性格形成(6)
性器期





    


    
この国、日本では二十歳になると成人式というものがありますね。

     『人に成る(なる)』こと、つまりこの日を境に一人前の人間として、

     社会に巣立って行くわけですが、これから述べさせて頂く性器期は、

     その人に成る為の最終仕上げの時期に相当します。



     性器期とは、性欲が性器に集中する時期のことですが、

     男根期の性器に集中した性欲とは異なり、性器同士の結合・・・

     つまり今度は生殖を目的とした性欲です。


     図では中学一年生くらいの13歳ころから、となっていますが、

     昨今は生理的発達が早くなっていますので、11歳前後から

     その兆候が見られる子もいます。女子のほうが早いでしょうか。

     女子なら初潮を迎えてから、男子は夢精が始まった頃が

     潜伏期との(おおよその)境目になると考えてください。


     この境目を迎えると急速に体型が、男子は男子らしく、

     女子は女子らしくなってきて、異性を受け入れる準備が始まります。 


     そして心の中でも、いろいろなものが芽吹いてきます。

     潜伏期で他の成長に向かっていたリビドー(心的エネルギー)が、

     本来の性欲活動に戻り、本格的な活動を始めるので、心の中も妙にざわつき、

     落ち着かなくなります。

     もっとも、この落ち着きがなくなることが、さまざまな方向への原動力になるのですから、

     むしろ健康的なざわつき、と申しあげておきたいと思います。(^^)



     さて、まず、少年少女から、男性と女性になった彼らの心に湧き上がるのは、

     男根期に目覚めたエディプス・コンプレックスです。

     つまり異性親に対して感じた性欲ですね。

     しかし、その性欲は男根期のものとは、性欲に対するリビドーの大きさが違います。

     しかも、彼らは超自我に刻み込んだ禁欲も覚えていますから、その葛藤は男根期とは比べものにならないほど、

     大きなものになります。


     しかし、いくら禁欲と云っても限度がありますので、自慰や、白昼夢(いわば空想の世界ですね)に

     耽る(ふける)ことで、その衝動を処理しようとします。もちろん実際の衝動に走る場合もあります。

     よく、そのことで「そんなこと(性の事)ばかり考えて、大丈夫かしら」、「勉強が遅れるのでは?」と親は心配する

     わけです。(^^;)

     しかし彼らの性の強い欲求エネルギーは、精神活動や、学業に振り向ける余力も充分に持っていますから、

     下手に口出しをしてその気持ちを削いでしまうよりは、ある程度(大きく性の方向へ暴走しない限り)は、

     思うままにさせてあげるほうが、得策のように思います。


     そして彼らは、とても哲学的に、真面目な考えを親や周囲にぶつけ始めます。

     ときには、社会や親の矛盾を突いたり、親を試すような論議をぶつけてきたりと、親は大変困ってしまうわけですが、

     彼らはいたって真面目なので、親自身、答えが分からずとも、決して茶化したり、話を逸らせたりしないで、

     真剣に受け止めてあげることも大切だと思います。

     つまり彼らは、そうしたことで自分さがしを始めたわけです。


     彼らは、社会的に有名な人や、アイドルたちに憧れ、その人たちの真似を始めます。

     服装や話し方はもちろんですが、その考え方を真似することで、その人たちから何かを取り入れ、

     自分も同じになろう、とするわけですね。

     そこで確立されたものを自我同一性と云い、一つの人格を自己の中に築いて行くわけです。


     それじゃ、真似に過ぎないではないか、と思われるかも知れませんが、

     この時期の彼らを見ていると、移り気のように、次々と憧れの対象を変えて行きますよね。

     彼らはそうした事を繰り返すことによって、いろいろな人から、いろいろな要素を取り入れて

     自分らしさを見つけているのだと解釈してください。

     つまり彼らは、決してチャラチャラとした気分で人真似をしているわけではなく、

     「あれかな、これかな」と模索し、ときには強い葛藤に遭いながら、それを探しているわけですね。


     この自分らしさ、の自分という言葉で述べますと、

     幼少期の頃には自分を認識する『私』はあっても『自分』は無いと云われています。

     ちょっと難しいですね。(^^;)

     幼少の頃は、自我もまだそれほど育っておらず、無意識のエスが心を多くを支配しています。

     つまり、大半が無意識ですから自他の区別も曖昧で、かろうじて『私』と『別のもの』が分かる程度。

     まだ「これは自分の考えである」という自分がない(はっきり自覚できていない)と云うわけです。     

     お分かり頂けましたでしょうか。(^^;)とても概念的なので、もしかすると分かりづらいかも知れませんね。

     とりあえず先に進みます。


     そして、その自分が確立されることが人格であり、自我同一性なのです。

     もし仮に、この確立が上手く出来ませんと、自分というものがありませんから、たとえば、

     何をしても実感の持てない、いつも夢を見ているような感じになると思います。

     そして「自分の考えはこうである」という主体性がありませんから、超自我に刻み込まれた

     「してはいけない」という禁止などに対しても、疑うことなく自分を縛ったり、罰したりしてしまいます。

     こうした自我同一性の未成熟な状態は、精神疾患の特徴的な部分でもあります。



     さて、思春期になると、人を好きになり、恋愛をしたりしますね。

     この恋愛も、自我を育てる重要な役割をしている、と云われています。

     人を好きになることは、ある意味、誰にでもできる簡単なことです。

     しかし、お互い好意を寄せ合い、愛し合うという行為は、思った以上に大変です。

     身体的結びつきだけであれば、これも簡単なことですが、

     恋愛には精神的な結びつきが、それ以上のウエイト(重要な意義)を持ちますから、

     自分勝手ではいられないわけです。つまり、犠牲と奉仕が必要になてきます。

     おまけに、その犠牲と奉仕が、すべて報われるのであれば良いのですが、

     ときには身体的結合を拒まれたり、最悪の場合には破綻もありと、

     頑張ったわりには、辛抱や葛藤、悲哀に満ちているのが恋愛です。


     しかし、つい数年前までは、ある意味、エス丸出しの我がまま放題だったわけですから、

     この恋愛というのは、たしかに自我を鍛えるには もってこいの作業かも知れませんね。


     しかも、この時期の恋愛というのは、相手を求め愛するというよりも、

     その相手を通した自分を見て喜ぶナルシズムが多分にあると云われています。

     まだ、幼少期の自己愛(自己に向けられた関心)が、かなり残っているわけですね。

     もちろん、自己愛それ自体、完全に消え去ることはないのですが、恋愛を通じて、

     人を愛することや、人間関係に必要なことを学んで行くように思います。

     情緒的な、やさしさや、思いやりも、その一つ、ですね。




     そのほかに、性器期(思春期)には、さまざまな問題が生じますね。

     非行を含めた反抗的な行為や、心身を病んでしまったり・・・

     これらのことは、その成り立ちが、神経症のメカニズムと同じですので、

     第三部を参考にして頂ければと思います。


     いずれにしても、一人の人間が『人に成る』には、大変な道のりがありますね。

     でもそれだけに、いとおしく、素晴らしいものだと思いませんか。   
     



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