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かくれんぼ 3 「ほら、あそこ」 セスが一つの煉瓦づくりの建物を指差した。 「あそこにきれいなアトゥムがたくさんあるんだよ」 「ふうん…」 このことに関するかぎり、かれは驚くほど身が軽かった。 通りすがりにアトゥムを見つけると、はやてのように鎖をちぎって駆け出し、 とられた人間がそうと気付かないほどだった。 それに、かれはどんなとじた扉もあけることができた。 てのひらを扉に当てるだけで鍵穴がまわり、 箱の中から持ちだしだたくさんのアトゥムをぼくらは袖にいれ、 いま新しい場所を狙っているのだった。 「ぼくが先にゆくよ」 「…………うん」 硝子の扉は、彼がてをあてる間もなくひらいた。 そして、高く大きな、ひとのこえがあがった。 「……なに?」 『昨日の強盗よ、早く警報を!』 『シャッターを下ろして』 ぼくの見ているまえで、あわだたしくひとが動き、 そして鉄の壁がセスに向かって降りてきた。 「上…」 ぼくは叫ぼうとした。 かれはまっすぐと硝子箱のなかをみつめていた。 黒い天鵞絨のうえに輝いている、色石をちりばめたたくさんの美しいアトゥムたち。 『いやあああああっっっ』 凄まじい悲鳴があがったのと、硝子が光の粒になって散ったのが一緒だったとおもう。 かれがかざしたてのひらに硝子箱が一斉にくだけ、 破片におそわれた人間が顔を押さえてうずくまった。 ぼくには、その景色がほんの一瞬静止したように見えた。 ひとの叫びも輝く破片も、波動にまいあがった衣の裾も、 はりつけられたようにその場にとどまり、 ヌームにいた限りぼくが見ることのできなかったひどく美しい景色を、 雲からきれた一条の光が冷酷に照らす…… おともない地上からぼくが顔を上げたそのそらに、 かみさまがふっと、伏せた目差しをあげたような気がした。 (………どうしたんだろう) 思ったのは一瞬だった。 まばたきもしない間に波動はぼくの肌をふるわせ、 ふりかえると、ほほ笑むセスと目があった。 腕の中に、たくさんの輝くものをかかえ、 そのほほ笑みは満たされた優しさをたたえている。 ぼくはもうすこしで、ほほ笑み返すところだった。 だけどその笑顔を、降りていく黒い壁がかくそうとしてる。 セスもやっと気付いたようで、ちょっと首をかしげて壁を見上げた。 『こっちです、強盗が…』 音をききつけたのか、たくさんの人間が建物を囲み始めていた。 ぼくは人波にのまれ、背伸びしてかれをあんじていた。 『今降りた、シャッターの向こうにいます』 『皆さん、下がって…』 新しい人間がすっかりおりたくろい壁によっていった。 セス、セスが見えなくなってしまった。 ぼくは泣きそうになってかれを呼ぶ。 「セス…」 「…ホルス」 きこえなくなっていた、返事がきこえた。 くろかったかべは真ん中から赤くなり、そしてだんだん白くなった。 そばにいた人間は悲鳴を上げて逃げ、 とけだした穴からセスが浮かんで地におりた。 「よかった、大丈夫?」 「うん、平気だよ」 ぼくらはほっとして抱き合った。 そして新しいアトゥムをそでにしまった。 『あいつですよ、昨日、ても触れずにうちの窓を砕いたの』 『隣町で警官を焼いたっていう?』 『ああ、見てましたけどね、油かけたみたいに一瞬で火が付いたんですよ、 生きた人間に』 『まさか、そんなことありえない』 『だって現に、いまシャッターを溶解したでしょう、 バーナーなんてありませんよ』 『……魔物?』 歩き出そうとすると、人々がぼくらをかこんでいた。 その輪は次第に小さくなり、ぼくらはおし潰されそうになる。 『人間じゃない?』 『こんな力があるなんて』 『どうかしてる。変異体だろうか』 『それに悪いことをしたのだから』 『そうだ。捕らえないと』 『異分子はとりのぞかないと』 『危険なものは廃しないと』 たくさんの手が、ぼくらに伸びてきた。ぼくらは引き離されそうになる。 「いやだ、セス!」 「…はらってあげるよ」 とおくで声がして、辺りが一瞬、しろい光につつまれた。 「ほら、今のうち」 目の眩んだぼくのてを、かれがとって駆け出す。 なにが、起こったんだろう。 引かれて行きながら少しみたところでは、あんなにいた人間がすっかり消えて、 よくわからないくろいものがうごめいていたようだった。 でもあれは、なんだろう? 駆け出すぼくらにはたびたび追っ手がかかった。 だけどそのたびセスがどうにかしてくれた。 (どう、したのかはぼくにはよくわからないのだけれど) ……ちからというのは、アトゥムのものだった。 ぼくらにわけられたちからは使う機会もなく、 あとにつくられたぼくにはたいして与えられてもいなかった。 だけど彼はちがうんだな、ぼくはちいさくそう思う。 ぼくも少しだけ使えるちから、 ものを浮かべたり、ひとの気を失わせたりするちから。 これは自分を守るためのものだったんだ。 うまれた時からアトゥムにつつまれていた、ぼくには必要がなかった。 セスは違う、ぼくのしらない間、このちからをつかうなにかが、 多分、かれに…… 「………」 冷たい左手がぼくをつないでる。 かれがおとがいをあげ、ながれる髪を振り払う、これが合図だ。 あとは無表情にさしだす視線の先が、きれいになぎ払われている。 天に掲げた右手は炎を生み出し、 ……その跡をたしかめるセスの目は、みたことのない表情をしてる。 ほほ笑むんだろうか、それとも叫ぶんだろうか、 曖昧な、予感だけをたたえた顔。 わからない。 どうしてだろう?それをみるとぼくは悲しくなる。 冷たくぬれた、井戸の跡を歩いていくような気持ちになる。 ぼくのしらないところで、なにがあなたにふりかかったの? なにがあなたにその右手を掲げさせたの? 一体なにを、焼き尽くさなければならなかったの? ぼくは叫びたいようなきもちになる。 うずくまりたいような気持ちになる。 きみを抱きしめてしまいたいような、どこかへ駆け出してゆきたいような。 知らなかった痛みがからだのおくで、する。 「……セス、セス」 「え?どうしたの」 「やっぱり、…ヌームにかえりたい、ね」 「……うん…」 「早く、この左目をめざめさせないと…早くしないと、そらが落ちてくる…」 「ホルス…痛むの?」 「奥に、なにか見える……ような……なにか…」 かれをかなしいとおもったら、 きつく巻かれた葉の奥、 目をそこなったときと比べることもできないはげしい熱がうかんできた。 両手で左目をつよくつよく押さえ、ぼくは両の目を閉じているのに、 きつくこらえているというのに、二つずつの補色が水玉模様になっては散った。 「ホルス、どうしよう、あの建物にもどろうか」 そして不思議なことにそれと二重写しになって、 ぼくの肩に触れてふるえるセスの姿も見えていた。 かれの長い髪は艶やかな緑に、 茶のひとみはあおいろに、 そして黒い衣はなつかしい、眩暈のいろにまたたいている。 「…セス、セス……を………って」 「なに?ホルス、なにがほしいの?」 「ああ、ほらセス………あそこの…あそこの人間をつかまえて!」 ぼくは左目を大きくひらいた。 眼帯のすきまからあたたかい血が足までながれ、僕のからだははじめて宙に浮いた。 ぼくが?このぼくが! そして初めて、かれに命じたりした。 でもセスはそれに驚かない。 すぐにその人間を…黒い服を着た、髪の長い人間を…捕らえてきた。 ぼくの足はまだ地につかない。 かわりにあかい体液が音を立てて滴り続ける。 だめだ、目の玉も一緒に流れてしまうじゃないか… ……ああ、ぼくの奥からうまれたての体液、 いのちといたみにみちた液体……瞳を閉じれば、ちのいろは確かに白濁してみえた。 「あの建物に、アトゥムのあった場所に連れていって!」 目の前が、はげしくまたたく。 つよい痛み…この世界におとされたときとおなじ痛み。 そして目をあけると、ぼくらはしろいアトゥムの前にいた。側にはあの人間が倒れている。 「……ホルス、どうやって…」 「手伝ってくれるよね、セス」 「うん……でも」 「腕を押さえて、そう。この人間が起きるといけないから」 「…………」 「ああ、それでいい。今度は足をつかんでいてね」 「…え………」 ぼくは服をはだけ、人の肌にそっとふれた。 ぼくとおなじ匂い、おなじ体温だ。 けれど形が違う。ぼくにはないものが指に触れ、ぼくにはあるものがそのかたわれを求めている。 『忌まわしき行為』 ………声を殺し、なぜアトゥムがそう呼んだかぼくは感じている。 ぼくらはひとりだ。 ぼくときみ。二人のひとり。 寄り添って眠っても、出会えないぼくら。 触れられない透明さにぼくらを泣かせておくために、 アトゥムはかれとぼくとを、決定的にひきはなした。なにによって? ああ、ぼくは知ってる。そしてかれも知っている。 だけどぼくは、それを忘れてしまった。 知っているのに、わかっているのに思い出せない。 『忌まわしき、行為』 交じり合う体液、それはなぜ暖かいのだろう。 交わしあう名前、それはなぜ心地好いのだろう? そのなかに、一体なにが見え、なにがうまれるのだろう。なに、が? 「…………ホルス」 「………」 「大丈、夫?」 「ん……うん」 左目の血は流れさり、その奥に小さな胎動がする。 「どう…?」 「外して…」 イチジクの葉が外される。かれの手によって。 そしてぼくの目が、…癒えたのでなく、よみがえりの…ぼくの目が、きみのなかにまばたく。 「あ。 ……よかった…」 「…うん」 彼はほほ笑む。ぼくもそれを真似る。だけどあまり巧くはいかない。 「これで、ヌームに戻れるよ、ね?」 「…………あぁ、そうだね…」 ぼくらは手をつないだ。かれの手はあたたかい。 ぼくの手よりも、 あたたかい。 「…………」 ぼくはきみのあたまを抱える。 ちいさな頭蓋が、腕のなかで少しみじろいだ。 「君が見えるよ」 「…そう、よかった…」 「空がみえるよ。ぼくのあたまの向こう側に、どこまでも続いて」 「あおいそら」 「きみがみえるよ。離れても離れても足首に絡み付く、きんいろの髪。 ことばを躊躇うあおい唇。 そらは、きみの体液ほど綺麗じゃないね。 色があわいもの。 ……きみの肌色に似てる。 いろのない皮膚を透いた、唇の色に似ているね。 誘ってるみたいだ。あの空の色も」 「………」 「これまでは、ね。 …そんな顔をしないで?悲しくなってしまうよ」 「…かえりみちを、さがさないとね」 僕は、こらえられなかった笑みを隠すため、少しうつむいた。 「セス」 「え?」 「…あそこに転がっていた、黒い人間は」 「………」 「死んだんでしょう」 「……そうだよ…」 「死ぬって…」 すこしこえを低くした、彼の肩にそっと額を押しあてる。 黒い衣からはまだ血の匂いがした。 ぼくは目を閉じた。 ちょうど、この服の色に似た暗がりの中で、昔どこかでこんなことばを見た。 『この子、死ぬってこと知らないんだわ。 死ぬってね、かくれんぼうでどっかへ隠れて、 いつまでたっても出てこないようなもんよ』 「…そうなの?」 「ホルス?」 「死ぬって、・・・・・かくれんぼみたいなものなの?」 「…どうして、そんなこと?」 「なんでもないよ。ただ、思いついたんだ」 「ホルスは、知らなくていいことだよ」 「……そう?」 「ヌームには終わりはないんだよ。 『 死 』ということは、あそこには存在しないんだ」 「じゃあ、セスも知らない?」 「…うん。しらないんだよ、 ずっとね…」 その場所は風が湿り気を帯びていて、 庭のほうから昼下がりの陽光が弱々しく射していた…そうだ、薄暗い部屋だった。 布張りの表紙は擦り切れて、活字の大きな紙は、手触りがざらついて、黄ばんでいた。 あれはどこだった?あれはどこだった? 『 死 』、それ知った暗がりは、彼の腕の中ではなかった? 「…少し眩しいね」 「日は落ちたよ?」 「月明かりが、冴えて這入るから」 「ああ、綺麗な満月…」 「あれも消してよ、セス」 「月を?」 「届くでしょう、セスは随分高く飛べる」 「無理だよ。月は、寒すぎる。 なにもかも凍ってしまうよ」 「どうして?あんなに燃えているのに」 「あれは炎で輝いているんじゃないよ。 月の光は、太陽の輝きの反射。 だからあんな風に、夜毎すがたを変えるんだよ」 「なんだ。借り物のひかりなんだ」 「……だからとても寒いんだよ」 ぼくは折り紙をそうするように、彼の指をゆっくりと弄んでいた。 ゆっくりと広げ、順に折り曲げ、また解いて裏へかえし、手のひらにつつんだ。 彼はなにも云わず、またなにも見ていない。 「セスは物識りだね」 「…そうじゃ、ないよ」 「そうかな」 「…アトゥムに、教わったんだ」 「かりもののちから」 「……」 「だから太陽から隠れて逃げ回るんだね」 彼がほんの少し、目を揺らせる。ぼくは気付かないふりをする。 「散歩にいかない?」 「……さんぽ?」 「夜なら、飛んでもきっと気付かれないよ」 「あ、そだね…もう、飛べるもんね」 屋根へあがって一歩踏み出すと、足元に花が舞った。 ながい衣の、いろだけ取り残しそうに早く駆け、 ぼくは彼より、空に近くのびあがった。 「昼間より、ずっと眩しく感じる」 「満月は、半月のときより十倍も明るいから」 「…セス、寒い?」 「ううん。平気だよ?」 「かおいろが、あおいくらいだ」 「月の光の所為だよ」 さしのべられた腕のように、まっすぐな光が彼だけにそそいでいるように見えた。 銀色のひかりは彼の眉間で砕け、夜露のように肌を、髪を飾った。 ぼくはひどくうれしかった。 彼のつめたい手をひいて、 地上に見える似つきもしないちいさな明かりが消えるまで行こうと思った。 あかりが、ひとつひとつと消え始めると、空気は冷たく濃くなった。 闇は蒼さを増し、 ただ顔にしろくひかりがあたるとき、自分が仰向いていると知れた。 「やっぱり、昼間よりあかるいよ…」 誰にともなくそう云った。 いったいどれだけ飛んだだろう。風にさらされ角をなくした僕の頬を、 ふいに光が両側から照らした。 「……」 眩暈の所為かと思った。 見上げたさきにも足の下にも、同じ大きさをしたひかりの球があった。 月ってふたつあるものだったろうか。 そっくりの兄弟は、誰がつくったものだろう? それともこれは、 いま地球の裏側にある、太陽の恨みがましいまなざしだろうか? 千年のあいだ、追いかけつづけたこの星を、 昼のむこうから、じっと見つめているのだろうか? それは憎しみ?羨望?それともあい? ぼくは足元の月に近づいていった。 すると、聞こえるかきこえないかのかすかな音をして、月の姿がさっとくずれた。 「湖だよ」 彼がちいさく云った。 なるほど、ふれてみるとすんだ水が、ゆびさきを痺れさせるのだった。 「水面に、つきが映っているんだよ」 「…太陽の光が、月に映りこむように?」 「うん…そうだね、それに似ている」 「それじゃこれも、にせもののひかり」 水面をけって、ぼくはたかく飛んだ。 「ほんもののかがやきをあげようか?」 ぼくはわらった。 出来立てのひとみがひとつ銀貨のようにひかると、 水面が油のように炎を舞い上げた。 あたりは昼間ほどにあかるくなる。 「ホルス…」 「あれが太陽だよ、セス。 向き合うことのない二つのほしが並ぶ、 ほら、はじめて月は、太陽を捕まえたんだ。ふたつのほしが…」 ぼくはわらった。 そしてぼくが笑うたび、炎は強くなった。 今はもう、湖は月よりもずっと明るかった。そして大きかった。 火はあたりに燃え移り、輝きはさらに増していった。 藍色の闇と藍色の空を、一つだったそれらを引き裂いて行く赤いいろ。 なぜこの色は、いつもいつもなにかを引き剥がして行く? ぼくは笑いつづけた。 どうしてこんなに笑うのか、少しもわからなかった。 倖せな日々はつづかないものだ。 ぼくはもう、彼の望むものをすべて、自分の力で手に入れることができた。 金線の華奢な鳥かご、その中のあおい金糸雀。 とけない氷、きえない蝋燭。 はじめのうち、彼はとても喜んでくれた。 ぼくもとてもうれしかった。 今まで彼にあげられたものなんて、何一つありはしないから。 白いアトゥムのほかは何もなかった部屋の中は、 少しずつ綺麗なもの、よい匂いのするもの、珍しいものが満ち始めていた。 だけどセスは、それを嬉しがったのじゃない。 彼は、アトゥムの力がぼくにも注がれたことを、 ひかりを帯びた瞳はきっともう、すぐヌームへの入り口を開いて呉れるだろうことを、 嬉しいと思っていたのだ。 …しあわせなひびは、つづかないものだ。 ぼくらのねぐらを彼らがつきとめて火をかけたとき、 ぼくはそれほど悲しくはなかった。 彼に気付かれないように、そっと笑ったくらいだった。 ぼくは彼の手を引いて、崩れる建物から抜け出した。 煙がのぼるものだから、飛ぶのは危険だった。 …暗闇の、あちこちから声がする。 光のもとでものを見せるのは、右目だった。 左目は、夜のあいだの目だった。 セスは夜目がきかない。 だけどぼくには、彼らがとてもよくみえた。 とがった黒い頭巾をかぶり、手に手にたいまつを持っていた。 「悪魔だ、悪魔だ」 彼らはそう叫んでいた。 丸くあいた目の穴からは、ぎらぎらと血走った目が覗いている。 本能の目だ。ぼくはそう思った。 自分の存在を守ろうとする、そのときに生命はとてつもない残忍さを発揮する。 自分の身が危ういときに、遠慮をする奴はいない。 必死だな、そう思った。 けれどそれがセスにはわからない。 追ってくる手を夢中で払いながら、揺れる目で問い掛けてくる。 「どうして?」 と。 「燃えてしまうね」 彼は云った。 「ホルスが呉れたのに」 ぼくは振りかえり、黙って微笑みを返した。 >次へ <前へ |