2003年度での学生さんからの反応を見ると、交通広告への注目度が大きいのに驚かされます。かつて交通広告を担当し、オリコム(昔は「オリコミ」でしたね)さんやJ企さんともディープなお付き合いをしていた立場から、少しお話を。
(1)交通広告の可能性
交通広告は、今後も十分な可能性を秘めた媒体であると思います。
交通広告は
・オーディエンス=通勤・通学客
・流通 =駅売店や駅周辺の商業施設
において磐石のメディアであり(少なくとも東阪地区)、そもそもブランディングや販売促進などにポテンシャルの高いメディアです。エリアマーケティングには欠かせないメディアといえます。インターネットやケイタイなどの出現、不況の影響などもあって、生活者のメディアに対する接触態度・時間に大きな変化がある中、交通広告は安定した接触時間と態度をもち、効果を持ちつづけていくといっていいでしょう。
また、中づり(短期集中リーチ)、まど上(長期的認知獲得)駅ばり(インパクト・ブランディング)、駅看板(店舗誘導)など、様々なニーズやシチュエーションによって、様々な手法がとれるという点もあり、ほとんど交通広告だけを取り扱っているという代理店も多数あります。
理論的なこと以外にも、
・広告主の担当者やキーマンも、交通手段を使って通勤するので接触する機会が多い。また競合他社の広告にも接することで意識が高まる。という点で、提案に入ることが多くなります。
・グラフィックデザイナーは交通広告が一番の花形舞台。
(2)交通広告の専門代理店はこうして出来た。
少し歴史的、背景的なことを説明します。
世の中には無数の交通広告専門の代理店が存在します。これは、沿線の店舗などを取引先とし、駅看板を主体として電鉄と直接取引口座をもってきたという代理店であり、従って中小規模、場合によっては零細代理店・カバン代理店(=カバン一つで商売する)という代理店の存在で成長してきたという理由です。従って、このような代理店では小田急とは取引があるが、京王とは取引がないということもあり、それぞれの得意・不得意路線があります。唯一オリコミ(現オリコム)が全国の電鉄と横断的に口座をもっていました。
電鉄会社にとってかつての広告収入は、運賃収入の数%もなく結果はっきりいえばそう重要な収入源でもなく、また、もともと駅員さん、運転手さんが現場の一線を退いた後にやる仕事だったという点もあり、これら中小規模の代理店のケアの細かさにより媒体社は出入りの代理店を制限するかわりに、代理店が丸抱えで電鉄を世話するという構図ができあがりました(指定代理店制度)。従って立場としては圧倒的に電鉄の方が強いものでした。(広告収入が減っても倒産することはまずありませんから。)
当時はまだナショナルクライアントが中づりや駅ばりなどをキャンペーン用メディアと位置付けることも少なく、大手の参入はありませんでした。唯一電通のみ全国の電鉄と口座をもって取引していましたが、上記理由で、電通といえども中小代理店と同様の扱いとなっており、逆に駅看板といった細かいローカルの仕事では数字を上げられないため、必ずしもその中で地位が高いということはありませんでした。また電通の中でもメディア部門として明確に位置付けられることもありませんでした。
平成の時代になって、ポスターメディアが注目を浴びてきた中でも、博報堂や旭通信社などの大手広告代理店は電通のように直接メディアに口座をもつことなく、交通につよい代理店を通じて集中的にバイイングしてきました。これは、もともと閉鎖的な社会であり、直接参入するメリットが(利益率以外に)少ないとみていたからです。逆に交通代理店はこれら(電通以外の)大手代理店を得意先としてさまざまなキャンペーンの受注をしてきました。それぞれ強い路線・弱い路線がありますので、お互いが融通しあって手配しました。(いわゆる「まわし」)
しかし、このような電鉄の代わりにメディアスペースの調整を代理店が(仲間内で)まるがかえで請け負う(場合によっては代理店間ですべてスペースを買いきる)という構図では、メディア(電鉄)側の成長や代理店間の競争が促進されず、独特の閉鎖世界が構築されてきました。
(3)電鉄のハウスエージェンシー設立とその影響
分割民営化されてから、合理化など民間的な発想が必要とされていたJR東日本は駅舎や車両を有効活用した広告収入を重要視するようになり、1988年にJRの広告業務「の代理」を行う(株)JR東日本企画(J企)を設立しました。すなわち、J企はそもそもJR東の「メディアレップ」部門(媒体社JR東日本の利益代表)として誕生しています。
この際、同時にJ企自身に「直営業部隊」をつくり、指定代理店に完全に分け与えていた中づりなどを枠を一部返却させ、No.1の シェアであったオリコムと同規模の枠を自身で確保しました。それ以降、J企はメディア部門では内部で指定代理店との調整はしつつも、クライアントに対してはJR東日本にもっとも強い代理店として大手広告代理店と競合し、確保力をバネに大手広告主と口座をもつようになりました。
このことにより業界が混乱したのも事実です。一方では駅看板のような細かいものは相変わらず専門代理店からの収入に依存しており、またオリコムや電通も多額の金額を「メディアJ企」に入れているにも関わらず、全額が「広告代理店J企」として計上され、あっという間にオリコムを超える日本有数の広告代理店として名を連ねることになりました。(しかし、J企を広告代理店と見なさない統計もあります。二重のカウントになるからです。)
この流れは京王、小田急、そして全国の電鉄で広がってきましたが、ナショナルクライアントの主な評価は東京のJR・営団地下鉄であるため、J企のような圧倒的な売上をもつには至っていません。むしろそれぞれの電鉄グループの広報・宣伝活動を請け負っているという位置付けが大きいと思われます。これはJR東海エージェンシーやJR西日本コミュニケーションズも当てはまると思います。
なお、東急エージェンシーは、東急電鉄のメディアレップという位置付けより、当初より東急グループの広告宣伝活動を主に携わったという点で、その足腰は別格といえます。設立当初より電通との人事交流をもったということが大きいと思います。
(4)オープン化の流れと今後の交通広告
このように入り組んだ形で手配されてきた交通広告ですが、不況に突入し、メディアを指定代理店で買いきって「まわし」で売り切るということもできなくなり、倒産する会社もでてきました。またJ企自身JR東日本への納金義務があり、自社枠とはいえ一定規模を抱えていくことも困難となってきました。
また、交通メディアが重要視されてきて、数値データも充実し、一般のメディアミックス(TV/新聞など複数のメディアをどう効率的に配分するか)提案にも入ってくるようになると、大手代理店を中心にオープン化の要求がなされてきました。また、出版不況により中づりの出稿も減り、駅看板などの収入も下がってきていて、電鉄としても車や化粧品などナショナルクライアントからの出稿を期待していかなければいけないこともあり、J企でもかなりの部分をオープン(=従来の代理店以外も直接バイイングできるようにする)ことに踏み切っています。
このことは、従来の中小専門代理店にとっては大きな出来事となっています。これまで博報堂やADKの孫受けとして受注してきた部分が減っていくことは必至であり、ここをどうリカバリしていくかがもっとも重要な経営課題となっています。
しかし、交通広告がエリアマーケティングに効果的であり、必須アイテムということが普遍である以上、交通広告に携わる代理店にはチャンスはいくらでもあると思います。例えばNKBは駅看板の販売により無数の飲食店などと口座をもち、そのルートとノウハウで「ぐるなび」を作りました。このようなフットワークは大手の広告代理店では持ち得ないものであり、ある種のすみわけともいえると思います。また逆にエリアに根ざした営業網をもつことは、経営上リスクヘッジともいえます。このような専門代理店にとっては、車メーカーの中づり駅ばりといったバブルに踊らされた時代から、もう一度エリアマーケティングに回帰することが重要なことだと思います。