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「中国茶」入門(4) 黄茶:君山銀針
1 「黄茶」に挑戦編
今回は、黄茶に挑戦してみたい。(黄茶の定義については、「中国茶」第1回を参照されたい)
黄茶は、「こうちゃ」と読んだり、「きちゃ」と読んだりするようだ。布目氏の著作では音読み、TV「中国茶の愉しみ」では訓読みだった。工藤氏の『中国茶図鑑』ではルビは振られていない。
もともと、中国茶の呼び方なのだから、あまり日本語読みにこだわっても仕方ないと思う。個人的には、訓読みの方が親しみやすくて好きだ。これは、青茶などほかのお茶でも同じである。
今回飲みますお茶は、「君山銀針」(くんざんぎんしん)という。
黄茶や白茶は、生産量も少なく一般的ではない。現に私が茶器等を買った百貨店でも、青茶の「鳳凰単叢」(ほうおうたんそう)とか緑茶の「明前西湖龍井」(めいぜんせいころんじん)は売っていたが、白茶や黄茶は置いてなかった。
それでどうしたか、というとネット通販である。利用したのは「中国好茶館」というサイトで、いろいろな種類を少量ずつ試してみるのにとても便利だと思う。
またもお値段をずばり出しますと、20g/360円。別のサイトでは、80g/2万円とかと言われていたのでびびっていたのだが、これなら十分手が出せる。
さて、黄茶の代表である「君山銀針」は、湖南省の洞庭湖に浮かぶ君山(くんざん)という島で産するためその名がついている。
年間でも300kgほどしか生産されないそうだ。特に乾隆帝が好んだので、当時は宮廷専用のお茶となっていたとのこと。
TV「中国茶の愉しみ」では、「ぜひ、耐熱ガラスの背の高いタンブラーグラスを使いましょう」とのことだった。(その理由は、後で述べる)
残念ながら、あまり背の高いグラスは手に入らなかった。
おおよそ65度ぐらいのお湯でいれる。
沸騰した湯を3分ほどさますと、85度くらいになるらしい。これでは、少し熱すぎるそうだ。
5〜6分くらいさましたお湯に湯ざましを少し入れると65度くらいになるとのことであった。けっこうじゃまくさいですね。
茶葉をグラスに3〜5gくらい入れる。そこへ、ゆっくりとお湯を注ぎ(グラスの背が高いので、あまり上から入れなくてもよい)、適当なガラスの皿か何かで蓋をして蒸らす。
蒸らし時間は、15分くらいは取りたい。低めの温度でいれるお茶は、時間をかけてじっくりと味を出していくのが基本である。
TVでは、上記の85度くらいのお湯でいれたお茶と、65度くらいの場合を比較していた。高温の方が色が濃く、渋みが出やすいそうだ。
| では、さっそくいれてみよう。
いれた直後が第1の写真。(上のでかい皿は気にしないでいただきたい)
茶葉は、表面に浮かんでいる。右のグラスが85度、左が65度のイメージである。
わかりにくいが、高温の右のグラスの方が、やや色が濃いことにお気づきだろうか。 |
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なお、君山銀針の葉は、白っぽい黄緑色で、細長くてくるりと巻き込んでいる感じ。びっしりと細い白銀色の毛が生えている。
お湯を入れると、この産毛が湯の中で溶け出してきらきらと光る。
さて、なぜ背の高いグラスを使うのか。布目氏の『中国喫茶文化史』から引用してみる。 |
「〜その茶芽がガラスのコップの中で上部に直立してならび、ちょうど、たけのこが出た時の形のようになって〜しばらくすると茶芽は底に沈み、また浮き上がる。これを三度くり返し、三起三落という。まさに茶のアクロバットである〜」
この、茶葉が上下するさまを楽しむためにガラスコップを使って、横から見るのである。
どきどきしながら、グラスを見つめる。
TVではいれて1時間ほどたったお茶を飲んでみて、水野真紀さんやゲストの一般人の女性が「1時間も置いてるのに、これほど渋みがないなんて」「完全にさめていて、いわゆる「お茶」というイメージの温度ではないのですが、おいしいですね」と言っていた。で、低い温度の方は、しばらく食器棚の中に置いておくことにした。
なおも、グラスを見つめる。落ちる瞬間、見逃すまじと。しかし、15分たっても、いっこうに落ちてこない。
お湯は、黄色になっている。とりあえず、味見をしてみたい。ちょっと表面の葉を吹き寄せて、空間をつくって飲んでみる。少しとろっとした感じ。唇にへばりつく葉をはがしながら飲むせいか、なんか「藁(わら)」って感じがする。
思うに少し、温度が低すぎたのではないだろうか。温度計で計ったわけではないので「低めに」という意識から、湯ざましの量が多すぎたのかもしれない。
飲んだ分、沸騰したお湯を足してみた。葉も落ちる寸前、いわば「触れなば落ちん」という状態になっていたらしく、静かにお湯を足したのだが、半分くらいは沈んだ。
葉もだいぶふくらんできた。上と下で、両極分化という感じである。
おおっ、ふくらんで水面に直立して浮かんでいた葉のひとつが、しばらくいやいやするようにその身を震わせていたかと思うと、あきらめたようにするするっと落ちてきた。
そして、底で直立していた葉の群れの中に。
二、三度軽くバウンドするようにしてから、自分の居場所を見つけたかのように、少し斜めになりながらも身を落ち着けていった。 |
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と、その葉に追い出されたかのように、別の葉がつ、つつつ〜っと上にあがっていく。お茶のエレベーター状態である。(その辺が、上の写真)
ところで、なんでこのようなことが起こるのか。布目氏の前掲書でも「このような技術の開発にはほんとうに驚いた」とあるだけである。しかし、「技術開発」の問題なのだろうか?
最初に沈むのは、わかる。要は、乾燥した状態から湯を吸って重くなるのだ。問題は、その後、なぜ浮上するのか、ということ。
思うに、湯の中の茶葉を見ていると、非常に細かい泡がついているものが多い。表面に細かい毛がたくさん生えているので、そこが空気をはらみやすいのではないか?
それと、葉がくるくると若芽を中に包み込んだような状態なので、そこにも空気がたまりやすく、それで、ちょうど湯と同じ比重くらいになって、葉がほぐれた拍子に空気がもれて沈んだり、反対に新たな泡がくっついて浮かんだりするのではないかと思う。
これは、たった一度の経験に基づく全くの私見なので、詳しい方いらっしゃったら教えてください。
で、やっぱり背の高いグラスが望ましい。高い方が、上下する距離が長くなるのでおもしろいのである。
私は、茶葉を早く使い切りたい(湿ったりして悪い状態にしたくない)という意識と、けちっていい味が出ないといやだなという気持ちから、ついつい葉を多く入れすぎる傾向があるようだ。
表面の茶も底の茶も「かさ」が増えてくるは、中間部分も葉が往復するは、で、あまり背の高くない私のグラスは葉っぱだらけ。
水草がびっしり繁茂する池のよう。まるで「じゅんさい」のあふれるお吸い物のような状態である。
なかなか、『中国茶図鑑』にあるような「香りは爽やか。味も爽やかで、甘く、芳醇」という心境には達することができず、「まあ、毎日飲むお茶やないな。もう少しうまくいれることができるようになったら、そんな気分になるのかな」と思った。
青茶のバリエーションとしての「鳳凰単叢」、緑茶の「碧螺春」、紅茶のライチー紅茶、黒茶の「普洱茶」などなど、初心者の彷徨はまだまだ続く・・・かな?。
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