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ヤームナと主宰神論証
神の存在論証は西欧のみならず、印度でもNyAya学派を中心に、多くの思想家の関心を呼んだ。VedAnta学派でも、ZaGkara(8c.)がBRhadAraNyakopaniSadbhASya 1.4.10でNyAya学派、VaiZeSika学派の神の論証(IZvarAnumAna)に言及しているが、これが大きく取上げられるのは、有神論的立場に立つViZiSTAdvaita派においてであった。中でもYAmunaのIZvarasiddhiは、これを主題にしたものである。論文要旨に戻るIZvarasiddhiはごく短い小篇で、その内容は大きく次の五つの部分に分けられる。
(1)序 225.1-2
(2)MImAMsA学派の前主張 226.1-234.4
(3)NyAya学派(?)の反論 234.6-237.8
(4)MImAMsA学派の反駁 238.1-247.7
(5)YAmunaの結論(?) 247.9-265.4(1)では、或る一者(eka)の支配の下に一切世界が活動することの立証という論の目的が、(2)では、MImAMsA学派の立場から全知のpuruSaを認める必要のないことが示される。(3)ではNyAya学派(?)が、世界が結果(kArya)であり、結果は思惟を有する(buddhimat)神を作者とする、という推論を説く。この中には、「質料因等を知るもの(upAdAnAdy-abhijJa)」というNyAyavArttikatAtparyaTIkAに頻出する《*注1》表現が見出されるが、直接の引用はない。(4)では(3)の推論が不成(asiddha)、矛盾(viruddha)、不定(anaikAntika)の誤りとなることを指摘、批判する。(5)では(4)の論難を一つ一つ反駁し、推論によって世界を支配する唯一者の存在が論証しうることを主張する。
IZvarasiddhiの議論は、RAmAnujaのZrIbhASya ad BrahmasUtra 1.1.3, ZAstrayonitvAdhikaraNaの中に殆んどそのまま取込まれている《*注2》。構成は、
(a)BrahmasUtra 1.1.3の遂語的解釈
(b)前主張(nanu ...)120.1-121.2
(c)反論(nanu ...)121.3-121.6
(d)前主張者の反駁(ucyate ...)121.7-123.8
(e)再反論(atrAhuケ ...)123.9-127.3
(f)結論(brUmaH ...)127.4-133.5となっており、(b)〜(d)は各々IZvarasiddhiの(2)〜(4)に相当する。(e)はIZvarasiddhiでは結論にあたる部分であるが、ここでは再反論として扱われ、結論は(f)となり、IZvarAnumAnaを否定し聖典のみが神の認識根拠である、と説かれる。GItAbhASya, ZrIbhASya等でYAmunaの強い影響の程を我々に示すRAmAnujaが、ここではYAmunaの結論を否定しておりいささか奇妙である。又、(f)では、IZvarasiddhiの(4)のまとめの部分(IZvarasiddhiではMImAMsA説として扱われている)を結論の一部に使用しているのである《*注3》。この不自然さを、現存IZvarasiddhiが不完全であることに帰す考え方も行われている《*注4》。
ここでIZvarasiddhiの各々の議論への導入部の用語法を検討しよう《*注5》。(1)は"...iti sAdhayitum pUrvaM pUrva-pakSaM pracakSAmahe"、(2)は"tatra mImAMsakAH prAhuH"、(4)は"...iti prahasanti mImAMsakAH"、(5)は"atra brUmaH"となり、(1)、(5)に一人称が用いられていることがわかる.又、YAmunaは少くともその初期の著作においてはIZvarAnumAnaを認めていたことが指摘されている。Atmasiddhiの冒頭で、"tatra pramANato 'pi --- AnuZravika evety eke / AnumAnikaZ cety anye / viZiSTa-pratyakSa-samadhigamyaZ cety apare"(12.3-5)と最高アートマン(=神)の認識根拠に関する異説を挙げるが、他の主題におけると同様、YAmuna説は最後のものとされる。ここではcaの位置から、YAmunaは三つの根拠を認めたと考えられている《*注6》。IZvarAnumAnaを認めたのは、YAmunaに大きな影響を及ぼした祖父 NAthamuni も同様であった。VedAntadeZikaのNyAyasiddhAJjanaに、"atrApIZvarAnumAnAnumitir dRSTA"(455.2)と記されている《*注7》。以上の状況から、少くとも初期の段階では、YAmunaはIZvarAnumAnaを認めていたと考えられ、(5)はYAmunaの結論とみなしてよいだろう。
では何故RAmuAnujaはそれを否定したのか。実は、YAmuna自身、後にIZvarAnumAnaを否定したことがR.Mesquitaに指摘されている。即ち、AgamaprAmANyaでMImAMsA学派のIZvarAnumAnA批判(IZvarasiddhi (4)とほぼ一致)《*注8》に反論せず、別の箇所では聖典以外の根拠が成立せぬことも認めている《*注9》。RAmAnujaの態度はこのYAmunaの変化と関係があると思われる。NyAyasiddhAJjanaでYAmunaに言及し、引用もするVedAntadeZikaがIZvarasiddhiには一度も言及しないことも考え合わせれば、IZvarasiddhiが後のViZiSTAdvaita派の思想にそぐわず《*注10》、重視されなくなっていったのであろうことが推測しうる。
RAmAnujaもIZvarasiddhiを素材としつつも、後のYAmunaの立場に依って異なった結論を与えないのではなかろうか。
◎2002.3.11付記本稿は『宗教研究』267号(1986年3月)に掲載されたものであるが,紙数に厳しい制限があり,改行を極力減らし,略号を多用したので極めて読みづらいものであった。また,筆者による校正も認められていなかったため,誤植が非常に多かった(題名にも脱字がある)。ここでは,適宜改行を行い,略号は元に戻し,気が付いた誤植は訂正した。また,オリジナルでは注を付す余地もなかったので,今回,以下に注を新たに付けた。使用テキスト
AgamaprAmANya(AP):M.Narasimhachari(ed.), AgamaprAmANya of YAmunAcArya, Gaekwad's Orinetal Series, No.160, Baroda, 1976.IZvarasiddhi(IS):in Siddhitrayam, Nirnaya Sagar Press, Bombay, 1954.NyAyavarttikatAtparyaTIkA(NVTT):NyAyavArttikatAtparyaTIkA, Vol.II, KAZI Sanskrit Series, 24, 1926.NyAyasiddhAJjana(NSA):Baldeva UpAdhyAya(ed.), NyAya-siddhAJjana of VedAntadeZika along with Hindi Translation, GaGgAnAtha-JhA-GranthamAlA, Vol.2, Varanasi, 1966.YatIndramatadIpikA(YID):Swami Adidevananda, YatIndramatadIpikA by ZrInivAsadAsa, Sri Ramakrishna Math, Madras, 1967(2nd ed.).ZrIbhASya(ZBh):Brahmasutra-Sribhashya with Srutaprakasika, Vol.1, Ubhayavedanta Granthamala, Madras, 1967.参考文献R.Mesquita(1971):Das Problem der Gotteserkenntnis bei YAmunamuni, Unpublished Dissertation, Wien 1971.R.Mesquita(1973):YAmunamuni: Lebem Datierung und Werke, WZKSA Bd.17, 1973.R.Mesquita(1974):Recent Research on YAmuna, WAKSA Bd.18, 1974.Narasimhachari(1971): D.M.Narasimhachari, Contribution of YAmuna to ViZiSTAdvaita, Prof.M.Rangacharya Memorial Trust, Madras, 1971,Neevel(1977):Walter G.Neevel, Jr., YAmuna's VedAnta and PAJcarAtra: Integrating the Classical and the Popular, Harvard Dissertations in Religion, number 10, Missoula, Montana, 1977.*注
1 cf.NVTT ad NS 4.1.21(p.598,599,600,601,603).2 Narasimhachari(1971), p.221.3 IS(247.1-7)にミーマーンサー学派の主張のまとめが5つの論証式に公式化して示されるが,ZBhの結論部分(131.4-7)にそれと同じ論証式がいくつか説かれている。4 Narasimhachari(1971), p.220-221.5 この手法は,Neevel(1977)がAtmasiddhiの冒頭部の分析に使用して効果を上げている(Neevel(1977), CHAPTER VI(pp.97-147), APPENDIX III(pp.207-209))。6 Mesquita(1971), S.5, Neevel(1977), note 67(p280-281) on Ch.VII(p.162).7 atra=NyAyatattve(NyAyatattvaは散逸して,引用としてその断片のみ知られるNAthamuniの著書)。cf.Mesquita(1974), p.188.8 AP, pp.28-34.9 Mesquita(1973), S.188.10 例えば,YID 第1章(p.20-21)では,主宰神が推論によって知られるという考え方を,スートラ作者などと矛盾した主張だとして否認している。