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合気道と自己探求 |
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科学技術の急速な発展は人間生活を便利で効率的にしてきた。そして今はどういう時代かと言えば、コンピュータが万能の神のように扱われているように、人間が時代の中心の座を科学に譲り渡しつつある時代のように思われる。少々極論であるが、人間はコンピュータを駆使する側の人間と、コンピュータに管理される人間に二分されつつあり、人間が機械の都合に合わせることを余儀なくされ、我慢させられたり、拒まれたりし始めている。 今後科学技術はますます発展していくだろう。そのための過激な競争や科学技術の発展が人間存在に対して危険なものになるなどのマイナス面についての論議も出てくるだろうが、それらが実際に抑止的にはたらくことはないだろう。唯一、抑止力を持つものは経済的に不可能、あるいはあまりにも不経済だという論理であろうと思う。すでに我々は、ストレスが高まり、近代医学では治療の難しい病人の増加や、環境ホルモンによる身体機能の退化などという代償を払いつつあるということを知りつつも、人類は一旦走り出した「進歩」の路線を乗り換えることはできないのではないか。 人間は科学技術の発展によって人類空前の大文明をもたらしたが、人間そのものが退化崩壊の危機に瀕している。このような状況をふまえて、アレキシス・カレルは、自著『人間−この未知なるもの』の中で次のように言っている。
ギリシャの有名な格言"汝自身を知れ"はアテネの七賢人の一人、ソロン(Solon)の言葉として知られています。この格言の意味は、もとは"自分の分限を怠るな"、いわば"身のほどを知れ"だったのが、「自分自身の精神を探求しようとする」意に解されるようになったのは「自分自ら」を研究対象としたソクラテス(Socrates)以後だとされています。ソクラテスは「人間は自分の無知を知ることが、知ることの始めである」との信条からこの格言を標語にしたのだと言われています。ソクラテスが"哲学の祖"と仰いだタレス(Thales)も「汝自らを知れ」と唱え、「自分を知ることが一番難しい」と言っています。 私は合気道を始めて四十年になろうとしています。合気道という名前すら知らなかったので、先輩から教えられるままに習ってきました。しかし、始めてから十年後、それまで習ってきた稽古法、考え方に疑問を持つようになりました。そしていっそう合気道の稽古を止めてしまうと思ったときもあります。このように悩んでいた時、新しい稽古法を模索し始めました。気を最大限に集中し、上体の力を抜いて、柔らかな動きをすることでした。そしてこのような稽古を始めてから数年後、このような動きの中で絶えず自分の心の状態を見つめ確認することが始まりました。うまくできない自分、うまくできた自分、相手をやっつけようとしている自分、恐れを感じている自分、不安を感じている自分等々。そしてこの確認の中で、自分の心を絶えず静かな状態にととのえておくことの大切さを知りました。 さらにこのような状態で稽古をしてゆくうち、技というのは相手との関係において成り立っていることに気づきました。そして意識を相手との関係に集中して技を行ってゆくうちに、一瞬ではありますが、何とも言えない状態を体験するようになりました。すべての意識が消えて、何か大きな流れに乗っている状態です。そういう状態になっている時は、自分では意識がないのに、相手の動きが良く見えて、それに合わせて自分の体が自然に動いている。そして常に前向きであり、楽天的であり、一所懸命になっている自分に気付きました。みなぎる生命が常に相手と共に躍動しているという感じです。自分を強調しようとする意識を努めて否定し、逆に相手に集中させる試みを重ねるうち、相手と自分に区別がなく一緒に自然に動いている感覚を体験するようになりました。そしてこの体験のなかで「道」を求める方向を見出したと確信しました。 合気道開祖植芝盛平は「合気道の極意は、己れの邪気をはらい、己れと宇宙の働きを調和させ、己れを宇宙そのものと一致させることである。宇宙の心とは宇宙の隅々にまで及ぶ偉大なる『愛』で亜。宇宙と調和できない人間の武道は破滅の武道であって真の武道ではない。真の武道とは愛の働きであり、殺し合うことではなく、全てを生かし育てる生成化育の働きである」と言っている。 私達は日常、他者否定の闘争手段を通じて、強い自己、絶対的な自己の獲得を目指して合気道の稽古を行っているが、「術」としての合気道を求めるばかりで「道」としての合気道を求めていない。「道」の思想は、宇宙の−人間の社会も含めて− 対立物の統一と多様性の統一ということを示している。それは万物の一体性を重視して、統一的なもの、絶対的なものを優先し、理解しようとするものである。開祖の合気道を知り体得しようとする者は、合気道を「術」として求めるだけでなく、「道」として求めてゆかなければ達成できない。私は合気道を真に「道」として求めてゆけば科学の進歩に応じた人間性の回復のみならず、人間最高の知恵をも獲得できるものと思う。しかしこの理念は競争理念とは逆のものと言える。甘いことを言っているのでは現状の競争の中で一挙に潰されてしまうものだという自覚が必要である。私が上で述べたような方法で真に強い自己を求めてゆこうとするなら、競争に負けない強さや、矛盾を抱き続ける強さを持っていなければならない。 (2000年12月) |