中学生、高校生の13歳から18歳ぐらいまでの思春期を、
性器期(せいきき)と云います。
性器自体に興味を持った男根期とは違い、
今度は生殖そのものに強い関心、欲望を持ちます。
つまり、この年齢になってようやく、性の欲動が
本格的に動き始めるわけです。
久しぶりに、エスが主役です。
「ん?エスが主役?」
性の欲動が鎮まる潜伏期を終え、能力的に生殖が可能な
思春期になると、再びエスの動きが活発になるのです。
おそらく、この性器期が、
人生の中で一番 心が波立つ時期ではないかと思います。
なぜ?・・・そう、、エスは人間のもっとも原始的な部分で、
きわめて衝動的に動く、ジコチューのカタマリでしたよね。
そんなエスが、休暇を終えフル充電で帰ってくるのですから、
タダで済むわけがありません。
想像しただけでも、怖いと思いません?(^_^;)
もちろん自我も、それなりに力を持ちはじめていますが、
この時期のエスの力はそれ以上にパワフルで、
とても自我だけでは抑えきれません。
なぜなら、この時期のエスには本能的な性衝動に、
幼少期から今日までに蓄えられた、他の欲求エネルギーが、
プラスされているからです。
つまり、熟されてきた性本能に、幼少期から抑圧されてきた
満たされない感情などが加わって、
心の中で暴れまわるわけです。(^^;)まるでゴジラのように。
そこで「エスの勝手は許さぬ」と、立ちはだかるのが超自我です。
超自我は、まさに「この時期の為に存在する」
と云っても良いぐらい、
性器期のエスにブレーキをかける適任者です。
いや、エスの暴走を止められるのは、彼しかいないでしょう。
そして両者の闘いが始まるわけです・・・が、![]()
ここで自我にとって、大きな誤算と云いますか、
はじめは超自我を心強い味方ができたと期待するのですが、
自我は、さらなる苦悩を抱えることになります。(^^;)
それは、エスと超自我との板ばさみです。
エスはエスで、性の欲動や、抑圧された気持ちを満たしたい。
一方の超自我も、「こうあるべき」という道徳的な生き方を
貫いて(つらぬいて)、いい社会人になりたい。
自我にとっては、正直、
どちらの言い分も「ごもっとも」なのです。
自我だって許されるならエスの云うように欲求を満たしたい。
でも、それをしてしまったら、超自我の云うように
「社会的にダメな人間になってしまわないか・・・」
と云う選択しきれない板ばさみ(葛藤)で不安に襲われます。
そして、その不安から逃れる為に、
再び抑圧という処理を選ぶわけですが、
問題が解決されたわけではないので、
思春期特有の、イライラ、モンモン(悶々)とした
状態が始まるわけです。

親に対するイライラも、勉強に対するイライラなども、
その根っこにあるのは、すべてが性欲動や抑圧から
発しているフラストレーション(欲求不満)であると云っても
過言ではないのが、思春期(性器期)の特徴です。
つまり解決されない欲求が、さらに自我によって次々と
抑圧され、ふくれあがったストレスのオバケとなって、
慢性的なイライラになるわけです。
もちろん、性の欲動も、抑圧も、無意識に隠されているので、
本人にも「どうしてイライラするのか」の原因は分かりません。
しかし、思春期を経験された方なら、この一行・・・
「どうしてイライラするのか分からない」の部分で、
「あっ」と思われるのではないでしょうか。
そう・・・あの頃って、
いつも、理由もなく、イライラ、モンモン(悶々)としてましたよね。
つまり、そういうこと(が原因)だったわけです。(^^;)
ですが、このイライラ、モンモンが、彼らを大人に近づける
大切な原動力(エネルギー)でもあるわけです。
彼らは、そのエネルギーを使い、社会に反発したり、
自問自答を繰り返しながら、自分なりの人間像に近づこうと
しているのです。
まあ、ときにはエネルギーが強すぎて、暴走したり、
挫折して悩んでしまうこともありますが、
それもなが〜い目でみれば、必要なこと、大切なこと
なのです。(*^-^)
【極楽とんぼのつぶや記】〜さまざまな問題や、心の障害の発生〜
ゴジラVSガメラ、実際には映画会社の関係などで、実現していないみたいですね。
でも、闘ったら、どっちが強いのでしょうね。(^m^)
さて、そんなゴジラやガメラが引き合いに出されるほど(出したのは私ですが(笑))、
心の中は荒れ放題なわけで、むしろ問題や障害が「起こらないのが不思議」
なのが思春期なのかも知れません。
もちろん、思春期に何事もなく、そしてその後も何事もなく過ごしている人のほうが![]()
多いのかも知れませんが、では、問題や障害が発生する人と、何事もない人とでは
どのうよな違いがあるのでしょうか。おそらくそれは、
心全体のバランスと、環境ではないかと思います。
ここで云う心全体のバランスには、
幼少時代の心が「どうであったか」も含みます。
子ども時代に抑圧されたものが多かったり、
重大な問題(心の傷)があれば、当然、抑圧の袋が
巨大化(肥大化)しています。
また「いけない」と禁止する超自我が活発であれば、
その袋も肥大化して、自我の活動できる場所が、
ますます狭められているはずなので、自我も充分に
成長できていないことが予想できます。
そんな状態で思春期に突入したら、どうなってしまうでしょう?
自我が未成熟(幼いまま)と云うことは、葛藤が起こりやすく、
しかも葛藤に弱いですから、すぐに抑圧してしまい、
ますます抑圧の袋を肥大化させることになります。
抑圧は心の『膿(うみ)』であり、心の障害の『地雷(スイッチ)』のような
ものですから、肥大化すれば、それだけ発症の可能性も
増してしまうわけです。
そして環境とは、思春期にどんな環境で過ごせるか、です。
心のバランスが良く、適度にストレスを発散できる環境であれば、
もちろん大きな問題なく、思春期を通過できると思います。
しかし幼少期に心のバランスが悪かった人は、やはり思春期も
良くない環境で過ごしてしまうケースがほとんどです。
なぜなら、バランスの悪い心をつくってしまった環境が、そのまま
継続して彼らの環境になっているわけですからね。
よっぽど周囲が「失敗した。申し訳ない」と感じて、環境を改善しようと
しない限りは、残念ながら悪循環が続いてしまうわけです。
そして、そこで生じる問題や、障害というのが、
神経症、非行、ひきこもり、摂食障害、その他の精神障害などです。
これらはすべて、同じ原因、同じメカニズムと云って良いと思います。
つまり、「神経症になるか、非行に走るか、どちらか」と云った感じで、
どのような問題や障害に発展するかは、その人が持っている要素と
そのときの環境が分かれ道になります。

ただ、これは私自身の経験からの持論ですが、
問題や障害が起こるなら、この性器期(思春期)に、出来るだけ
出し切ってしまったほうが良いと思います。
なぜなら、先ほども書きましたが、この時期は問題や障害が
「起こらないのが不思議」なぐらい心が揺さぶられるので、
膿の噴出に最も適した時期(適齢期)なのです。
難しい云い方をするなら、子どもから大人になる過渡期として、
心の歪み(ゆがみ)を修正する為にも、心に溜まった膿が
当然出てくるべき時期。
つまり、人間にとっての自然現象なわけです。
ですから逆に、もしこの時期に何とか持ちこたえてしまった場合、
いわゆる『良い子』で、居続けてしまった場合、
当然出るべき『膿(抑圧)』が噴出せず、それをを抱えたまま、
成人を迎えてしまうわけですから、その不自然さがアダとなって、
手当て(治療)を困難にしてしまうという事実があります。
もちろん、だからと云って、性器期(思春期)に問題行動が
あったほうが良い、症状が発症したほうが良い、と云っている
わけではありません。(^^;)
そりゃ、問題も最小限、発症もせずに『思春期を楽しめる』に
越したことはありませんからね。
そこで大事なのが、環境です。
どの道、出さねばならぬ膿ならば、
そんな彼らを温かく包んであげる環境さえあれば、
彼らも自然と膿を出し、社会へ巣立って行けるわけです。

とても、小難しい話になってしまいました。。。(^^;)
「人生50年」と云われた一世紀ぐらい前の思春期は、
もう子どもを産み育てる立派な大人だったんですよね。
しかし寿命がのび、環境も変わった現代では
思春期はまだ子ども・・・いや、大人になる為の
準備期間として、生殖行為すら許されなくなってしまいました。
つまり、動物としては生殖がしたい、しかし環境が
それを許されないわけですから、それだけでも
ストレスや悩みになることは明々白々なわけです。
でも、それを云っても仕方がない。
「みんな悩んで大きくなった」
と野坂昭如さんも歌ってましたね。(とても古いですが(汗笑))
悩むべきときに悩んで、大きな人間になって欲しいと思います。
若者よ、負けるな。o(^-^)o
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