から呼び出しがあり、息子が急性骨髄性白血病であることを告げられました。当時、白血病=死の病と考えていた私は再び奈落の底に突き落とされました。なぜ、この子ばかりが辛い思いをするの?何も悪いことはしていないのに。怒りとも悲しみともつかない感情が沸いてきました。
それから息子の闘病生活が始まりました。普段は病気のことを忘れるくらい元気なのに、治療が始まると吐いたり下痢したりしてぐったりとなりました。高熱が出ることもしょっちゅうで、髪の毛も徐々に抜けていきました。今でも忘れられない光景があります。治療後で身体を起こすこともできないぐらい辛い状態なのに、私が息子を抱き上げると私の目を見つめてにっこり微笑むのです。その瞬間、私の中にあったこだわりが溶けていきました。心から愛しいと思いました。本当の意味で息子の母親になれたのだと思います。
入院から7ヵ月後、4回の治療が功を奏し無事退院することができました。長い入院生活の中で、息子は人見知りがなくなり、私は車で往復3時間の病院通いのおかげでペーパードライバーだった運転技術も格段に上達しました。悪いことばかりではなかったようです。
あれから息子は大病することもなく、今は毎日元気に幼稚園に通っています。そして、いつも私にとびっきりの笑顔をくれます。
しあわせはいつも自分の心がきめる
私の好きな相田みつをさんの詩です。息子のダウン症が治った訳ではなく、何も状況は変わっていないけれど、私は毎日息子と一緒にいられる幸せを噛み締めています。
トミーより