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ご「異」見歓迎 これが初めて?中国史(1)

 私は、歴史に関する書物を読んでいて「おっ!」と思うのは、「これが、中国史上最初の〜である」などと断言する表現に出会ったときです。

 と言うのも、私自身は中国史を系統立てて学んだことがないので、「自分が本を読んで知り得た限りでは〜」ぐらいのことは言えても(「ギネスブック」のコーナーもすべてそれであります)、なかなか「史上初だ」とか「唯一の例だ」とか言い切ることはできません。

 それだけに、自信たっぷりに断言するその潔さに憧れる一方で、「ほんまに、ほんまやろか?」と疑う気持ちも芽生えてしまうのです。
 こんなことを放置していては精神衛生上よろしくないので、この際少しずつ整理していきたいと思います。
 いや、これは違う。本当はこっちが最初や!というような「ご異見」をメールや掲示板で教えていただければ幸いです。

 『酷刑 血と戦慄の中国刑罰史』著:王永寛(徳間文庫)
項目 内容 出典中の記載 備考
人肉スープ  周王朝の始祖西伯が羑里(ゆうり)に幽閉されたとき、殷の紂王は、人質となっていた西伯の子伯邑考を大鍋に入れ羹(あつもの)をつくり、西伯に食べさせた。  これが古代において人を烹た、最も早い事例である。(P93)


絞首刑  『左伝』「哀公2年(前493)」に、「もしその罪あらば、絞縊してもって戮(りく)す」とある。  締めころしが人をこらしめる刑罰となったのは、『左伝』「哀公2年」の記載に始まる〜(P129)



食われた
国主
 紀元前661年、翟(てき)人が衛国を攻め、懿公(いこう)を殺してその肉を食べ、肝臓は投げ捨てられた。  衛の懿公は、中国史上唯一の人に食べられた国君である。(P250) ※1

※1  『左伝』には、狄(てき)、衛に入り、ついにこれを従(お)い、またこれを河に敗る。とあ   ります。年代は、BC660年のようです。
 
 『歴史とはなにか』著:岡田英弘(文春新書)
項目 内容 出典中の記載 備考
誕生日  自分の誕生日を祝ったのは、唐の玄宗皇帝が始めて。  東アジアで誕生日の観念が発生したのは、記録にあるかぎリでは、唐の玄宗皇帝が729年、自分の誕生日を祝って「千秋節」と呼んだのがはじめてで〜それ以前には、誕生日を意識することはまったくなかったらしい。(P14)  
中華思想  中華思想は、遼に敗れた北宋の時代に、傷ついた自尊心をなぐさめるため考え出された、負け惜しみの思想である。   古く入植した遊牧民の子孫〜が、自分たちは正統の「中華」だ、「漢人」だと言い出して〜新しく北方に興った遊牧帝国を、成り上がりの「夷狄」とさげすんで、せめてもの腹いせにしたのが、中華思想の起源(P46)  
信用
(不換紙幣)
 現物交換に基づく「自然経済」から、「貨幣経済」に進化するための必須要件は「貨幣の信用」 =不換紙幣。
 世界最初の不換紙幣はモンゴル帝国で生まれた。
 モンゴル帝国では、早くも13世紀に、世界最初の不換紙幣を発行し、しかもこれが成功して、約百年にわたって広く流通した。(P156) ※1

※1 世界最初の「紙幣」は、北宋で1023年に発行された「交子」である。(宮崎『中国史』P313)
    元代では、紙幣(交鈔)が本位貨幣として用いられた。(同P420)

 『中国通史』著:堀敏一(講談社学術文庫)
項目 内容 出典中の記載 備考
井戸  中国最古の井戸は、江南地方  7000年前の江南の河姆渡遺跡から中国最古の井戸が発見されています。(P21)  
武人の台頭  中国では歴代文官が優遇されたが、安史の乱(755〜763)後は節度使が民政も握った。  中国で武人が勢力をもったのは、唐代後半から唐滅亡後の五代だけ(P185)  
唐に屈しない気概  吐蕃は唐と激しい戦闘を続け、最後まで屈服しなかった。
 唐の勅書に対し、唐と吐蕃は舅甥であっても臣下ではないとして、表現を改めさせた。
 大国の唐にたいして、これほどはっきり物をいった国はほかにはありません。(P213)    
文学的王朝名 クビライが1271年に創った大元という国号は、易経から採った。  それまでの中国王朝がおおむね出身地の名称をつけたのにたいして、大元の名は易経の「大いなるかな乾元」(乾元は天道の意味)から採られました。(P273)