1当サイトの法律相談の投稿について
当サイトの法律相談の回答をするようになって,三年余り経過しました。書き込みの掲示板も新しくしたこの際お願いや注意を書いておくことにします。
(無料法律相談立ち上げと継続の動機及び目的)
そもそもサイト立ち上げの際,無料法律相談を始めたのは,「自己研鑽」といくばくかのボランティアを志したからであった。
「自己研鑽」とは,自己の法的知識を広め,あるいは深めると言うことであり,また,法律事務処理能力の向上を意味している。
弁護士業務をしているからと言って法律万般につき万遍なく各法分野の仕事をしているわけではない。
依頼者層により,時期により,法律業務の内容はしばしば偏るものである。
そうすると法的解決能力を現実に自分がやっている仕事だけから得るとすると大変いびつなものになってしまう。
そこで最低限,普通の弁護士程度の実力を維持,高めようとするとそれなりの普段の努力が必要であるが,受験勉強中ではないので自主的にこれをこなすには相当の決意と忍耐が必要である。
しかし,かなり高齢になり,また,弁護士業務は訴訟遂行能力にしても依頼者はもとより第三者からは大変把握しにくいものであるから,余程へまをやらない限り,能力のなさが満天下に晒されることは滅多にない。
そうすると多くの弁護士は,無駄に時間を過ごしたり,遊んだりはしても法律専門家としての能力の維持,向上に自分自身が無関心になってしまう。
そのような弁護士業界の現実を見ているのでなんとか普段余り意識しないでも簡単に自己研鑽をすることはできないかと考えて,思いついたのが無料法律相談であった。
自分のサイトで無料法律相談の看板を掲げれば,各法分野の法律相談が相当数来ることになり,それに最低限のレベルの回答をするには,もう一度,法律の基本に帰り,あるいは新たな法分野の専門書を紐解かないとできないと考えた。
実際にやってみても思ったとおりであった。
そういうわけで,僕は今後もできる限りは無料法律相談を続ける気でいる。
もう一つのボランティアの志は,昨今流行でもあり,自分がなりわいの糧を得ることとは別に無償の行為をすれば多少でも他人のお役に立てると考えるいわば自己満足の一種であろう。
(サイトにおける法律相談の効用)
サイトにおける法律相談は,事実の伝達及び意見の伝達がかなり短い文章のやりとりに限定されているために通常の法律相談に比べて相当に難しいものである。
通常の法律相談とは,相談者と回答者が対面して言葉を通じ,図面や契約書などの重要な証拠となるものを示して双方納得できるまで事実及び意見の伝達をやりとりできることが前提である。
それに比べるとサイトの相談は上記のように相当限定されているために事実の伝達が困難であり,そのために回答も中途半端なものになる可能性が高いものである。
そのような制約から,サイトの法律相談には余り大きな期待をするのは無理である。
つまり,あるトラブルが法的解決に馴染むものか,そうだとするとどのような方法で,どのような解決があり得るかと言う点につき,大筋を示すに留まる事例が多いであろう。
相談者は,そのことを理解して利用しないと結局,相談はしてみたものの得るところがなかったと言うことになる。
しかし,そのような制限を理解した上で利用するなら,サイトを利用しての法律相談は,匿名で相手に顔を見られることもなく,また,どのような時間帯でも手軽に利用でき,上記のような制限はあるものの自己の抱える法的トラブルにつき,大まかな解決の指針を示してもらえるという意味で,大きな効用も期待できるのである。
(サイトの法律相談において相談者が注意すること)
回答者が相談の内容を読んだとき,本気で回答する気になるような聞き方(書き方)をすることが肝要である。
それには,事実を必要十分な限度で伝達することが重要である。法的トラブルは,その対象は事実である。したがって,事実が正確に回答者に伝達されない限り,的確な回答のしようがないのである。そのためには,伝達方法が短い文章に限定されているので,先ず,相談文をいきなり,掲示板に書き付けないで原稿を書いて書き方を工夫することである。元々,回答者にとっては無償の好意でやっていることであるから苦痛になるような長文かつ難解な文章を根気強く読んで理解する気にはなりにくいものであることを相談者は認識するべきである。
次に何について回答を求めているのかを明確に書くべきである。トラブルの対象である事実を長々と書いてあるものの,結局なにが聞きたいのか不明な相談も枚挙にいとまがない。さらに法的トラブルの対象の事実についてはできるだけ客観的に書く努力をして,自己の評価など書かないことである。
僕は以前から言っているように相談の文章は500文字ないし,1000文字余りに止めてもらいたいと願っている。また,事実はできるだけ具体的に書くべきで抽象的に書かれると回答も一般的抽象的にならざるを得ない。
(これまでの相談で嫌気がさしたものの代表格)
「解決を急いでいて時間がないので至急回答してもらいたい。」・・・言うまでもなく好意で無料でやっているので回答をせかされるとそのこと自体で回答する気を失う。
「お分かりであれば回答を下さい。」・・・一応,法律専門家の弁護士が本名で回答している掲示板だから,お分かりであればと疑問なら,書き込みは初めからしないこと。
「ずっと待っているのに回答がない。ほかの相談には回答しているのに自分の相談だけなぜ無視するのか」・・・僕は,できるだけ早朝,昼休み,夕食後は回答するように努力しているが,スケジュールの関係で相当時間,掲示板を覗けないこともあるし,相談と言ってもピンからキリまであって即答できるものもあり,一寸関係資料などに当たってみないと回答できないものもあることから,相談の順番に回答するとは限らないことを認識してもらいたい。
(当サイトで誰でも回答に参加できることにしていることについて)
法的回答もそうであり,特に専門的知識については当サイトを覗いてくれる多数の人の中には,その道の専門家もおられるはずで,そのような方の意見なり,回答は貴重な情報源として生かしてもらうためにやっていることである。
また,法的トラブルには,それぞれの関係者の抱く感情や価値観が解決を困難にしている場合も多い。そのような場合,第三者が冷めた眼からの寸評めいた書き込みが見受けられるが,僕としては相談者べったりでなく,時にはそのような書き込みが関係者を冷静にさせることがあるので貴重な書き込みと思っている。
(平成14年10月27日記)
2 重すぎないか?懲役6か月,野良猫虐待・虐殺事件福岡地裁判決
1平成14年10月21日福岡地裁は,「動物の愛護及び管理に関する法律違反罪」で,27才の男に「懲役6か月,執行猶予3年」の判決を言い渡した。
この事件は,マスコミでもかなり大きく取り上げられたので,ご存じの方も多いであろうが,その27才の男が今年5月6日深夜,福岡市内の自宅アパートの浴室で,野良猫の耳やしっぽをはさみで切断,ひもで首を縛った上,近くの川に投げ捨てて殺害したというものである。
猫一匹を殺害して公判請求されたのは,おそらく裁判史上初めてのことであろう。
このように厳しい処分及び判決を受けることになったのは,この男が猫を虐待する場面をデジタルカメラで撮影し,これを動物を嫌う人向けのホームページに公開したことが原因である。
ホームページを見た多くの人から,福岡地検などに「猫が可愛そう」「厳罰にしてほしい」などという手紙やメールが多いときは一日100通を超えて寄せらたため,福岡地検や福岡地裁も社会的影響,世論を考慮して対処したために厳しい結果になったものと考えられる。
おまけにこの男は犯行を否認したと言うことで福岡地検に逮捕までされている。
2このような重い処分と厳しい判決をどのように評価するかは,人それぞれであろう。
僕は,この処分及び判決は重きに失するという感想である。
猫を虐待,殺害したことに対して,この男に合理的弁解はないであろう。
そうすると確かに抵抗できない小動物である生きた野良猫の耳やしっぽをはさみで切り取り,その挙げ句,ひもで首を絞めて殺し,川に投げ込むとは残忍な行為というほかはない。 僕は中学生以来,ペットを飼えないアパート暮らしのときを除いて多いときは3,4匹通算20匹くらいの猫を飼ってきていて,今も2匹の猫を飼っているくらいの猫好きである。
そうであるから僕も心情的にはなんと酷いことをする男だろうとは思うが,犯罪として処罰することになると話は別である。
人を処罰するとき考えなければならない原則は比例原則及び平等原則である。
つまり,犯人の犯した犯罪に相応であって,他に同じような犯罪を犯した者に対する処罰と均衡を失わないようにすることが第一である。
「動物の愛護及び管理に関する法律」(以下動物愛護法という。)は,1条の目的の項で,同法の目的を「・・・国民の間に動物を愛護する気風を招来し、生命尊重、友愛及び平和の情操の涵養に資すること・・・」としている。
ところで現在の社会において動物愛護法の理念は十分に確保されているであろうか。
肯定するには余りにも寒々とした現状ではなかろうか。
人間の食糧確保のために無数の牛,豚,鶏などがと殺され,学術研究などのためにも小動物が続々と殺害されている。
もちろん,これは人間社会にとって有益な目的のために法で認められた行為として行われているのでなんら犯罪を構成しない。
しかしながら,このような現象は動物を愛護する気風,生命尊重の情操の涵養という気風と相容れるであろうか。
特に日本人は,歴史的に狩猟民族ではなく,動物の肉を常食してきた習慣は持たない。 僕らは第二次世界大戦後の食糧不足の時代を生きてきたから,牛肉などは盆正月くらいしか,しかも僅かな量しか口にできなかった。
それが今は,企業活動の拡大再生産とも相まって無数の食肉動物がと殺され,肉もその加工品も満ちあふれている。
さらに服飾装身具を作り出すためにも多くの動物が捕獲,殺害されている。
動物の養殖においても牛を飼育するのに牛の肉骨粉をもってするという愚を犯している(このことが先ごろ社会を恐怖に陥れたBESつまり狂牛病の重要な原因と考えられている。)。このような社会の仕組みは,決して動物を愛護する気風や生命尊重の情操の涵養と相容れるものではない。
つまり野良猫一匹を虐待,虐殺した今回の犯人を厳しく攻める資格を今の社会は持ち合わせない。
その意味からするなら,今回の犯人への処罰は,罰金刑を選択した上,30万円ないし50万円程度の処罰で足りたものと考えられる。
判決は,「ネット中継され,犯行を止めようにも手が届かないところで虐殺行為が現実に進んだことで,多数の人々に,不快感や嫌悪感を超えた深い精神的な衝撃を与えた」と指摘し,「模倣犯や愉快犯の出現も高めた」とも述べている。
人々に嫌悪感を与えたことに異論はないが,深い精神的な衝撃を与えたとはいささか大げさな認定であるし,模倣犯や愉快犯の出現を高めたとは実証的な認定ではなく,単なる裁判官の思いこみに過ぎない。
そのような次第で,本件の検察官の処分や判決は比例原則を無視し,平等原則に反する可能性がある過酷に過ぎるものである。
(平成14年11月2日記)
なお,患者が死亡する1時間30分くらい前に主治医の須田医師が同患者の気道確保のために挿入していた気管内チューブを抜管しながら致死量に当たる筋弛緩剤を投与した行為が死亡につながったというのが川崎市の調査結果であるという。
なお,複数の新聞報道等によれば,患者が死亡した後,同病院では院内の会議で元院長が事件を報告したが事件の隠蔽を決定し,平成13年に同病院では職員の指摘で内部調査を開始し,同年12月に須田医師に辞職を勧告,同医師は翌14年2月退職,同年4月になって元院長らが患者の家族に謝罪するとともに川崎市に事件を報告,直後に同市は川崎臨港署にも事件を報告した上,医療法に基づき同病院を立入検査,同年6月になって同病院の内部調査委員会が「筋弛緩剤で患者を死亡させた」との中間報告をするなどの経過を経て,本年9月8日から神奈川県警は須田医師から任意で事情聴取を開始し,今回の逮捕に至ったものである。
12月4日逮捕であるから,おそらく勾留の20日満期は12月25日か26日であると思われ,検察官は20日満期の日,起訴するか,不起訴にするか,処分保留で釈放するか,どれかを選択する必要がある。
上記マスコミの報道から,須田医師が被疑事実である殺人行為をなしたのか否か判断することは大層困難であるが,本件の問題点に触れることによって,その処分を推定してみることにする。
先ず,重大な点は須田医師が患者に対してなにをしたのかである。マスコミ報道にあるように「気管内チューブを抜管し,致死量に当たる筋弛緩剤を投与した」という事実が認められるかが,最大の問題点である。しかし,仮に気管内チューブの抜管,筋弛緩剤の投与があったとしても投与した薬剤の量が致死量であるか否かは簡単には決しがたいと思われる。そうすると患者がいかなる症状にあり,その症状に対して気管内チューブの抜管,筋弛緩剤の投与が正当な医療行為である可能性は皆無であったのかが問題になる。
その須田医師のなした行為とも関係するが,当該患者の死因を正確に確定することも殺人罪の成否の確定という面から落とすことのできない事実である。
さらに仮に須田医師の行為が殺人罪に当たる行為だとして,なぜ,そのような行為が行われたかという動機,目的の確定も重要である。殺人罪の場合,動機が確定できれば,犯罪の成否,犯人の確定もほぼ達せられる場合が多い。主治医が患者を殺害することは通常はあり得ないのであるから,本件を積極に解するには,第三者が納得できる動機目的を確定することが重要である。
医師が犯した重要な犯罪としては,「千葉大チフス菌事件」がある。これは,昭和39年から同41年にかけて千葉大付属病院の内科医局員(医師)がチフス菌,赤痢菌をカステラ,バナナなどに付着させて被害者に喫食させる方法で合計65人を赤痢,チフスに罹患させたとされる事件で,一審の東京地裁では無罪,二審東京高裁では懲役6年,最高裁は被告人の上告を棄却して有罪が確定している。この事件でも犯人の医師のこのような重大異常な犯罪の動機が重大な問題となった。一審で検察官は,「人体実験論」ないしは「不平不満論」を動機としたが,結審するころには,「明確な動機目的というべきものはないとして「性格異常論」を展開した。
本件は事件発生後約4年経過して須田医師を逮捕している。特に須田医師を犯人とする新事実が発見された事情もないようなので,逮捕の時期がなぜ,この時期なのかも問題である。勾留満期に際して検察官がどのような処分をするか大変に興味のある事件である。
マスコミ報道の内容などから感じられるところは,嫌疑が十分でなく処分保留で釈放することになる可能性が強いと僕は考える。
(平成14年12月15日記)
大堀弁護士は,同書によれば,一橋大商学部を卒業後,王子製紙に勤務した後,50才の時,同社を止めて司法試験に合格し,東京で弁護士を開業されたが,数年前から事務所を神奈川県大磯市に移して活動中の人である。
この書には,大堀弁護士が扱った離婚事件,婚約解消事件など9件につき,扱うようになったきっかけ,事件・トラブルの内容,解決への経緯,解決結果などが書かれているとともに,その事件の弁護士費用がかなり細かに計算されていて,その事件から大堀弁護士が得た収入額が明らかにされている。弁護士が自分の取り扱った事件につき,着手金及び報酬の計算根拠を明らかにして当該事件において,いくらの収入があったかを明確にしている著作は珍しく,僕は本書のほかに見たことがない。
事件の内容とともに本書の弁護士費用の計算方法をよく読めば,離婚問題,婚約解消問題,不倫関係の解消などを願っている人には弁護士費用につき,目処がつくとともにトラブルの解消そのものにも,なにがしかのヒントを発見できるかも知れない。
大堀弁護士の本書を読めば分かることであるが,弁護士は日弁連や単位弁護士会の報酬基準をよく守り,これに基づいて着手金や報酬を計算した上で,依頼者の資産状況つまり懐具合をよく考慮して(大抵は報酬基準よりかなり低い弁護士費用になっている。)弁護士費用を請求していることがよく理解できるはずである。僕の計算方法も殆ど同じである。
昨今,それら弁護士の報酬基準を廃止しようと言う動きが日弁連あたりで議論されている。しかしながら,弁護士費用など客観的な計算根拠などないに等しく,少なくとも現行基準がある限り,殆どの弁護士はこれに基づいて費用を計算するから,公平という面からはそれないに機能しているのである。例え,報酬基準が廃止されてもこれによることは別に違法ではないから,引き続き報酬基準の機能を果たすであろうと思われる。
自分で個々の弁護士が報酬基準を離れて弁護士費用を計算することなど,どだい無理であるし,多くの依頼者には具体的金額の根拠などないのであるから,基準が廃止されると今以上に依頼者にとっては,弁護士費用は全く理解できないことになりはしないかと危惧するものである。
本書に出てくる9件のうち,1件を簡単に紹介する。
大学を中退した男と短大を卒業した女がホテルに勤務するうち,職場結婚をした。その後,退職して妻の父が東京近郊の都市で営んでいた食品会社で働くようになり,妻の父が亡くなった後,夫は社長を務め,妻は経理事務を一手に引き受けて働いた。
そのうち,二人の子供が生まれたが,食品会社の経営も順調であり,このころから,夫の方は浮気をするようになった。そのうち,食品会社の取引先からコンピューターソフト会社の買収の話があり,妻が強く勧めて4億円で買収する。コンピューターソフト会社を買収してから,夫は会社のある東京に通勤するようになったが,このころから,青山のマンションにスナックで知り合った女を囲うことになった。そのうち,このことを妻が知るところとなり,別れ話まででたが,夫の方が以後不貞行為はしないと約束して離婚には至らなかったが,家庭内別居の状態なった。そんなころ,妻は余裕もできてゴルフ教室に通ううち,パブで知り合った男と男女の関係になった。そのうち,これが夫に露見して夫は妻にひどい暴力を振るうことになった。それまでの経過から,今度こそは二人とも本気で離婚の決意をすることになる。離婚に際しての妻の要求は,妻が子供二人の親権者となること慰謝料,養育費,財産分与をひっくるめて夫の所有するコンピューターソフト会社の株式の半分かそれに相当する金額の支払いと住居にしているマンションの引渡しであった。任意の交渉では合意できず,結局,この事件は妻側から調停の申立てを行った。なお,このころ,コンピューターソフト会社は株式上場の話があり,上場されると夫の所有する150万株は,時価20億円となる可能性も十分にあった。調停を重ねるうち,夫側も離婚に同意し,二人の子供の親権者は妻,慰謝料,養育費,財産分与として現金で5億円支払う,マンションも妻のものとすると言うことで調停は成立した。
大堀弁護士の計算で,妻側の得た経済的利益は5億円とし,着手金が200万円,報酬金が3000万円とした。めでたしめでたしと言うところであろう。
それにしても調停一件で弁護士費用3200万円などという事件には地方都市などでは滅多にないであろう。僕なら,一年分の売り上げをはるかに超える金額であり,うらやましい限りである。
(平成14年12月21日記)
冤罪・再審無罪となった徳島ラジオ商殺し事件(再審無罪判決は,徳島地裁昭和60年7月9日判決,判例時報1157・3,判例タイムズ561・180)は少しでも刑事裁判に関心を持つ人ならご存じのはずである。秋山弁護士は,陪席裁判官として,この事件の第六次再審請求事件に対し再審開始決定をした裁判官である。この事件は,その後,再審開始決定を経て事件発生後約32年を経て無罪判決が確定しているが,被告人の冨士茂子さんは,無罪判決の約6年前に死亡しており,無罪判決に至る第六次再審請求は被告人の四人の姉弟妹によってなされたものであった。
この徳島ラジオ商殺し事件は,昭和28年11月5日午前5時過ぎ,徳島市内でラジオ商を営んでいたSさん(当時50才)が店内において刃物で殺害された事件である。犯行現場には,匕首,懐中電灯などが遺留され,家族の布団のシーツの上に犯人のものと見られる靴跡が残っており,電話線,電灯線が切断されていた。同店には被害者のほか,内妻富士茂子さん,二人の間の当時9才の娘Y子さん,住み込み店員の17才のN,16才のAが寝起きしていた。
事件を担当した徳島市警は外部犯人説に立ち,某暴力団組員Kを有力容疑者として捜査を継続したが,犯人特定に踏み切れないでいたところ,高松高検が徳島地検に再捜査を命じ,内部犯人説に立つ徳島地検は被害者の内妻富士茂子さんを犯人と想定して犯行翌年の昭和29年7月NとAの二人の住み込みの少年を逮捕,勾留,監護措置を取り,それぞれ,45日間,27日間身柄を拘束して取り調べ,両名から,「被害者Sと茂子夫婦が格闘するのを目撃した」「茂子に依頼され,電話線,電灯線を切断した」「茂子に依頼され,刺身包丁を両国橋の上から川へ投棄した」「茂子に依頼されて匕首を暴力団某組から借りてきた」という供述を得た。
この二人の供述を得た徳島地検は昭和29年8月13日富士茂子さんを逮捕し,茂子さんは勾留中に自白調書を作成されて同年9月2日に起訴された。昭和31年4月18日徳島地裁は懲役13年の有罪判決を言い渡した。富士茂子さんは直ちに控訴したが,昭和32年12月21日高松高裁は控訴棄却の判決をした。茂子さんは直ちに上告したが,昭和33年5月10日弁護人にも相談しないで上告を取り下げたとされている。
ところが上告取下げ,判決確定後である昭和33年7月に至り,相次いでA及びNが上記自白及び法廷での証言は虚偽,偽証であることを茂子さんの甥に告白しただけでなく,徳島東警察署,徳島地方法務局人権擁護課においても同じ供述をし,明白に偽証を認めるに至った。富士茂子さんは,判決確定後,模範囚として服役しながら獄中から再審請求を始めた。第一次,第二次,第三次請求については徳島地裁はいずれも請求を棄却した。
冨士さんは,昭和41年11月には栃木刑務所を仮出獄により出所していたが同43年10月には第四次再審請求がなされた。この申立ても棄却されたが,この間,NとAに対して偽証罪による告訴がなされたが,徳島地検は不起訴処分としたものの,徳島検察審査会は起訴相当の決議を行った。しかし,徳島地検はそれでも不起訴を維持した。富士茂子さんは,昭和53年1月31日に第五次再審請求をしたが,その間に再審決定の要件について,最高裁は重要な決定をするに至っていた。昭和50年5月20日の白鳥事件に関する再審決定と同51年10月12日の財田川事件決定であった。それまで再審請求はいわば開かずの門で先ず,再審開始決定がなされたことはなかったが,上記決定は,再審の場合においても疑わしきは被告人の利益にの鉄則の適用があり,その判断のためには新しい証拠と旧証拠を総合して判断するとする総合評価説を取ったことから,その後の再審請求に広く門戸を開放するに至った。冨士さんの第五次再審請求は,その直後のことであり,しかも本件著者の秋山裁判官がその再審請求に関与するところとなり,前記のように再審開始決定,再審無罪となったのであった。
ところで秋山裁判官は次のように主張されている。つまり,「刑事裁判において証明されるべきは検察官が主張する過去の一時点の歴史的・社会的事実(すなわちある犯罪が行われたということ)であり,それを実行した者と被告人が同一の人間であるかどうか,である。」と。そして証明の程度について「通常人なら誰でも疑いを差し挟まない程度に真実らしいとの確信」「合理的な疑いを入れない程度の証明」と説明される。まことに至当である。
このような証明の程度の観点から,秋山弁護士は徳島ラジオ商殺し事件の有罪認定をした確定判決について「茂子さんと夫Sさんとの(犯行時の)早朝の格闘を認定しているが,それ自体,矛盾に満ちた経験則違反の認定としか言いようがない。すなわちSさんは,腹部,胸部など身体の枢要部について合計11個の創傷を負っているのに,茂子さんは犯人とすれ違ったときに負ったと本人が述べている左脇腹の擦過傷以外に,身体の前面部にはなんらの創傷もなく,また,手や掌にも何らの防御創を負ってはいない。そもそも,Sさんは海軍軍人歴があって体格もよく,茂子さんの方は身長150センチメートル以下の華奢な婦人なのである。このように体格のまるで違う夫婦が格闘し,夫だけが身に11創の傷を負って殺害され,殺した筈の妻にはさしたる創傷がなく,事件後,警察官の事情聴取に応じているなどと言うことは,およそ経験則上考えられない,まさに,あり得ないことなのである。」と批判している。本件確定判決には,ほかにも同様な通常の経験則違反の事実認定が多く,これを積み重ねて冨士さんを犯人とした違法が存することは本書を一読すれば明白である。
そのほか,本書では「袴田事件」(昭和41年6月30日午前1時過ぎころ,静岡県清水市のみそ工場で,専務一家四人が惨殺され,その家に放火された事件で殺人,現住建造物等放火の事件である。)及び「長崎事件」(平成9年10月1日電車で勤務会社に通勤途中の長崎さんが痴漢の被害者から,犯人と間違えられて駅員室に連れて行かれ,結局,迷惑防止条例違反として起訴され,一・二審とも有罪,最高裁も平成14年9月26日上告を棄却し有罪が確定している。)の問題点につき,詳細具体的に論評している。
著者は最後に「裁判官が誤判に陥らないための10個の実践則(職業裁判官に対する十戒)」を揚げている。詳細は本書を直接読解して頂くよりないが,僕が特に心に残るのは,その中の次の実践則である。「秩序維持的感覚を事実認定の中に持ち込まない。」「人間知,世間知の不足を自覚する。」「有罪の認定理由は被告人が納得するように丁寧に書く。」の三つである。
「秩序維持的感覚を事実認定の中に持ち込まない。」とは,著者によれば「もし,有罪ならば極刑が相当するような重大案件の場合,また,被告人に前科・前歴があったり,社会的危険性の強い好ましからざる団体に所属している場合,秩序維持的感覚に基づく使命感から,事実認定を安易に有罪方向へ割り切ることがないとは言えない。」と言うことであり,眞に同感である。著者は,「最近の危険な裁判傾向」として「最近の裁判所の動向を見ると憲法,刑訴法の理念たる適正手続き,証拠裁判主義から逸脱したきわめて危険な傾向が現れ始めている。」と言い,別な個所で「・・・要するに否認していることが保釈を許可しない唯一の理由となったとしか考えられない。刑訴法89条の保釈制度の存在を裁判所が失念したか,あるいは故意に無視したかのどちらかであろう。」と言うが,これまた,実際に刑事裁判の実務に関与している者として同感である。事実認定,保釈の実務以外にも逮捕勾留,接見禁止などについても最近の裁判官の中には,検察官の意見に盲従し,自己の独立した決定をなしていないとしか思えない裁判官が多いのである。
「人間知,世間知の不足を自覚する。」についてもキャリア裁判官としていわば純粋培養された弊害として多くの裁判官には,実社会における生活経験に裏打ちされた常識に欠ける者が多く,そのことで事実認定を誤ることも少なしとしないのである。
「有罪の認定理由は被告人が納得するように丁寧に書く。」という点についても現実の判決は民事裁判の判決も含めて被告人はもとより,当事者を納得させるにはほど遠い物が多い。事実を認定した証拠は掲記するものの,その証拠から,どうして,どのような思考過程を経て,そのような事実認定ができるのか,当事者なり利害関係者が一番知りたい点を真面目に首肯できるように判示しようとした形跡の窺えない判決書きが氾濫しているのが現状である。ぜひとも本書を一読されることを期待したい。(平成12年1月12日記)
新聞広告で,横山秀夫著「半落ち」(講談社2002年9月5日第一刷・1700円)を見たとき,一瞬,ヤクザの世界の隠語かと思った。しかし,よく考えてみるとそれは捜査官特に警察官等が使う隠語である。検事もよく捜査における隠語を使う。「ガサ」「ブツ」「シャブ」などがそれである。「半落ち」は僕は殆ど使ったことがないし,ひょっとすると関東方面の捜査官が使っているのかもしれない。要するに「半割れ」と同義語で,犯人が捜査官に対して犯行を自白しているが,犯行自体,動機など付随する重要な事実,共犯者等につき,本当のことを話していない状態である。
それはともかく,この「半落ち」は久しぶりに夢中で読んだ推理小説である。僕は,相当な推理小説のファンであり,この10年くらいは,宮部みゆきのファンで,直木賞受賞作の「理由」や「火車」は面白く読んだ。ただ,「模倣犯」は凡作と思うし,内容的に大変いやな作品である。
ところで,「半落ち」は東京周辺の県警本部の幹部警察官(警察学校教官を経て県警本部教養課次席)がアルツハイマー病にかかった妻を依頼されて扼殺したという事件から始まる。犯人の警察官は,自首するのだが,犯行後二日経過しての自首であった。県警本部捜査一課強行犯指導官が犯人である警察官の取調べに当たるのであるが,空白の二日間の行動に付き,本当の自白をしない。調べ官は,重要な事実が隠されているのではないかと考え,豊富な捜査経験に基づき,慎重に取調べを行う。そのうち,新聞記者が犯行後,新幹線ホームで東京行きの列車に乗り込む犯人の警察官を目撃した第三者が現れ,これが新聞報道されたことから,マスコミ対策を担当する県警本部の警務部の幹部らが報道発表に苦慮することとなる。
刑事部所属の警察官は,空白の二日間になにがあったのかを追求しようとし,警務部警察官はそれがマスコミ報道されると警察の威信を失墜するような事実であると困るので,通り一遍の捜査に終始しようとする。「半落ち」は,六つの章からなっているが,最初は取調べを担当するベテラン警察官を中心に謎の二日間の追求と県警本部の刑事部と捜査方針の齟齬,その重苦しい対立を描いていく。
二番目は,担当検事が主人公である。県警本部は調べ官を交代させ,事件送致した後,二日間の犯人の警察官の行動を検事には隠蔽しようとする。それを感じた担当検事が県警本部警務部と鋭く対立し,上司の次席検事とも対立しながら,明らかにするためにあらゆる捜査方法を駆使して真実に迫ろうとする。余談であるが検事と警察の捜査に対する対立は刑訴法上の重要問題でもあり,かって,松本清張が「草の陰刻」で鋭く描いている。
三番目は,新聞記者が主人公である。県警本部で担当検事が警務部長と捜査方針を巡って怒鳴り合う場面を偶然,立ち聞きしたことから,この事件の謎に迫ろうとする。四番目は,偶然,犯人の私選弁護人になった弁護士が主人公である。弁護人も検事と県警警務部の対立を知り,本気で本件の謎の追究をすることになる。五番目は,本件の審理を担当した裁判部の起案担当の左陪席裁判官が主人公である。法廷においても本件の謎の二日間は,それなりに審理に見え隠れする。そのことが判決のための合議において三人の裁判官の対立を呼ぶ。最後は,判決が確定し服役した犯人の警察官の自殺などの事故を防がなければならないベテラン警務官が主人公である。本件の謎解きは,この刑務所における面会で明らかにされる。
僕が,この小説で非常に感心したのは,警察官,検事,新聞記者,弁護士,裁判官,刑務官の業務に対する認識,各幹部らの組織防衛に対する感覚と行動,刑事事件の捜査公判を通じての各関係組織とこれを構成する人間の考え方と行動,各組織の内部事情などに対する著者の正確で生々しい実態認識である。僕は,検事と弁護士を経験しているので,上記六種の職業人を相当知っているつもりであるが,この小説において見る限り,そこで描かれている警察官,検事,弁護士,裁判官などどれを取っても殆ど実態を描ききっている点である。横山秀夫の取材力,その実態のとらえ方は出色である。
本書を読みながら,僕は横山秀夫に大変興味を感じ,横山が書いた日本推理作家協会賞受賞作「動機」,松本清張賞受賞作「陰の季節」(いずれも文春文庫(476円,448円)を買い込み,直ちに読んでみたが,上記僕の感想は当たっているとこれら著作を読んでも認識は変わらない。
ただ,「半落ち」の妻を嘱託殺人で殺害した現職警察管の自首までの二日間の謎,自殺をしなかった謎は分かってみるとお粗末であると考える。この小説の殆ど最終部分に至るまで,謎解きに大変興味を持続できたが,謎解きをされてみて感動するには至らなかったことが大変残念である。(平成15年1月25日記)
「半落ち」については,作者横山秀夫と作品を随分と賞賛した。その後すぐに同人の「第三の時効」(集英社・2003・2・10第一冊発行・1700円)が発行されていることを知って購入して読んでみた。こちらは,六つの短編が収録されており,やはり前作に続く推理で謎解きと同時に県警本部の捜査一課の各班及びそこに所属する個性ある刑事の軋轢を描いている。しかし,前作から時間が経過していないのか,作者自身の心の中で,十分に構想を練ったと言えるのか,前作に比べると凡作のように思える。この中の標題にもなった「第三の時効」は2月24日二時間もののテレビドラマとして全国放送された。ドラマはドラマとしてかなりよくできていた。先に原作を読むと登場人物に読者なりの人物像を思い描くものであるが,今回はテレビドラマの各役者もそれを裏切るものではなかった。この「第三の時効」に含まれる,ほかの五編もそれなりにプロットなどしっかりしているので,今回のドラマの視聴率によっては,引き続きドラマ化される可能性も十分あると思われる。
ところで,ここに出てくる時効は刑事訴訟法の公訴時効である。各犯罪の法定刑によって時効期間が定められているが,民事法の時効と違って公訴時効には時効の中断ということはなく,時効の停止が規定されている。時効の停止とは,犯人が外国に逃亡している期間は時効期間は停止して進行を一時,停止し,犯人が帰国すると残りの期間,時効が進行を始めるのである。
「第三の時効」は,人妻が同級生の男と不倫しているところへ夫が帰宅して争いとなり,結局,夫は殺害されて,不倫相手の男が犯人として逃亡する。その後,犯人は逮捕されずに15年の時効期間が経過することになり,捜査に当たる警察官がその人妻の家に張り込んで犯人とされた男からの電話を待つという設定である。犯行から15年経過した午前零時には結局,犯人からの電話はなかったが,その後の警察の捜査で,犯人が逃亡中,七日間外国に逃亡していた期間があるので,第二の時効完成として,その日も警察は人妻の家で犯人からの電話を待つ。やはり午前零時を過ぎても電話はなかった。しかし,しばらく待つ間に犯人とされた男から,人妻宛に電話が入り,電話に出た人妻は犯人に向かって「警察がいるから逃げて」と叫ぶ。しかし,第二の公訴時効が完成して不倫相手の犯人として逃亡していた男は訴追できないことが確定する。しかし,捜査一課の公安出身の楠見班長は部下に捜査の継続を命ずる。そこで人妻は公訴時効の完成を知って自分が犯人であることを告白する。ところが楠見は,人妻が犯人であることを推測しており,犯人逮捕もせず,犯人を取り調べることもなく,検事に公訴時効完成前に起訴させ,楠見に違法行為の種を握られていた裁判官がこれを受理するというのが,筋立てである。
現実には,殺人事件において犯人を取り調べることなく,身柄も確保しないで起訴することはあり得ない。公訴維持に全く見通しが立たず,否それ以前に客観的には犯人が誰か不明なのであるから,起訴などできっこないのである。しかし,推理小説としてはうまく考えられた落としどころである。
ところで標題の雫井脩介著「火の粉」は全くいただけない。買わないで,読まないでというのは逆説ではなく,僕の本心である。300ページを優に超える長編であるから,読了するのに相当な時間を要するし,なによりも読んでみて心にどうしようもないやり切れなさと腹立たしさを残す作品だからである。
この作品は,一家三人を殺害した犯人として起訴された主人公が無罪判決を受けるところから始まる。後に高裁も検察官の控訴を棄却してこの男の無罪は確定する。推理小説の感想であるから,これからの読者のことも考えて迷惑のかからない程度で内容にも触れることとする。無罪を言い渡した地裁の裁判長は,まもなく退官して東京郊外に自宅を購入して,そこに居住し,大学教授になる。無罪が確定した男は,しばらくするとその裁判長宅の隣家を購入して引っ越してくる。
この小説の主な登場人物は,新居に住む元裁判長とその妻,アルバイター上がりで司法試験受験生の元裁判長の長男とその妻,二人の間の女の子,脳梗塞の後遺症で介護を受けている元裁判長の母親,そこへしばしば出入りする元裁判長の姉,無罪が確定した隣家の男,被害者の夫の弟とその妻,元裁判長の後輩の検事などである。これら人物を挙げたのは,誰一人として作者の人間に対する洞察力の貧弱さの故に生き生きと描かれておらず,懸命に読んでも今ひとつ,人物像があいまいにしか受け取れない。特に無罪が確定した男は全体的に見て精神障害者としか見えないが,そんな観点からは触れられない。元裁判長自身ですら,定年前に退官したのは死刑判決を書きたくないような動機になっているにしては,その点についての考察に欠ける。また,最もいらいらするのは,択一試験にパスして論文試験を待っている元裁判長の長男が全く鈍感で洞察力,推理力,行動力のない人間として描かれていて僕は大層不快に感じた。
この親子三人殺害事件が無罪になったのは,犯人として起訴された男の背中に20個所前後にわたって存在する肩胛骨の二個所の亀裂骨折を含む重大な傷害であった。起訴された男は外部から犯人が侵入し,自分もその犯人からバットで攻撃を受けたと弁解し,検察側はその傷害を犯人の偽装工作のための自傷行為と主張していた。元裁判長は,傷害の部位と程度から自傷行為の認定をせず,結局無罪判決としたのであった。この点は,後に元裁判長が明らかにして自傷行為として発生の可能性があるとされているが,僕はいくら読んでも自傷行為として発生する可能性があるという傷害発生の機序について理解することが出来なかった。この小説でこの部分は最重要なところであろうが,大方の理解を得られないような謎解きは,その推理小説の価値をなくするものである。
以上の点にも増して僕がこの小説を非難するのは,必然性なく,しかも極めて残忍な方法で殺人が行われれることを描いている点である。この点は,宮部みゆきの「模倣犯」も同じである。僕は以前から宮部ファンの一人と言っているが,模倣犯は必然性なく極めて多数の殺人が行われる。このような作品は全く一読の価値はないと断言する。
(平成15年3月1日記)
NHKのニュースは,毎日通常の時間を延長してイラク戦争の報道をしています。嫌でも目に入ってきます。ほかのテレビ局も新聞も同様です。それなのにイラク戦争に対する論評は意外と少ないように感じるのは僕だけでしょうか。
香港で突如,流行を始めた重大な伝染病・重症急性呼吸器症候群つまり肺炎は,イラクやアルカイダと無関係なのか。誰もそんな観点からは論じていないようであるが,これを完全に否定できる根拠があるのだろうか。なぜ,このようなアプローチがないのであろうか。
北朝鮮は,イラク戦争のさなかミサイルを発射してアメリカを刺激しているように見える。なぜ,北鮮はそんなことをするのか。アメリカが状況次第で北鮮に宣戦布告するという懸念はキムイルソンにはないのであろうか。
イラクが,フセイン大統領が大量破壊兵器を製造保管しているとして,アメリカが,国連が戦争を仕掛けて実力でこれを排除することがどうして許されるのであろうか。アメリカは確実な証拠なしで,開戦したとしてフランス,ロシアそして国連安保理まで非難している。しかし,イラクが大量破壊兵器を製造保管している確実な証拠があれば,戦争に訴えていいという論法の根拠は何であろうか。
また,アメリカがイラクの大量破壊兵器にこと寄せて戦争を仕掛けているが,イラク戦争の動機目的は,イラクの大量破壊兵器を排除するためだけなのだろうか。イラクの石油資源の支配が目的という論調もないではない。そうだとすると尚更,そのための戦争など許されるはずはないと思えるのだが。
そもそも戦争という悲劇につき,自分の頭で考えたり,ものを言ったりすることは無駄なことであろうか。単に毎日,マスコミ報道を受け身で見ている限り,「どうしようもない」と考え込んでしまう。(平成15年4月6日記)
げんえんと打って変換すると減塩はありますが,減煙はありません。今回,僕は減煙を経て禁煙することを決意しました。減煙とは,少しずつ吸うタバコの本数を減らして禁煙に到達しようというものです。こんな中途半端な方法で禁煙が困難であることはよく聞きます。
今回,禁煙を思い立った直接の動機は,今月初め,自分の肺のCTスキャンの映像を見せられ,黒く穴のように写っているところは喫煙のために穴が空いていると医師から説明を受け,このまま喫煙を継続すると穴は大きくなり,その数も増加の一途を辿り,お終いには肺気腫になると言われました。喫煙は随分前から,肺気腫にとどまらず,各種ガンそのほか多数の健康に対する害になると言われています。また,その弊害は喫煙者に止まらないで,周辺にいて伏流煙を吸い込む人にも危害を及ぼすと聞いています。
思い起こすと僕は20才になって以来,50年近く喫煙を継続してきました。その間,22・3才のころ,禁煙を決心して7日間続けたことがあります。しかし,このときの禁煙を思い立った原因は,小遣いに不足していたことでした。動機も深刻ではありませんし,第一,禁煙を始めたために一時もタバコのことが頭を離れず,夢にまでタバコを買いに行く夢を見るような状態でしたから,禁煙を考えること自体を,このときから止めることにしました。
以来,喫煙の弊害は知っているので,軽いタバコが出る度にニコチン,タールの量が少ないと宣伝されている銘柄に乗り換えてきました。随分,前からタール1r,ニコチン0.1rと宣伝されるタバコが売られており,僕もこのところずっとそれを吸っていました。しかし,これらの量と喫煙の弊害は余り関係ないように聞いたことがあります。タバコが有害なのは,ニコチンやタールでなく,紙巻きタバコの紙が燃えるときに有害物質が出て,これが一番よくないと聞いています。
仕事柄,これまで司法解剖に200回近く立会し,喫煙者の仏さんの肺が黒くて随分汚れているのを見てきました。それでも禁煙を決意できませんでした。
しかし,今回は知り合いに多数いる肺気腫に思いを致したこと,そのほかにも自分の健康に取って多数の有害因子になることもよく分かり,また,長女と次女が今月,来月と引き続き出産を控えていて,その近くでは喫煙を大変嫌がられることも大きな原因です。出産後も喫煙している限り,赤ちゃんに近づけてもらえないでしょう。
と言う次第で禁煙を決意したものの,その瞬間からぷっつり止めればいいものをまだ,買い置きのタバコがあったことから,減煙から禁煙に移ろうと考えました。今月初め,禁煙を考えたとき,事務所に吸いかけの1箱,自宅には新しいのが5箱ありました。僕は,ここ数年,事務所と自宅に一度に10箱入りのカートンを二つずつ買い置きしていました。銘柄はケントONEです。僕の禁煙を決意したころの喫煙量ですが,大体,一日20本前後です。
事務所のタバコはすぐになくなりましたから,4月4日以来,自宅以外では6日間禁煙しています。自宅のは今日,最後の一箱の封を切りました。おそらく明日には皆無になるでしょう。
僕の場合,タバコが本当にうまいと感じられるのは,朝起きたときの一本,それに時々,食事の後の一本で,そのほかに吸っているものは特にうまいとも思いません。先週,平日事務所から出ることがありました。裁判所などに行くのなら,タバコを吸う機会はありませんが,統一地方選の打ち合わせで,区役所の選挙管理委員会に行ったとき,事務局長がうまそうに吸っていました。二回,行ったので,行った度に一本貰って吸いました。これは午後5時ころのことで,朝8時ころから,吸っていなかったのでくらくらしました。減煙から禁煙と決心していますが,いよいよ買い置きのタバコが切れる来週月曜日から,タバコに手を出さないで済むか我ながら,不安です。その後の経過は,また,来週本欄で明らかにします。
(平成15年4月12日記)
減煙その後
また,来週明らかにしますと言ったきり,報告しませんでした。大体,こういうことは,うまく行っている限り,書きたくなりますが,挫折したり,挫折直前になると書くことが億劫になります。案の定,その後の2週間余り初めの意気込みが崩れつつあります。この二週間は,かなり吸ってしまいました。
今でも基本的には,自宅は喫煙,事務所は禁煙です。しかし,事務所の方も未だ,次女が出産せず,出勤してくるので,次女が事務所の中にいるときは禁煙です。しかし,裁判所その他に出かけるとき,歩きタバコをするようになりました。
ただ,タバコの買い置きだけは,まだ,止めたままです。したがって,朝起きると先ず一本,朝食後一本,自宅を出る前に一本,帰宅するとまた,一本,夕食後一本,就寝するまでに三本くらい,結局,休日以外は一日10本近い喫煙状態です。これは止めることを諦めたのではありません。
今のところ,理想的には,起きがけに一本,朝食後一本,午前10時と午後3時に一本,昼食後と夕食後に各一本,就寝までに2本・・・合計一日8本くらいにしたいと考えています。どうも禁煙ではなく,減煙を目指す気持ちになったみたいです。
(平成15年4月29日記)
「借りたカネは忘れろ!」(加治将一著・幻冬舎・平成15年4月25日発行・1238円)
サラ金,クレジット,商工ローンなどからの借金返済に日夜,心を悩ましている方々は,未だに後を絶たないと思われます。返済資金が枯渇し,契約どおりの返済が滞ると債権者からは,毎日返済を催促され,電話での執拗な請求,自宅訪問,勤務先まで電話で請求する,それでも返済しないと裁判の提起,強制執行を臭わせる請求,債権者が多数で,各債権者からこのような目に会うと債務者は,平静心では居れなくなります。
そのような状況に置かれると債務者は,返済のための借り入れをして,その場をしのぎ,それが高ずると借金は自転車操業的にどんどん膨れあがり,次の期日の返済資金作りをどのようにするか,日がな一日中,頭には借金返済のことしかなくなり,精神的にはノイローゼ状態になり,場合によっては死んで償うことを考えたり,とても普通の状態ではなくなります。
家族があっても,家族のことには思いが至らず,砂を噛むような家族間の雰囲気になります。とても一家団欒など考えられない状態です。借金を背負っていることが,その人の人格まで変貌させ,家庭環境をも破壊に近い状態に追い込みます。
ところで,サラリーマン,OLなど普通の人が多重債務に陥り,これを自己破産でけりをつけるというは,かれこれこの10年間くらいに事件数もずいぶん増加し,自己破産の制度自体もこの世に住んでいる人で全く知らない人はいなくなったと言ってよい状態でしょう。
その後,借金の清算については,自己破産の制度だけでなく,債務者の更正にも配慮した特定調停の制度,給与所得者等再生の制度の導入,貸金業規制法等の厳しい適用などによってサラ金,クレジット会社,商工ローンなど業者側の債務者に対する対応の変化などによって,これらを十分,活用しようとする債務者にとっては以前に比べて随分,借金の清算が楽になってきたと思われます。しかし,債務者の置かれた環境などから,上記解決方法を取れないで,未だにこの世も終わりかと思い悩んでいる人は多数いると思われます。
「借りたカネは忘れろ!」は,このような方々のために紹介するものです。著者は,法律家ではありませんが,自分自身が億単位の借金を克服したこと,借金の清算方法を具体的に紹介していることから,法律家の解説より場合によると参考になる部分もあると思います。
特定調停の利用方法,利息制限法超過の過払分の取戻方法,給与所得者再生,オーバーローンの住宅ローンの滌除による解決方法,法律を超越した債権者との交渉方法などかなり分かりやすく解説してあります。
また,アメリカなどの立法と比較して,日本の連帯保証制度の過酷さ,住宅ローンにおけるリコースローンつまり不動産を購入して住宅ローンを利用し,購入した不動産に抵当権を付け,債務者が返済不可能になって,抵当権を実行したとき,不動産の価格が下落していて債務者は,不動産を競売で失っても,競売代金とローン金額に差額があると代金で清算できない分は,無担保債権として残るという制度を激しく著者は非難しています。倒産法の整備も重要なことです。
しかし,この本の著者のように「連帯保証制度」,住宅ローンの「リコースローン」を日本の金銭貸借関係から法的に駆逐することは大変,重要なことだと僕も思いを新たにしました。同じことは,利息制限法の利率を無視した貸金業規制法のみなし弁済制度,刑罰をもって禁止する利率を利息制限法の規定に合わせることなどにも存在します。
また,本書は,多額の借金を抱える人に心理的に余裕を持ち,すべてを犠牲にして返済に努力するような姿勢を捨て去るようアドバイスしています。この心理的な面に対するアドバイスは従来の類書には見られないものだと思います。さらに借金の清算に関して弁護士に依頼しようとするときの弁護士の選び方などについても示唆に富む記述があります。
(平成15年5月31日記)