移動メニューにジャンプ


ご「異」見歓迎 これが初めて?中国史(10)

 
いろいろな本に載っている「はじめて」を集めてみました。
 いや、これは違う。本当はこっちが最初や!というような「ご異見」をメールや掲示板で教えていただければ幸いです。

12 『中国名菜ものがたり』著:槇浩史(鎌倉書房)

項目 内容 出典中の記載 備考
 粥は黄帝がつくった。 『事物起源』には黄帝が粥を発明したとなっている(P27) 注1
修正有
食用植物油  植物油は漢代からあるが、もっぱら灯火や潤滑油などに使われており、宋代になってはじめて食用に胡麻油が使われた。 『夢渓筆談』の中に「〜今の北方人は、胡麻油で、炒めた〜」というのが、食用植物油についての最初の記録である(P165) 注2
豆腐  豆腐は漢代につくられたのではないかといわれている。 豆腐は漢の准南王の始造だといわれている(P206) 注3

 酒は夏王朝の時代に発明された。 夏王朝禹王の頃に儀狄(ぎてき)が初めてドブロク酒を発明し、後の周時代に杜康(とこう)が清酒を作った(P234)  
餃子  餃子が発明されるきっかけは、清朝の太祖ヌルハチ 太祖が〜凶悪な麻虎子を退治し〜村人たちはその怪物の肉を切り刻み麺に包んで食べてしまった(P254) 注4


注1 まあ、たいがいのものは黄帝がつくったといわれているので、伝説と理解すればいいだろう。
 本書にも「約3000年前の周の時代には粥が一般的なものになっていた〜『礼記』にも、飢餓や旱魃の年には国が施粥をもって人民の飢えを救った、と記載されている」とある。
 05.2.16修正
 05年2月14日付け毎日新聞夕刊「幸せの雑学 おかゆ」によると、
「北京中医薬大学日本校薬膳講師の岡本清孝さん(70)は「米文化の先輩である中国では記録が残っているだけでも2000年ほど前に書かれた『神農本草経』(しんのうほんぞうきょう)『黄帝内経』(こうていだいけい)などに記され、6000〜7000年前から食べられていたという説もある」と語る。「老衰を防止し、疾病を治す」「薬を飲んだ後にかゆを食べる」といったことが史料や古代の医学書に見られるという」と書かれている。

注2
 本書には、上記のほか「宋代〜からはじめて〜食用の胡麻油が登場しており〜」とか「植物油が食用に使われたのは、今から約800年ほど前の宋時代といわれている」とある。
 なお、『夢渓筆談』とは、宋の沈括の著。

注3 実は本書にも「漢代に果たして豆腐があったかどうかは、食物学者の議論の的になっている」とある。
 また、本書には「准」南王とあるが「淮」南王(わいなんおう)の誤記と思われる。
 トーヨー新報という豆腐業界紙のHPで、豆腐の起源について大変詳しく書いてくださっている。

 
それによると、新たな「初めて」の項目が紹介されている。それでは、「トーヨー新報」HPバージョンの「初めて」を。

項目 内容 出典中の記載 備考
豆腐(1) 豆腐は、紀元前2世紀、前漢の淮南王・劉安が初めて作ったという伝説がある。 これは、16世紀の中国の書『本草綱目』での記述がもとになっており、あくまでも伝説の域を出ない。


豆腐(2) 豆腐が「同時代的に書かれはじめるようになったのは唐代と言われ」る。 同左 注3の注1
文献上の豆腐 豆腐について、現在確認できる文献上では淮南王・劉安の時代からずっとあとの北宋(960〜1127年)の初めに陶穀の著した『清異録』にある「豆腐」の語が一番古いとされている。 同左



豆腐物語 南宋(1127〜1279年)時代には、楊万里の戯文『豆盧子柔伝(とうろしじゅうでん)』という書物があり、これは、豆盧鮒(豆腐にかけている)という主人公の伝記形式をもつ最古の「豆腐物語」である。 同左 注3の注2


注3の注1 
豆腐の歴史は文献上、唐代までしかさかのぼれず、淮南王・劉安の時代に本当に豆腐があったのかと疑問がわくが、考古学的な研究では、湿式粉砕(豆腐を作る際に大豆は水を加えて粉砕する)の臼をかたどったとされる副葬品が後漢時代の墓から出土していること、また別の墓からは「石刻図に豆腐製造プロセスを書いたもの」が発見されたという中国からの報告もあり、あながち伝説だけだとは言い切れない。

 今でも豆腐の別名で「淮南佳品」「淮南術」といった呼び名があるので、「豆腐の発祥地」といわれる中国・淮南地方が豆腐と縁が深いことだけは確かなようだ。

注3の注2 達磨大師の弟子の「豆腐」が皇帝に仕えるという話で、全編で豆腐が扱われており、その時代に豆腐が物語にされるほどポピュラーなものになったことが分かる。

注4 本書には「餑々(ポポ)、つまり餃子の起源については、『三国志』で有名な諸葛孔明の饅頭の発明と同じように伝説がある」として、「清朝の皇帝である太祖ヌルハチ、在位1616〜26)が〜あちこちと不遇の旅を続けていた時」上記のように、人々を苦しめる怪物を退治し、村人はその肉を「麺に包んで食べてしまった。〜このよき日を記念して〜大晦日には餃子」が「満州ではかかすことのできないものとな」り、「それが中国全土に広がり、正月の特色になった」とのことである。

 なお、ここでいう饅頭の起源について、『完訳三国志 七』(小川環樹・金田純一郎訳。岩波文庫)記載の91回及び解説によれば、南蛮平定した孔明が帰路、瀘水のほとりで立ち往生。孟獲や土地の老人が「河の神に生贄を」と言うが、孔明は牛馬を屠り、小麦粉を人の首の形にこね、牛などの肉を餡としてつめ、供物としたという。

項目 内容 出典中の記載 備考
饅頭  饅頭は、諸葛孔明が発明した。 『事物起源』は、宋の高承の著で〜「饅頭は〜(諸葛)武侯より始まるなり」と考証した。(上掲書P348) 注4の注1

注4の注1 曾三異『因話録』にも同様のことが見えるらしい。
 なお、「饅頭という食品のことは、晋の束皙(そくせき)の『餅の賦』などに見え、三世紀中葉以後にはごく普通であった」とのこと。