全療協ニユース888号より

恵楓園で第18回検証会議


          
         四大事件と私立二施設も

      「ハンセン病のメッカ」といわれた熊本県にいよいよ
      検証会議がやってきました。
      第18回ハンセン病問題検証会議は6月15日から3日間、
      菊池恵楓園において開催され、四大事件の解明をはじめ、
      恵楓園とともに二ヶ所の私立施設ほかの見学・検証も行な
      われました。


 1日目の15日は午後1時15分より、恵楓会館において兼平座長,大田自治会長、原田園長がそれぞ
開会の挨拶を行ない、直ちに園内見学に移りました。
園内見学は火葬場跡から反時計回りで、大田会長の案内と説明で行なわれました。


@ 火葬場跡には「やすらぎの碑」が建っており、患者作業による火葬は昭和35年までで40年の幕を閉じたとのこと。今は泗水町の菊池広域連合の火葬場を利用しています。

A 北側コンクリート壁及び堀ですが、コンクリート壁は昭和4年、逃走防止のために建設され、約600b県道沿いに残っています。堀は東側の境界沿いに約2bの深さで掘られていますが、東地区は終戦後、陸軍の飛行場跡を用途変更して買収し、夫婦者などを建てるために拡張したところです。

B 納骨堂は自治会創立50周年記念として計画し、昭和51年に整備費によって建立、造園工事等に は入所者浄財  が当てられました。見学と同時に献花が行なわれましたが、開園以来の物故者は3433人です。

   

C 鐘楼。平成3年に台風19号で半壊し、平成7年に惜しまれながら解体された礼拝堂の跡地に物故 者を慰霊するために建立され、梵鐘は入所者の寄付金によって調達されました。大田会長の説明のあと、金平座長が代表して鐘を撞きました。

D 恵楓園分校跡には「らい予防法」廃止を記念して日本庭園が造成され「いこいの丘公園」と呼ばれています。昭和24年の学校令施行から51年閉校まで、新制中学生168人が義務教育を終え、卒業したということでした

E 西側コンクリート壁は歴史的負の遺産として約300bが残されていますが、コンクリートが劣化し、危険であると対策が問題になっています。
その壁に、子供たちが「社会」を見ようと開けた穴があり、求められて金平座長が「人遣いが荒いわ」といいながらビールケースに乗って覗いていました。

     

F 収容門は入口があって出口のない患者通用門として昭和の初めに設置され、患者地帯と職員地帯を分ける板塀と門の内側には職員のための消毒所も併設されていました。その収容門は平成9年12月に解体され、跡地に「隔離門跡」の標識が建てられました。

G 旧事務本館2階はあらゆる書類、記録類の宝庫です。鳩や雀が巣を作ったり、垢にまみれた状態で専門の職員が整理に当たっていましたが、やはり資料館の整備が急務でしよう。

H 監禁室はその後、結核病棟や精米倉庫に使われたり、まわりにあるはずのコンクリート塀がありませんので、誰にも間が抜けて見えたことでしよう。

      

 恵楓会館では同時期開催で「パネル資料展」が行われ、園内見学に続いて3時半から、いわゆる四大事件を中心にした大田会長による説明会が開かれました。

 @昭和15年7月9・10の両日、「検束者」157人という、熊本県最大の強制収用であった「本妙寺事件」

 A予断と偏見の裁判を以って松夫さんが無実を訴えながら処刑された「藤本事件」

 B「未感染児童」といわれた龍田寮の小学生たちが、地元PTAの反対で通学を拒否された「黒髪校事件」

 Cまだ記憶も新しく、二次被害を生んだ「黒川温泉事件」以上でした。項目ごとに質問と応答が重ねられましたが2日目も聞き取りで取り上げられましたので、詳細は控えます。

      

 なお「パネル資料展」では50点ほどの写真と関係資料が展示されていましたが、この日、多くの人々に最もショッキングであったのは、本文僅か2行余りの書面でした。


      


                   解剖願((かいぼうねがい)

      御収容後難有御治療       (おんしゅうようごありがたくおんちりょう)
      相受居候処万一死亡の際は   (あいうけおりそうろうところまんいちしぼうのさいは
      医術研究の一助とも相成申可  (いじゅつけんきゅうのいちじょともあいなりもうすべ)
      くに付き解剖相成度生前此段  (くにつきかいぼうあいなりたくせいぜんこのだん)
      奉願候也              (ねがいたてまつりそうろうなり)
         昭和26年6月1日
                    ******* 拇印

 宮崎松記園長宛となっており、**さんが9歳で入所したときのものでちっちゃな拇印でした。すでにプロミン以後であり、病気を治してもらうつもりできた子供に一体、誰が説明し、理解させたのでしよう。誰でもやっていることであり、納得させる必要などなかったのでしようか。願書を揃え、合法性を装ったつもりかもしれませんが、泣き泣き承諾する場合があったにしても、どこに自分の解剖を願い出る者がいるでしようか。要するに、国立ハンセン病療養所であり、相手が施療患者だからこそ成り立った理屈であり、解剖天国たる所以があそこにありました。

      

 恵楓園の標本類は解剖室にあり、子供たちの肝試しの場所でもありましたが、大学かどこかへ保管を転換したらしく、園内にはないということでした。
恵楓会館では午後5時から、映画「厚い壁」が上映あれました。黒髪校事件をモチーフにした映画だけに「40年経っても、テーマが映画のなかで生きている」というのが大方の感想でしたが、最後に中山監督が「藤本事件」映画化への思いを述べて挨拶とされました。

      

 2日目の16日は午前9時より、熊本市内のリデル・ライト両女史記念館を見学しました。回春病院の跡地には、古い建物のままの記念館と納骨堂と社会福祉法人・老人ホームがありますが、龍田寮の跡は県営住宅になっていました。

 一行を歓迎するため、潮谷義子知事が来られていて「人権侵害のあったときには鋭い声をあげていくことが大切です」と挨拶で述べられました。
また、回春病院の歴史や両女史の献身ぶり、黒髪校事件の経過についても小笠原理事長が話されましたが、特に「スティグマは今も全くなくなったわけではなく」「地域の一部には、ここはらい病院跡地だからといって利用を拒んでいる人もいる」といわれているのが印象的でした。

 このあと、恵楓園へ戻りながら、菊池医療刑務所内の見学・検証が撮影禁止ながら公開で行なわれました。
                            (以下次号)