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ご「異」見歓迎 これが初めて?中国史(12)

 
いろいろな本に載っている「はじめて」を集めてみました。
 いや、これは違う。本当はこっちが最初や!というような「ご異見」をメールや掲示板で教えていただければ幸いです。

14 『道教の神々』著:窪徳忠(講談社学術文庫)

項目 内容 出典中の記載 備考

最初の道教教団
 最初の道教教団は、干吉(かんきつ。又は于吉=うきつ)が創始した太平道と考えられる。  これまでは五斗米道が最初に成立したとみるのが一般の常識だった。けれども、よく調べてみると太平道のほうが少し先に成立している(P88) 注1
薬(医療)  薬(医療)を発明したのは、伝説上の皇帝炎帝神農氏といわれている。  (炎帝神農氏は)365種類の薬を考案した。それで、400種以上の病気が治るようになって、初めて医の道が起こった。(P156) 注2
灯火  灯火を初めてつくったのは、炎帝神農氏といわれている。  (炎帝神農氏は)闇夜の不便さを痛感し、燃やして照らすことのできる油性の草木をさがしだし、燭火をつくり、火のことをつかさどる五官をおいた。(P156) 注3
文字  文字(漢字)を初めてつくったのは、倉(蒼)頡(そうけつ)といわれている。  倉(蒼)頡は、伝説によると、黄帝の史臣であって、鳥や動物の足跡によって初めて文字を造った人物とされている。(P168) 注4
導引法  導引法(導引術)を完成させたのは、華陀(かだ。2世紀後半から3世紀にかけてのころの名医)といわれている。  華陀が五禽戯(ごきんぎ)といわれている導引法を案出した〜。導引法は〜少なくとも前2世紀以前からさかんに実行されていた養生術らしいが、華陀はそれを虎、鹿、熊、猿、鳥の五つのやり方にわけて、独特の方法を考え出した。(P198) 注5
五行説  五行説は、前5世紀の末ごろ成立したと思われる。  前5世紀の末ごろ成立したと思われる五行説(P205)  
城隍信仰  城隍神とは、府州県の役所の置かれている、城壁に囲まれた大きな町の陰陽両界の支配神というのがもともとの意味だが、城隍神信仰は3世紀ころに起こった。  239年に呉の孫権が安徽省の蕪湖(ぶこ)に祠をたてたのが最古の記録だから、そのころから城隍信仰が起こったようである。(P256) 注6
土地神  土地神信仰は、3世紀前半ごろに起こったと考えられる。  華北で土地爺〜と通称している土地の守り神は〜『捜神記』巻五にみえている蒋子文が土地神になったと自称した話から、大体3世紀前半ごろからおこったと思われる。(P257)
 いまわかっている範囲で、もっとも古く土地神になったのは江蘇省生まれの蒋子文だった。(P259)
注7
門神  門神は前1世紀ころに起こった。  門神の字は『礼記』にはじめてみられる〜前1世紀ごろには〜成慶という勇士をかいた例が伝わっている。これがいまの門神の先縦だろう。(P268) 注8


注1 山東省生まれの干吉(于吉)は、神から『太平清領書』という本を授けられ、結成した宗教集団には本書の名前から太平道と名づけた。それは、大体2世紀前半のころと考えられている。(P88)

注2 
伝説によると、神農氏は太一皇人(たいいつこうじん)の弟子にもらった『天元玉冊』を読んで、食物の養分を身体にいきわたらせば病気が治ることを知った。そこで、さまざまな草木の汁を自らなめて毒草と薬草とを区別し、それらをさまざまに組み合わせて「薬」をつくった。(P155)

注3 
神農氏を「炎」帝とも呼ぶのはこのためである。(P156)

注4
 倉頡(蒼頡)は道教の世界では制字先師、倉頡至聖などと呼ばれ尊敬されている。中国(台湾)では、敬惜字紙といって、文字の書いてある紙を粗末に扱わない習俗がある。(P168)

注5 湖南省の馬王堆の漢代の墓から「導引図」という絵が出土しているから、導引法という養生法が中国では少なくとも前2世紀以前からさかんに実行されていたことがわかる。(P198)

注6
 城隍爺ともよばれる城隍神の起源は、『礼記』の「水庸」、または『易経』の「城が隍に復す」という一句に求められている。(P254)
 
注7 
土地の守り神を華北では土地爺、華南では土地公、客家の間では伯公(バツクン)、台湾や東南アジアでは福徳正神と通称する。(P257)

注8 
前1世紀ごろには〜成慶〜、少し時代がくだったころには〜『山海経』にのべてある神荼(しんじょ)と鬱塁(うつりつ)が誕生した。
 明代の『西遊記』によって、秦叔宝(しんしゅくほう)と尉遅慶徳(うっちけいとく)とが有力な門神とされるようになった。(P268)