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シンポジウム
ハンセン病に対する偏見・差別の根絶を求めて
主催 日本弁護士連合会、九州弁護士連合会、東京三弁護士会、熊本弁護士会

三月二十日午後一時から午後五時まで、都内・弁護士会館クレオにおいて、熊本・黒川温泉のホテルが、入所者の宿泊を拒否した問題で日本弁護士連合会、九州弁護士会連合会、熊本県弁護士会、東京弁護士会第一東京弁護士会、第二東京弁護士会が主催し、シンポジウムが開催され約一00人が参加しました。
日弁連犬飼健郎副会長の開会挨拶のあと熊本県弁護士会人権擁護委員・馬場啓弁護士、菊池恵楓園太田明自治会長、九州大学法学部大学院・内田博文教授による基調報告があり、三氏の報告から問題の根深さと差別の実態が浮き彫りになりました。
内田教授の検証報告は、偏見・差別の生じた原因や責任を指摘し、今後差別される側に立った対策が、組織的、継続的に行われることの重要性を強調されました。次に同教授の報告の概要を紹介します。

差別・偏見の打破に向けて
九州大学法学部研究院教授 内田博文
周知のように、熊本地裁判決はハンセン病についての差別・偏見を次のように分析した。
「今日にまで続くハンセン病患者に対する差別・偏見の原点が(無らい県運動に)あるといっても過言ではない。」(昭和28年に制定された)新法の存在は、ハンセン病に対する差別・偏見の作出・助長・維持に大きな役割を果たした。」「へき地に置かれた療養所の存在も、・・人々にハンセン病が恐ろしい特別な伝染病であることを強く印象付け、差別・偏見の作出・助長・維持に大きな役割を果たした。」
誤った医学的見解の喧伝、流布はこの差別・偏見の作出等に大きく与った。ハンセン病の場合、素人ならまだしも専門家、なかでも国のハンセン病医学・医療の中心に位置する専門家たちが、世界の潮流に背を向け、間違った見解を積極的かつ確信犯的に喧伝等したところに特徴がある。自治体、保健所の責任も見逃せない。GHQの勧告を受け、昭和22年9月、保健所法が全面改正された。警察に代わり、保健所がハンセン病の予防も担当することとなったために、戦後の「無らい県運動」の担い手の裾野は医師や保健婦等、著しく拡がり、これらの人々の「善意」が衛生警察の「権威」以上に「全患者」収容に威力を発揮した。
宗教界の責任も見逃せない。戦後の方が大きかったといってよい。日本国憲法が政教分離を規定したことにより、国家の統制を離れた各宗派は競って療養所に入り、療養所での隔離生活を「運命」等として受け入れることを説いた。それは「らい予防法」の制定および遅すぎた廃止を下支えすることとなった。国や社会に向かって差別・偏見の誤りを説くのではなく、入所者に向かって差別・偏見を受け入れることを説いた。ここでも、ここでも「善意」が差別と結びつくこととなった。
それでは、今日にまで続く差別・偏見の原点があるとされる「無らい県運動」の論理とは何だったのか。「十坪住宅の寄付の如きも皇室御仁慈の御蔭により社会の人々がライに対する一層の同情と社会浄化とを並行したる最善事業と信じ来りたる結果である。」この光田の言葉にそれが凝縮されているといえよう。すなわち、「同情」と「社会浄化」(民族浄化)である。この「同情」論は広く流布され、人々の心の中に大きな位置を占めることとなった。無数のプチ光田が生まれ、「同情」の対象に甘んじることがハンセン病患者に強いられた。人権回復を唱え、国の強制隔離政策に異を唱えることは、同情されるべきハンセン病患者の姿を逸脱するもの、非難されるべきものとされた。ハンセン病の報道にも、この「同情」論が色濃くみられた。
敗戦から昭和28年末までの新聞記事をめくると、ハンセン病患者に対する救済の必要性を指摘する記事の方が多いが、それらは恩恵・慈善といった観点からのもので、全患者強制隔離政策を容認したうえで書かれているからである。マスメデイアも、国民同様、「異常事態」の日常化の中に埋没していたといえよう。
人権論の見地から、この「同情」論を打ち破るのは、司法や法律か家の責任だが、この責任は果たせたのであろうか。「らい予防法」の廃止がここまで遅れたのは法律家・団体が社会から付託された責任を果たさず、なすべき行動を怠ってきたのが原因の一つではないか。このような批判に反駁しえるものを法律家は持ち合わせているのか。いないのではないか。
これらのことからすれば、今日に続くハンセン病についての差別・偏見の特性を次のようにまとめ得ようか。国策によって作出、助長、維持されたことが第1である。第2は、この「国策としての差別・偏見」の作出等に、医療者、宗教者、法律家、マスメデイア、その他、各界の専門家が作為または不作為という形で大きく関わったことである。なかでも、わが国のハンセン病医学、医療の中心に位置した専門医と、この専門医の誤った医学的知見が果たした役割は大きい。第3は、この「国策としての差別・偏見」が長年にわたって維持され、いわば日常化された結果、差別・偏見という「異常事態」に対して社会の側に感覚麻痺が見られることである。この「日常化」自体が、差別・偏見の正当化理由として悪用される可能性がある。第4は、この「国策としての差別・偏見」が「同情」論と表裏一体のものと作出等された結果、無数の「差別意識・加害者意識のない差別・偏見」が生み出されていることである。普段は「寝た子」状態が多く、入所者らが差別・偏見に甘んじる限りは「同情」の中に隠されているが、入所者らが権利主体として立ち上がろうとすると、この「差別意識・加害者意識のない差別・偏見」に火がつき、燃え上がることである。
今回のアイスター事件で明らかになったのも、この特性だといえよう。それでは、このような差別・偏見にどのように対処していくべきか。深層入ったものだけに、根深いが、人の手で作ったものを人の手で壊せないはずはない。要は、上記の特性に則した総合的で科学的な、そして何よりも差別される側の立場に立った対策が、組織的、継続的に行われるかどうかである。総合的で科学的な「差別・偏見解消」実施計画等を国の責任で策定し、自治体その他の関係機関等と協力して実施すること。差別・偏見の解消のためには正しい医学的知見の普及が不可欠で、この面に占める保健所、医療機関等の役割は大きいこと。国の誤ったハンセン病政策を教育の場などで継続的、体系的に正しく教えること。差別・偏見の日常化というのはあってはならない事態で、差別・偏見を正当化する根拠にはなりえず、根拠とすること自体が差別・偏見であることを繰り返し報道等すること。「同情」論と結びついた「差別意識・加害者意識のない差別・偏見」の打破の必要性を繰り返し啓発すること。
知識の伝達では「同情」論は打破できないが、幸い、各地の療養所で社会との人間的な交流の輪が広がっている。この輪をより広げるための努力が宗教界その他に期待されること。差別・偏見の打破や被害の回復等に向けての入所者らの運動を、法律家を中心として、人権論の見地から理論、実践の両面で支えること。以上のような対策がそれである。
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