「雨が降るから」って言うユミコちゃん。
 「今日の山歩きを止めなよ」ってことらしい。

 五時に起きて空を見上げた。大山は雲に透かすように山頂下までがシルエットで見えている。
 山に入ってからの大雨は避けたい気持ちがあるからか「おそらく大丈夫」とは感じていても「よし 行こう」っていう言葉にならない。
 どうしようかな。行こうか、行くまいか
 そんな場合の決断は他人様に頼るのがマシラの常套手段である。
 テレビの天気予報を見て、小田原に雨マークが付いていないのを見て、ようやく山遊びに出発することが出来た。 そうすることで、万が一にも予報が外れた場合には、テレビの向こうにいる予報官を「いい加減な事言いやがって」と口汚くののしる事ができる。もっともどんなに大声で「ウソツキー」って叫ぼうが、山の中での雄叫びなんて、せいぜい分界尾根から分界尾根までの間にとどまり、テレビの向こうにいる予報担当まで届くわけがないってことは知ってはいるのだが。

 電車が本厚木を出るときには雨は無かったが、秦野を過ぎたあたりからは窓に雨粒が当たり、乗り込んで来る人の多くは傘を携えていた。電車が谷峨に着いたときホームは完璧に雨の中だった。帰るなら今の内なんだな。しかし、ぽつぽつと降る雨なら小一時間程度歩いても全身が濡れる事もないだろう。行くだけ行ってダメダったら、そこから帰ればいい。今日はそんな場合に備えた何時でも帰れるはずのショートコースを選んだ。
 谷峨から乗り込んだバスはシーズンである檜洞丸へ行く大勢の登山者で溢れるはずなのだが、今日の天気を賢く見通した人が多かったらしく、先行の乗客(新松田から乗り込んだ人々)は一人だけのガラガラだった。ウインドワイパーがせわしく動く。しかし、いったん乗り込んだらもう雨の事は気にしないことにする。

 湯本平を過ぎ、神縄までもう少しという地点の橋の上を指定して運転手さんに降ろしていただく。
 それは滝口沢の大滝を見るためだ。そこは本日の予定ルートではないが、でも本日のコースでは一つも滝に出会わない可能性もあるだろう。そんな貧弱な沢歩きの予定なのだ。でも実際にそうだったとしたら、物足りなさを感じるかもしれない。だったら何か一つ滝を見てから、その沢に入ったらどうだろうか。そう考えて、本日の最初は一番手短な地点にある滝口沢のF二(大滝)を見物してからにしようと考えたのだ。

 雨はポツポツ
 入り口の柵を横から抜けて廃屋跡の平地を突っ切って沢沿いに20m進む。そこから先は鬱蒼とした竹林に覆われ暗い。その竹林の20m向こうの闇の中にF一のヒョングリがさも白い大蛇がのたうち回るかの如くに浮かび上がる。その蛇はまさにかぐや姫の化身。まさか。
 でも竹の幹に隠れて密やかにうかがうエロ翁のような気分になって更に目を細めて水の飛び散る様に見入るのだ。豊かな水量の水が飛び跳ねる様は神秘的にもエロチックにも感じられる。しばしして隠れ蓑にしている竹の幹から手を外歩くと踏み跡が自然に沢床に導く。瀬を渡ると先ほどのぞき見していた滝の下にでる。そこからは通常なら見えないF2(大滝)の水流も下部の一部が見えるのは普段より相当に水量が多い事によるのだろう。

かぐや姫の翁の気分になって姫を覗う  F1

 そのヒョングリ滝(F1)を左側から登る。ホールドはしっかりしていて、フリクションも良い。下降の事を想定すれば、どの場所に足を置かなければならないかをしっかり頭に入れる必要がある。水の飛び出し位置まで登ったら、流れを跨いで右側に移る。そこからの3mは手で掴めるようなホールドはない。スタンスを拾って行けば決して難しい登りでは無く、フリクションの利く岩に靴をグリップして摩擦で登れば良い。ただし、もしも滑ったらF1の下まで空中滑り台となるだろうから用心は必要である。

F1ひょんぐり 白大蛇うねるが如く
 見た目よりは易しく登れるが、もちろん登りより下降の方が難しい。このF1からの下降を支える補助手段は何も無い。これからセットしようとしても支点となる灌木草木は滝壺付近には全く無く、断崖に石切職人と石工職人の技能で支点を刻まなくてはならないから手間がかかる仕事になるだろう。よって現在の時点では登下降にそれなりの心得のある人以外はF1は登るべからずって言っておく。
 (F1の左横の小尾根にF2滝壺の天井岩の上に出てF2を眺める事のできる巻き道がついている。小尾根を登りきれば滝口沢取水堰見回り路にでる事が出来る。ただし、険しい登路に馴れた人で無い場合はこちらもお勧めできません。だれでも安全に滝口滝を見ることの出来るポイントは無いってことです)
 F1を登りきった地点では大滝の音量は響けど5m先にあるF2は見えない。大滝の釜は砂が積もっていた場合には浅く、砂が無いときには膝の上までなる場合もと変化するが、今日は比較的浅い。その釜を3m進むと右側面の切り立った大岩に隠れて見えなかったF2の本体が姿を現す。

 滝壺に立つ我が身は左右を切り立った岩壁に、背後と頭上は天井から大岩に包まれるように覆われ、この場所への進入路であるF1の落ち口も大滝から着き出した壁に隠され、滝のある前方視野角20度仰角80〜90度以外の四方八方は外界から遮断された別次元の内界となるのである。その狭い内界に存在するのは滝壺の水の下に礫を踏み清め立つマシラと5mの庇の下の先に見える大滝と落ち口付近から滝壺まで続く水の流れのみである。他には何も見えず大量の流水がまさにそこに立つ者だけをめがけて落ち続ける永遠の時と、洞窟に反射し吠える水音が奏でる刹那の時が交合重なり過ぎていくのだ。この場に立った者のみに許される荘厳さが確かにそこにあり、無宗教ものであるはずのマシラにして思わず合掌し「ア〜ニハーリャ」と山神の呪文を唱え始めるのである。


滝口沢の大滝(滝壺洞窟より)
 県道から百mも無い位置ではあるが、この滝壺からの景色と神仏の気配を感じた人は多くは無いだろう。神秘性からはマシラ的には丹沢一の滝だと感じているが他の人はどう感じるのだろう。
 滝壺の右によって、左に寄って、入り口まで戻っては眺め回し、その場に二〇分ほどとどまったのちに下降する。

滝口沢大滝 F1の落ち口を2m進むと滝の裾が見え始める 左は滝壺洞窟(マシラ禊ぎの場)
 さて、いよいよ本日のコースに入る。
 雨の日と言うこともあり、極々簡単で短いルートを選択した。それは湯本平から大野山へ登る登山道沿の小沢で名称は知らない。沢は右俣と左俣に別れるが、登山道に近い左俣が本日の沢遊びコースである。
 滝口沢から大六天社・湯本平と戻り、沢床乗面を小石のコンクリで固めたの右岸に沿って登り始める。右岸の道はやがて私道風に代わり、その道も畑の猪柵に追いやられて柵ごと沢に落ちそうな右岸を通過すると車道(登山道らしい)に出る。その車道を右に進んで沢にかかる橋を渡る。目的地である。
 橋から眺める沢はボサボサと雑木が茂り見てからに蜘蛛の巣だらけそうでパッとしない。
 「ちょっとこの沢 印象悪し」
 でも、ここが今日の目的場所なのだ。橋の袂の廃仕事小屋の脇の小崖を登ると沢沿いの仕事道にでる。沢の中はボサと砂防堤で容易に歩けそうもないので仕事道に沿って進む。砂防堤を四つほど進んだところで、やっと沢に入ることが出来た。
 湯本平では全く流水が無かったが、ここまで来ると豊富とは言えないが水が流れる。
 砂地の沢床が割れた石の集積状態の河原は、やがて最初の5m滝と続く。

最初の滝(滝場の始まり)右より巻いて登るとゴルジュの中に
 簡単そうだけど落ち口がのっぺりしているので無理をしないことにする。少し戻って左岸を15m程登って獣道を伝い、滝の高度差5mと比較すると巻き道は少々手間取り過ぎるようにも感じながら落ち口に立つ。そうすると直ぐに次の6m滝だ。最初の滝より、立っている感じで特に上部はツルツル状態に見える。

 この沢を下の登山道にかかる橋の所から眺めたときに「ボサだらけのつまらなそうな」っていうのが違っていたことを、この滝を眺めたときに感じた。「ちょっとヤバイカモ」
 そしてこの滝を巻いている最中に、それはその通りだと実感した。それを以下の数行に記述する。

二番目の滝 流れの左側をと思ったけど とても無理 滝を眼下にした大巻きがここから始まる
 「とても滝は登れない」
 当然ながら巻き道である。出来ることなら落ち口付近に出たいものだ。そのために滝の左から巻きに取り付いたとして、右上するバンドは登れるんだろうか。厳しいようにも見えるけど、それがだめな場合には・・・まずは行ってみよう。
 5m登った地点で、草がしがみついているだけの落ち口に続く急斜面のバンドは諦めた。滝左の小尾根(右岸尾根)に出てから反対側に下降すれば沢に戻れるだろうと直上する。小尾根までは急な5m程の登りである。岩が脆く、確かな支点が見あたら無い。落ちても砂地でワンクッションするだろうっていうんで登ったけど、もしもこの場所を下降するとなると面倒だぞって感じながら登ったのだ。まさか、降るなんて無いだろう。
 そう言う事って杞憂で済むってことにならないんだな。

巻き道のはずの小尾根から次の大滝を遠望 そばには近寄れなかった。
 そして小尾根にでる。そこは石が脆く積み重なった尾根だった。期待した反対面は・・・垂壁だった。下は深いゴルジュ状であり、自由に降りることが出来そうな場所はどこにも見あたら無かった。もしも降りるなら小尾根に根を張る灌木に掛ける30mのロープが必要だが何も持っていないから無理。それならば小尾根を登ることが出来るかっていうと、それも難しい。3m上に5m程の脆そうな垂壁が重なっていて、それを避けようとする両面とも垂壁なのだ。右の垂壁の向こう(沢)には10mは越えていそうな次の滝が見えている。

 もしも先ほどの下の6m滝を無理して登ったとすると、上には進めず下には難しい滝が待っていて下降できない状態に陥っていたはずだ。なんてことを考えている暇があったら、この小尾根からの撤退をどうするかの方が差し迫った問題だった。無理して登らなければ良かったのに・・・なんて悔やみながらウエストポーチからシュリンゲ二本を出し肩に掛ける。使わないで済めば良いのだが・・・・・そうも行くまいゾ
 浮き石で固められているので岩は掴めない。足場にする石もボロッって剥げ落ちる。石と石の間の泥は靴をニュルッと滑らせてしまう。 「困ったな!」
 それでも手で泥を払ったら、うまい具合に太さ1cm程の根っ子が探れた。引っ張った手応えから少しくらいなら加重しても大丈夫そうだったのでテープシュリンゲを巻き付ける。これにすがって1m程下降する。下の砂の斜面に着地するまでには1m程あったが、思い切って飛び降りる。着地してから足場を再び確認し、背伸びし落ちる落ちると叫びながらテープシュリンゲを回収する。この紐だって、どこかの沢の中にかかっていたのを回収して使わせてもらっていたものだから無理して回収する必要はないはずなのだが、山の中に無用な物品を残しておくとゴミになって目障りになる。そういうのは好きじゃないし、そもそもケチンボマシラ、一度手にした物はたとえゴミであっても手放したく無いこすっからい性分なのだ。
 着地した地点から左に5mほどトラバースし、疎林の中の礫を谷間に蹴散らしながら急斜面を登る。30m程登った地点で沢方向に行けそうな感じがしたので横断を開始したが、行き着いたのは先ほどの小尾根の上にあった垂壁の僅かに上の地点で、そこから沢への下降は下のゴルジュが続いていることもあり出来る相談ではなかった。苦労してトラバースして、ただ一つ良かった事は奥の棚(10m程か)が先ほどよりは鮮明に見えたこと事くらいだろうか。このように、なかなか巻き道は難しい。
 灌木にすがって眺め入る下に見える沢は急峻で狭く難しい。

小尾根を一反は脱したが再びのトラバースでも行き詰まって そこから望む奥の滝(高低差知らず)
 先ほど横断を開始した地点まで戻り、直上する。そうして、いくらか傾斜が落ちた地点に斜面を横切る仕事道(踏み跡程度)があって、その道に従って斜面を沢方向に進む。先ほどトラバースして戻った地点が30m下になって見えた。奥の滝は手の届く位置になったが、やはり沢床への下降は出来ない。
 そのまま仕事道(道型のある踏み跡)に入って進むと先ほどの滝を巻いて、その上に続くゴルジュの中にある5m程の滝を通過した地点で沢に入って踏み跡は終わる。
 下の5m滝から始まり、一連の滝場は長さでは高々100m程だろうか。今日は、その中の一つも登ることなく尻尾を巻いて逃げて登っただけだが、そのわずかな距離を歩いただけで、もうちっぽけで貧弱な沢なんていう最初の印象はどこかに吹き飛んでしまっていた。十分な沢歩きを堪能させていただいたと言って良いだろう。それくらい、この部分の巻き道には神経を使ったということだろう。

仕事道を辿ると沢に戻る(ここから難し滝はない)
 直ぐに二俣になる。右には砂防堤があるが水は無く乾いている。
 左は狭いが水が流れていて本流である。その左に入ると狭いゴルジュ状になるが幸いにきつい滝は無く、5mにナメが続く滝を登る。滝の上部は半分壊れているが金網で編んだ籠の中に石が詰められた石の堤防だった。それを右側から越えると奥に高い堤防(コンクリ製)が見えたので、右から巻いて登ろうと進んだらぽっかりと草原状の広場に出た。広場は上下に車道が延びている。広場の上斜面にはなにやら怪しい山荘風な建物があり、周囲を一周したが暫く人の出入りは無い模様なのを確認して(湯本平からの登山道は車道を下った先から、車道に別れて上の尾根道に続くらしい)車道を上に向かう。
 その車道 良い道だが、右手に砂防堤を数えて四個めで無くなり、そこからは沢沿いの細い道となる。沢の中に入るとボサがひどい。そんな砕石の沢の中は歩くのが面倒である。そんな中にある砂防堤はステップを使って乗り越える。そのステップに乗りながらの感想は「よくぞ人は砂防堤をたくさんつくるもんだ」というたわいも無いことばかり。その間の傾斜は大野山って遠望から見えるなだらかさからは想定できない程に思ったよりは相当にきつい。ボサが分けるのも煩わしい。・・・ボチボチ・・終わらないかな
 コンクリを流して固めたような広い角度のV字状は幸い傾斜が緩い。そのドン詰まりに聳える砂防堤はボサが覆い被さる右側のステップを使って越える。その砂防堤から上を見上げたら、頭上に稜線(車道)が見えたが、そこまでは一面のボサ ボサ
 もういいや いい加減に面倒ダゾと右の斜面に入って30mも進むと仕事道(山市場への道?)に出て、30m程水平に歩くとポコッって感じで湯本平への分岐の地点で大野山から玄倉隧道方向に延びる車道に出て沢歩きが終わったのだ。

緩いV字の沢のドン詰まりに砂防堤 そこで沢はあらかた終わる
 ホッ そして ヤレヤレ 車道から先ほど登ってきた所を見下ろして
  思ったよりきつかった
  考えていたよりずっとおもしろかった
  これだから、知らない沢の中を歩くのは止められない

  なんともくだらない感想なのだ。

 雨は止んでいた。大野山は雲の波の中にあり、山を行く人は少なく稜線を出てからイヌクビリの間では人にまったく会わず、山を独り占めしている気分は悪くない。だが、そんな気分に浸っているのはマシラだけではないらしく、人の目線から解放されたかのように間延びした牛の泣き声が山の背の草木を撫でるように通り過ぎていく。
 「も〜ォ〜」

雲の間を歩く(大野山付近)
 いいな こんな風に山を歩くって

 帰路は雲の上の大野山イヌクビリから古宿(駿河・甲州郡内への古道径路の宿があったという)・共和小学校、川村宿(関所跡)を経由して山北の駅までを小一時間で歩く。古宿までは整備され散歩に格好な山道が延びる。気分の良い道だと思う。そんなときは、ついつい歩調が早まる。


写真集です

過去何回も沢名を教えていただいているゼフィルスさんによると、今回の沢の名前は「沢見沢」というんだそうだ。ゼフィルスさん、今回もありがとうございます。


自宅6:30〜本厚木6:51〜松田7:23JR〜谷峨7:51バス〜神縄手前で降車8:00〜滝口沢大滝見物8:00_8:30〜大六天社8:40〜湯本平の小沢(名知らず)8:40〜車道(登山道)8:45〜最初の5m滝8:55〜ゴルジュ最後の滝の上の仕事道に出る9:45〜車道(廃山荘付近)広場10:00〜大野山への尾根道(車道)にでる10:25〜イヌクビリ(大野山)10:30〜共和小学校10:55〜山北駅11:20_53JR〜新松田12:04〜本厚木〜自宅13:00

朝方 町ではポツリポツリだった。山でも最初はポツポツしていたが大雨になることもなく、帰ることにはいくらか雲が薄く感じた一日だった。

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