赤根萩原神社祭礼の獅子舞神楽の由来
- 萩原(はぎわら)神社にまつられているのは、「萩原佐衛門尉芳信卿」(はぎわらさえもんのじょうよしのぶきょう)
という武将で、伝説によると、応仁の乱(1467年)の時、どういう事情からか、筑後の国(現在の九州福岡県南部)から
こちらへ落ちのびて来たようです。
- そして、この芳信は、御堂山(みどうやま)の僧人(お坊さんたち)を従えて、丹野(たんの)、山神、大塚、赤根を
領有し、御堂山の山頂に城(丹野城)を造って、僧人に鎧を着させ、この城を守らせていました。
ところが、敵が攻めて来たのを聞いた芳信は、自分から山を降りて戦った方がいい結果になると考え、
赤根まで来たところ、部下の裏切りにあい、自分から馬の上で腹を切って亡くなりました。 これが、文明2年(1470年)の
7月6日のことでした。
- この芳信には2人の子供がいて、赤根の今泉家にかくまわれ、その内の1人は今泉助右衛門(すけうえもん)と名乗り、後の大永2年(1522年)
に、今の萩原神社のおおもととなる社を建てて芳信をまつりました。
後に、芳信の霊を慰めようという気持ちから、鈴木三郎という人が弘化元年(1844年)に、渥美郡田原の師匠から
女獅子の舞いを習得して戻り、萩原神社の祭日に舞を奉納したのが始まりとされています。
注)卿:大政官の八省の長官、大納言・中納言・三位以上の人。
- 御津町指定無形文化財(昭和45年3月19日指定)