三菱MC-20輸送機 資料室
Mitsubishi MC-20 Transport Memorial Exhibition

「三菱式MC20型双発輸送機取扱解説」(航空技術叢書6)掲載図解に当会にて着色

 

三菱MC-20輸送機
Mitsubishi Commercial 20 Transport

運航期間 1940年-1945年
製造者   三菱重工業株式会社(名古屋航空機製作所)
         日本國際航空工業株式会社(京都工場)
設計主務者 小沢久之丞 技師

MC-20輸送機は三菱重工業により製造された戦前の代表的国産民間輸送機です。
MCとは「Mitsubishi Commercial」の略であり、三菱重工による民間機シリーズを
表しています。

日中戦争に投入された帝国陸軍97式重爆撃機をベースに開発された陸軍百式
輸送機(キ57)の民間モデルとなり、軍用民間あわせて合計500機以上が製造されました。

同世代の輸送機と比較し、搭載量は小さかったものの、飛行速度が高速であり、
スタイルが美しく優美な機体として人気がありました。

大日本航空、満州航空、中華航空等のエアラインにて運航されたほか、
朝日・毎日といった新聞社航空部にても運航され、亜細亜の空を飛び回っていました。

太平洋戦争敗戦直後、終戦連絡飛行(緑十字飛行)に使用され、占領軍による
航空禁止指令実施前に最後に飛行した民間機です。

いわば現代のMRJのご先祖様にあたる機体ですが、軍用機から派生し、太平洋戦争直前期に
デビューしたためか、あまり知名度は高くありません。
また、残念ながら、今日現存する機体は1機も在りません。

本展示室ではMC-20輸送機に関する資料を展示しております。

 

(JCAL当会蒐集資料)

三菱MC20型旅客機カタログ
"Sales brochure of MC-20", Mitsubishi Heavy Industries, 1940


三菱重工業が制作した豪華なカタログです。
説明文章、各部写真、三面図等が掲載されています。
納品先の大日本航空、満州航空、中華航空等に限定数配布されたものと思われます。

後半は英語表記となっていますので、タイ等外国への輸出も検討されていたのかも
しれません。かつて仏領インドシナにてエールフランスがMC-20を一時期使用したという
記事を読んだことがあります。

 

昭和17年(1942年) 絵葉書 第三回航空記念日 快翔するMC-20輸送機
"Postcard MC-20 Flying in front of Mt.Fuji", 1942

 

昭和16年(1941年) 讀賣ニュース 製造中のMC-20輸送機(三菱重工業名古屋航空機製作所内)
"MC-20 in production at the Mitsubishi Nagoya Aircraft Works", 1941


戦時中には航空機製造工場における製造工程は軍事機密として公開が制限されていましたが、
航空思想普及のために陸軍航空本部の特別許可により公開されたものです。

機首レドーム部分や発動機防火壁の構造、治具等が判ります。

 

MC-20 木製模型 戦時中
"Wooden model of MC-20", personal memento who had worked for
Aircraft manufacuturing factory during the Pacific War


戦時中に航空機製造工場にて勤務されていた方が所有されていた木製ソリッドモデルです。
窓の配置や主脚等、実機に似せて非常に精巧に造られている事が判ります。

恐らく実機の製作に携わっていた会社・個人により製作された模型と思われます。

 

昭和18年(1943年) MC-20陶製模型 健軍三菱熊本航空機製作所
"Ceramics model of MC-20", Mitsubishi Kumamoto-Kengun Aircraft Works, 1943

大型機製造工場であった三菱重工業熊本航空機製作所(健軍三菱)において製造工員を養成する青年学校の
開所式に記念品として製作された陶製模型です。

太平洋戦争勃発および戦局の悪化に伴い熊本製作所では陸軍四式重爆撃機(キ67)が専門に製造され、
実際にはMC-20が製造されることはありませんでした。

陶製ながらMC-20機の特徴がよく表現されています。

 



航空機関士免状 運輸通信省発行 1944年
"Certificate of Flight Engineer", issued by Ministry of Transportation and Communications, 1944

 昭和19年運輸通信省により発行された航空機関士ライセンスです。
資格所有者は大日本航空東京第一運航所に所属されていた航空機関士の方です。
三菱MC-20型機等、太平洋戦争下において大日本航空にて運航されていた機種が判ります。

右端の三菱式21型とは、97式重爆撃機(キ21)改造輸送機(MC-21とも呼称)を指し、
左端の三菱双発輸送機とは、海軍96式陸上攻撃機(中攻)輸送機改造機を指します。


三菱式MC20型双発輸送機取扱解説 航空技術叢書6
昭和16年(1941年) 宮本晃男編著 育生社
"Mitsubishi MC20 Handling guide" book, by Teruo Miyamoto, Ikuseisya, 1941

逓信省航空局航空官を務められた宮本晃男氏による解説書です。
同氏は航空機関士教育に携わられていた方です。
育成社により市販されており操縦士、航空機関士、整備士、学生等に活用されました。
防諜上航空機に関する情報は軍事機密として制限されていた時代ですが、
機体構造を詳しく解説した本書が一般に販売されていたことが若干不思議です。


 

昭和15年(1940年) 航空朝日 創刊号 朝日新聞社
昭和15年(1940年) スピード  272号  スピード社(日本飛行学校出版部)
"KOKU-ASAHI" Magazine, Asahi Shimbun, 1940
"SPEED"Magazine, Speed-sya (Publishing department of Nihon Hiko Gakko", 1940

当時花形の新鋭輸送機であったMC-20型機は各種航空雑誌の表紙を飾りました。

 

 

 昭和18年(1943年)頃 朝日新聞社 MC-20 戦時迷彩
"Camouflaged Asahi Shimbun's corporate plane MC-20", Tokyo Haneda Airport, 1943?

東京飛行場(羽田)朝日新聞社格納庫屋上から撮影されたと思われる
戦時迷彩が施された朝日社機MC-20(「朝雲」若しくは「朝霧」機)です。

南方への報道通信機材空輸のほか軍に徴用され各種要務飛行に用いられました。

手前には大日本飛行協会の練習機(立川99T複座練習機)が格納庫より
引き出されプロペラのチェックを受けています。

 

(以下は一般公開資料)

MC-20 実機操縦輪 航空科学博物館(成田)
"MC-20 Original control wheel", Museum of Aeronautical Sciences, Narita

戦前大日本航空の操縦士であり戦後日本航空の機長を務められた長野英麿氏が
寄贈されたMC-20の操縦舵輪が展示されています。敗戦直後、日本の民間航空が
禁止された際に、松戸飛行場にて機体焼却の直前取り外されたものです。
現存するMC-20実機部品は本操縦輪が唯一と思われ、非常に貴重なものです。

 

MC-20模型 三菱みなとみらい技術館(横浜)
"MC-20 museum model",Mitsubishi Minatomirai Industrial Museum, Minato-mirai Yokohama


「乗物の歴史コーナー」コーナーにて展示されている精巧模型です。
防眩塗装として操縦席より前の機首部分が黒色に塗られており、エンジンカウリングについても
黒色に塗られています。


 

MC-20 妙高号殉職記念碑 羽田空港 旧整備地区
"MC-20 MYO-KO-GO" Memorial monument, Haneda Airport Maintenance facilities Areaa


昭和15年航空局による堪航検査中に東京湾に墜落した「妙高号」事故遭難者の殉職
記念碑です。航空局8名を含む搭乗者13名全員が亡くなりました。

本碑h当初神奈川県木月の航空試験所に設置されていましたが
戦後羽田空港(旧)整備地区航空局事務所横に移転されました。