| 項目 |
内容 |
出典中の記載 |
備考 |
| 「孤独」 |
『孟子』梁恵王篇下に「老いて子なきを独といい、幼にして父なきを孤という」とあるが「孤独」という熟語は使っていない。また、『荀子』王覇篇に「孤独鰥寡」という表現が見られるが、「孤独」という熟語にはなっていない。
『礼記』王制篇、『淮南子』時則訓篇や前漢の司馬相如の「上林賦」に初めて「孤独」という熟語が用いられている。 |
孤独の語としては、それらが最も古い用例であろう(P7) |
注1 |
文学の中の
「孤独」 |
『詩経』の「唐風」篇の「葛生」という詩では、夫を喪って空閨を守る女が孤独を嘆いている。
その他、「小雅」篇の「采薇」、「正月」、「魏風」篇の「園有桃」でも孤独がうたわれている。 |
文学に現われた孤独感は、『詩経』に見られるものが最初である(P22) |
注2 |
| 悲しい「秋」 |
宋玉は、楚の屈原とほぼ同時期で、彼の弟子という説もある。
宋玉の作「九弁」のあちこちで、秋の季節の寂しさを描いて、孤独なるものの心中を表そうとしている。 |
秋は悲しきものといいそめたのは、けだし、この「九弁」であろう(P48) |
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| 心情表現としての「影」 |
『荘子』斉物論篇・寓言篇には影と魍魎との問答が記されており、漁父篇では、臆病者が自分の影におびえ、何とかしてそれをふりきろうと走りつづけ力尽きてしまう話が記されている。これは、文献に見える影としては古いものだが、それは譬え話に過ぎない。
また、道徳的用例も古くからあり、『晏子春秋』外篇・不合経術者では「君子は独り立ちて影に慚じず」とある。
厳忌が「哀時命」という詩で「景を抱いて」と表現したのは、道徳的用例における自分の良心の投影、冷厳なる監視者としての「影」ではなく、文学的用例としての自分の感情の投影、温柔なる同伴者としての「影」(「景」は影法師)である。
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文学として、自分の心情を表すために「影」を用いたのは、右に引いた厳忌の作などが最も早いものだろう。厳忌は前漢の景帝の頃の人である(P64) |
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| 「人生は朝露の如し」 |
降って前1世紀、前漢の中ごろの李陵が、匈奴に降伏せよと蘇武にすすめた言葉の中に、「人生は朝露の如し、何ぞ久しく自ら苦しむこと此のごときや」(『漢書』蘇建伝附武伝)の語がある。 |
「人生は朝露の如し」は、今でこそ常套後語になっていて、殆ど感動を伴わないが、二千年の昔、匈奴の地で、この語をはじめて使った李陵は、深い嘆きをこめていったに違いない(P137) |
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| 永久の時間の中の「孤独」 |
人生一般を大きな背景の裡(うち)に捉えて、深くそのはかなさを意識し、しみじみとそれを嘆いた作品は晋代(3〜5世紀)になってはじめてみられる。
人間を永久の時間の流れに浮かぶ存在として描いたものに、陸機(3世紀)の「嘆逝賦」がある。 |
陸機は、人間の生命を永遠につづく時間の流れの裡に諦観しておる〜が、かかる諦観を詠じた作品はこれが最初であるまいか(P144) |
注3 |
| 純文学の価値 |
漢の時代、1〜2世紀頃までの文学は道徳に隷属していたが、曹操、丕、植の親子三人は文学の鼓吹に大いに力を尽くした。
曹丕の「文章は経国の大業、不朽の盛事なり」という言葉は、文学の独立宣言と言ってもよい。 |
曹操とその子の丕、植〜のころにはじめて純文学というものの価値が認められた(P287) |
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| 配給 |
晋の時代の王敦が、天子の姫君を頂戴し、その時美人が百余人つき従ってきた。
処置に困って、その美人たちを部下の将士に配ったが、歴史書に「これを将士に配給す」と書いてある。 |
配給という語の最も古い用例でしょう(P293)
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