俘虜等写真及び図版
〔写真1〕 丸亀俘虜収容所長石井彌四郎大佐退任記念写真鳴門市ドイツ館所蔵)

前列左より
フリードリヒ・フェッター(Friedrich Vetter)陸軍中尉
ヴァルデマール・ランセル(Waldemar Lancelle)陸軍大尉
石井彌四郎収容所長(陸軍歩兵大佐)
ヴィルヘルム・シュリーカー(Wilhelm Schliecker)陸軍中尉
ゲオルク・キュールボルン(Georg Kühlborn)陸軍少尉
亀友廣吉陸軍一等主計

中列左より
山路岩太郎陸軍一等看護長
ボレスラウ・アダムチェフスキー(Boleslau Adamczewski)陸軍少尉
パウル・オットー・ラミーン(Paul Otto Ramin)陸軍中尉
石川元治陸軍歩兵中尉
ルードルフ・フォン・シェーンベルク(Rudolf von Schönberg)陸軍少尉

後列左より
田中一三陸軍軍曹
秋山留吉陸軍軍曹
梅野栄三郎陸軍上等計手
倉本猪三男陸軍二等軍医
里見金二陸軍歩兵中尉
荒川光雄通訳

[写真2]丸亀収容所での中国語勉強会
左から三番目はヴィルヘルム・メラー(Wilhelm Meller)
(鳴門市ドイツ館所蔵)

[写真3]左から
日本美術史家フリッツ・ルンプ(Fritz Rumpf)、
スクリバ(Emil Scriba)予備陸軍少尉、
ヴェークマン(Oskar C.v.Weegmann)予備海軍少尉

[写真4]習志野収容所における
クリスチアン・フォーゲルフェンガー(Christian Vogelfänger)
と愛犬シュトロルヒ(Strolch)
(習志野市教育委員会所蔵)

[写真5]習志野収容所における
カール・クリューガー(Karl Krüger;椅子の人物)
とカール・オストマン(Karl Oatmann)
(習志野市教育委員会所蔵)

〔写真6〕久留米収容所楽団の
指揮者オットー・レーマン(Otto Lehmann)とその楽団員
(上段中央のレーマンの肖像のみスケッチ。下部の署名欄にもレーマンの署名はない)

上段左から、
ナック(Kurt Nack)、ヘルトリング(Georg Freih.von Hertling)、コーツァー(Erich Kozer)、
エッケルト(Walter Eckert)、オットー・レーマン(Otto Lehmann)、ヘック(August Heck)、
ハイムス(Karl Heims)、クルーゲ(Ernst Kluge)、デューニッシュ(Max Luidpold Dünisch)、

中段上の左から、
エーペ(Heinrich Epe)、フレーベル(Karl Fröbel)、ヴァイセンボルン(Hermann Weissenborn)、
ペステル(Willy Pestel)、オルトレップ(□□ Ortlepp)、

中段下の左から、
ハーケ(Hermann Hake)、キューネ(□□ Kühne)、ゲリッケ(Otto Gericke)、下段左から、ヴィルト(Gerhard Wild)、
ヒューン(Karl Gustav Hühn)、ゲープハルト(Otto Gebhardt)、ニーチュケ(Richard Nitschke)、エームンツ(Hermann Emunds)
(松尾展成氏提供)

〔写真7〕名古屋収容所の一室の冬の陽だまりで

左から、
シュテーゲマン(Alfons Stegemann)、エンゲルホルン(Friedrich Engelhorn)、ローマン(Max Lohmann;中央の胡坐の人物)、
ヤンゼン(Gustav A. Jansen)、カルクブレンナー(Paul Kalkbrenner)、シュテフェンス(Walter Steffens)
(オスヴァルト・ハッセルマン氏所蔵)

[写真8]名古屋収容所でのテニス
オットー・ライマース(Otto Reimers)対
フォン・シュリック(v.Schlick)陸軍中尉
(ハッセルマン氏所蔵)

[写真9]名古屋収容所の
若き俘虜ルートヴィヒ・ビーン(Ludwig Bien)
(ハッセルマン氏所蔵)

〔写真10〕 大阪・似島のサッカーチーム;

右から(ゼッケン番号順)、
シュルマン(Fritz Schürmann)、シュライ(Johann Schrey)、ハイネマン(Martin Heinemann)、
クラインベック(Ernst Kleinbeck)、ハープリヒス(Christian Habrichs)、ホロナ(Alois Holona)、
ポッサルト(Alfred Possardt)、クヌッベン(Peter Knubben)、クライバー(Hugo Klaiber)、
イーデ(Georg Ide)、レーヴェン(Heinrich Loeven)
(田中清司氏所蔵)

〔写真11〕似島収容所俘虜のサッカーチーム
(〔写真10〕とは別のチーム)と広島中学等の生徒との記念写真
(山田足穂氏所蔵)

[写真12]晩年に日本人女子高生と
文通をしたアンドレーアス・マイレンダー(Andreas Mailänder)
(ハンス=ヨアヒム・シュミット氏所蔵)

[写真13]松山収容所時代の
ハインツ・ファン・デア・ラーン(Heinz van der Laan)
(ディルク・ファン・デア・ラーン氏所蔵)

[写真14]
ヴィクトル・ヴァルツァー(Viktor Walzer)
(篠田和絵氏所蔵)

[写真15]
フランツ・メツガー(Franz Metzger)
(オットー・メツガー氏所蔵)

〔写真16〕
指揮者パウル・エンゲル(Paul Engel)とジークフリート・ベルリーナー
(Siegfried Berliner;左端)
(鳴門市ドイツ館所蔵)

〔写真17〕
徳島市内の音楽教室でのパウル・エンゲル
(鳴門市ドイツ館所蔵)

〔写真18〕
指揮者ヘルマン・ハンゼン(Hermann Hansen)
と徳島オーケストラ並びに合唱団
(鳴門市ドイツ館所蔵)

〔写真19〕「ドイツ牧舎」を背景に
「ドイツ牧舎」建設の功労者富田久三郎(髭の老人)、及び松本清一(中央のハットの青年)と船本宇太郎(後列左の鳥打帽)。
女児(久三郎の孫娘)を抱くのはクラスニツァー(Franz Claussnitzer)、
女児を見やるのは牧舎の設計者シュラーダー(Heinrich Schrader)と思われる(富田実氏の推定)。参照→注60)
(富田製薬株式会社所蔵)

[写真20]
元露国青島副領事館副領事
ハンス・W.・クロパチェク(Hans W.Kropatscheck)陸軍少尉
(ハンス=ヨアヒム・シュミット氏所蔵)

[写真21]
海軍東アジア分遣隊長パウル・クーロ(Paul Kuhlo)陸軍中佐
仏教研究に打ち込み、日本人の友人がいた。
(クリスチアン・ボルマン氏所蔵)

〔写真22〕膠州総督アルフレート・マイアー=ヴァルデック  (Alfred Meyer-Waldeck)海軍大佐

〔写真23〕東京・習志野俘虜収容所長侯爵西郷寅太郎陸軍歩兵大佐
(習志野市教育委員会所蔵)

〔写真24〕徳島・板東俘虜収容所長松江豊寿陸軍歩兵大佐
(鳴門市ドイツ館所蔵)


図版等

〔図1〕「似島獨逸俘虜収容所技術工藝品展覧會目録」の表紙
  建物は会場となった広島県物産陳列館
(ファン・デア・ラーン氏提供)

[図2]
同上目録中のバウムクーヘンの広告
カール・ユーハイム(Karl Juchheim)

[図3]
同上目録中のヘルマン・ヴォルシュケ(Hermann Wolschke)
の広告の出店広告と思われる。

[図4]
徳島俘虜収容所新聞『徳島新報』
(Tokushima Anzeiger)
第2巻第3号(1915年10月10日)
(鳴門市ドイツ館所蔵) )

[図5]
松山俘虜収容所新聞『陣営の火』
(Lagerfeuer)第1号の扉絵
(鳴門市ドイツ館所蔵)


〔図6〕板東俘虜収容所新聞『ディ・バラッケ』
(Die Baracke)第3巻表紙
(鳴門市ドイツ館所蔵)

[図7]俘虜郵便(大正4年2月20日 姫路消印)
ゲオルク・クルーゼヴィッツ(Georg Krusewitz)から妻宛の絵葉書
文面等については、1326)の「Krusewitz」の項を参照。
(河添 潔氏所蔵)