超最新 近況報告
7月21日 次男(壮洋)ピースボートで横浜を出航、101日間の世界周航の旅へ
2月26日27日・・・若松の社会科有志で下北半島の大間へ・・・ヤゲン温泉泊・・・新幹線とバスのたび
最新近況報告
2006年1月
1月1日〜1月3日
元旦に会津に帰省す。この度は暮れより大雪とのことでいつ帰ろうかと思案していたが,
雪の様子を見ながら一日と決めた。11時に千葉を出発、
順調に進み雪に遭うこともなく16時には無事ついた。
磐越道も郡山を超えると、雪が深くなり磐梯熱海を過ぎると雪の壁がガードレール
代わりになっていた。
明らかに1メートル以上の雪が積もっているようであり,街中の屋根には長いもので1メートルもの
ツララが鈴なりになっていた。あー寒い、というのがついたときの印象だった。
年老いた両親としばしの水入らずを過ごした後、3日には帰宅の途に着いた。
その日は朝から雪で午前中は磐越道が津川と磐梯熱海の間で通行止め、
その日の10時ころについた妹のアドバイスで49号線を通らずに
間道を猪苗代までいこうと考えていたが,
弟の嫁さんの時宜を得た今通行止めが解除されたという情報で会津若松インターへ
まさに天はわれに味方してくれた。インターは開いていた。
ラッキーとばかりにツイスイと運転11時半ころ出たにもかかわらず
17時には暖かい千葉の地へついた。磐越道は小生達が高速に乗った
その直後40分後くらいにまたまた閉鎖で49号線は大渋滞ということを後から聞いた。
その後会津は3日間ほどでまたまたメートルを越す積雪,新潟長野などでも大雪の情報しきりであった。
雪の大好きな戌歳のなせる技なのか,今年の雪は。
稲毛にて
いつものランニング
・・・稲毛高校から正門を出て海のほうへまっすぐ行く。
大きな通りに出て右に折れる、磯辺のヨットハーバーにつながる一段高い歩道(遊歩道)をまっすぐに走る、
ヨットハーバーの駐車場入り口から入り、砂浜に沿ってさらに花見川のほうに進む。
まっすぐな道をしばらく行くと、磯辺大橋の下につく。
ここで半分、折り返し帰ってくると往復で6キロメートルになるという。
今までに十回ほど行ったか。7月14日現在
2005年4月1日付け
千葉市立稲毛高等学校へ転勤、教員生活残すところ十年である。
県立から市立へははじめて、いろいろ噂を聞くといろいろなことが大分違うらしいとのこと、
今年はせいぜい慣れる事に集中しよう。
3月末
・・・インターハイ主審のためのリハーサル審判体験実習のために、成田の体育館で
東日本の有力選手を集めての審判会に出席、
女子の審判を本番では担当なのに男子の審判をやらされた。
速い展開で緊張した。
3月
・・・転勤が決まり、若松高等学校での残務整理のメイン、
校内LAN網の構築に向けてのケーブル張りにYさんと専用の釣竿とドライバーと脚立で挑戦、
ほとんど業者になりながら500メートルのケーブルを生徒棟(進路から数学)、
特別棟(一階・・・校長室から家庭科室、2階・・・職員室から社会科、社会科から生物準備室、
3階、コンピュータ室から化学準備室)と張り巡らせた。あと少しで完成だ。
ケーブルの長さを決めて、カットし、細線10本にソケットを通して圧着して1本のLANケーブルを作る作業は思いのほか楽しかった。
2月26,27日
稚内旅行(若松の社会科有志・・・尾上さん、堀江さん、石垣さん)
本州最北端の地を訪れ、1泊2日と短かったが、久しぶりの旅行を堪能した。

近況報告
2004年(申年)1月1日久しぶりに近況報告を更新する。
29日30日
・・・初めてアミド張替えに挑戦、メートル巾の網と隙間に入れるケーブル、押し込み器、
カッターなどを用意して取り掛かった。
はじめに古い網を取り外し、サッシ枠をきれいに掃除してからやや大きめに切った
網をクリップで留めてケーブルを押し込んでいく。
コツを飲み込めば、意外に簡単、1日半で家中のアミドを張り替えた。
外観が見違えた。
12月26日
高水準教育達成組織(略して高教組)の非定例忘年会・・・於:幕張「とりとん」
かつての仲間と時間を忘れて楽しい一時を過ごした。
参加者は八街の元締め以下、元新小岩のピキちゃん、九十九里の旦那、
八丈島の海蛍、やせた熊のプーさんで東海の磯の
コジマさんがいなかったのが、残念でした。
幕西の仲間は不滅ですね。
11月1日2日
於:磐梯熱海温泉・・・緑風苑
この日は会津の親父とお袋の金婚式というお祝いの会を開いて一泊。
50年の歴史を振り返った。
9月1日より9月26日・・・於:再び川鉄病院
胆石症から胆嚢除去手術敢行・・・体には斜めの傷が入ってまさにブラックジャック状態。
2004年 4月
上野精養軒にて、会津高等学校同窓会(東京支部)に出席、
久しぶりに懐かしい顔にお目にかかり、古い話に花が咲いた。
昔と変わらないなあー。
最新近況報告
2003年2月15日(土)
今日は午前中8キロ走った。2月になり仕事が忙しくなりあまり走れなくなった。
1月と2月は100キロも到底走れない。不思議なことに体重は68キロを維持している。
2003年1月・・・中嶋君が訪ねてきてくれた。大学時代の友人はいいものである。
一時いろいろな話になって時間のたつのも忘れて一升瓶を軽くあけてしまった。
12月7日(土曜日)
9月は毎日歩いた。10月は毎日ランニングをして月に154キロを走ることが出来た。
11月はほぼ毎日走った。
磯辺の教職員住宅へも往復した。
150キロを積み重ねた。12月15日には千葉市民リーグ(バドミントン)に参加の予定となる。
9月14日から16日・・・・・会津若松にて
14日は中学時代の同級会、東山温泉で1泊ス。気の置けない連中が集まり夜遅くまで昔話に花が咲く。
15日は実家のパソコンの調子がイマイチなので修理する。
16日は実家のタテマエ、12月には完成予定。雨だったが,予定通り。
HPの更新がずーっとできなかった訳。・・・・・たかが盲腸(虫垂炎)されど盲腸・・・アッペ
2002年9月5日(木曜日)
リハビリを実施中、一日おきにランニングとウォーキングを朝5時に起きて行っております。
体重が66キロになったせいで身体は軽くなりましたが,
筋力も相当落ちましたのでどっこいどっこいというところです。
最初は筋肉痛を感じましたが、もう2週間になりますのでほとんど感じなくなりました。
じっくりリハビリ(筋力を失った時間を考えると半年以上はかかると思います。)
をしてスリムな身体を再び獲得したいものです。
あるメールに書いたこと。
近況報告
昨年12月の学期末に虫垂炎で小生が入院致し皆様にご迷惑をお掛けしましたがあのときの入院では虫垂と盲腸部の炎症がひどくて開腹してパイプ(ドレーン)を挿入して抗生物質で炎症を静めるという治療でひとまず事無きを得ました。退院後3月までは調子が良かったのですが、(だいぶ復活したのですが、)3月24日に再度ドレーンを挿入していた穴(そのときにはもうふさがっていたのですが、)から大量の膿が漏出、再度8日間再入院で抗生物質の治療ということになりました。4月からNさんはおられませんでしたが、学校へ。始まって4,5日目再度膿が漏出、3度目となりました。1週間で出所致しました。その後7月までは時々膿が出たりとまったりと言うことで近所のクリニックで消毒をしておりました。先生いわくこのまま膿が止まれば大丈夫ですということでした。わらにもすがる思いで生活を規則正しく質素(アルコールを止めて)にしておりました。その甲斐あって12月時点から体重は71キロまで減少して非常にスマートになりました。ウエストは80センチくらいになっておりました。活動も爆弾を抱えておりましたので、縮小せざるを得なく学校での飲み会は1回も出席できませんでした。行動範囲もかなり狭くなっておりました。 7月になりもうこれで膿が止まるカナと思っていた矢先、突然たまっていたものがでるように、膿が上旬から出始めました。これは根本的な治療が必要だということになり夏休みに入った7月24日からKT病院に入院。検査の結果30日に全身麻酔で手術、回盲部切除ということになりました。経過順調で8月16日退院、現在リハビリ中です。体重66キロすこぶる快調です。(まだ縫ったところが少々引きつりますが。)24日からは合宿に参加予定です。復活できたら軽い体でバドミントンができるのでどのくらい動けるか、楽しみにしております。ということで返事が遅れてしまいました。
2002年8月16日・・・KT病院24日振りに退院す。
セカンドオピニオンということでKT病院へ,Y先生に全てを託す。
7月24日入院。
オペ前1週間準備,そしてオペ、全身麻酔で3時間、回盲部切除ということに、
術後は順調、1週間で抜糸、ドレーン2本もその時抜き去り、約2週間で退院。
5,6,7月 ・・・Hクリニックでの日々。ウミとまる・・・密かな希望、あ・・またウミが・・・止まらないな・・・
2002年4月・・・K病院7日振りに退院す。
またウミが、どうして(どうなっているんだ)点滴抗生物質治療を繰り返す。
治らなければ,夏休みに根本治療(再度開腹)だね。
2002年3月・・・K病院8日振りに退院す。
1月2月3月と順調に回復しているはずだった。
ところが、3月23日朝、目を覚ますと腹部は大量のウミにまみてれおり、あたりに異臭を放っていた。
おかしい。
入院後抗生物質で治療。春休みを棒に振る。
2001年12月29日・・・K病院12日振りに退院す。
12月15日職場の忘年会だが、この日は2次会にも出ずに9時頃帰宅。
焼酎をあおって就寝。時間を置いて腹部(右わき腹)に鈍痛を感じていた。
痛みを感じつつもこらえて寝たような寝ないような。
翌日部活午前中、周期的に痛みを感じていたが,なんとなく我慢が出来て帰宅。
帰宅後も痛みがあったが,日曜日ということで病院は休み、そこまで行かなくてもということ、我慢して酒を痛み止めに就寝。
明日は成績処理だ。
翌午前中成績処理を痛みをこらえながら行う。
どうしてもこらえきれなくなって来たので年次休暇で自宅へ、Hクリニックで受診。
急性虫垂炎と言うことで近くの病院を紹介してもらう。
K病院へ行く。即入院。明日オペとなる。
腰への麻酔で開腹するも炎症がひどくて虫垂を取ることあたわズ。
ドレーンをつけて閉じる。点滴で抗生物質を投与。炎症を治めるべく治療する。
1週間ほどで投与終わり痛みも引いて急性虫垂炎はかくして1ラウンドが終わる。
12月29日退院す。この間いろいろな検査をしたが,大腸スコープで生体採集培養した。
ガンの疑い晴れる。
この間、忙しくていいこと無し。
2001年
1月1日5時間で会津に帰省しました。
ところがそれから会津は観測史上3番目の大雪に見舞われました。
したがって4日に帰ってきたのですが、しんどいことになりました。
以下にその様子を書いてみました。
約12時間会津からかかったことになります。
10時半に七日町を出発し、49号線の星中央病院に着いたのが、40分後、
その先から咲子に言われた道を思い出して山道に入りすいすい、八田野の交差点まで10分、
ラッキーというのもつかの間交差点におまわりさんが立って強清水方面には行かせない構え、
車はみな塩川、猪苗代線に吸い込まれていきます。
小生のカリブもそのまま磐梯町へ、本来ならば、この道は49号線の迂回路で空いてるはずが、今日は49号線の変わりになっている。
嫌な予感が、走るが、車はそれからのろのろ、時には10分20分とまったく動かず、お袋のおにぎりがありがたかった。
憲雄君が言うようにペットボトルも持ってくればよかったと後悔することしきり、でも間に合わないので吹雪の中、
なりふり構わず吹雪の中に出てシッコを2回、さっぱりした。そんなこんなことをしながら本を読みながら
リゾートスキー場の手前の五十軒というところまでたどり着く。
そこには大型車が路側帯に突っ込んで身動きが取れていなかった。
そのために片側しか通れず渋滞が続いていたのだった。
やっとそこを通過するとすいすい、ラッキーなことにラジオは交通情報で磐越自動車道の通行止め解除の知らせ、
磐梯高原が開いているしらせをしきりに流していた。
すいすいと咲子の家の前と猪苗代町を通りやっとインターチェンジにたどり着き高速に乗った。
やっと帰れるという感じがした。 それにしても雪国の雪の怖さを身にしみて感じた帰省行だった。
4日間いろいろお世話になりました。
雪に負けないように頑張ってください。
アリガトウございました。
近況報告です
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夏休み大阪の健太郎が千葉に遊びに来ました。(8月11日から16日)
8月16日磐梯山噴火の可能性のニュース流れる。あわてて実家と猪苗代にメールした。
8月11日から14日まで帰省す。
恩師の国井直英先生が勇退されたので、その際出発を確認する会が13日生粋で行われた。
会津高校陸上部時代の仲間が20数名集まって楽しいひと時を過ごした。
これからも先生とはバドミントンを通して末永くお付き合い願いたいものだ。

2月20日 ポートアリーナで千葉オープンバドミントン大会に高橋先生とペアを組んで出場、2回戦敗退でした。
2月1日親父とお袋からメイルがきた。
2000年1月23日 千葉マリンマラソン ハーフU部にエントリー、21キロ余りを1時間47分55秒で完走。
2000年1月1日から1月3日帰省す,
一人で、会津は雪がなくて(スキー場は沢山降ったみたいだが,)快適に過ごすことが出来た。
親父とお袋にインターネット環境を構築した。
この先が楽しみだ。爆弾はキーボード操作ソフトの特打ち1と2である。
どれだけトライできるかが,楽しみである。
2000年1月1日気がつくと二人の息子、孝洋と壮洋は身長が伸びていつのまにか親父を越していた。
孝洋178センチ壮洋177センチである。壮洋は今年高校受験である。
1999年12月、墨田区バドミントン大会に幕西時代の教え子黒岩君とダブルスでエントリー、
1回戦20代前半のペアとあたるも老獪なプレーで圧倒,2回戦へと進む。
2回戦、年齢不祥のペアと遭遇,撃沈されるも2回も試合が出来たことに感謝。
黒岩君と組んでの初勝利だった。
8月9日から13日まで帰郷、弟の子供達もおおきくなったね。

1999年7月11日 椿山壮 にて 竹之内結婚式

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7月11日(日)
・・・幕張西高校時代の教え子竹之内美香の結婚式に招待される。
椿山荘にて雨上がりの中の挙式となる。
旦那はとにかくアメリカンフットボール部だが、気さくな人だ。
6月6日(日)
・・・午前中部活、県大会が近いのでダブルス組は試合練習中心、
11日に垣内・松波組(4シード)、須田・宮木組、巽・及川組がどのような試合を
展開してくれるか楽しみである。
ほとんど夏のような一日であった。4月、5月、6月と部活で土曜日、
日曜日はすべて練習という日程でいささか疲れがたまっております。
5月24日(月曜日)16:00過ぎ、
会津の両親が1泊で遊びにくる。
東京での戦友会の後に寄ってくれた。
次の日は横山町で仕入れをして帰郷する予定。
5月2日
・・・やっとのことで(時間ができたので)冬用のスタッドレスタイヤをノーマルに自分で変える。
冬の間にシルバーセンターの人に刈り込んでもらった狭い庭のマサキもずいぶん伸びてきたが、
とても手入れできそうにない。
さくらんぼも実を付けたが、今年もまた実は
小さいので食用にはならない見とおし。
4月28日に遠足で九十九里に行く、
一日太陽の中にいたので普段体育館の中にしかいない顔はもう真っ赤、
火事状態、今は皮がむけはじめの満開で顔中ぼろぼろ、
新しい皮に張替え中。
4月?日
・・・4月5日から学校が始まる、年齢的に忙しい時期なのか、一日一日がとても長く感じられる、
8時ころに部活が終わって帰路につくころにはやっと終わったなという感じで毎日が終わる。
4月25日はブロック大会。
4月・・・ 2日千葉市バドミントン学年別大会1日目、桜がほぼ満開になる、4日は町内の花見である。
小生は44歳だがいつまでたっても青年部である。
花見には部活で参加でそうもない。
3月
・・・13日、今日から地域振興券が配布されるというので葛城中学校
体育館に10時ごろ徒歩で出かける。
体育館につくとただいま混雑しております、1時間くらいかかりますというアナウンス、
2万円の金券をもらうためにしかもそれは元を正せば税金なのだから、
ふざけるなという気持ちが先行して一路帰宅する。
行政が何をやっているかという疑問が怒りとともにふつふつと湧く。
2月・・・孝洋の受験始まる、上智に合格する。1年間の浪人は無駄にならず。
1月・・・壮洋と会津に帰る。31日、2日にアルツ磐梯にスキーに行く。
クワッドリフトの先に行ったら上へ行くリフトががら空きで十二分に滑った。
ちなみに壮洋は165センチのスキーで悪戦苦闘。