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ご「異」見歓迎 これが初めて?中国史(15)
いろいろな本に載っている「はじめて」を集めてみました。
いや、これは違う。本当はこっちが最初や!というような「ご異見」をメールや掲示板で教えていただければ幸いです。
19 『漢文の話』 著:吉川幸次郎(ちくま文庫)
| 項目 |
内容 |
出典中の記載 |
備考 |
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漢文 |
最古の漢文は『五経』である。 |
「漢文の文章のもっとも古いものとしてあるのは、紀元前六世紀の人である孔子が、彼以前の文献資料から〜選択編集したといわれる五古典、すなわち「五経」である」(P74) |
注1 |
注1 「漢文」と言っている以上、甲骨文の卜辞などを含まないことは想像できるが、最近は考古学的発見が多いので、この見解が現在でも有効なのかどうかはわからない。
本書には、さらに「かく『五経』は、最古の、また最高の、古典であるけれども、文章としては、別格に古いものであり、『書経』のように普通の漢文の知識では読めないものもある。〜
よみ易い文体が成立したのは、前六世紀の孔子以後、前三世紀の秦の始皇に至るまでの、三百年間、いわゆる戦国時代においてである」(P79)とある。
20 『古代中国の文明観』 著:浅野裕一(岩波新書)
| 項目 |
内容 |
出典中の記載 |
備考 |
| 帝王 |
最古の帝王は、黄帝である。 |
「黄帝は、伝説上の最古の帝王である」(P47) |
注1 |
| 学団 |
個人的な学究集団の先駆けは、孔子の学団である。 |
「春秋後期(前526〜前404)になると、思想家個人が門人を集めて学団を形成〜そうした風潮の先駆となったのは、孔子(前552〜前479)が魯の都・曲阜(きょくふ)に開いた学団であった」(P61) |
注2 |
| 道家 |
「道家」という学派名は、漢代に始まる。 |
「『道家』なる学派名は、春秋・戦国時代にはまだ存在しておらず、漢初になって初めて文献に登場してくる」(P139) |
注3 |
注1 『史記』の本紀は「五帝本紀」に始まるが、その冒頭の文章は「黄帝は小典の子で、姓は公孫、名を軒轅(けんえん)といった」である。
注2 新王朝を開き、制度を定め、文明を生み出して、天下を太平に治めた実績のある王者の言説こそが、中国世界の人々にとって、権威ある唯一の教えであった。〜
古代先王の教えこそが唯一絶対の教えだとの観念が強固だった時代に」孔子の学団は「初めて個人によって開設された学団であ」った。(P62)
注3 残念ながら、初めて登場した漢初の文献名は記されていない。
21 『シルクロード』 著:スヴェン・ヘディン(中公文庫)
| 項目 |
内容 |
出典中の記載 |
備考 |
| シルクロード |
「シルクロード」という名称を初めて使用したのは、フォン・リヒトホーフェン男爵である。 |
「シルクロードという言い方は中国では一度も用いられたことはなかった。この言い方を採用したのは、おそらくフォン・リヒトホーフェン男爵が最初であろう」(P289) |
注1 |
シルクロード
遺跡 |
シルクロード遺跡を最初に発見したのは、スヴェン・ヘディンである。 |
「1901年、わたしは楼蘭でいくつかの絹の切れっ端を見つけた。それは多分中国のシルクロードの遺跡の最初のものであったらしい」(P290) |
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注1 『シルクロード第一巻 長安から河西回廊へ』(著:陳舜臣・NHK取材班。日本放送出版協会)には「ドイツの地理学者フェルディナンド・フォン・リヒトホーヘンは、この道を”Seidensrassen”(『シナ』第一巻)「絹の道」と名付けた」とある。
また、『NHKスペシャル 新シルクロード』(NHK出版)には、「シルクロードの名前は、19世紀にドイツの地理学者リヒトホーヘンが「ザイデンシュトラセン」と云ったのが始まりである」とある。
注2 「同じ場所で、スタインは1906年〜に、大量の絹を発掘した」とあるので、私の方が5年先ということだろう。
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