移動メニューにジャンプ

傾国の美女

 美しさのあまり、国をも傾けてしまう美女。さて、中国五千年のベスト1は?

 思いつくままリストアップしても、たくさんいますね。
 人名の後のかっこ書きが彼女にめろめろにされた人物です。時代は、目安ということでごく大雑把に。

 妲己(だっき。→殷の紂王BC12世紀頃)、
 」(ほうじ。→周の幽王BC8世紀頃)、
 驪姫
(りき。→晋の献公BC7世紀頃)、
 西施
(せいし。→呉王夫差BC5世紀頃)、
 虞美人
(ぐびじん。→楚の項羽BC3世紀頃)、
 それから、
 楊貴妃
(ようきひ。→唐の玄宗皇帝。8世紀頃)ってとこでしょうか。

 あと、
 妹喜
(ばっき。→夏の桀王BC18世紀頃)や
 夏姫
(かき。→いろいろ。BC6世紀頃)、
 また、悪女的な魅力としては、「帝王を股間に弄し、女の本懐、これにすぎるものはない」とうそぶいたとされる
 趙飛燕
昭儀(→漢の成帝BC1世紀頃)の姉妹にも興味がひかれます。

 ところで、安能務氏は『春秋戦国志』(講談社文庫上巻P35〜)で「傾国」と「傾城」を峻別したうえで、傾国の美女は、中国史上でも3名しかおらず、そのうちのベスト1が「褒じ」、2位が妲己、そして3位を西施としています。


(1) 夏姫

・・・と言っておいて、いきなり違うのを出しました。

 夏姫は、鄭(姫姓)の穆公の娘。
 はじめ、陳の夏氏(大夫夏)に嫁し、また、陳の君主霊公、大夫の孔寧儀行父(ぎこうほ)と通じていました。

 その三人が夏徴舒(かちょうじょ。御叔と夏姫の間の子)の家で酒を飲んでいたとき、徴舒は誰に似ている、誰の子だときわどい冗談を言い交わしました。
 徴舒は、このやりとりが腹にすえかね、君主を射殺し、残り二人は楚へ逃亡したのです。BC599年のことでした。

陳の霊公、孔寧・儀行父とともに酒を夏氏に飲む。
公、行父に謂いて曰く、
「徴舒は汝(なんじ)に似たり」。
対(こた)えて曰く、
「また君に似たり」。
徴舒これを病む。
公出ずるや、その厩(うまや)より射てこれを殺す。
二子、楚に奔(はし)る。 
                  『左伝』

 楚の荘王は、君主を殺した夏氏討伐の軍を起こしました。
 陳に入ると徴舒を討ち、栗門(陳の国都の城門)で車裂きにしました。そして、陳を楚に編入してしまったのです。

ついに陳に入り、夏徴舒を殺して、これを栗門にくるまびきにし、よって陳を県にす。 
       (同前)

         

 荘王は夏姫を側室に加えようとしましたが、巫臣(ふしん)という家臣が「それでは淫の大罪です」と諌めました。

 次に令尹の子反(公子側)が夏姫に目をつけましたが、巫臣は「あの女に関わった男は皆ひどい目にあい、国まで滅んだ。世に美女は他にもいるのだし、何も好きこのんで、あんな不吉な女と・・・」と忠告しました。

 荘王は、夏姫を連尹(官名)の襄老に与えましたが、襄老は晋との戦で戦死し、亡骸は晋に奪い去られました。夏姫は、継子の黒要と通じます。(手当たり次第ですな)

 さて、夏姫は最終的に巫臣と結ばれます。これだけ読んでると夏姫は稀代の妖婦、亡国の淫婦であり、巫臣は、王や公子に夏姫と関係を持つなといいながら、自分は楚を捨て晋に出奔し、そこで夏姫とよろしくやった何とも勝手な男にすぎません。
 さて、それは宮城谷氏の『夏姫春秋』の読後にはどう変わるでしょうか。(「名せりふ」:『夏姫春秋』のページをご参照ください)




(2) 妲己

 殷の紂王は、有蘇氏から献上された妲己を溺愛し、彼女のいうことなら何でも聞きました。

 税を重くして鹿(ろく)台の財宝殿と鉅橋(きょきょう)の穀物倉をいっぱいにしたり、沙丘の離宮を拡張し、酒池肉林を設け、連日連夜宴会をしました。
妲己


         
紂、有蘇氏を伐つ。
有蘇、妲己をもって女(めあわ)す。
寵あり。
その言みな従う。
賦税を厚くして、もって鹿台の財を実(み)たし、鉅橋の粟(ぞく)を盈(み)たし、沙丘の苑台を広め、酒をもって池となし、肉を懸けて林となし、長夜の飲をなす。

        


 また、有名な炮烙の刑を行い、妲己と楽しんだとのことです。

銅柱を為(つく)り、膏(あぶら)をもってこれに塗り、炭火の上に加え、罪ある者をしてこれに縁(よ)らしむ。
足滑(なめ)らかにして跌(つまず)いて火中に墜(お)つ。
妲己とこれを観て大いに楽しむ。名づけて炮烙の刑という。

         


 かくして諸侯、人民の心は離反し、周に滅ぼされるに至るのです。
 正確な年代はわかりませんが、およそ3000年ほど前のことと考えられています。


(3) 西施

西施  西施も「ひそみにならう」、「西施捧心」など、その美しさを象徴的に示すエピソードが後世に伝えられているのはポイントが高いと思います。

 西施は、少し病弱だったようで、苦しみに眉をひそめても、それがまた得も言われぬ風情があると評判に。これを醜女が真似たのが「ひそみにならう」ですね。
 また、胸に手を当てて悲しむポーズ( 西施捧心)も、後世にながく模倣されたとか。

 西施の名は、『左伝』や『史記』などの正史にはみえず、後漢時代の『呉越春秋』など野史にしか登場しないそうです。


 陳舜臣氏の『小説十八史略』、駒田信二氏ほかの『新十八史略』、そして
鄭問(チェンウェン)氏の『東周英雄伝』のいずれでも、西施は、越王勾践(こうせん)又は宰相の范蠡(はんれい)が、呉王夫差を篭絡し、また、名将伍子胥(ごししょ)との仲を裂くために送り込んだとされています。

 特に、『小説・・』では、西施は積極的に伍子胥を陥れ、夫差の目を現実からそらして、軍事や民生でなく宮殿修復などにかまけさせたように描写しています。BC473年についに呉が滅んだのは、まさに傾国の美女西施ゆえ・・・ということですね。

 これは、余談ですが、上記『東周・・』では、越王の后が「越王を第二の呉王にせぬために」という名目で(実際は、やむなく呉に送ったものの越王が西施の美しさに心を奪われていたことに対する嫉妬により)任務を終えた西施を殺してしまいます。
 一方、『小説・・』では、范蠡が西施を連れて越を去ったとあります。夏姫と巫臣の関係に似ていますね。
 あなたは、どちらのエンディングがお好みですか?

 それでは、そろそろベスト1の発表をば。


☆「褒じ」☆

褒じ

 妲己周公旦が、西施は越の名臣范蠡が、ライバル国王を骨抜きにしようと教育し、送り込んだ、いわば女密使という説があります。

 これも余談ですが、『封神演義』(ほうしんえんぎ)という中国の小説(世界最初のSFなんていわれてますが)では、不敬な紂王を惑乱するため、神様が送り込んだ千年の女狐の化身が妲己であるとされています。
 つまり、最初から「傾けよう」という意志があるわけですね。

 それからすると、出生については例の「竜の唾液の祟り」というかオカルト的な伝説(注1)が残っているものの、「褒じ」は直接誰かの深謀遠慮で後宮に入ったものではない。

 



 また、裂帛(れっぱく。注2)や烽火(のろし。注3)にしても、周を滅亡させようと意図してねだったものではない。

 ひとえに、彼女の笑顔が見たいがゆえに幽王が勝手に舞い上がり、結果として周王朝を即位後わずか8年で滅ぼして(注4)しまう。
 まさに天然ボケならぬ史上最強の天然「傾国」、やはりわたしもベスト1は「褒じ」といたします。

 イメージでいくと葉月里緒菜ってとこ?


(注1)
 この龍の泡というか精の伝説については、「ビデオ・コミック紹介」のコーナーの東山聖生『天の木霊』の欄をご参照ください。

(注2)
 裂帛とは、『小説十八史略』で、どんな音楽を聞かせても喜ばない彼女に幽王が「そなたは、どのような音が好きなのか」と問い、「絹を裂いた時の音が・・」と答えたので絹を山のように積み、裂かせたと描写されていることをさします。

  ところが、これ、どうも『十八史略』や『史記』「周本紀」の原文にはないみたいなんです。
  一方、『新十八史略』には、夏王桀に妹喜がねだったとされています。陳氏の創作なんですかね?

(注3)
 烽火の件は、実際の敵襲でもないのに烽火があがり、慌てふためく様を見て初めて「褒じ」が笑ったというので、その後たびたび偽りの烽火をあげた。そのため、後に申侯が西戎・犬戎らと共に、幽王を攻めた時、烽火に駆けつける諸侯はいなかった・・・というやつですね。

(注4)
 滅ぼした・・・というものの、正確にはBC771年に幽王が殺され、翌年に洛陽に東遷するので、西周の滅亡というべきかもしれません。
  しかし、中国全土を統一した周王朝は、この時点で名目的なものに成り下がったといってよいでしょう。

←前のページへ 次のページへ→

「ギネスブック」メニューに戻る
トップページに戻る