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ご「異」見歓迎 これが初めて?中国史(13)

 
いろいろな本に載っている「はじめて」を集めてみました。
 いや、これは違う。本当はこっちが最初や!というような「ご異見」をメールや掲示板で教えていただければ幸いです。

15 『中国ペガソス列伝』 著:中野美代子(中公文庫)

項目 内容 出典中の記載 備考

封禅に参加した皇后
 則天武后は、唐の太宗も実行できなかった封禅の儀を夫高宗に実施させ、自らも参加した。  皇后が参加するという、史上空前絶後の封禅の大典はめでたく終了(P73) 注1
漢民族による新字制定  いわゆる則天文字を二十字以上制定した。  異民族王朝の場合は別として、漢民族王朝において、漢字をもとに新字を制定した例は稀有であり、しかも女の権力者の発案において制定されたことじたいが驚嘆に値する。(P103) 注2


注1 「封禅とは、天下統一を果した天子が天を祀り(「封」)地を祀る(「禅」)重い儀式で〜秦始皇帝と漢武帝のほかは、後漢を興した光武帝〜のみ、以来六百年にわたって皆無であった」(P47)。
 「太宗も、魏徴の反対にあって〜ついに実行せぬまま崩じてしまった。〜封禅の大儀には、史上例のないことながら〜皇后たる自分も参与しなければならないと、彼女は心に決めた。龍朔2年(662)〜封禅をおこなう旨の詔を発した。〜封禅を祝して乾封元年(666)となり、正月、高宗が泰山の山頂にのぼって天地を祀り、翌日くだるや山麓にて高宗と武后ともども地を祀った」(P72、73)
 なお、則天武后は、これに先立つ顕慶5年(660)10月から垂簾聴政を始めていた。

注2 
則天文字の「制作者は、太后の父武士彠(ぶしかく)の姉の子である宗秦客(そうしんかく)。〜一部は日本にも伝えられ「圀」が水戸黄門こと徳川光圀(みつくに)の名にも紛れこんでいるのは、よく知られている」(P102)




16 『中国中世都市紀行』 著:伊原弘(中公新書) 


項目 内容 出典中の記載 備考
旅行記  乾道6年(1170)5月、陸游は虁州(四川省)の通判(副知事)に任命され、赴任する途中の旅の様子を克明な日記(『入蜀記』)に残した。  この日記こそ、完全に残った旅行記としては最古のもの(P2) 注1
経済性を重視した首都  長安を首都とした隋、唐の時代に江南の開発が進んだが、江南を発する大運河が黄河に接する開封に首都が置かれた。  五代最初の王朝の後梁は、この地の経済性に目をつけ、ついにここ汴梁開封に都を置く。〜中国史上はじめて、経済性を重視した帝都の誕生であった。(P116) 注2

注1 最古の旅行記というと、え?『大唐西域記』は?と思ったのだが、中野氏の『三蔵法師』(中公文庫)によると、『大唐西域記』は、玄奘の旅行中のメモを辯機(べんき)という若い学僧がまとめたものなので、自ら著した旅行記としては初めてなのかもしれない。

注2 
江南を発した穀物が営々半年かけて大運河を通って華北に運ばれ、洛陽・長安に運び込むため黄河に積み替える地点が開封だった。