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シャコンヌ(chaconne)
(10月25日、ギドン・クレーメルのリサイタルでシャコンヌを聴いた翌日の日記より抜粋)
前日夜、これの夢をみてしまいましたよ。どきどきのひやひやだよ。
在原は音楽に過剰によっかかっていきてますが、クラシックのコンサートで緊張のあまりブったおれそうになったことってなかったんですが、(ライブではしょっちゅうです。期待と不安がおおきすぎて神経のリミットを越えてしまうんですよ…でも、立ってるのもやっとだったのに、開演して音が流れ始めるやいなやいきなり呼吸とか体温とかフルスロットルになる。あの感覚は味わった人にしかわかるまい。音が心臓を動かし、息をさせてくれるんだって実感する。)もう前日あたりからどきどきになってしまって、チケなかったらどうしよう!と何度も確認する感覚も懐かしい。
クレーメルです。現役で最も有名なヴァイオリニストのうちの一人なので、知ってる方も多いのでは。
ラトヴィア出身、枕詞は天才とかではなくて「鬼才」(笑)。バルト三国の若手演奏家たちを集めた「クレメラータ・バルティカ」という楽団を組んでいたり、現代音楽家の曲を積極的に演目に取り入れたりする。って感じでしょうか。
他に在原が知ってるのはチャイコフとパガニーニのコンクール両方で1位をとっている。(これはすごいことです)当時(若手の頃)コンクールあらしと呼ばれた、とか、前はストラドを弾いていたけれど、今はガルネリを弾いている、とか。1730年製エクス・ダヴィッドだそうです。…オイストラフが弾いてた奴ってことかな。違うかも。
(有名な楽器には元の持ち主などにちなんだ愛称がついていることがあるのです)
えーと、彼については日記とかでもしょっちゅう出してるのであれなんですが、在原が一番好きなヴァイオリニストです。で、楽器についてはまあ楽器好きの常として、「好みの音色」というものがあると思うんですが、彼の音色ってのは在原にとって完璧で、ヴァイオリンの音、といえば正に彼の音だ!と断言できるくらい100%のヴァイオリニストなんですね。なんていえばいいんだろう。
ヴァイオリンの音なんてどれでも同じやんかって思う人もいると思うんですが、違うんだよ。全然違う。
違う人のCDとか聞き比べるだけでも全然違うのが分かると思う。生ならもっと違いが分かる。これは耳のよしあしとかではなくて、(どっちがよい音に聞こえるとかではなく)楽器ってのは全部音が違うんだよ。そういうもんなんです。特にヴァイオリン(属)。<コンバスも。<これはヴィオール属だったと思う…(うろおぼえ)
とかいうと他の楽器好きの方には怒られるんですが、まず木の楽器、という時点で金属やプラスティックのように均一な素材で出来てる楽器とちがって、同じ木目はない=同じ音を響かせる素材もない、ってことになるし、ピアノは木ですけど、こう、音を響かせるシステムが複雑な分、共鳴箱そのものにゆだねられてる部分は少ない、と思う。
在原はピアノの音って聞き比べても殆ど分からない。(耳が肥えてないともいう)
あと似てますがギター。特にアコースティックはもろに木によっかかってる楽器ですが、板がフラットなんだよね。
ヴァイオリン(属)は表も裏もカーヴのついた板なんですよ。この厚みとふくらみの妙が音色に与える作用は云うまでもなく非常に大きいわけです。音を響かせる箱だから。機械でがーっと削っちゃう量産品はともかく、ハンドメイドのものは全部違う。同じ木は一つたりともないんだから、その木目にあわせてアーチを変えたりということも発生してくる。
というわけで非常に繊細な楽器なのですよ。といいたい(笑)
まあ在原がヴァイオリンやってて大好きだ!という贔屓目が大いに入っているので話半分にきいてください。他の楽器のこと詳しくないし。
でも楽器の王様、といえばヴァイオリンのことである。ソロもとり、バックもとり、合奏も出来、5歳の子供でも持ち歩け、セッティングも電気も要らずに弾け、よく作られた楽器は何百年も持ち、木の乾燥に従って100年くらいからより美しく鳴り始める楽器である。
構造が複雑だと部品が狂うので持たない。ピアノとかが100年持たないのはそういう理由らしい。ピアノは弦を自分で換えられないし。…その代わり、毎日調弦しなくてもいいという長所がある。(いたた)
…まあ、木で出来てて構造が単純=過酷な天候では弾けない、ともいうけどね(笑)
雨の中や炎天下でヴァイオリンを弾くプロはまずいない。(エレキヴァイオリンは別)湿度が低いとこでもひびがはいったりすることもあるらしい。
まあそんなわけで、楽器一つとっても同じものはなくて、演奏者が違えば勿論音も変わるし、曲の解釈においてはいわんや。って感じなんですよ。
クラシックって、大昔に作られた曲を楽譜の通りに弾くものではなくて、演奏家の解釈によって弾くのです。でなければ同じこと何百年も繰り返している意味がないし、「指揮者」という唯一音を発さない音楽家がクラシック界の頂点に君臨しているのも、自分の解釈をオケに伝えることで「演奏する」からなのです。
クラシックよく聞く人には今更なことですが、こないだ「指揮者ってナニがすごいの」とプライヴェートで訊かれたので、一応(笑)。
閑話休題。
そんなわけでクレーメルが大好きなのです。そして演目があのシャコンヌです。シャコンヌについてもよく語ってるので割愛しますが、至高のヴァイオリン曲と名高い(決して個人的好みだけではなく)あの名曲!
在原がクレーメルを知った切欠になった映画のテーマ(テーマ曲、ではない。主人公の人生そのもの)であり、CDで何百回何千回となく聞いては、何度聞いても飽きるどころかなんて深遠で胸を打つ曲なんだろうと涙せざるをえない曲です。
今から300年くらい前に作曲されたんですが、永遠に完成しない名曲というのはこういうのをいうんだろうなあ。
作者の意図すら離れ、音の波が演奏家を、聴衆を引き込み続ける。
バッハの、無伴奏パルティータNo.2ニ短調 BWV 1004の5曲目です。いろんな演奏家に、いろんな楽器でアレンジされた版がでてますがまずは原曲を是非!
というわけでですね、非常に有名で難曲だし、あたらしもの好きのクレーメルの性格を考えても、在原が生きてるうちには生でなんてきけないだろうなー…外国人だし。毎年来日はしてるけど。と思ってたらなんと今年この曲目で来日!(ぱたり)
これに行かずしてなんの人生ぞ!っていうか彼の音でこの曲を聴けたらもう死んでもいい、つかむしろ死ぬ!ってずーーーーーーーーーーーーーーーーっというてましたからね。片思い。すっげえ片思い。
そんなわけでチケ発売日には会社を遅刻して!とりに行きました。だめしゃかいじん。だって!在原は音楽のために生きてるのであって仕事のために生きてるのではない!(だめにんげん)。
とゆわけで、「一人でも死んでも行くけど、行く?」というわけのわからない誘い文句(それ、さそってんのか…?)で勧誘したここのえさんと合流。
当日いきなりのプログラム変更で、(彼はよくやる…)メインディッシュであるシャコンヌが1曲目に!
どどどどどういうことだと思いつつ、集中力が途切れなくていいかな…とも思う。コンサートに来てるという時点で全身が耳になってて音をがんがん中に入れてしまうし、(いい)ホールだと音が弾丸のごとく降り注いでくるので集中を持続させるのって結構しんどいです。ライブだと逆なんだけどね。
とゆわけで、これはシャコンヌだけで約15分という大曲なんですが、15分中13分は泣いていた。(多分)
いやもうすばらしいなんて言葉を使うのもばかばかしい。在原は彼のことがすごい好きでこの曲がすごい好きで、彼の版で、その音を、曲の踏み方を何百回も何千回も繰り返していて、多大な期待をよせていたわけです。
でも、年月の間に解釈も音も代わるし、その日が「いい」コンディションかどうかもわからない。音楽家はプロだけどきまぐれなものだし、演奏会におけるあたりはずれっていうのは大きい。(クラシックはその「揺れ」は少ないとはおもうけど)
でも在原がよせる「りそうのぎどんくれーめる」「りそうのしゃこんぬ」というものをうずめて余りある存在でした。彼は。
本当にすばらしい。
繰り返すようですが、北欧人のくせにちっさくてパゲでメガネでガリガリやったのに最近腹だけは出てて、残ったライトブラウンだった髪もいまや白く、美形とはとてもいえず、いつもにこにこしていて人懐っこそうですが演奏中のまじめな顔は凛々しいとも云いがたく単に怖そう、という、ジャケ買いなんて誰もしないだろうというふっつーのおっさんなんです。外見は。(えまにゅえる・ぱゆのようにはいかない)
でもどうだろう、あの美しい楽器を手にすると彼は天使になる。
初めて生演奏を聴いた時にも思いましたが、あのちっさいおっさんのどこからあんな音色がってあたりを見回しそうになる。筆舌に尽くしがたい輝かしい音色。
音楽に感動する、っていうのは文章とか事物とちがって目にも見えないし理解するというものでもないし、一体なんなんだろうってほんとに不思議なんですが、あの音の中にすべての答えがある、っていうんでしょうか。
この曲を知っているのに、数え切れないほどききこんでいるのに、次に来る音もフレーズも結末も知っているのに、なんでこんなに心が動くんだろうと思うよ。歌詞もないのに。<左脳的共感や理解ではありえない。
もうすばらしい。なにがなんだか。
そこにいるのは腹をかくすべくツメエリの上着を着たちっこいぱげのおっさんやのに。
翼が見えたね!ほんとに!
いやもうすばらしい。
在原はしょっちゅう泣いてるイメージがありそうですが(笑)そんなこともなく芸術関係一般以外は幼児体験フラッシュバックくらいでしか泣かないし人前では泣かない(電話はべつ)と決まってるんですが、シャコンヌ聴いて涙をこらえるのは
バカ
だ!と思ったので。勿体無いよね。感動を抑えるなんて。
数年前の第九では演奏家(合唱隊)がこっちむいてるので泣かないように必死でしたが、ソロ・ヴァイオリニストはいいね。こっちみないから(笑)
というわけで、以下のプログラムはシャコンヌの余韻に恍惚としながら過ごしました(きけよ(笑))。
もうありえないから。ほんまありえないから。
すばらしい、すばらしいヴァイオリニストですよー。好き嫌いはあるとおもうけど、在原は大好き。
音楽って光だね。それによって世界を見、自分がここにいることを実感できる。
在原にとっては生、ということそのものなのですよ。あらゆる善いもの、美しいもの、上へ向かうもののすべてを象徴して見える。
在原は本当の意味で神様を信じているわけではなく信仰は持ってないんですが、換言すれば在原にとっての神様は音楽であり愛だなあと思います。個人的な。神の愛(アガペー)ではなくて人間愛(エロス)ね。個人的にアレがすきでこれが好きででもそれはきらいだもんね!みたいな。好き嫌い両方あって、片方が下がるからこその片側の上昇。
その時点で既に信仰や宗教とは程遠いものなんだけど(笑)
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