
自宅からでは大山の山頂が見え、東の空は明るく「天気はすぐに良くなる」と思ったが、谷峨駅では小糠雨が降り、バスに乗れば窓ガラスが雨粒に濡れて外が見えないから思惑違いかもしれなかった。そういえば先週も似たような天気だったことを思い出す。「行き場所も同じ湯ノ沢なら天気も同じか」思わず独り言も口先から出ようというものだ。
そんな閉塞状況が嫌ならば、自ら率先して場の空気を変えなくちゃだめだな。そんなこと想いながらも、流れに棹さすことの面倒くささを考えるのなら、なすがままでも良いじゃないかと惰性のままに流されることの何とも言えない心地よさに沈殿してしまう昨今である。でも、面倒が押しつけられるのだけは御免被ると物事を変える勇気がない人間のくせに不平不満だけは一人前以上に能弁なのだ。
「あの人が」と指さす手をよく見なよ!
「人差し指は相手を指さすけど、残った薬指、中指、小指は自分を指しているだろう」
「人を非難するとき、それはてめえ自身を三倍責めていることになるっていうのを、人を指さすその手が教えてくれているんだぞ わかったかマシラ」と諭すように教えてくれた先輩の言葉が懐かしい。しかし、こりゃあ言っちゃいけないと考えている口の端っこから不明不満の言葉が漏れるんだ。そんなとき、俺って弱い人間だと実感し情けなくなる。あれっ 何の話をしているんだっけ
中川温泉入り口で降りたのは他に一人いた。谷峨駅から乗った女性である。信玄館の仲居さんかなと思ったが、中川の橋を渡り魚山亭、蒼の山荘を過ぎてもまだ後ろにいたから河鹿荘の働き手さんかもしれない。
湯ノ沢ダム 高さ10m幅50mはある大きな砂防堤で上流側は堤によって堰止められた石英閃緑岩の土石が堆積し、白く広い一面の砂地になっている。その側面で行われていた温泉源工事。こりゃ失敗だろうと見えていたのはマシラの大きな勘違いだった。実際は見事に湯脈に当たったのだ。それは次のような状況を一目見ればすぐにわかる。
温泉源の井戸はブルーシートに覆われた仮設の状態なのだが、中には一本のパイプをコンクリで固めて、そのパイプからは3リットル/1秒程度の量で温泉がジャワジャワと流れ出している。吹き出した湯はいったん小溜槽に流れた後に今は下の小沢に捨てられているが、年が明ける頃には送水施設の工事が行われ、どこぞの旅館の湯殿に供されるのだろうと見た。
槽から流れている湯を手に取ると人肌より高めの温度は37〜38℃程度のややぬるめだが、それを鼻のそばにもって匂いを嗅いでみると硫化硫黄と思われる硫黄成分がプンと漂う。湯にはヌメッとした質感があり、PHで計ればアルカリ側に若干よるのだろう。熱い湯の好きなマシラにしてみれば、ここから送水したとすると旅館の湯殿までには数度の湯温低下は避けられないので、42℃程度への加温が必要だろう。でもそれで湯の成分を調整する訳ではないのだから温泉の質に問題が出るとは考えられない。もっともいにしえの昔に信玄の隠し湯として、戦国の戦傷傷を癒やす療養の場として活用された温泉であるというのなら、山二つ向こうの下部温泉のように低温長湯の温泉療養を売りにすると言う手もあるだろうが、観光地ではそのような悠長な商売戦略は採りにくいかもしれない。
継続的に湯温や構成成分が保たれるかは素人のマシラには知るよしもないが、かって入ったことのある中川温泉では温泉の匂いの記憶が無く、そんなおぼろげな記憶から「ホントに?」の思いもあったが、目の前にこんこんと流れだす湯はなにはともかく名実ともに立派な温泉である。湯量はポンプで押し出せば数倍の量に達するに違いないだろうから一軒の旅館の湯殿で使うのなら循環なしの掛け流しを売りに出しても十分に必要な量をまかなえるだろう。まずは掘り当てておめでとう!と言っておく。そして湯桶の中に足をつっこんでの足湯の入湯一番乗りは今日を記念してマシラがいただくとしよう。もちろん今なら入湯税無しのただである。
さてさて温泉なんてのんびり構えていては時間だけが通り過ぎていく。早く速く!
屏風岩山にも湯ノ沢の奥にも霧雲が怪しくかかる。天気はどうなるかわかったものではない。少しは急ごう!
でも急ぎすぎはダメダ。先週、ろくに確認もしないで朽丸太に乗ったら見事に足を取られてもろに顎を打ったことを思い出す。一週間たって、殆ど痛みは感じないが、その程度のスリップだって間が悪ければ顎が砕けることだってある。現に自宅で椅子に座ろうと手をつこうとしたら、そこで手が滑り、堅いところに頭部を打ちつけたらしく、四時間後に意識不明に至り、それから病院に担ぎ込まれた時には既に脳の組織が出血により壊死してしまい、幸運にして生還できたとしても通常生活は危ぶまれる事故があったと報告を受けたばかりだった。とても他人事ではない。
寄り道せず、水に濡れると寒いから巻いて行こうかなとも考えた深田堤防も、こっちの方が時間がかからないからと冷たい水を避けてヨッコラショと乗り越える。そこが十の沢の入り口だ。先週もきた場所であるからさすがに間違うことは無い。ぼちぼち見飽きた景色なのがタマに傷かも知れない。
深田堤防を見下ろすのもそこそこに十の沢に入る。緩く右に曲がると砂防堤に達し、それを右の踏み跡に従って乗り越えると100m程先が二俣になる。
二俣から先週は左俣にいったのだが、今日は右俣に行く。行く先に一体なにがあるのだろう。棚があるかどうかは当然ながら分からない。地形図によれば、大杉山から馬草山の鞍部に出るまでの標高差は深田堤防からでは僅かに250m程だから、今日の元気度合いならば一息の短い距離である。なにかあることを期待するのが間違っているかも知れない程の小さな沢というよりは小窪だ。
右俣に入り、二俣から見えていた最初の砂防堤は左側に設置されているロープを頼りに登る。小さな堤だが、堤と山肌の接合部周辺の足場が大きく崩落して不安定な場所なので、このロープがないとすると乗り越すのは面倒だと思う。そのロープは虎ロープが普及するよりも前の時代の黄色のビニール状糸を撚り合わせたφ12m/m程のもので相当に古いと見えたが、まだまだ体重を支える程度には十分だと思う。間を100m程あけた次の砂防堤も同じような状態だった。そこでも右手からロープには全体重を掛けて乗り越える。狭かった沢が幾分か開け、小さく割れた石の河原をしばらく行く。上空には早くも稜線が見えてきたような気もしないではない。冷静に見たら事実その通りだっただろう。が、そこには靄霧がかかり、はっきり見えないことを理由に「まだまだ、この先に何かあるかもしれないヨ」と、何もないかもしれないという失望を先延ばしにした。
でも雨は降らないにしても、帰りには富士山が見られるかもと期待して家を出てきたけど、行く手にかかる霧を見れば、その狙いはかなえられそうもないことだけははっきりしている。
本流から分かれた左手にナメ状滝が登っていく。その先は急な崖になり、樹間のなかに消えていく。本流では石英閃緑岩の風化したザレザレとした表面の上に周囲から落ちてきた枯れ葉が乗っかり、下の足場を靴で探りながらの登りとなる。石の河原でも石がしっかりと座り、足場がしっかりしていればヒョイヒョイとピッチよく歩けるのだが、どうも今日の沢は、足場の不安定さにリズムが崩れてうまく歩けない。深田堤防から幾らも歩いた気はしないのに、実際も400mは歩いていないはずなのに既に水の流れはなくなっている。
そこからも沢に降りるには適当な手がかりが無く、沢の縁を伝うことになる。それも長い距離ではなかった。予期したとおり沢の縁を80m程も歩くと神奈川県水源の森の杭が打たれた大杉山〜馬草山の登山道に達するのだった。先週の「鹿島家」の境界杭よりは3,4百m下部に当たる場所だろう。
沢は、こんなように何も無く、あっけなく終った。深田堤防上の出会いから、この地点まで僅かに40分と、ちょっと短すぎる気がしないでもないが、この沢はそんな小沢なのだ。当然ながら、それは承知の上だった。しかし、気分的には、これではダメだ。だめな仕事と同じだ。なんとか見栄えを変えなくちゃと言いながら、ろくな手を打てなかったばかりに、ほーら見ろよ 正月休みが無くなっちゃったじゃないかと言うのと同じだ!このままでは消化不良で家に帰っても気分が悪いのだ。だから予め次の策をうっておいたのさ。ちゃーんと自宅の行き先表にも、それは掲示してきたからユミコちゃんに無断のルート逸脱ではない。
沢の終わった地点は既に傾斜が緩くなっている地点で、引き続き馬草山方向になだらかに下る。
湯の沢の状況も二の沢から始まり十の沢まで歩き、ようやく地形の理解が少しは出来たと思う。しかし沢はともかくも沢と沢を分ける分界尾根にはいずれも踏み跡が付いていることは分かったが、その一つたりともまともに歩いてはいない。だからマシラにとってまだまだここら付近は山遊びの余地があると思う。そのうちに分界尾根も歩いてみようか。でも、いきなり下りに使うにはマシラの技量では危険すぎるような気がするから一度目は登って確認を行なってからのトライだろうな。
登山道から左手下に棚沢右俣、それの奥の左俣の窪みが見えてくる。棚沢は小さな沢のくせに上部は幅広な沢にガラガラとした岩石を一杯持った沢だとの記憶がある。そこからが棚沢に下るには一番の近道だとは思うが、ガラガラの沢の下降は思いの外にやっかいで時間がかかる。それで、そこからは沢に入らず、登山道が馬草山への登りにかかり始める地点までの約400mほどを歩いてから平坦な杉の林の中で登山道に別れる。下草が整理された林の中では杉のほのかな香りが匂う。
匂いっていうのは写真などの画像データよりも、日記などの文字データよりも、より直感的に脳幹に働きかけ、古い記憶を手に取るように呼び戻す効果が高いという。杉の香りはマシラに取っては小さい頃の薪拾いや(育った地域でプロパンが普及したのは小学生高学年になってからであり、それまでは焚き付けは子供が山で採集してくる役割だった時代の子供であるのだ。マシラは)山賊ごっこに遊び惚けた小さな頃を思い出す香りでもある。
前方に三椏の群生が見られるようになると杉の林が切れ、緩やかな斜面の下が棚沢の小石ゴーロの流れである。その小石ゴーロに着く前の10mに三椏の密生した平坦地がある。以前、来たときに中川城址の出先の隠れ砦でも立っていた場所ではないだろうかと感じた場所である。その平坦地から沢に下る。50mも歩くと地中を河原にしたかのように崖から水がしたたり落ちる湧水帯で、ここから棚沢の水の流れが始まる。そして本日最初の飲み水でもある。
ゴツゴツとした岩に足を滑らせないようにくだる。だから下りって、簡単な沢でも思いの外に時間がかかる。それに登りよりも膝も痛めやすく、沢の下りはともかくも面倒だ。登りならそんなことは事は考えもしない。ナメが出てきて、そうすると前方が急に落ち込み、棚沢の棚の落ち口に達する。落ち口には流木が引っかかっていて、それを手がかりにしてちょっと危ないぞと念じながら下を大きくのぞき込む。スリリング・だからといって格別な景色がそこにあるわけではないのだが。落ち口から下を見渡すことって、視界の効かないことの多い沢歩きの中では、目先が変わっていて、いつも止められいのだ。この棚の落ち口では、そこに引っかかっている流木がじゃまになってビュー的には、いまいち
下降
右岸は以前、この棚を見に来たときに登ってきたルートである。下からは棚下で右手から合流する支流にかかるコンクリ砂防堤を越えてから左手の砂礫地に取りつくが急で不安定な巻きである。通常はこのルートを巻き道にする人は少ないだろう。本来の巻き道は左岸である。落ち口から暫く不安定な礫地をいったんは登り、なすがままに灌木間の踏み跡を水平に歩く。途中に行く手を遮る窪地があり、そこで上方をチェックするとピンクのテープ標識が見える。そこまで10m程登ると、いささか年代物ではあるがロープ付きの靴が水平におけるように路肩を切った立派な巻き道がそこにある。途中の岩の障害も穿って削って道にしてあり、相当に苦労して作った難場の中の安全な巻き道である。
そして二度目の棚沢の棚 いい滝だ 感想は省略
そこからは、ほぼ等間隔で設置された砂防堤を6個下る。明確な路はないが、かといって歩くに困るような場面もない。以前来た時には切り出して長さを1mに切りそろえ、一輪二輪と蔓で結わえて路肩に積み重ね、今日にも街に運び出すのではないかと見えた切断面から木の香りが漂ってくるようだった槇が、そのままに放置され、今日は朽ちて土に戻って行く途上となっている。「あの槇を運び出さねば」と今も気にかけている翁が、きっと町に居るだろうが五年という月日って短いようで長い。丸太を見て、そんなたわいの無いことを思った。
二俣からは車道を歩くことも出来るが、それでは棚沢出会いのナメを楽しむことが出来ない。忠実に沢沿いに下降するが、出会いまでは二俣からは時間を数えるほどの距離があるわけではない。
そして湖岸へ
時間調整もかねて湖岸をゆっくり歩く。そこでは冬のワカサギ釣りのシーズンが始まったらしい。
自宅6:30〜本厚木6:51〜松田7:23JR〜谷峨7:46富士急湘南バス〜中川温泉入り口8:20〜中川温泉旅館街〜温泉掘削場(湯ノ沢ダム横)8:30〜深田堤防上の10の沢出会い8:55〜6m棚下9:15〜稜線(大杉山〜馬草山)9:35〜馬草山手前の鞍部9:40〜棚沢に入って下る〜湧水9:50〜棚沢の棚落ち口9:55〜滝壺10:10_20〜二俣(林道終点)10:30〜棚沢出会10:40〜中川橋〜学校(三保地区)〜丹沢湖(バス停)11:16富士急湘南バス〜谷峨11:47JR(朝方の事故により10分遅れ)〜新松田12:16〜本厚木〜自宅13:00頃 2006/12/10 谷峨では小糠雨 山には霧がかかり しかしそれ以上に悪くなることのない山歩きには良い天気である。
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