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ご「異」見歓迎 これが初めて?中国史(16)

 
いろいろな本に載っている「はじめて」を集めてみました。
 いや、これは違う。本当はこっちが最初や!というような「ご異見」をメールや掲示板で教えていただければ幸いです。

22 『安禄山と楊貴妃』 著:藤善真澄(清水新書)

項目 内容 出典中の記載 備考
傾城(傾国)   最初に「傾城」、「傾国」となぞらえられたのは、漢の武帝の側室、李夫人である。 (傾城、傾国)「の語源は漢の武帝のとき、宮中に仕えた〜李延年が、美貌の妹、のちの李夫人を武帝の側室にすすめる魂胆から〜武帝にささげた歌にはじまる」(P44) 注1


注1 この李延年が即興でつくった詩というのが
「 北の方に佳人あり 世に絶(すぐ)れて独り立つ  
 一度の顧(ながしめ)は人の城を傾け  
 二度の顧は人の国を傾く
 城を傾け国を傾くとは よく知れど
 あわれ佳人は またと得難し」
というもの。



23
 『漂泊のヒーロー』 著:岡崎由美(大修館書店) 

項目 内容 出典中の記載 備考
方世玉   ジェット・リーが主演する『格闘飛龍』『電光飛龍』の主人公、方世玉が初めて登場するのは、乾隆帝を主人公とする『聖朝鼎盛万年青』という侠義小説である。 「この方世玉が登場する最古の作品が、『万年青』である」(P125) 注1
武侠  「武侠」という言葉は、日本人押川春浪が造った。 「『武侠』の二字を〜初めて用いたのは〜1903年〜。これに先立つ1902年、押川春浪の『武侠の日本』が刊行され」た(P211) 注2
本格的な武侠小説  最初の本格的武侠小説は、1923年に発表された『江湖奇侠伝』である。 「本格的大衆小説としての武侠小説は、1923年から上海の『紅雑誌』に連載された平江不肖生(本名尚凱然、1890〜1957)の『江湖奇侠伝』を嚆矢とする」(P219) 注3
武林   武林という言葉は、民国期に白羽が造った。 「初めて『武林』という言葉を使ったのは白羽」(P228) 注4

注1 本書には、「原題『方世玉』および『方世玉続集』は、広東のローカルヒーロー方世玉を、日本の香港映画ファンの間にも知らしめた。これとて遡れば、方世玉は1928年以来、何度も映画化されている人気キャラクターなのだ。この方世玉が登場する最古の作品が『万年青』である」とある。ここんとこが、もう一つ意味がわからない。
 1928年に初めて方世玉のことが映画化されたのか?何てタイトルなの?
 それとも、1928年に『万年青』の映画が出来て、そこに方世玉が出てくるのか?

 それと、方世玉は黄飛鴻と並んで実在の人物とのことだから、「初めて」といえば誕生日になるのかなあ?

注2 「武侠」という語源は、『韓非子』の「儒は文を以て法を乱し、武は侠を以て禁を犯す」という一説に求められることが多い。
 しかし、「武侠」と2字まとめた一単語としての用例は、台湾の葉洪生『武侠小説談芸録』(1994年)によると、梁啓超という人物が関与しているそうである。いわく、梁が創刊した雑誌に1903年(又は1905年)に掲載された定一の「小説叢話」が最初だとか、梁自身も1904年に「武侠」という語を使っているとか。
 そして、さらに上掲の1902年の用例が紹介されている。
 ただし、「中国の武侠小説とジャンルはまったく違うが、押川春浪は、自らの作品について『武侠小説』を標榜し、武士道を核とする日本人の誇りや愛国心を『武侠精神』という言葉で鼓吹した」(P212)とある。

注3 何をもって「本格的」武侠小説とみなすのか、その基準は本書でも明確には記されていない。

注4 武林とは、文壇を表す「文林」の対語。「武林」と「江湖」が、どう違うのか、本書に書かれているが省略する。


24 『さまよえる湖』 著:スヴェン・ヘディン(中公文庫)

項目 内容 出典中の記載 備考
ロプ・ノール(中国の文献での記載)  ロプ・ノールのことは、『漢書』に初めて記された。 「タリムとその末端湖に関する最古の記述は、紀元前1世紀にさかのぼり、『漢書』に書かれている」(P314) 注1
ロプ・ノール(中国の地図での記載)  現存する、ロプ・ノールが記載された最古の地図は、12世紀につくられた。 「西安の博物館に保存されている石板に記載された地図が、タリムとロプ・ノール(蒲昌海)について述べた最古のものである」(P314) 注2
ロプ・ノール(ヨーロッパの文献での記載)  「ロプ」という名は、マルコ・ポーロが初めてヨーロッパに伝えた。  「彼の非凡な旅行記によって、ロプという名前ははじめてヨーロッパに知られた」(P317) 注3
ロプ・ノール(ヨーロッパの地図での記載)  「ロプ」の名は、16世紀にはじめてヨーロッパの地図に記載された。 「ロプという名前は、16世紀にはじめてヨーロッパの地図にあらわれた」(P317) 注4

注1 記載内容については「パミールの一源流が崑崙の他の源流と合体した。それらは長さも幅も300里ある蒲昌海(プーチャンハイ)すなわち鹹湖たるロプ・ノールに注ぐ」とある。

注2 ここでいう地図とは、南宋の高宗の代、紹興7年(1137)に作られた禹蹟図刻石を指すとのことである。
 本書には、「1137年以前の中国の地図はすべて失われている」とあるのだが、それなら、この禹蹟図刻石は、単にロプ云々にとどまらず、トータルな意味で中国最古の地図ということなのか?何か信じ難い気がする。
 なお、この刻石は「西安の博物館に保存されている」とある。西安の、いわゆる碑林博物館のことなのだろうか。

注3 本書によれば、1237年にマルコ・ポーロがおそらく「ロプ」という地名を耳にして、『旅行記』に記したのだろうとのことである。ただし、彼の文章ではロプ砂漠の話だけで、湖については触れられていないそうだ。

注4 「例えば、1561年のヤコポ・ガスタルディスのインドおよび内陸アジアの地図に『ロプの砂漠』という言葉が読みとられる」そうである。