「F-4EJ ファントムII」 長谷川製作所製1/72スケールプラスチックモデルキット \900
航空自衛隊が、創設当初からの装備機であるF-86Fセイバー「旭光」の後継機として、当時のいわゆる「西側」の最新鋭戦闘機、F-4ファントムの導入を決定したのは1968年。71年にはアメリカ、マクダネル・ダグラス社で生産された2機が日本に到着、米国空軍型のF-4E・ブロック45をベースに一部仕様を自衛隊向けにしたため、F-4EJの名称を持つことになります。この後13号機まではアメリカから受け取った部品を日本で生産するノックダウン方式、それ以降は三菱重工を主とした完全国産の形で配備が続くことになります。
F-4EJ部隊は三菱の生産が軌道に乗った72年に、百里基地の臨時F-4飛行隊を嚆矢として続々と建設されてゆきます。同隊をそのまま73年10月に301飛行隊とし、74年には千歳にオジロワシのマークで有名な302飛行隊、76年に小松基地に303飛行隊、77年に築城基地に304飛行隊と進んで、発祥の地たる百里の二番目の飛行隊として78年に編成されたのが305飛行隊、81年には小松の二番目の飛行隊となる306飛行隊を編成して配備完了となっています。現在は基地を移動した部隊、またF-4の老朽化から解隊となったり、F-15Jに機種転換した隊も存在します。数多くのマーキングが存在するF-4EJですが、その中から今回は百里305飛行隊所属、47-8680号機をチョイスしました。
305飛行隊は、F-104J飛行隊であった206飛行隊を解隊、再編成した形で発足していますが、発足当初、206飛行隊の梅のエンブレムを受け継ぐ前にこのような「百里新撰組」パターンの塗装が試験的に施されていました。最初に配備された680、681の2機がこの塗装となり、特に680号機は、他の機体が梅のエンブレムを描いた後もこの塗装のままだったことで知られています。
また、680号機は世界的な記録を残しています。世界中で5000機以上生産されたF-4シリーズ中、最高速のレコードホルダーなのです。79年2月28日、訓練空域においてマッハ2.6を達成。後にこれを知ったマクダネル・ダグラス本社が680号機のデータではなく現物を解析したい、と言い出したほどの大記録です。当時の乗組員はパイロットが神田鉄雄二尉、ナビゲータに栗原宏美二尉(階級いずれも当時) 他にも市街地に墜落寸前のセスナ機をすくい上げて海上投棄、正副パイロットが負傷したボーイング747に空中でドッキング、移乗して無事着陸など、伝説的活躍を多く残しています。
塗装そのものはF-4EJの通常塗装、C315グレー(FS16440)とインシグニアホワイトの塗り分けで、アンチグレアはジャーマングレー、レドームをセミグロスブラックで塗り分けて素材差を表現。新撰組パターンはインシグニアホワイト×サンダーバーズレッド。脚庫と脚柱はフラットホワイト、タイヤはタイヤブラック。排気管と周辺の金属色部分は焼鉄色、一部グレーをオーバースプレーして色味を変えてあります。コクピット内はグレーをメインに、シートクッションはオリーブドラブ。ピトー管先端と脚オレオはエナメルのシルバーで塗り分け。記録飛行の時の再現を狙って、胴体下は完全クリーンで作ってみました。(嘘ですごめんなさい手抜きです) インテーク部は本当は境界層吸入孔の部分は塗っちゃダメだったんですが、この方が見栄えしませんか?
・・・はい、また「一部フィクション」でお届けしました。ご存知史村翔先生原作、新谷かおる先生作画の「ファントム無頼」が元ネタです。2巻冒頭「永遠のシュプール」で梅のエンブレムを描いてるからには305飛行隊所属なのは間違いないんですが、第一話の段階では305飛行隊はまだ発足してないんですね。(だからこそ作中では「206飛行隊」と言っているのか) まぁ3巻「最高速で飛べ」の記録飛行の頃(増刊サンデー59年3月号掲載。上記の記録飛行の日付はその発売日)には確実に機能しているはずなのでいいか、と。あと、ラジオコール680というF-4EJが実在するかというと残念ながらないんですよね。西川・水沢組の320は37-8320(作中では47-8320)という番号で実在しますけど。301番から順番に付番されて140機が配備されたので、440号機が最後のF-4EJであり、さらにF-4シリーズそのものの最終機でもあります。作中では2機めの680も登場しましたが、あの世界の空自には1380機もF-4が配備されちゃったんでしょうか・・・野暮かな。
ちなみに、空自のシリアル付番基準を。47-8680を例にすると、頭の4がその機体を調達した費用の会計年度の西暦下一桁、次の7は機種ごとにつける区分番号、ハイフン後の8は用途を示す番号で、ハイフン前後の数字の組み合わせで機種がわかります。x7-8xxxがF-4、他に2-8がF-15、3-8がF-2、6-8がF-104。用途5が練習機で9-5がT-2、6-5がT-4、同型でも用途が違えば用途番号が変わり、RF-4は偵察機の6をつけるため7-6となったりします。2代目680の登場当初、55-8680という番号が一時描かれてましたが、おそらく昭和55年の意味だったんでしょうね。指摘があったのかほどなく07-8680に変わりましたけど。残り3桁が生産順の一連番号で、F-4が301から、F-15が801からなど、同時期に同じ番号はなるべく重ならないよう機種ごとに調整されるようです。