移動メニューにジャンプ


ご「異」見歓迎 これが初めて?中国史(14)

 
いろいろな本に載っている「はじめて」を集めてみました。
 いや、これは違う。本当はこっちが最初や!というような「ご異見」をメールや掲示板で教えていただければ幸いです。

17 『燕京歳時記』 著:敦崇(東洋文庫)

項目 内容 出典中の記載 備考

粽子(ちまき)
 日本で端午の節句で食べる粽子は、入水した屈原に供えるためにはじまった。 『続斉諧記』を見るに、屈原は5月5日、汨羅江に身を投じた。楚の人々はこれをあわれみ、この日に至ると竹筒に米を入れ〜楝(おうち)の葉で筒子の上を塞ぎ、綵糸(いろいと)でそれを纏(まと)う〜これがすなわち粽子の起源である」(P103) 注1
城隍神   土地の守護神である城隍神信仰は呉の時代に始まった。 「呉の赤烏2年(239)に蕪湖で城隍祠が祭祀されたことが記録では最も古い」(P112)  
たこ(凧、風筝、紙鳶)  「たこ」は、漢の劉邦に仕えた韓信が作った。 「『日下旧聞考』を見るに、紙鳶(たこ)は韓信が製作したと古くから伝えている」(P188)  


注1  いわゆる寒食の習慣であるが、「南方における粽子の伝説が屈原と水と関係を持ち、寒食が北方で介之推と山と結ばれているのが、地理的環境を反映している」とある。(同P106)




18 『史記の風景』 著:宮城谷昌光(新潮文庫) 


項目 内容 出典中の記載 備考
 中国では、酒は夏王朝の頃に生まれた。 「寺島良安の『和漢三才図会』で〜『〜酒は黄帝のときからはじまった〜』とある。
〜中国で酒がいつできたかについて〜儀狄のいた夏王朝のころ、というのが常識である」(P12)
注1
天下三分の計  天下三分の計を最初に説いたのは、韓信に献策した蒯通。 「天下三分の計をはじめに説いたのは諸葛孔明ではない。〜「蒯通」(かいつう)という楚漢戦争期の説客である」(P36) 注2
赤穂義士に関する論文  元禄15年12月15日に赤穂義士の討ち入りがあったが、室鳩巣は急いで資料を集め、翌年には論文を書いた。 「江戸時代の大儒である室鳩巣〜は大石内蔵助が切腹した元禄16年(1703)に、『赤穂義人録』を著した。これが赤穂事件に関するもっともはやい論文」(P118)  
歴史的大決戦  中国の古代における大決戦、大会戦は、黄帝と炎帝の戦い。 「もっとも古い大決戦は、伝説のなかの黄帝と炎帝とが争った『阪泉の野の戦い』であろう」(P120) 注3
庶民出身の皇帝  初めて庶民から皇帝になったのは、舜。 「庶民でありながら帝位にまでのぼった〜最初の人が帝舜である」(P124) 注3

注1 「秫酒(じゅつしゅ)は焼酎だとおもえばよい。秫酒はかなりおくれてできたと考えられる」とある。(同P13)
 「初めて」(10)の内容と合わせると、『世本』でいう「儀狄酒を造る」がドブロク酒。「杜康酒を造る」が清酒。そして「少康秫酒を造る」が焼酎ということになる。

注2
 蒯通は韓信に、項羽の誘いにも乗らず、さりとて劉邦にも味方せず形勢をみよと献策したが、韓信は結局劉邦を見捨てることができず、最後は呂后によって殺された。

注3 
「つぎの歴史的な決戦は、商の湯王が夏の帝桀(けつ)を破った『鳴条の戦い』」とある。(同P120)

注4
 「ちなみに二番目が漢の高祖の劉邦である。帝舜が伝説上の人であるとすれば、歴史上では劉邦が最初の人となる」(同P124)