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1.Yamunaのatman論
6.Yamunaにおけるmoksaとsadhana
11.svayamprakasatvaをめぐって
16.ヤームナ伝の研究(3)
21.acariyapimanam
1.松本照敬著『ラーマーヌジャの研究』(書評・紹介)
(『印度学仏教学研究』26巻2号,日本印度学仏教学会,昭和53年3月)
atmanの探求はインド哲学の中心課題ひとつであるが、中でもatmanの存在がいかにして知られるかという問題は哲学諸派の間で論争となった。ヤームナは『アートマ・シッディ』の中でこの問題を取り上げて論じている。本稿は,彼の議論を各派の原典資料に遡って確認しつつ解明することを目指したが,与えられた紙数が少なく,十分な資料は提示できていない。ヤームナが批判するのは,ニヤーヤ、サーンキヤ両派の主張する論理的推論説、バーッタ派の意知覚説,プラーバーカラ派の三重認識説などであり,これらを次々と論駁してアートマンが他に依存することなく自ら輝くとの立場を提示するが,これにも満足せず,結局ヨーガによる直観説をとる。こうしたヤームナの姿勢はおそらく祖父ナータムニの影響と思われるが,ナータムニの原典資料が残されておらず,この点は未解明のままとなっている。
2.Yamunaの認識論
(『印度学仏教学研究』27巻1号,日本印度学仏教学会,昭和53年12月)
インド哲学においては、atmanの本質論との関連で、知性および認識がatmanそのものである(アドヴァイタ派)か、その属性である(ニヤーヤ,ヴァイシェーシカ,プラーバーカラ派)かが問題とされてきた。ヤームナは、両説を共に批判し,認識はatmanの本質であるとともに属性としての面も持つとみる。認識は認識主体たるatmanの属性であり、同時にatmanの本質を規定する属性であって、単なる偶発的・外来的なものではない。かくしてヤームナが、認識主体としてのatmanの主体性・活動性(アドヴァイタ説ではこれが欠ける)とともに、atmanの精神性(ニヤーヤ等の説ではこれが欠ける)を確保しようとしていることが知られる。この見方はラーマーヌジャにも引き継がれるが,ヤームナの議論を検討することで,その成立の事情が明確に見えてくるのが興味深い。
3.AtmasiddhiとPrakaranapancikaのatman論
(『印度学仏教学研究』28巻2号,日本印度学仏教学会,昭和55年3月)
ヤームナの『アートマ・シッディ』は彼のatman論を集大成したものであるが、現存テキストには欠落部分があり、まとまった議論を伝えるのはatmanの本質論と認識根拠論の部分のみである。現存テキストの前半部分についてみると、その構成、内容にプラーバーカラ派の綱要書『プラカラナ・パンチカー』第8章との共通点が多いことに気がつく。まず,論議される項目が列挙されるが,その内容・順序には共通点が多い。また,『アートマ・シッディ』中に『プラカラナ・パンチカー』とパラレルな文章がいくつも見いだしうる。こうしたことから,ヤームナはプラーバーカラ派のミーマーンサー説の影響を受けていたと推定される。
4.Ramanujaにおけるbrahmanと現象界
(『印度学仏教学研究』30巻2号,日本印度学仏教学会,昭和57年3月)
ブラフマンを最高原理とするインド正統哲学においては、真理そのもの、善そのものであるべきブラフマンと不完全で転変窮まりない現象世界との関係をどう説明するか、という問題が論争された。ヤームナはアドヴァイタ派の現象界虚妄説に対して現象世界が独自の実在性を有することを強調した。そのため,彼の思想ではブラフマンと現象界の別異性が強調されがちで,不一不異説的傾向が認められる。一方、ラーマーヌジャは、ヤームナに比べて両者の一体性に力点が置かれているように思われる。ラーマーヌジャは「身体と霊魂の関係」という概念を導入することによって、両者の一体性と相違性とを同時に主張し、ヴィシシュタ・アドヴァイタ説を完成させることに成功したと考えられる。
5.Samvitsiddhiにおけるavidya批判
(『印度学仏教学研究』31巻2号,日本印度学仏教学会,昭和58年3月)
avidya(無知)は、アドヴァイタ派の形而上学の主要概念である。アドヴァイタ派では、個我や現象世界は無知により想定されたものであり、ブラフマンのみが真実在と主張する。これに対しヤームナは、『サンヴィット・シッディ』においてavidya批判を展開する。本稿ではまず,その議論の梗概を示した後、ヤームナのavidya論のソースについて検討した。その結果,マンダナミシュラ、ヴィムクタートマン、プラカーシャートマンあたりが批判の対象となっていたものと考えられるが,ヤームナの議論はそれ程長いものではなく,限られた資料から正確な判断を下すことの困難さも露呈してしまった。
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(『印度学仏教学研究』32巻1号,日本印度学仏教学会,昭和58年12月)
解脱(moksa)とその達成手段(sadhana)に関し、シュリー・ヴァイシュナヴァ派にはふたつの見解があった。恩寵を重視し人為的努力の放棄を説く南方派と、神への信愛(bhakti)の必要性を説く北方派である。ヤームナは神の直観に伴う歓喜、神への絶対的隷属の心情を解脱の境地とみなすが、その実現の道として行為・知識・信愛の3ヨーガのほかに、パーンチャラートラ派のnyasa思想に連なるprapatti思想も示しており、後代に見解が分かれる遠因をつくることになったと推測される。
7.Visistadvaita考
(『宗教研究』261号,日本宗教学会,昭和59年9月)
visistadvaita哲学は、ヴェーダーンタ哲学を代表する思想の一つである。本稿ではvisistadvaitaという概念の成立・発展の過程をYamuna、Ramanuja、Ramanuja以後の思想家たちの用例によって分析し、atmanや現象世界を被限定者(visesya)たるbrahmanの限定者(visesana)と見ることによって、 多様性と同一性の統一を図ったこの哲学の特徴を明らかにすると共にvisistadvaitaという語の訳語の問題についても検討した。しかし,この言葉のニュアンスをうまく盛り込んだ訳語はなかなか難しく,結局訳語の創出は断念する形となって,当時の自分としてはかなり力を入れた論文であったが,画龍点睛を欠く結果となった。
8.Ramanujaの救済理論――prapatti思想を中心として――
(『SAMBHASA』6号―― 宮坂宥勝教授退官記念号――名古屋大学印度学仏教学研究会,
昭和60年1月)
ヤームナの救済論を論じた論文6を継承する形で,ラーマーヌジャの救済理論を取り上げた論文である。ラーマーヌジャのバクティに関しては松本照敬氏の論文などがあったので,ここでは自己帰投(prapatti)を中心に検討した。prapttiは信愛(bhakti)と並ぶ、シュリー・ヴァイシュナヴァの救済論の中心概念であるが,その位置づけは南方派と北方派で大きく食い違う。この派の思想を体系化したラーマーヌジャは、神への自己帰投に言及するが、主要著作の中では『ギーター』の注解の形で述べられるにすぎない。彼に帰せられる宗教詩,『シャラナーガティ・ガディヤ』でもprapattiは積極的に言及されているとはいえず、ラーマーヌジャは信愛(それもウパニシャッドの「念想」に引きつけて解釈したもの)をより重視していたことが知られる。
9.ヤームナと主宰神論証
(『宗教研究』267号,日本宗教学会,昭和61年3月)
西欧のみならず、インドでも中世以降、神の存在証明が問題となった。特にニヤーヤ派はいわゆる宇宙論的証明によって神の存在を論証しようとした。ヤームナはこの問題に関して、初期にはニヤーヤ流の論証を認めているが、後の著『アーガマ・プラーマーニヤ』では神の推論を擁護せず、むしろ聖典のみを根拠とみなしている。『イーシュヴァラ・シッディ』はラーマーヌジャの『シュリーバーシャ』に影響を与えているが,ラーマーヌジャは神の推論は認めず,聖典を根拠に知られるものだとしている。そうした流れも考慮に入れると,ヤームナが祖父ナータムニの論理指向の影響を脱し、次第に正統ヴェーダーンタ哲学に接近していったと考えられる。なお,次の論文10の末尾で,神の存在証明の問題について若干補足しているので,それも参照されたい。
10.ヴィシシュタ・アドヴァイタ派における信と知
(『印度哲学仏教学』第一号,北海道印度哲学仏教学会,昭和61年10月)
西欧中世思想史を貫く軸の一つであった信仰と理性の緊張関係は、中世インド思想においては、共に解脱という理想を目指すものとされたため,顕著な形では現れなかった。ヴィシシュタ・アドヴァイタ派でも信(バクティ)を「特殊な知」とみなす。このことからラーマーヌジャのバクティを知性的なものととらえる傾向があるが,ここでいう「知」は理性的認識やその結果たる客観的知識を指すのではない。より広く、精神活動全般を指すものであり、感性的なものも含んだものである。バクティの本質は狭義の知ではなく,神の念想、神の直観であり,神秘体験的な色彩の濃いものと見るべきであろう。
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(『印度学仏教学研究』35巻1号,日本印度学仏教学会,昭和61年12月)
知が自ら輝くこと(svayamprakasatva)はインドの知識論において広く認められたテーゼであり、仏教、プラーバーカラ派、ヴェーダーンタ学派等でこれを採用している。ヤームナもヴェーダーンタ学派の立場をとって知が自ら輝くことを認めるが、アドヴァイタ派の説く知が普遍的かつ常住な知それ自体であるのに対し、ヤームナは知を時間的・具体的・個別的なものとする立場から、プラーバーカラ説を援用しつつ、これを批判する。この論文はある種のひらめきを感じて書こうと思ったものだが,いざ書き始めてみるとそれが何であったか分からなくなり,当初想定していたものとは全く違った面白味に欠ける内容になってしまった,という代物。今読み返してみてもあのひらめきが何であったのか思い出せない。夢だったのだろうか。
12.Visistadvaita派におけるSri女神
(『日本仏教学会年報』52号,日本仏教学会,昭和62年3月)
ヴィシシュタ・アドヴァイタ哲学の母胎となったシュリー・ヴァイシュナヴァ派では、ヴィシュヌ神とその配偶神シュリーを崇拝する。しかし、シュリーの位置づけは、シュリーを神と人の仲保者とする北方派とシュリーに補助的な役割しかもたせない南方派との間に大きな相違が認められる。これは、庶民的バクティ運動の流れを継承し内在的な神への信仰を説く南方派と、理論化・体系化の道を追求した北方派の立場の違いを示している。
13.中世インドの主宰神論証−−ウダヤナ『ニヤーヤ・クスマーンジャリ』試訳(1)−−
『駒澤大学北海道教養部論集』第4号,駒澤大学北海道教養部,平成元年10月)
石飛道子との共著。インド論理学はニヤーヤ派において著しい発展をみせ、中世には神の存在証明が試みられた。なかでも唯物論、ミーマーンサー派などの無神論的立場を打破せんとしたウダヤナの『ニヤーヤ・クスマーンジャリ』は、その論理的緻密さ等、類書中の白眉といえるが、難解な内容の故、部分的にしか訳出されていない。本稿では、この『ニヤーヤ・クスマーンジャリ』を、諸注釈を参照しつつ、解読することを試みた。試訳(1)とあるように,当初は続編をすぐにでも出すつもりであったが,テキスト自体の難解さと共同作業の難しさの故に,続編は出せずじまいである。何とかしようという気持ちは今でもあるのだが。
14.ヤームナ伝の研究(2)
(『印度哲学仏教学』第四号,北海道印度哲学仏教学会,平成元年10月)
執筆の順番で言えば,論文15が先だが,刊行時期の関係で,こちらが先行する形になっている。前半部分では,(1)に続いて『ディヴィヤ・スーリ・チャリタ』によってヤームナの後半生を明らかにし、ついで彼の生没年を検討した。伝統的には916−1036年とされるが、同じ伝承で、彼の祖父ナータムニや彼の弟子筋にあたるラーマーヌジャも100才を超える長寿を全うしたとされ、不自然である。この伝承を離れて新たな年代決定の試みもなされているが、資料が乏しく決定的なものとはなっていない。独自にヤームナの著作中の引用文献を分析した結果では,10世紀末から11世紀初めに活動したとの推定が可能である。
15.ヤームナ伝の研究(1)
(『藤田宏達博士還暦記念論集 インド哲学と仏教』,平楽寺書店,平成元年11月)
思想家のパーソナル・ヒストリーおよび思想的・社会的背景を理解することは、思想研究において重要な意味を持つが、インド思想史研究では、仏伝を除けば、資料の不足等からこの分野の研究は充分にはなされていない。本稿では、ヤームナの伝記資料としては現存最古の資料と思われる『ディヴィヤ・スーリ・チャリタ』によりつつ、ヤームナの誕生から少年期までを検討した。ヤームナ伝研究は意外にふくらんで,最終的には3本の論文となったが,これまであまり紹介されることのなかったヤームナの生涯を,かなり伝説的脚色はなされているとはいえ,ある程度明らかに出来たと思う。
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(『印度哲学仏教学』第五号,北海道印度哲学仏教学会,平成2年10月)
ヤームナの活動の精神的・社会的背景を取り上げて,ヤームナ伝研究の結びとした。本稿執筆当時,ヤームナの精神的背景に関して、一連の問題提起がなされていた。その一つは、先師として言及される「注釈作者」がドラミダかボーダーヤナかであり、もう一つはニーヴェルによって提起された「ミシュラの伝統」論である。また、ヤームナ自身の社会的地位に関しても「寺院僧侶」か「遊行者」かが議論された。本稿では、これらの論点を整理し、再検討を加えると共に、ヤームナとその後継者ラーマーヌジャの関係についても検討した。
17.神とその様態 ---スピノザとラーマーヌジャ---
(『印度哲学仏教学』第七号,北海道印度哲学仏教学会,平成4年10月)
スピノザは汎神論的思想家として知られるオランダの哲学者である。一方、11世紀後半〜12世紀中頃にかけて活躍したヒンドゥー教神学者ラーマーヌジャも、しばしば汎神論者とみなされる。この二人は活躍した時代も地域も思想的背景も異にするが、神やその様態などをめぐる思想には多くの共通点も認められる。本稿では、神とその属性、神の様態などの概念を比較・検討し、キリスト教とヒンドゥー教の神観念の特徴を明らかにした。
18.神の知的愛(amor Dei intellectualis)と信愛bhakti) ---比較思想的観点から---
(『専修大学北海道短期大学紀要』第25号 社会・人文科学編,専修大学北海道短期
大学,平成4年12月)
スピノザとラーマーヌジャは人間の無力さ、神に隷属する喜びなどを強調するが、スピノザが一切は神とし、すべてを「永遠の相の下に」見るべきことを説くのに対し、ラーマーヌジャは霊魂と身体の関係によって神と一切世界の関係を説明し、人間と神は別の存在とする。そのため、神への愛=神の知的愛としてこれを理性的なものとみるスピノザに対し、ラーマーヌジャの信愛はより情緒的で、「愛」の側面が強調されているといえる。17,18は比較思想の立場からラーマーヌジャを取り上げた論文であるが,「比較」するということの方法や意味が今ひとつはっきりせず,以後,この分野での論文は書いていない。
19.R.オットーのヤームナ研究
(『宗教研究』299号,日本宗教学会,平成6年3月)
『聖なるもの』で知られるR.オットーは、キリスト教との強い親近性を示すヴィシュヌ派へ深い関心を寄せ、1910年代以降、精力的にヒンドゥー教の研究を行った。その過程でヤームナの作品についても現存7作品中、5作品についてほぼ全訳している。オットーの翻訳は、時に強引な解釈も見受けられるが、従来見落とされがちであったヤームナの意義をいち早く認め、その研究に手をそめた彼の炯眼は評価されるべきものである。ヤームナ研究に手を染めた当初,あまり資料のない中で出会った本の一冊がオットーの一連の著作であった。そのオットーのヤームナ研究のもつ意義をきちんと検討してみたいと思って書いた小論である。
20.ヤームナの聖典解釈
( 『今西順吉教授還暦記念論集 インド思想と仏教文化』,春秋社,平成8年12月)
ヴェーダーンタ哲学は『ウパニシャッド』などの聖典を重視し、その章句を解釈し直す形で新たな思想を展開した。ヤームナは『ギーター』の梗概を遺しただけで、『ウパニシャッド』への注釈は著さなかったが、『サンヴィット・シッディ』でアドヴァイタ派のブラフマン一元論の立場に立った解釈に異議を唱え、現象界の実在と、共通基体性論に基づくブラフマンと現象界の関係などについて、新たな境地を展開している。本稿では,『ウパニシャッド』の3つの章句についてのヤームナの議論を取り上げ,彼がヴィシシュタ・アドヴァイタ説の確立に与えた影響を明らかにしようと試みた。
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(『印度哲学仏教学』第十二号,北海道印度哲学仏教学会,平成9年10月)
後代のシュリーヴァイシュナヴァ派では、師(アーチャーリヤ)の果たす役割が重視され、師の敬愛がバクティやプラパッティと並んで、重要な救済手段とみなされるに至る。その嚆矢となったローカーチャーリヤの『シュリー・ヴァチャナ・ブーシャナ』では、師の敬愛は自己愛の故にバクティやプラバッティを失った者にも適合する救済手段とされ、神との隔たりを埋める存在として師が重んじられるに至った経緯が知られる。この論文は,タミル語とサンスクリット語の混淆体であるマニプラヴァーラ体で書かれた文献を資料として用いた最初のものだが,この分野のテキストは入手しにくいものが多く,やや資料的に不十分な面が残ったように思う。
22.ピッライ・ローカーチャーリヤの救済手段論
(『印度哲学仏教学』第十五号,北海道印度哲学仏教学会,平成12年10月)
ピッライ・ローカーチャーリヤは、シュリーヴァイシュナヴァ派の有力な一派であるテンガライ派の思想に大きな影響を与えた思想家である。彼は「行為」「知」「信愛」といったラーマーヌジャ以来の伝統的な救済手段を継承しつつも、他力的色彩の濃い「自己投棄」を重んじ、「師の敬愛」という新たな手段も導入して、他力的な傾向を強め、神の絶対性と人間の無力さをより明確に意識した理論を構築していることが知られる。
23.ヴェーダーンタ・デーシカと主宰神の推論
(『印度哲学仏教学』第十七号,北海道印度哲学仏教学会,平成14年10月)
シュリーヴァイシュナヴァ派では,神の存在は聖典によって確定されるべきものと見る。この立場は,ヤームナからラーマーヌジャにかけての時代に確立された。13-14世紀に活躍したヴェーダーンタ・デーシカは,この問題をあらためて取り上げて,ウダヤナの主宰神論を強く意識しながら主宰神論証を批判している。ニヤーヤ派の論理学とシュリーヴァイシュナヴァ思想の融合を図ったことで知られるヴェーダーンタ・デーシカにしてみれば,まだラーマーヌジャたちには批判されていないウダヤナの主宰神論証は,俎上に載せて検討し,乗り越えるべき大きな存在だったように思われる。
24.神は語りうるか --ラーマーヌジャの神概念をめぐって--
(『國學院雜誌』第106巻第3号 「特集 インドにおける神概念の諸相」,平成十七年三月)
ラーマーヌジャは神を属性を伴う存在と見なした。にもかからわず,神は言葉や思考を超えたものと表現される。この矛盾とも思われる扱いは,ラーマーヌジャの神観念の多様性に起因する。
ウパニシャッド以来,最高ブラフマンは言葉や思考を超えたものとみなされ,しばしば「然らず(na),然らず」と否定的表現によって説かれた。ラーマーヌジャはこれを「これまで説かれた以上の性質はない(na)」の意味に解し,整合性を保とうとする。その上で,超越的存在としての神と,人間を救済するために権化した接近可能な神という二つの側面で神を捉え,前者を語り得ぬもの,後者を語りうるものとして論じている。
語り得ぬ超越的存在としての神も姿形を持ち,眷属に囲まれ,最高天に居住するが,それらは非物質的であり,語り得ず,知られ得ぬものであるという(それが示されるのは,解脱した者の念想の対象としてであり,通常の認識の対象としてではない)。神がこうした超越的存在にとどまれば,救済者としての側面が失われる。ラーマーヌジャの神は,いわゆる哲学者の神ではない。神の世界創造などは戯れにすぎないとされるが,それは世界創造などの無意味さを指すのではなく,神が業などに支配されず,自由に活動することを意味する。神は自らの自由な意志のみに基づいて,人々の前に現れ,崇拝の対象となり,人々を救済する。その時,神は言葉や思考の対象となる。
ラーマーヌジャはウパニシャッドに由来する超越的原理とパーンチャラートラ的な人格神という対照的な二つの側面を,「限定」の概念によって巧みに総合する。神自身は超越的な世界原因でありつつ,結果としての世界に限定されることによって,霊魂が身体に内在するごとくに世界に内在し,崇拝され,帰依されるべき対象として姿を現すのである。『ギーターバーシャ』冒頭に提示された神の諸特性の一つに「言葉と思考によって限定されぬ本質と本性を有する」という項目がある。その一方で,ラーマーヌジャはその前後で,神の諸特性を列挙する。超越的な,従って,本来は言語表現を超えているはずの神について語る ラーマーヌジャは神を属性を伴う存在と見なした。にもかからわず,神は言葉や思考を超えたものと表現される。この矛盾とも思われる扱いは,ラーマーヌジャの神観念の多様性に起因する。
ウパニシャッド以来,最高ブラフマンは言葉や思考を超えたものとみなされ,しばしば「然らず(na),然らず」と否定的表現によって説かれた。ラーマーヌジャはこれを「これまで説かれた以上の性質はない(na)」の意味に解し,整合性を保とうとする。その上で,超越的存在としての神と,人間を救済するために権化した接近可能な神という二つの側面で神を捉え,前者を語り得ぬもの,後者を語りうるものとして論じている。
語り得ぬ超越的存在としての神も姿形を持ち,眷属に囲まれ,最高天に居住するが,それらは非物質的であり,語り得ず,知られ得ぬものであるという(それが示されるのは,解脱した者の念想の対象としてであり,通常の認識の対象としてではない)。神がこうした超越的存在にとどまれば,救済者としての側面が失われる。ラーマーヌジャの神は,いわゆる哲学者の神ではない。神の世界創造などは戯れにすぎないとされるが,それは世界創造などの無意味さを指すのではなく,神が業などに支配されず,自由に活動することを意味する。神は自らの自由な意志のみに基づいて,人々の前に現れ,崇拝の対象となり,人々を救済する。その時,神は言葉や思考の対象となる。
ラーマーヌジャはウパニシャッドに由来する超越的原理とパーンチャラートラ的な人格神という対照的な二つの側面を,「限定」の概念によって巧みに総合する。神自身は超越的な世界原因でありつつ,結果としての世界に限定されることによって,霊魂が身体に内在するごとくに世界に内在し,崇拝され,帰依されるべき対象として姿を現すのである。
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(『印度哲学仏教学』第6号,平成3年10月)
『ラーマーヌジャの研究』は,わが国では最初(といっていいと思う)のラーマーヌジャ研究であるが,それを取り上げた,書評というより紹介。
2.ハーンと博多万行寺
(『へるん』第42号,八雲会,2005年6月)
ハーンは熊本時代,夏休みを利用して妻セツとともに北九州を旅行した。その際,博多の万行寺に立ち寄った。ハーンはあまり興味を覚えなかったか,わずかに明月女のエピソード(妙好人伝にある)を伝えているだけだが,当時の万行寺の住職七里恒順和上は福沢諭吉に面談して感銘を与えた当代きっての名僧で,鈴木大拙によって世に出た妙好人浅原才市(ハーンと同年生まれ)の師でもあった。そんなエピソードを紹介した,趣味ではじめた新分野での初発表(多分,次はない・・・)。
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