| 項目 |
内容 |
出典中の記載 |
備考 |
| 漢字の創設者 |
漢字の創造者は、『易経』では、聖人としか記載されていない。
具体的な氏名としては、一般に蒼頡(そうけつ。倉頡とも表記される)とされている。 |
黄帝の史官〜に蒼頡〜という人物がいた。この人が鳥獣の足跡を見て〜初めて文字を造った、というのである。これは、許慎の著わした『説文解字』の「叙」に見える話である。(P7) |
※1 |
| 公用文字 |
戦国時代は、文字も国ごとに異なっていたが、天下を統一した始皇帝が宰相の李斯(りし)に命じ、統一させた。 |
小篆という文字は、中国で漢字が誕生して以来、人為的に手を加えて成った最初の公用文字である。(P10) |
※2 |
| 字様書 |
唐代の顔師古(581〜645)は、太宗の命により五経の誤りを正す『顔氏定本』を633年に作成したが、同時に『顔氏字様』を作成し、楷書の字体についても標準を示した。 |
顔師古は〜定本が拠るべき文字の基準を決めるために、楷書の異体字の数々を別紙に書きだし〜た。これが、いわゆる「字様書」(文字の筆画の標準を示す書)の始まりである。(P17) |
※3 |
| 俗字、通字 |
顔元孫(660?〜732?)は、楷書のそれぞれについて、
(1)形が崩れているが、私的契約書等では用いてよい<俗>体、
(2)長い間慣用されている文字で、判決文等公文書でも用いてよい<通>体、
(3)確かな典拠があり、科挙の答案等では必ず用いるべき<正>体を示した『干禄字書』を編んだ。 |
『干禄字書』は、一千六百五十八字の楷書〜を収め、それらの用途に応じて、<俗><通><正>の三体を区別して示している。(P18)
注6 正・通・俗の三体を用途別に明確に分けて示したのは、この『干禄字書』が初めてである。(P229) |
※4 |
| 識字テキスト |
中国では、古代より学校や塾において漢字を学習するためのテキストが必要とされた。 |
漢字の習得には〜指導書つまり識字テキストが必要となり〜文献によれば、その起源は周王朝にまでさかのぼる〜周の宣王〜の書記官であった史籀(しちゅう)という人が著わした『史籀篇』がそれであると伝えられている(P29) |
※5 |
| 漢字 |
現段階でさかのぼれる最古の漢字は、甲骨文字と考えられる。 |
今日に伝わる漢字として最も古く確かなものは、殷の都のあとといわれる殷墟の地〜から発見された<甲骨文>〜である。(P30) |
※6 |
| 義書 |
漢字も時代の変遷により理解が困難となるため、義(意味)によって分類された辞典である義書『爾雅』が編まれた。 |
義書は、遅くとも紀元前後の頃〜までに成ったと推測される『爾雅』十九篇に始まる。(P36)
『爾雅』は、転義を説明した最初の書である。(P88)
※ 転義(引伸義)は、派生義と仮借義に分けられる |
※7 |
| 語源書 |
後漢末から三国魏にかけての頃、劉熙は声訓と呼ばれる方法によって、その事物がその名称を得た理由の探究を目指す語源書『釈名』を著した。 |
『釈名』は〜語源学の性格を具えた最初の書である。(P51) |
※8 |
| 方言書 |
中国ではかなり古い時代からことばの地域差が認識されており、後漢の応劭の『風俗通義』によると周・秦の時代には方言の調査・収集を司る官吏を設け、毎年農閑期に各地に遣わしていた。
その資料は漢代までに散逸したが、前漢成帝の代に個人で方言語彙の調査・収集を全国規模で実行した人物が現れた。 |
広大な中国で話されていた地域方言を、面接調査によって記録した書が著わされた。この種類の書物としては、おそらく世界で最も古いものであろう。一般に、揚雄が著わしたとされる『方言』〜がそれである。(P69) |
※9 |
| 字書 |
後漢の大学者許慎が、漢字を部首により分類・配列して漢字の構造そのものが示す意味(本義)を説明する字書『説文解字』を著した。 |
『説文解字』は本義を説いた最初の字書(P89) |
※10 |
| 部首 |
許慎は、漢字全体を造字の基本となる漢字である「文」と、文を二つ以上組み合わせて造られた「字」に分類した。
そして、さらに漢字を、義符(意味を表す「文」)が共通するグループに分類する部首法を創案した。 |
許慎は〜系統的に整理・配列する方法を創案した。それが部首法である。(P99) |
※11 |
| 日本で編纂された字書 |
空海(774〜835)は、南朝梁、陳に仕えた顧野王が著した字書『玉篇』にならって、『篆隷萬象名義』を著した。 |
空海が著した〜この書は日本で編纂された字書のなかで現存最古のもの(P120) |
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| 日本における漢和字書 |
900年頃、昌住は、和訓による注も記した『新撰字鏡』12巻を編んだ。 |
この書は〜わが国における現存最古の大規模な漢和字書といわれている。(P120) |
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| アクセントによる配列 |
遼国の僧行均は、『説文解字』における部首を類似したものをまとめるなどして、約半分に整理し、一方、楷書体の字形から新たにいくつかの部首を建てた。
さらに、そうした部首を「四声」の順に4巻に分け、各部内の字も、平・上・去・入の順に並べた字書『龍龕手鑑』(りゅうがんしゅかん)を編んだ。 |
同じ部首法によりながらも、もっぱら漢字検索の便利さを図る字書が編まれるようになった。
〜部首字を高低アクセントを示す「四声」の別によって4巻に分けた
〜大きな変革である(P125〜) |
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| 筆画数による配列 |
明代の1615年、梅膺祚(ばいようそ)は、筆画数によって配列する字書『字彙』を著した。
特別の知識も暗記も必要とせず、ただ機械的に画数を数えることにより検索できるこの方法は、人びとに歓迎されて定着した。 |
今日の漢和辞典の筆画数による配列の方法は『字彙』に始まる。(P131) |
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| 詩集 |
『詩経』は、紀元前10世紀の末頃から紀元前6世紀の始めまでの歌謡を収めたものといわれる。 |
中国最古の詩集に〜『詩経』がある。(P136) |
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| 表音法 |
表音文字をもたない古代中国人は、漢字の音を表すのに、漢字を二字用いて音を表す「反切」(はんせつ)という方法を発明した。 |
反切という表音法の創案によって、方法的にはあらゆる漢字の音を示すことが可能になった。(P141) |
※12 |
| 反切の研究 |
反切の起源は諸説あるが、最初に述べたのは顔之推による「漢末の孫叔然は、反切の知識をもっていた」(『顔氏家訓』)といわれている。 |
反切について最初に述べたのは、知られるかぎりでは顔之推の『顔氏家訓』である。(P141) |
※13 |
| 四声論 |
声調とは語の意味を区別する機能をもつ高低アクセントであり、古代から中国語に備わった特徴だった。
南北朝の頃に、平声・上声・去声・入声という四種類の声調があることが整理された。 |
隋の劉善経の『四声指帰』によると、四声説は初めに周顒(しゅうぎょう)が唱え、沈約(しんやく。441〜513)がそれを継承して『四声譜』を著わし、四声論を確立させた(P146) |
※14 |
| 韻書 |
斉・梁の時代(5世紀から6世紀)に文人は、作詩するときの押韻、平仄の拠りどころとなる韻書を求めるようになった。 |
中国で最も古い韻書は〜『声類』十巻と〜『韻集』五巻〜といわれている。(P148) |
※15 |
| 韻図 |
唐代に入って、漢字の音を韻母を横の段に、声母を縦の行にならべ、座標軸によって体系的に示す韻図が誕生した。 |
今日に伝わる韻図の最も古いものは『韻鏡』である。(P179) |
※16 |
| 『韻鏡』の日本伝来 |
『韻鏡』は、『切韻』(601年)の体系を収めようとした図表であり、南宋の時代の音韻体系とはずれが生じていたため中国では亡失したが、日本に伝えられ大いに重んじられた。 |
一般に伝えられているところに従えば、わが国で『韻鏡』を最初に読解したのは〜明了房信範(みょうりょうぼうしんぱん)で〜書き写したのは〜建長4年(1252)(P181) |
※17 |
| 漢字ローマ字表記 |
漢字表音化の試みは、明代末のマテオ・リッチ(利馬竇=りまとう)ら外国人宣教師が布教の必要上、中国語や漢字を学習する際にローマ字表記を行ったことに始まる。 |
イタリアのイエズス会士、マテオ・リッチの『程氏墨苑』に見える漢字とローマ字の対照が現存するものでは最も古い。それより前、リッチには『大西字母』の書があり、初めて漢字の音をローマ字で表したといわれる(P194) |
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| 中国人による表音文字 |
盧戇章(ろこうしょう。1854〜1928)は、反切法が音節を声母と韻母に分けるのにならって、ローマ字の変形体ともいうべき55の独特の字母(表音文字=「切音新字」)を考案した。 |
中国人で漢字の改革をこころざし、漢字に代わる初めての表音文字をつくったのは〜盧戇章である
〜盧戇章は〜1892年、『一目了然初階』と題するテキストを刊行して「切音新字」を提唱した〜(P196) |
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| 中国語のラテン化(ローマ字化)運動 |
中国語のラテン化(ローマ字化)運動は、ラテン字母によるソ連の文盲一掃運動に刺激を受けた瞿秋白(くしゅうはく)が始めた。 |
1929年の10月、瞿秋白は〜『中国語ラテン化字母』で発表した。最も早いラテン化新文字の草案である。(P215) |
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| 漢字の簡略化 |
中国では、『干禄字書』の例をひくまでもなく、古くから簡略字(俗字)が用いられてきたが、識字率向上の見地から漢字簡略化が主張されるようになった。 |
清朝末の1909年、陸費逵(りくひき)が「普通教育に俗字を採用せよ」という論文を発表した。これが漢字の簡略化運動のはじまりとされる。(P221) |
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