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ご「異」見歓迎 これが初めて?中国史(4)

 いろいろな本に載っている「はじめて」を集めてみました。
 いや、これは違う。本当はこっちが最初や!というような「ご異見」をメールや掲示板で教えていただければ幸いです。


 『性愛の中国史』著:劉達臨(徳間書店)
項目 内容 出典中の記載 備考
ほほ紅  周王朝の時代、天子の後宮に侍る女性のうち、本日お相手ができない者の目印として、ほほに紅を塗ったのがはじまり。
 
 妃嬪たちは月経の時には、両ほほに紅を塗っておかねばならなかった。ある考証によれば、後世ほほに紅した女性は美しいということで化粧の風俗が形成されていった、ということである。(P44) ※1
赤線  春秋時代初期、斉の首相管仲「女閭」(にょりょ。「閭」は門の意味)を設けたことが、『東周策』に「斉の桓公の宮中に女市七、女閭七百」と記されている。
 西洋では、アテネのソロンがBC594年に国営妓院を設立したのが最初だが、管仲はBC645年に死去しているので、少なくとも50年以上早い。
 管仲が,<女閭(にょりょ)>を設けた〜これこそ中国初の国営<妓院>(売春宿)である。(P44) ※2
ホモ  中国史上、ホモセクシュアルに関しては、黄帝の時代に始まるという記述が最古。
 殷、周王朝時代には確実に存在しており、『詩経』中にも同性愛に関する記述があると考えられている。
 中国史で<同性愛>に関する最初の記載は、雑説の中のいわゆる「孌童(れんどう。美少年)は黄帝に始まる」だ。(P46) ※3
解剖  王莽(BC45〜AD23)は、史上初の遺体解剖をさせた。  官医に命じ初めて遺体解剖をさせた。(P70) ※4
飛行機  王莽は、大衆にアイデアを募り、ある者は、鳥を真似た人力飛行機をつくり、飛行に成功した。  大鳥の羽毛を用いて翼とした人が百歩の距離の飛行に成功。(P70) ※5
立子殺母制  漢の武帝(BC159〜87)は、太子となる男児を生んだ鉤弋夫人が、武帝の死後、呂太后のように政治を壟断することをおそれ、夫人を殺した。  『漢書』によれば〜鉤弋夫人を責め〜武帝は命令を下して死罪とした〜こうして<立子殺母制>が成立した(P539) ※6
女帝  武則天(624〜705)は、中国史上唯一の女帝である。 武后は〜690年、正式に帝と称し(〜女帝と認められたのは中国史上ただ一人)(P101) ※7
纏足  南唐の末代皇帝李U(りいく。在位961〜975)は、高さ6尺(2m弱)の金で蓮をかたどった舞台を造らせ、宮嬪の窅娘(ようじょう)の足を布でしばり、指先を曲げて三日月状にして舞わせた。   李Uは〜窅娘の足を布でしばり〜これが、纏足の起源だといわれている(P227) ※8
男女平等  太平天国は、1853年に定めた「天朝田畝制度」の中で売買婚を否定し、また、女性に男性と同等な権利を獲得させるための一連の措置を講じた。  太平天国は〜中国史上初めて「凡て天下の婚姻は財を論ぜず」という規定をつくり、初めて政治、経済、文化の各分野で女性と男性に同等の権利を与え、初めて実践の中で自主的な婚姻を推進した。(P250) ※9
ナルシスト  明代の馮小青は、妾となった後、嫉妬した本妻に放逐され、水に映る自分の影を見て憐憫を覚えるという影恋(ナルシズム)状況の中で数編の詩を残し、夭折した。
 潘光旦は、『馮小青 ある影恋の研究』という著作を記している。
 
中国史上、<影恋>の典型は、明代末期の1595年、揚州に生まれた女性、馮小青だ。(P256) ※10


※1 本書の中では「化粧」全体の起源のように書いてありますが、それは少し言いすぎかなと思います。

※2 この女閭から得た金は国庫に入ったとのことですが、後に「花粉税」などと言われたそうです。 

※3  本書には、『詩経』の中の「子衿」(しきん)、「褰裳」(けんしょう)、「揚之水」(ようしすい)などはホモをうたった詩だと書かれてます。むろん、中公文庫の海音寺潮五郎氏はそんな風に訳してませんが。
 また、『詩経』(著:白川静。中公新書)での「揚之水」や「子衿」の解釈でも、素直に男女のこととされています。

※4 「〜翟義(てきぎ)の残党の王孫慶というものが捕らえられたとき、王莽の命令で生体解剖がおこなわれたのは、めずらしい。」『秦漢帝国』(編:日比野丈夫。中公文庫)という記述もあります。生きたままやっちゃったんでしょうか?
 
その『秦漢帝国』には、「細くけずった竹の先に脈搏をうつしその動きを観察させたりした。」とあります。これは確かに「生きて」ないと無理ですね。

 翟義は7年に反乱を起こした東郡の太守で、この解剖はそれから10年後のことだそうです。

※5 「匈奴討伐に有能な特殊技術家を最高の条件で公募した〜飛行法というのをやらせてみると、大きな鳥の羽を翼とし、頭にも身体にも鳥の羽をつけて、それを中空のひもでつなぎ通しただけのしかけだ。それでも数百歩(歩は約1.4m)飛んでから地上に落ちたという。」『秦漢帝国』(同上)

※6 「皇太子が決定されたのは、武帝の死の前々日〜そしてその母の趙ulは、それより先、わずかの罪を理由に死を命ぜられていた。それは、幼主が位に即けば、その母が実権をもち、かならず国政を乱すという武帝の配慮によるものであったという。この話は『史記』のちょ小孫の補記に見えている〜『漢書』では〜年月すら明らかでない。」『秦漢帝国』(著:西嶋定生。講談社学術文庫)

※7 関係文献は多いので、とりあえず『中国ペガソス列伝』(著:中野美代子。中公文庫)から「〜日本人とまだ則天武后といわなければ気がすまんようだが、中国史上たったひとりの女帝になったのは事実なんだから、女帝武則天とか、武則天皇帝というべきだろうな〜」

 なお、江青は史上2人目の「女帝」になっていたかもしれません。
 「葉永烈著『江青伝』によると、このとき、江青は「(毛沢東)主席がいなくなったら私は朕(天子の自称)になる」と「驚くべきことを言った」という。」『毛沢東秘録』(産経新聞「毛沢東秘録」取材班。扶桑社文庫)

※8 「旧中国には婦人の纏足(てんそく)という悪習がありましたが、南唐李Uが宮女にさせたのが、そのはじまりだという説がある〜」『中国の歴史』(著:陳舜臣。講談社文庫)

※9 「太平天国は男女平等だという。〜伝統的な中国でも、女が男とまったく同じに土地の分配をうけたり、官吏になったりすることはなかったから、この平等は太平天国独特のものというべきまもしれない。そしてその独特の男女平等は、客家(ハッカ)社会の特殊性からきているのではなかろうか」『中国の近代』(著:市古宙三。河出文庫)

「〜太平軍に女子軍が編成され、纏足をせず、天足で労働に従事したことは、客家(ハッカ)の習性であって〜男女平等という理念から学んだものではなかった、などの指摘が行われた。」『清帝国』(著:増井経夫。講談社)

 なお、『客家の原像』(著:林浩。中公新書)によると、客家とは、華北中原の漢民族が戦争難民として南方へ移住したもので、文天祥洪秀全孫文ケ小平らはすべて客家出身だそうです。
  
※10 
本書でも「典型」といっているだけで「最初の例」とはいってません。
 私も、少なくとも、魏の時代の何晏(かあん。何進の孫。曹操の娘の金郷公主を妻とした)の方が先だと思います。
「〜行歩顧影。『魏略』という書物には、何晏のことを、そう形容している。歩くとき、いつも自分の影をかえりみている、という意味なのだ。〜ナルシストなのだ。」『小説十八史略』(著:陳舜臣。講談社文庫)
 
 本書の中で「〜『馮小青 ある影恋の研究』こそ、中国の学者が現代の精神分析の手法を用いて変態性心理を探究した初の著作である。」とあるので、こっちが「初めて」で取り上げるべきかもしれません。